20話 風邪、そして猫になる
「うわあ……」
ニコラの視線が机の上に留まり、頬を赤らめさせながら、阿保みたいな歓声を上げた。
そこには艶のある巨大な岩石、銀色の羽根、魔力を帯びた骨片などが並べられている。
先日、メルが仕留めた沱尾碼、そして星冬鳥の素材だ。
「また伝説級のとんでもない素材集めてますね……」
ニコラは脱力して、半ば呆れたように笑う。
「これ、街に持っていったら大騒ぎですよ?」
「余っちゃったのよ。だから代わりに出荷を頼むわね」
メルはいつもの調子で紅茶を啜った。
ニコラが驚くのも無理はない。
メルが楽々と仕留めたせいで感覚が麻痺しているが、そこらの市民にとっては、一生に一度お目にかかれるかどうか、という代物ばかりだ。
まぁ私がほとんど手伝ったおかげだが。
「換金できるものは売って、必要な薬草と触媒を買ってきてほしいの」
「はいはい、いつものですね」
ニコラは苦笑しながら素材を眺める。
メルはニコラに頼んで、素材を売ることで金銭を得ている。こんな伝説級のものを街へ持って行って売りに出せば、目立つどころの騒ぎではない。
実際に街でのニコラの評判はうなぎのぼりになっているらしい。それに見合うだけの実力があるから、疑われることはないが、こうして討伐素材を売り払うたび、信じられない額の金が転がり込んでくるのだという。
本来はメルに渡されるべきお金だが、メル自身はそのお金にほとんど興味を示さなかった。
「お金って、国が変われば紙切れになるでしょう?」と思っている。実際にそうだし、執着するわけがない。
長命の魔女にとって、人間の国家も通貨も、季節みたいに移り変わるもの。ゆえにメルにとって金とは、蓄えるものではなく、流すものだった。
都から取り寄せる希少な薬草。異国の香辛料。古い魔導書。あるいは、名も知らぬ土地の珍しい食材。そういうものに換えて、またニコルが家に来るというのが定番の流れだった。
ニコラは沱尾碼の鉱石を持ち上げながら、不思議そうに首を傾げる。
「そういえば、こういう素材って、師匠自身は何に使っているのですか?」
「みんなと一緒よ。魔法の研究とかポーション生成とか、魔具の製造とか」
メルが瞬きをすると、魔女特有の静かな凄みを持つ眼光にガラリと移り変わる。
「例えば沱尾碼の鉱石は水魔力伝導率が高いから、魔具の素材として優秀なの」
「へぇ……」
ニコラは感心したように頷く。そして次に言うことはだいたい判っている。
「わたしも……」
「やめといた方がいいぞ」
私は即座に口を挟んだ。
「こいつのポーションだの、魔具だのはただの趣味だ。実用性は皆無だぞ」
「そんなことないわよぉ」
メルがぷうと唇を尖らせて不貞腐れるが、それが事実だ。強いていえば私の為に作った魔力の制御アクセサリーなどは、まだ使い道がある程度で、今日日、魔具なんて誰も研究していない。
ニコラも以前は複合魔法を使うために魔具を開発していたが、魔法を研究した方がよっぽど力になるし有意義だ。
「それにメルの研究室は入ると危険だからな。汚過ぎるし、散らかり過ぎてる。どこに何があるか本人しか把握してない上に、たまに爆発する」
「ちょっとタズ」
「事実だろ。リビングからは想像がつかないほど整理ができていない」
わたしはクッションに突っ伏して、気怠げに暴露する。
メルの研究室は、入り口から入って、右手奥の廊下を進み、突き当たりの扉の先にある。その机の上には怪しい色のポーション。床には難解な術式が書かれた紙束。本棚の横には、何に使うのか分からない鉱石。それらが今にも崩れそうなほど、積み上がっている。そこらにある洞窟より危険だ。
「この前なんて、扉開けた瞬間に煙吹いてたぞ」
「あれは失敗じゃなくて実験途中」
「一般的には失敗って言うんだよ」
ニコラは乾いた笑いを漏らした。
「……住んでるの、結構命懸けなんですね」
「もしよければ、見ていく?」
メルの提案に、ニコラはそう言って微笑んだ。
けれど、その笑みはどこか薄かった。
白い照明の下で見る顔色は、少し青い。
「見たいです。でも、今日は少し体調が優れないので」
言葉の終わりと重なるように、「……ごほっ」と乾いた咳が、小さく零れた。
私は思わず耳を動かし、ニコラの横顔を見た。
肩がわずかに落ちている。呼吸も、どこか浅い。
「よく見たらお前、顔赤くないか?」
「えっ、そうですか?」
ニコラは慌てて頬を触る。
だが、その動きもどこか鈍い。よく見ると、呼吸も少し重そうだった。メルもすぐに気付いたらしい。
「ニコラ。こっち見て」
「は、はい?」
ニコラがきょとんとした顔を向けた瞬間、メルはそのまま額へ自分の額をこつんと当てた。
「うわっ」
近すぎる距離に、ニコラが固まる。
メルは気にした様子もなく、じっと熱を確かめるみたいに目を細めた。
そんな二人のやり取りを見ていると、まるで親子みたいだった。年齢差だけなら、とんでもないことになっているが。
「すごい熱ね」
「うっ……」
図星だったらしい。
ニコラは気まずそうに視線を逸らした。
「実はちょっとだけ、昨日から熱っぽくて」
「ちょっと、の顔色じゃないわねぇ」
「すみません」
そう言いながら、小さく鼻を啜る。
なるほど。顔色の血色が良過ぎる気がしていたが、無理していたらしい。
「師匠の家に行く約束だったので」
それを聞いてメルは深々とため息を吐いた。
「約束を守るのは良いことだけど、無茶するのは駄目よ」
「はい……」
「今日は泊まっていきなさい」
「えっ」
ニコラが目を丸くする。
「でもご迷惑じゃ……」
「このまま帰るのも気が引けるわ。今は魔獣が活発な時期だから、遭遇したら一筋縄じゃいかないわよ」
メルはそう言って立ち上がる。そして散らかった研究机の方へ向かった。
「薬作るから、ベッドで横になってて。すぐできるわ」
私はその背中を見ながら、小さく呟く。
「……爆発するなよ」
「しないわよ」
メルはヘラヘラと笑っている。
だが信用はできない。あの話のあとでは信用できるはずがない。
ニコラも同じことを思ったのか、少し引きつった顔で笑いながら、寝室へと向かった。
メルは研究室へ入っていくのを見て、私も後をついていく。
そこでメルは机の棚にある薬瓶を、ごそごそと漁っていた。棚の奥から引っ張り出される液体は、どれもこれも不穏な色をしている。
緑に橙、黄色に紫。中には発光しているものまであった。
「……まさに森の奥深くにある魔女の家といった感じだな」
私は半目になりながら呟いた。
「そんなことないわよ」
メルは悪びれもせず、ひとつの小瓶を掲げた。
中では、黒ずんだ青紫色の液体がどろりと揺れている。光のあたり加減で、ラメのようなものが輝いている。
「はい、風邪薬」
「どう見ても色がおかしいだろ」
私は即座に突っ込む。
すると隣に並んでいた、ほぼ同じ色の瓶が目に入った。
「……ちなみに、そっちは何だ」
「えーと、たしかくしゃみをしなくなる。いえ、声にエコーがかかるポーションだったかしら」
「いつ使うんだ、そんなもん」
棚の中には、虹よりも配色豊かな色のポーションがずらりと並んでいる。
その全てが有用とは限らない。
メルの性格を考えれば、実験の産物や、取るに足らない効果しか持たない代物も少なくないだろう。
「むしろ風邪薬が浮いているな」
私は棚を眺めながら呟く。
「そんな禍々しい色であってたまるか」
「効くわよ?」
「効力の問題を言ってるんだ」
だが私の警戒をよそに、メルは青紫色のポーションを持って寝室へ向かった。
いつもメルが寝ているベッドの上には、ニコラが毛布を被って横になっている。熱のせいか頬は少し赤く、いつもの元気も影を潜めていた。
そんな弟子の姿を見て、メルは薬瓶を差し出す。
「はい」
青紫色の液体が、窓から差し込む光を受けて怪しく揺れた。
私は扉にもたれながら小さく息を吐く。
「今ならまだ間に合う。普通に寝てろ」
睡眠と休養ほど確実な治療法を、私は他に知らない。
少なくとも、あの液体よりは信頼できる。
「でも師匠の薬ですし……」
ニコラは瓶とメルの顔を見比べる。
迷いはあるようだったが、信頼の方が勝ったのだろう。
やがて彼女は小さく頷き、覚悟を決めたように薬瓶を握り直した。
私はその様子を見て、静かに目を細める。
「いただきます……」
ニコラはグッと目を瞑り、勢いそのままにポーションを一気に飲み干した。
「うわぁ……」
思わず苦汁を舐めた時のような表情になる。実際そうにしか見えない。
大した忠誠心だ。私だったら絶対に嫌だね。自殺行為そのものだ。
数秒の沈黙。空になった瓶を机へ置く音だけが部屋に響いた。
「どう?」
メルが首を傾げる。
「えっと……」
ニコラは恐る恐る自分の身体を確認する。ぱっと見では、何も変化がないようにみえる。
「なんか、身体が熱っ」
ぼふんっ!
突然、ニコラから白煙が噴き上がった。
「は?」
私は思わず目を見開く。一瞬で、ニコラの姿が見えなくなる。ガスが漏れ出るときのような大きな音が聞こえる。
入道雲のように発達した煙の向こうで、ニコラの影が揺れていた。だが何かがおかしい。
影がどんどん小さくなっていく。
「おい」
肩の高さだったはずの影が、腰の高さに。
腰の高さだった影が、膝の高さに。
シルエットも、人の形から、丸っこくなっていく。
そして、さらに縮む。
「……は?」
ようやく煙が晴れて、そこにいたのは。
「にゃー……?」
小さな水色の毛並みをした子猫だった。
部屋が静まり返る。
私は身体が固まって、身動きができない。それから目の前の光景を確かめるように何度もゆっくり瞬きをする。
「えっと」
メルでさえも、何もできずに固まっていた。
状況的に、この猫はニコラが変化した姿だ。
水色の子猫は自分の身体を確かめるように、前脚を目線の高さまで上げる。
「にゃ、にゃあ!?」
理解が追いついていないのだろう。
そこにあるのは人の手ではない。
柔らかそうな水色の毛に覆われた四肢。
淡い桃色の肉球。
細く鋭い爪。
「にゃ……?」
戸惑うような声が漏れる。
その仕草だけで、彼女がようやく事態を認識し始めたことが分かった。
「にゃっ! にゃーっ!」
私は深いため息を吐く。
あのポーションは猫になる薬だったのか。
意味が分からない。風邪薬の棚に並べていい代物ではない。
だが、本当に問題なのは別だった。
「喋れなくなってるじゃねぇか!」
私は盛大に叫んだ。
メルは小さく視線を逸らす。
「……間違えたかも」
「かもじゃない!」
「でも可愛いわね」
「そんなこと言ってる場合か!」
「それに熱もひいてるようだわ」
「問題そこじゃないだろうが!!」
今さら言い争ったところで何も解決しない。
そもそも相手はメルだ。
反省を期待する方が間違っている。
「にゃ、にゃー……」
ベッドの上でニコラ猫が不安そうに鳴く。
そしてふらふら歩いたかと思えば、自分の尻尾に驚いて飛び上がっている。
駄目だ。
完全に猫である。
「戻せるんだろうな?」
「たぶん」
「たぶん!?」
私は重くなったように感じた頭部を傾け、額に手を当てる。私も熱が出そうだ。
「……なんで毎回こうなるんだ」
誰にともなく呟く。
当然、答えは返ってこなかった。




