18話 星冬鳥
机の上には書きかけの術式が記された紙の束。
そして開きっぱなしの分厚い魔導書。
家のダイニングは、まるで研究室の様相だった。
家の奥にある研究室はいつも汚いが、ダイニングやキッチン、ベッドルームはいつも綺麗だった。きちんと棲み分けが出来ていた。
それがどういうわけか、今日は朝からメルが妙にそわそわしている。
こういう時はロクなことがない。ヒゲがピンとなって危険を知らせている。
平穏を求める私にとって、いつもと違うことは、警戒にあたるのだ。
案の定、メルが私に言葉を投げかけてきた。
「タズ、出かけましょうか」
「何処へ?」
「狩りよ」
物騒なことを言いながら、メルはローブを羽織った。
秋に狩りというと平和な雰囲気だが、油断してはならない。どうせ危険なことをしでかすのだろう。
「ちなみに拒否権は?」
「ないわ」
「そうだろうな」
わざと嫌味そうに訊ねてみたが、効果は無いようだ。諦めるようにそう吐き捨てると、クッションの上で背を反らしながら伸びをした。
せめてもの準備運動。クツクツと軋む骨の音が耳まで届く。
まぁ近ごろは力を解放する機会が増えているが、メルが作った魔具のお陰で、疲労はすぐに引く。これで付き合わない理由が失くしてしまったな、と捻くれてみるが、何の意味もなかった。
それからいつものように鬱蒼とした森へと足を踏み入れる。
しばらく歩いて見えてきた切り立った崖の上には、冷たい風が絶えず吹き抜けていた。
かつて自分たちの影を追いかけて、たどり着いた場所だ。
爪のように尖った峰。その向こうには、夕焼けに染まる広大な森がどこまでも続いている。
私は岩場の上で身体を丸め、盛大に不満を漏らした。
「……風が冷たいな」
「まだ平気な方でしょう?」
「わざわざこんな時間に来たんだ。夜まで待つのだろう?」
「ええ、そうね」
メルは崖の縁へ立ちながら、空を見上げる。
「暗がりになってきたら来るはずなんだけど」
「その来るってのは?」
「星冬鳥」
「知らんな」
私は大きく口を開けて、欠伸をする。
「北から渡ってくる大型の渡鳥よ。冬前になると、この辺りの渓谷を通るの。でもいつ来るかわからないし、飛ぶ速度が速すぎて、捕まえられた記録が少ないの」
メルは楽しそうに説明する。
「お肉は食用になるし、羽や爪なんかは魔法の研究材料として結構貴重なのよ?」
「へぇ」
説明されても興味はない。関係のないことだからな。
私は尻尾をぱたりと揺らす。
「で、そいつを狩るために、ここでずっと待つということか」
「そういうこと」
「魔力探知は必要なのか?」
「いいえ」
「じゃあ1人でやれよ」
「嫌よ、寂しいじゃない」
メルも私と同じ岩場へ腰を下ろし、のんびりと空を眺め始めた。
完全に長期戦の構えだった。
私は不満げに耳を伏せながら、夕焼け空を見上げる。西の空が橙色から淡い紫のような色合いになる。それに合わせて、だんだんと空気が重くなり、夜の帳が下りる。
風の音しか聞こえない。
指を動かす音すらも聞こえるくらい静かだ。
「しかしお前が研究を放り出すほど、待ち望むものなのか?」
「……ええ、久しぶりだもの」
メルはくすっと笑った。妙な間があったな。何やら思い入れがあるらしい。
まぁ、たまにはこういうのも悪くないのかもしれない。寒いのを除けばだが。
メルは岩場の縁に腰掛けたまま、筒のような小さな魔導具を覗き込んでいた。
あれで遠方を見ているらしい。
「まだ来ないのか」
「星冬鳥は警戒心が強いのよ」
彼女は視線を空へ向けたまま答える。
「群れで飛ぶ上に、人や魔力の気配にも敏感なの。下手に動くと、すぐ進路を変えて逃げちゃうわ」
「面倒な鳥だな」
「だから狩りは、追いかけるより待つ時間の方が長いの」
メルはそう言って、のんびりと肩を竦めた。
「風向き読んで、飛行ルート予測して、気配消して、実際に通過する瞬間なんて一瞬よ?」
「つまり今は、その一瞬のために延々待たされてるわけだ」
「そういうこと」
私は盛大にため息を吐いた。
2人きりだから、やけに響いた。
家と同じ、いつも通りのはずだ。だが不思議と外にいる時の沈黙は、やけに息詰まる感じがした。いや、私が捻くれているだけだ。話かけやすいというのが正しい。
空が広いからなのか、風が言葉を流してくれるからなのか。
この現象に名前があるのかは知らない。
まぁこの名も無き現象に身体を預けるとしよう。
私はふと、以前から胸の奥に引っかかっていたことを言葉にする。
「おまえ、ニコラをどうするつもりだ?」
メルがきょとんとこちらを見る。
「どうするって?」
私は頭を低くして、声のボリュームを抑える。
「あの隕石みたいな魔法は、戦いにしか使えん。街を焼いて、人を殺すための魔法だ」
風が崖下から吹き上がる。
「教える必要はなかった」
ニコラが嬉しそうに笑っていた顔を思い出す。
あれは才能だ。間違いなく、本物の。だからこそ厄介だった。
「あんなものを身につけたところで、いずれあいつを不幸にするだけだろう?」
しばし沈黙が落ちる。
メルはすぐには答えなかった。
藍色の空を見上げたまま、小さく目を細める。
「……優しいのね」
「茶化すな」
私は即座に返した。
メルはくすっと笑う。
「ごめんなさい。でも、少し意外だったから」
「何がだ」
「タズが、そんなふうに心配するなんて」
「別に心配してるわけじゃない」
「はいはい」
全く聞き入れる気のない返事だ。思わず尻尾が荒ぶる。
「あいつは純粋に力を求めているだけだが力のある魔法使いなんて、それだけで面倒事を呼び込む。利用したがる連中もいるし、消そうとする連中もいる」
冷たい風が、乾いた草を揺らした。
「……それはお前が1番よく分かっているはずだ」
「そうね」
メルは間髪入れずに頷く。私の言うことなど想定内かのように。仕掛けたつもりだったが、肩透かしを喰らった気分だ。
しかしその横顔からは、いつもの気の抜けた空気が少しだけ消えていた。
「あの魔女の脅威に感化されたのかしら」
「あぁ、だろうな」
ニコラが教えを請うたときの目を思い出す。
憧れ。悔しさ。焦り。
別にニコラがメルに修行をしてもらうなんて、以前からあったことだが、今はあの魔女の存在がチラついてしまう。
実際、メルにも興味を持っていた様子だった。
「ああいう連中がまだ残っている以上、ニコラの行動にも注意が必要だ」
「だから力を与えないの?」
メルの声は静かだった。責めるでもなく、ただ確かめるみたいに。
私は崖の下へ視線を向けたまま、小さく鼻を鳴らす。答えはでていない。
「慎重になれと言ってるんだ。不用意に燃える炎は周りの目を引くし、近付くものを焦がすぞ」
夜風が、二人の間をすり抜けていく。
「そうね」
メルは素直に頷き、また空を見上げる。
藍色へ沈み始めた空の向こうを、まるで何か探すみたいに。
「たしかに危ういときもあるわ。でも炎って、ただ囲って守っているだけじゃ、消えてしまうの」
「……」
その儚気な目を見てしまうと、何も言えなくなってしまう。
その間にメルが言葉を続けた。
「知識の薪を焚べて、経験という空気を送り込む。そうすれば火は消えないし簡単には揺らがないわ。迷うこともあるでしょうし、間違えることもあると思う。でも、それでも最後に決断するのは、あの子自身だから」
メルは膝の上で指を組み、ふっと小さく笑う。
「そのときに、消えないだけの力は育てておきたいの」
風が二人の間を吹き抜ける。
私は息を吐いてから、少しだけ目を細めた。
「……甘いな」
「そうかも」
メルはあっさり認めた。
「でも私はあの子の師匠だもの」
その言葉は、妙に静かで。
私の中の言葉にならない鈍い不安とともに、夜の底へと溶けていった。
その時だった。
ふいに、崖の上を流れる風向きが変わる。
私は耳をぴくりと動かした。
「……来たな」
メルも同時に顔を上げる。
藍色に染まった天上を、巨大な光が横切っていた。
群れ全体が空を埋め尽くし、まるで巨大な星が流れていくみたいだった。よくみるとそれは鳥の形をしていた。
1羽や2羽ではない。
何百、いや、それ以上。
群れを成した鳥が、長い列を描きながら北空を渡っていく。
「うおぉ……」
思わず感嘆の声が漏れる。
あれが星冬鳥。
羽根が羽ばたき、輝いている。その軌跡は、まるで夜の空に光を撒き散らしているみたいだった。
一羽ごとに尾を引くような燐光をまとい、群れ全体がゆるやかな弧を描きながら闇を流れていく。
「綺麗ねぇ……」
メルがぽつりと呟く。
呆気に取られて、心ここに在らずといった様子だ。いや、目の前の景色を心の奥へと仕舞いにいっているのだろう。
メルは群れを観察しながら、静かに目を細める。
しばらく眺めていたが、光の群れが途切れることはない。
「どうする。捕まえないのか?」
いくら数百羽いるとはいえ、この速さではすぐに群れが途切れてしまうだろう。
私は空を見上げながら、メルに声を買えた。
しかしメルは焦った様子を見せない。杖も構えない。ただ穏やかな表情で、星冬鳥たちを見つめている。
「タズ、ごめんね」
「なんだ?」
「嘘ついちゃったんだけど、あの星冬鳥は食用にも魔法素材にならないわ」
「は?」
理解が追いつかずに、開いた口がそのままになる。
寒い掛けの尾上で何時間も待たされた挙げ句、それが嘘だと?
「タズにもこの景色を見せてあげたかったの。だから来ただけよ」
「なんでそんな嘘をつくんだ?」
「だって綺麗な景色を見に行くなんて言っても、絶対について来ないでしょう?」
「それは……」
たしかに図星だった。私は言葉に詰まる。
食用になる、素材になる、研究に使う。だから渋々付き合ったのだ。そうでなければ家でゴロゴロするのを選んでいた。
「ほらね」
メルが憎たらしい笑顔をこちらに向ける。
私は舌打ちをしながら、再び空を見上げた。
やがて星冬鳥の群れは私たちの真上を悠然と通り過ぎていく。
彼らが羽ばたいたときに散らした羽根が舞い降りてきて、星屑のようになっている。
「綺麗だったわね」
メルは満足そうに伸びをする。
くそ。一本獲られた。まんまと騙されたわけだが、悔しいことに、これだけの景色を見せられたら、文句を言う気にもなれない。
すっかり夜になった森を、私たちはゆっくり歩いていく。森の夜は静かだ。
枝葉を揺らす風の音だけが、遠くでざわざわと響いている。
「今度はニコラも連れて来ないとね」
「あいつならもっとはしゃぐだろうな」
いつも以上に頬が少し緩んでアホ面をかましているあたり、本当に機嫌がいいらしい。
その笑顔につられたのか、気付けば私の口元も僅かに緩んでいた。
「次は最初から景色が見たいと言えよ」
「あら、次も来てくれるの?」
「さぁな、そのときの気分次第だ」
そう言って私は空を見上げる。夜空にはもう星冬鳥の姿はない。
だがその余韻はしばらく消えそうになかった。




