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25話 年の瀬

 森には相変わらず雪が降り続いていた。

 降り積もる雪の音すら聞こえそうなほどの静寂。

 木々の輪郭は淡く霞み、世界から色が抜け落ちたようだった。

 そんな景色を窓辺から眺めながら、私は丸くなって尻尾を揺らす。

 冬の日は、何もしないことに価値がある。そんな簡単なことが、この家では難しいのだ。

「師匠ー!」

 今日もまた静かな時間を壊すように、元気な声が家の中に響いた。

 勢いよく扉が開き、冷たい風と雪を連れて現れたのはニコラだった。

 人間というのは、本当に不可解な生き物だ。こんな雪の日に、わざわざ森の奥まで足を運ぼうというのだから。

「お久しぶりです!」

 魔導書を読んでいたメルが顔を上げる。

 私もちらりとニコラを見る。元気そうだった。顔色も良い。

「ちゃんと人間の姿だな」

「やめてくださいよ〜」

 私がからかうように言うと、ニコラが苦笑する。

 ニコラに会うのは、あの猫になった騒動以来だ。

「その後はどうだ?」

「特に変わりありません。猫の症状は出ていませんよ」

 ニコラはそう言って胸を張る。

「そうか」

 私は少し安心する。

 あの場では異常が無かったとはいえ、言動の一部が猫に引っ張られていたらどうしようかと思っていた。猫は私だけで事足りている。


 そんな話をしている間に、メルがお茶の準備を始めていた。

 テーブルの上には焼き菓子が並べられる。

 木の実を練り込んだクッキー。蜂蜜を使った小さなケーキ。そして紅茶から湯気がくぐもる。

 外は寒いが、家の中は温かい空気に満ちている。

 2人でおやつを囲んで、いつものように世間話が始まった。

 メルがニコラに売却を依頼していた素材は無事に売りさばけ、そのお金で珍しい異国の鉱石や素材を手に入れたらしい。

 2人はそれを吟味しつつ、テーブルに並べ立てていく。

 私には関係のない、ただ退屈なだけの時間だ。

 しかし私の鋭い嗅覚が、その中に混じる香ばしい香りに気付いた。

 私はヒゲをピンと伸ばすと、目を見開き、それを視界に入れる。

 どうやら乾燥させた獣肉に、異国の香辛料を染み込ませた保存食らしい。

「それ、どうするんだ」

 私は前足でその干し肉を指し示す。メルが首をかしげる。

「うーん、特に決めてないけど?」

「なら私が引き取ってやる。猫の舌は繊細だからな、お前たちより美味しく味わえる」

 そう言いながらチェストから降りてそれを咥え、ありがたく頂戴することにした。

 これくらいは貰っておかないと、私の安眠を邪魔された分に釣り合わない。

 メルは少し呆れたようにこちらを見たが、さほど重要な物でもないのだろう、すぐにニコラとの会話へと戻っていった。


 干し肉を堪能し終わったころ、ニコラが何気なく言った。

「そういえば今年も終わりですね」

 私は耳を動かす。森にいると季節感はあるが、日付の感覚は曖昧になる。

 雪が降れば冬。花が咲けば春。その程度だ。

 それに世俗から離れているから、新年の概念もほとんど無かった。あまりピンとこない。

 それはメルも同じらしく「へぇ」と気の抜けた返事をした。

「来年で私も学院を卒業ですよ」

「もうそんなになるのね」

 その言葉に、メルは小さく目を瞬かせた。

 ニコラは飛び級で学院へ進学した秀才だ。

 本来なら卒業はもっと先の年齢になるはずだが、特例として来年には卒業を迎えるという。

 しかも、すでに憲兵の研修生として実務にも携わっている。しょっちゅうメルのもとへ来ているが、本来ならそんな暇はないはずだ。

 普段は忙しい素振りを見せないのは、ここでの時間をより大切に思っていてのことだろう。


 それからニコラは何かを思い出したように手を叩いた。

「あ」

「どうした?」

「実は今度の実習で困ったことがあって」

 ニコラが学院の実習ごときで困るなんて珍しい。メルは興味深そうに顔を上げる。

「何かしら?」

「授業で、魔獣と一組になってクリアしなきゃいけない課題があるんです」

 そう言って、ニコラがこちらを見た。何やら様子がおかしいな。

「本来なら学院で飼育している魔獣の中から一頭を選ぶんです。でも私は出席日数が足りなくて、まだ信頼関係を築けていなくて……。だからといって、無理やり従わせるのも違うと思うんです」

「おい、待て待て」

 嫌な予感が、確信へと変わる。

「そこで、ちょうどタズさんが」

「断る」

 最後まで聞く必要はなかった。

 即答だった。ニコラは分かりやすく肩を落とし、頬までしょんぼり垂れそうな勢いで俯く。

「まだ説明もしてないんですが……」

「いや、聞くのも不快だ」

 私は前脚を組む。

「見世物になる気はない」

「見世物じゃありません」

「どうだかな」

 学院というものに詳しくはないが、課題ということは採点されるということだろう。

 さらには学生たちも見ているかもしれない。

 そんなところに、わざわざ足を運んでやる道理などないし、そもそもニコラに従うつもりもない。

 私は断固として首を横に振った。

「そんなあ……」

 ニコラがしょんぼりする。


 だが、その時だった。

「面白そうね」

 メルの声がした。

 私は嫌な予感とともに目を向ける。メルがニコニコと笑みを浮かべ上機嫌だ。

 やめろ。話が進む。

「タズもここにいたら引きこもっているし」

「お前にしょっちゅう連れ出されてるだろ」

「それに授業も楽しそう」

「おい、話を聞け」

 メルの完全無視モードだ。こうなったら止める術はない。

 ニコラの表情がぱっと明るくなる。

「私が許可するわ」

「ありがとうございます!」

 いつの間にか選択権がメルに握られている。

「タズ、楽しんでらっしゃい」

「私は行かないぞ!」

 私は牙を剥き出しにして抗議する。だがメルは楽しそうに微笑むだけだった。

 その顔を見て、私は悟る。これはもう決まった話なのだと。

「私も見学に行けないのが残念だわ」

「でしたら、何とか方法を考えましょう」

 そこから先は2人で催眠魔法を教授にかけるだの、光魔法を使った錯覚魔法だの、ろくでもない案が、さも名案のように次々と飛び出してくる。

 私は途中で口を挟むのを諦めた。

 どうやら私の意思など、とっくに議題から外されているらしい。

 年末早々に、来年の面倒な予定が決まってしまった。

「お茶のおかわりを持ってくるわ」

 議論が一息つくと、メルが席を立った。ぱたぱたと台所へ向かう足音が遠ざかっていく。


 私はクッションの上で丸くなり、窓の外へ視線を向ける。雪は相変わらず降り続いていた。

 もはやすべてを諦めて黄昏れるしかない。

「タズさん」

「なんだ」

 ふいにニコラが話しかけてきた。いつもより少し真面目な声だった。

 私は耳だけを、そちらに向ける。

 ニコラは少し言い淀んでから口を開いた。

「猫になった時のこと、覚えてるんです」

「その話はもう終わっただろ」

「違います」

 即座に返された。

「森でタズさんが黝蛇(バランクロス)と戦った時のことも含めてです」

 私は無言になる。ニコラが何を言いたいかを察する。窓の外の霜が、重みに耐えかねてすぅと下まで落ちていった。

「あの時。タズさん、普通じゃなかったですよね」

 ニコラは慎重に言葉を選んでいる。

 私は小さくため息を吐いた。

 あの時はニコラを探しているうえに、手の抜けない魔獣がいた。見ているかを気にする余裕もなかったし、力を隠している場合ではなかった。

「見たのか」

「少しだけです」

 ニコラは遠慮がちに頷く。

「毛が逆立って……雰囲気が全然変わって」

 言葉を探すように視線を彷徨わせる。

「まるで別の生き物みたいでした」

 ニコラは少し身を乗り出す。

「ずっと気になってたんです」

「聞かない方がいいぞ」

「それでも聞きます」

 真っ直ぐな目だった。

 知識を求める魔女というよりも、メルの弟子としての顔だった。


 私は再びため息を吐く。

 誤魔化せない。ここまで見られているなら尚更だった。

 私はニコラの方に向き直る。窓の外の真っ白な雪の光が、ニコラの瞳に映った。

「……私は靈魔猫(ミスティフェリス)だ」

 静かな声で告げる。空気が流れる音が聞こえる。

 ニコラが何度か瞬きをした。

靈魔猫(ミスティフェリス)……」

 呆気に取られている。流石に想像もしていなかったのだろう。

「国で噂が流れている森での目撃情報は私のことだ」

「あの話は、本当だったんですね……」

「あぁ、この家に近づかないように牽制をしたんだ」

 ニコラはしばらく固まっていた。頭の中で整理しているらしい。


「伝承でしか知りませんが、靈魔猫(ミスティフェリス)って、近くにいるものの生気を吸い取るんですよね?」

 揺れるニコラの瞳孔が、記憶の底に焼き付いた畏怖の眼差しと重なる。

 私は奥歯を噛みしめ、淡々と語り続けた。

「ああ。だから、普段はあの姿にならないようにしている」

靈魔猫(ミスティフェリス)の姿に戻ると、身体能力も上がるんですね」

「あまり長く持たないがな。ただの猫になってからは、体への反動が大き過ぎる」

 私は小さく肩をすくめる。

「そんなことができるんですね」

「普通なら無理だ」

 靈魔猫(ミスティフェリス)とは生まれつきの種族であり体質。コントロールできるものじゃない。

 本来ならば、死ぬまで生気を喰らう性質が消えることはない。

「色々あってこの身体になった。メルも、力の解放と抑制について手助けをしてくれている」

「そうだったんですね」

 ニコラは感心したように何度も頷いていた。


 私は目を細めて、ニコラを見据える。

 その真意を確かめるためと、勝手に学院行きを決めた仕返しも少しある。

「学院に誘ったのは、私の正体を試すためか?」

「……え?」

 ニコラは何を言われたのか分からないといった様子で、ポカンと口を開く。

 それからゆっくりと首を左右に振った。

「違いますよ。タズさんって、いつも文句は言いますけど、結局助けてくれるじゃないですか」

「それはお前たちが勝手に巻き込むからだ」

「でも、見捨てないですよね? だからパートナーを組まなきゃいけないとなったときに真っ先に思いつきました。来てくれたら嬉しいなって思っただけです」

 ニコラの言葉には、嘘がない。瞳に映る光も真っ直ぐ正直だ。

「そうか。しかし正体を隠しているのだから、人前で露見するのを嫌がるかもしれない、とは思わなかったのか?」

「……あっ、ホントだ」

 ニコラの顔から血の気が引く。その詰めの甘さが、少しだけおかしく思えた。

 どうやら駆け引きでも何でもなく、本当に何も考えていなかったらしい。

「心配はいらん。靈魔猫(ミスティフェリス)に成らずとも、学院の実習くらいは難なくこなしてみせる」

 こうして私も行くことに同意することになったが、仕方あるまい。

 正直ニコラに私の正体を打ち明けるのは、躊躇いがあった。

 しかしそれを知ったところで、こいつは何も変わらなかった。余計な心配だったらしい。

 胸の奥に引っ掛かっていたものが、少しだけ軽くなった気がした。


 その時だった。

「何の話?」

 キッチンから戻ってきたメルが首を傾げる。湯気の立つティーポットを抱えている。

 私は即座に答えた。

「他愛のない話だ」

「そう?」

 メルは特に追及しなかった。

 そのままお茶を注ぎ始める。

 ニコラがちらりと私を見る。

 今はメルに打ち明けたことを話さないほうがいい。3人の会話になれば、話がどこへ飛んでいくか分かったものじゃない。

 そうなれば、私の手には負えなくなる。時期を見て話せばいい。

 私は無言のまま、じろりと睨み返す。

 これ以上、話を広げるな。その意味は伝わったらしい。

 ニコラが了解の意で頬を緩めると、まるでメルそっくりの微笑になる。見慣れた表情だ。

 師弟で嫌なところが似てしまったな。

 見てられなくなって、私は窓の外に目線を移す。

 雪は相変わらず、音もなく森に降り積もっていく。もともと積もっていたところに、馴染むようにまた落ちる。

 私の秘密が一つ減ったところで、世界は驚くほどいつも通りだった。

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