24話 雪だるま
窓の外では雪が静かに降り続いている。
森はすっかり雪化粧をまとい、葉が抜け落ちた枝には白い綿雪が積もっていた。
普段は濃い緑色の景色も、今ではどこまでも白一色だ。たまにはこういうのもいい。
もちろん窓の内側で、クッションに身を委ねながら、毛布に包まってこそだ。
私のわがままが通り、ついに念願の毛布を手に入れた。寒さに強い銀霜虎の毛皮を加工した代物だ。
あぁ、実に快適。
私はゴロゴロと喉を鳴らしながら窓の外を眺める。
雪はちらちらと舞う程度だが、空から絶え間なく降り注ぎ、地面へ静かに積み重なっていく。
「よく降るな……」
思わず呟く。
高さとしては人間の膝くらいまである。私なら全身がすっぽりと埋もれてしまうだろう。
メルは朝早くから出掛けている。
何でも雪の季節にしか試せない魔法があるらしい。研究だとか観測だとか言っていたが、私にはよく分からない。
こんな日に外へ出るのは正気ではない。
ヒゲが凍るし、寒いし、毛が濡れる。良いことが一つもない。
想像するだけで冷えた気がして、私はぬくぬくと毛布の中へさらに身体を埋める。
そんなことを考えていると、がちゃりと玄関の扉が開く音がした。
私は片目だけ開く。
真っ白になったメルが入ってくる。フードの上には雪が積もり、長い髪にも白い粒が付着していた。
実にみすぼらしい姿だ。
「ただいま」
「あー、ご苦労さん」
適当に返事をする。そこで終わるはずだった。
だが、メルの背後からもう一つの影が現れた。
私はぴくりと耳を傾け、ゆっくり身体を起こす。
「……あ?」
小さな人影だった。いや、人ではない。
淡く青白い光を纏い、その輪郭は雪煙のように曖昧だ。
髪はツララのように透き通り、歩くたびに細かな光が零れ落ちる。
冬の冷気そのものが形を得たような存在。
一目見て分かった。
「そいつ、精霊か」
「ええ、冬の精霊さんよ。助けて欲しいって声をかけられたの」
メルが微笑みながら応え、私は深々とため息を吐いた。
過去の経験が警鐘を鳴らしている。
精霊は碌な奴がいなかったし、良い思い出がない。春は花粉症を弄ばれ、秋は危うく山火事になった。
「追い返せ」
吐き捨てるようにそう言ったが、メルは靴を脱ぎながら不思議そうに首を傾げる。
「どうしたのよ?」
こいつ、今まで精霊にされてきたことを忘れたのか?
当の冬の精霊も心外だという顔をした。だが知ったことではない。
「お前のところの春やら秋の精霊を恨むといい」
「そんなこと言わないの」
すると冬の精霊が、おずおずと口を開いた。
「あの……私、困っていて……」
「知らん」
「タズ」
メルにいい加減にするよう睨まれる。私はぷいと視線を逸らした。
「それで?」
メルの問いかけに、冬の精霊は少し安心したように胸を撫で下ろす。
「お願いがあるんです。もちろん、お礼はします」
「お礼?」
「はい、雪晶花をお渡しします!」
その言葉に、メルの目がさらに輝いた。
この魔女は金銭そのものには執着しない。だが珍しい知識や素材、魔法となると話が別だ。
私は知らないが、魔女にとっては相当価値のあるものらしい。
とはいえメルがここまで喜ぶなんて、相当レアな代物らしい。
私は毛布へ潜り直しながら天井を見上げる。
この流れは、どうせ引き受ける羽目になる。
「それで、お願いというのは?」
既に乗り気になっているメルが尋ねる。
冬の精霊は少し気まずそうに視線を逸らした。
「雪だるまを探してほしいんです」
「雪だるまだと?」
私は思わず聞き返した。妙なことを言う。
勝手になくなるようなものじゃない。たしかに暖かくなれば溶けるだろうが、今は雪が降っている。
冬の精霊は遠慮がちにこくりと頷く。
「はい。私が作った雪だるまで……」
そこまで言ってから、さらに言いづらそうに続けた。
「知らず知らずのうちに生命魔法が付与されたみたいで」
「馬鹿なのか?」
私はゆっくりと冬の精霊を見る。
「ご、ごめんなさい……」
即座に謝られた。メルも額へ手を当ててため息を吐く。
「精霊は存在が魔法のようですからね。無意識下でこうなってしまうこともありますよ」
「ええ、気付いたときには遅くて」
それにしても作っている途中に生命魔法を吹き込むなんて、あまりにもお粗末だ。
「雪だるまなんて放っておいてもいいだろ?」
私が尋ねると、メルが少し考え込んだ様子で応える。
「無意識に発動した生命魔法は、どんな作用を及ぼすか分からないの。ちなみに、どうして雪だるまを作ったの?」
「『大きくなあれ』って思いながら作ってました!」
「それなら、際限なく大きくなろうとするかもしれないわね」
「えっ!?」
冬の精霊は見る見るうちに顔を青くし、あわあわと慌て始める。
無垢に大きくなろうとする雪だるまか。
ただの雪玉とはいえ、そうなったらどれくらいの影響を及ぼすか想像がつかないな。どうやら思っていた以上にまずい状況らしい。
「それで、見た目は?」
「普通の雪だるまです。頭にバケツを被っていて、石でできた目と枝の手足です」
「早速いきましょうか」
冬の精霊の表情がぱっと明るくなる。
私は嫌な予感がして、毛布へ潜り込んだ。
「外は雪だぞ」
「雪ね」
「寒いぞ」
「寒かったわ」
「だから行かない」
「タズも行くわよ」
会話が成立していない。
私は抗議の視線を送る。しかしメルはどこ吹く風だった。
既にフードについた雪を払い落とし、再び外に出る準備を始めている。
「さて、雪だるまさんを探しに行きましょう」
冬の精霊まで嬉しそうに頷いている。
味方がいなかった。
どうしてこうなるのだろう。
暖かい家。柔らかい毛布。完璧だったはずの午後。
それらは今、雪の中へ消えようとしていた。
「それで、どうやって探すんだ?」
私は玄関先で言った。
森一面が白く染まり、見通しも悪い。こんな状況で真っ白な雪だるま一体を探せと言われても無茶な話だった。夏の森で緑色の葉っぱを一枚探すのと同じだ。
冬の精霊も困ったように首を傾げる。
「えっと……頑張って?」
「作戦なしなのか」
「ごめんなさい」
即座に謝られた。私は深々とため息を吐く。
「私も探すの苦手です」
メルがけろりとした顔で言った。
「知ってる」
結局、まともに捜索できる人間がいなかった。
私は頭を抱える。むやみやたらに森を歩き回っても時間の無駄だ。
雪は降り続いている。
足跡だってすぐ消える。
「大きくなりたいと思っている雪だるまがどこへ行きそうか、だ」
メルと冬の精霊が顔を見合わせる。
その反応を見る限り、そこまで考えていなかったらしい。非常に不安になる。
もう頼れるのは自分だけだ。頭の中でマップを広げる。
雪だるまが歩ける距離。森の地形。開けた場所。
もし自我が芽生えているのなら、向かいそうな場所はどこか。転がるのが楽そうな場所はないか。
以前、私とメルの影が逃げ出したときと同じだ。
考えられる可能性を一つずつ洗い出し、潰していく。
その結果、辿り着いたのは森の奥にある緩やかな下り坂の丘だった。
「おそらく、そこだ」
「なるほど。雪だるまだものね」
メルが納得したように頷く。
しばらくして、私たちは雪を踏みしめながら森の中を進んでいく。
深々と降り積もった雪は足を取られ、一歩進むたびに靴音だけが静かな森に響いていた。
ここを越えたら目星をつけていた丘だ。
ふと、鼻先をかすめるような違和感を覚える。
微かだが、妙な魔力の気配だ。
「どうしたの?」
「いや……こっちだ」
私は踵を返し、先ほどまで進んでいた方向とは違う道へと歩き出す。
「あら、さっきの予想とは違う場所だけど?」
「毛の奥がムズムズする感じがするんだ」
魔力の気配は雪の匂いに紛れながらも、確かにこちらから流れてきている。
そう考えていたときだった。
「……なんだこれ」
私たちは足を止める。足下に何かを引きずったような溝が現れる。それは右往左往していて、一意の場所に向かおうとしていない。交わって、時には同じ場所を通ったような跡。
雪が降っているのに、跡が残っている。
そして目の前の斜面に巨大な影が見えた。
木より大きい。岩より丸い。
そして真っ白だった。
「おいおい」
「まさかあれが……」
嫌な予感しかしない。
私たちは急いで近付く。
やがて全貌が見えた。
思わず呟く。
そこにいたのは雪だるまだった。間違いなく雪だるまだ。
丸い胴体。
丸い頭。
枝でできた腕。
石で作られた目。
だが大きさがおかしい。
家よりも大きい。
しかし普通の雪だるまの何十倍もある。まるで砦だった。
「やはりどんどん大きくなっていったようですね」
雪だるまはのそのそと移動している。
歩くたびに雪を巻き込み、さらに身体が大きくなっていた。
雪だるまは満足そうに雪原を転がっている。
その姿はどこか楽しそうですらあった。
一歩。また一歩。既に巨大なのに、まだ成長する気らしい。
正面の木は薙ぎ倒されていき、止められるものはなさそうだ。しかもこっちに転がってきている。
その大きさゆえに避けるのは骨が折れそうだ。しかもどこへ転がっていくか分からない。
「……どうしましょう?」
冬の精霊が不安そうに尋ねてきた。
その隣ではメルが顎に手を当てて雪だるまを観察している。
「破壊するか?」
私は思わず口にした。
すると冬の精霊が目に見えて慌てる。
「だ、だめです!」
即答だった。
「私が作った大切な雪だるまなんですっ!」
「そんなことを言っている場合じゃないだろ」
「もちろん最初は遊びだったんですけど」
そりゃそうだろう。雪だるまを遊び以外で作る奴なんていない。
「家族なんです」
冬の精霊がぽつりと言う。その言い方はあまりにも真剣だった。
私は転がっていく雪だるまを目を向ける。
ただ雪が好きで大きくなりたいから転がっているだけだ。そこに害意も悪意もない。
たしかに退治するのは少し気が引けた。
メルも隣で小さく頷いた。
「なら消すのは却下ね」
「とはいえ、このまま放置というわけにはいかないだろ」
このままだと森中の雪を集めかねない。そして夏になれば、一気に溶けてとんでもない水害を起こす可能性だってある。
なにより国が雪だるまに気づいて、調査隊を派遣されたら追い返すのも面倒だ。
「雪だるまさんには悪いですが、元の大きさまで小さくしましょう。それならいいでしょう?」
メルの提案に、冬の精霊がコクリと頷く。
「こ、攻撃はしないでくださいね」
「ええ」
メルが冬の精霊に目配せをして、杖を取り出した。魔力が集まる。杖の先が淡く光った。
ふわりと暖かな風が吹き抜ける。
炎ではない。熱でもない。
雪だけを優しくほどくような魔法だった。
巨大な身体の表面が少しずつ溶けていく。
ぼたぼたと雪が落ちて、水に変わる。そして水が流れていかないよう蒸発までさせている。
雪だるまは首を傾げた。
そして自分が縮んでいることに気付いたらしい。
慌てて転がろうとする。
「逃がさないわよ」
メルが笑った。熱魔法がさらに雪だるまを包む。
たしかにこれは攻撃ではない。一時的に雪だるまの周囲を夏のようにしただけだ。
規模からすれば凄まじい魔力量だが、メルにとっては大したことないのだろう。
雪だるまの大きな身体は徐々に小さくなり、やがて冬の精霊と同じくらいの大きさになった。
「よかった……」
冬の精霊が胸を撫で下ろした。
雪だるまは状況が飲み込めていないのか、小さな枝の腕をぱたぱた振っている。
そのまま精霊は雪だるまの足元へと寄り添う。
雪だるまは枝の腕をぶんぶん振っている。どうやら再会を喜んでいるらしい。
その様子は本物の家族に見える。生命魔法というのは恐ろしい。
私は何とも言えない顔になる。精霊の価値観はよく分からない。
だが当人たちが幸せそうなら、それでいいのかもしれない。
「ありがとうございました」
冬の精霊は深々と頭を下げる。
雪だるまも真似をするように身体を傾けた。
危うく転びそうになっている。
「雪晶花は、後日届けますので」
「ええ、待っているわ」
そして冬の精霊は雪だるまと並んで歩き出す。
雪だるまは嬉しそうに後をついていった。
白い雪原の向こうへ。小さな足跡と丸い転がり跡を残しながら。
その後ろ姿を見送りながら、私は肩を落とすように白い息を吐いた。
……いつからだろうか。
こうして森を歩いていると、自分でも驚くほど多くのことが分かるようになってきている。
魔力の揺らぎ、風の流れ、生き物の気配。
そのどれもが、昔のように鮮明に感じられる。
靈魔猫としての力が戻ってきているのか。それとも、この森で暮らし続けた結果なのか。
感覚が鋭くなっているのは便利ではあるが、手放しで喜んでいいのだろうか。
そんな予感だけが、胸の奥に小さく引っ掛かっていた。




