16話 焚き火
外の空気はもう秋の匂いを含んでいた。枯葉の臭いは、メルの本棚にある古い本の臭いと似ている。不思議と悪い気はしない。
木々は力を抜いたように葉を落とし、庭が赤や黄色、橙色の絨毯に覆われたみたいになっている。
窓際に座っていると、移り変わる様子をずっと見ていられる。
そんな中、メルは朝から箒を握って外に出て、庭の落ち葉を掃き集めていた。
箒に当たる枯葉はカサカサと乾いた音を立て、足元でささやくように寄せられていく。
魔女と箒といえば、昔話の定番だ。
絵本のページをめくれば、箒にまたがって空を駆ける姿が必ず描かれている。
しかし千年ほど前に浮遊魔法が発明されてから、箒は空を飛ぶ道具ではなくなったらしい。私も箒で飛ぶ魔女は見たことがない。
今では庭仕事の相棒として、あるいは古い習慣を思い出させる道具としてだけ残っている。
メルは箒を立て、しばらく庭の向こうを見つめた。風が一陣吹き、落ち葉の絨毯が波打つ。
メルが操る風魔法で文字通り一掃すれば、枯葉は一瞬で集まってしまうだろう。
杖ひとつで風の渦を作り、落ち葉を空中で踊らせて山のようにすることなど、彼女にとって朝飯前の芸当だ。しかし彼女はそれをしない。
その理由の一端は、私にある。
先日の魔女襲撃の苦戦もあり、私はメルの運動不足をからかったのだ。
あれから何日も経ったというのに、私が雛との別れを別れを惜しんでいるだの、寂しそうにしていただのと好き勝手に揶揄ってきたのだ。ならば少しくらい仕返しをしてやっても文句はあるまい。
「なあ、あの魔女との戦いのとき、動きが遅かったぞ。引きこもって体が鈍っているんじゃないか?」と、冗談めかして言うと、彼女は眉をクッと動かして顔をしかめた。
「いいえ、そんなことないわよ」
唇を尖らせてみても、ふわふわとした阿呆そうな顔は締まらない。
しかしその目の奥に小さな火花が灯るのがわかる。
「いやいや、運動不足だったから、あそこまで手こずったんだ」
「タズだって、ずっと寝てばかりじゃない」
「私はなぁ、どこかのノロマが撃ち漏らした火球をすべて叩き落としたからなぁ」
これ見よがしに肩をすくめながら、わざと煽るような口調で言ってやる。
「じゃあ、いいわ。庭の掃除を箒でしますから。それで運動不足の解消になるでしょう」
メルは頬を膨らませたまま言い放った。どうやら精一杯の嫌味らしい。
「子供か」
それから彼女は箒を手に取って、庭の枯れ葉を集めて、今に至る。
私は黙って見守ってやっている。
そうしてやらねば言い出しっぺの立つ背がない。とはいえ手伝うようなことはしない。私は連日の力の解放で休養が必要なのだ。
やがて枯葉はひとつの場所に集まり、庭の片隅にこんもりと盛り上がった山を作った。
枯葉の山はふかふかとした布団のようで、もしすべてが羽毛でできていたなら、キングサイズのベッドにも匹敵するだろう。
思わず飛び込みたくなる衝動が胸をくすぐる。
枯葉の匂い、冷えた空気に混じる土の香り、そして指先に残る木のざらつきが、野良のときのような無邪気な欲望を呼び覚ます。
一方のメルは箒を握ったまま、それを杖のようにして身体を支えている。
肩で大きく息をして、頬に残る冷気がほんの少し赤く染める。足は生まれたてのように震えていた。
「いい運動になっただろう?」
私は窓辺に寄りかかり、ガラス越しに庭を見下ろしながら、ついほくそ笑んだ。
メルは箒を脇に立てたまま、こちらを見上げる。目が潤んでいて、睨みつけるほどの気力は残っていない。
「タズ、あなたねえ……」
その声には怒りよりも呆れが混じっていた。表情は子どものようにぷくっと頬を膨らませている。不満げで、でもどこか可笑しげでもある。
少しからかい過ぎたようだ。
可哀想だから、枯れ葉の山にダイブして、散らかすのは止めてあげよう。
「それで、これだけ集めてどうするつもりだ?」
私は窓辺から身を乗り出すようにして声をかけた。庭の落ち葉が秋の陽光に照らされて、いっそう深く見せている。
メルはいい質問をしてくれたと、いたずらっぽく口元を緩めた。目がきらりと輝き、頬にはまだ掃除の名残の赤みが残っている。
「ふふっ。それはね……」
言い終わらないうちに彼女はさっと畑の方へ駆けていった。足取りは軽く、土の匂いを含んだ風が彼女の後ろを追う。
しばらくして戻ってきたメルの腕の中には、色とりどりの食材が抱えられていた。
キリガレタケ、エルダリーフにリンコルン。
それから私の好物のサンブロートの実もある。
どれも畑で採れたばかりの、土の温もりを残した顔つきだ。抱え方が雑で、彼女の指先にはまだ土が薄く付いている。
「いまから焚き火でこれを焼き上げるわ」
メルは葉の山に手をかざしながら、にっこりと笑った。
「ふーん、なるほどな。分かっているじゃないか」
私は窓辺から鼻を鳴らす。
鼻先に立ち上る匂いを想像して唾を飲み込む。
たしかに、枯れ葉を処分するだけでは味気ない。
ただ燃やすでもなく、捨てるでもなく、こうして食材を美味しくいただこうとは素晴らしい思い付きだ。
メルはさっそく杖を翳した。杖の先に淡い燐火が集まり、枯葉の山の縁にそっと触れると、葉はぱちぱちと小さな音を立てて温度を帯び始めた。
火は鋭く燃え上がるのではなく、じんわりと内側から温めるような穏やかな炎だ。
彼女は続けて地面に手を当て、土の粒子を撫でるように操ると、ふわりとした土の台を盛り上げた。土はまるで釜のように形を取り、そこにメルが抱えてきた食材を一つずつ丁寧に並べていく。
並べ終えると、メルは落ち葉を風で掬い取り、土台の上にふんわりとかぶせた。葉が食材を包み込むと、全体を山状に整える。
「どのくらいかかる?」
私は窓辺から庭に降り立ち、メルを見上げる。
「15分ってとこね」
メルは時間を気にするように指を動かしながら答えた。
「むぅ、待ち遠しいな」
私は尻尾を地面に叩きつけて、枯葉の方へ視線を向ける。
焚き火で焼いたサンブロートの実を待つのに、15分は長過ぎる。
「食べるつもりなら、手伝ってくれてもいいじゃない」
「それはそれ、これはこれだ。第一、焚き火をするとは知らなかったしな」
私は肩をすくめて返す。
「もう、いいとこ取りして……」
メルは小首を傾げて不満げに言った。
火の勢いは強まってきて、周囲の空気を温める。体も温まってきて、ほわあとあくびがでた。
しばらくして、そろそろ食べごろだなと2人で顔を見合わせた。
そのとき、森の縁からオレンジ色と黄色の小さな光が、葉の間をすり抜けるようにして現れる。
背丈は掌ほどで、人間の外観だが、背中に羽が生えていて、動くたびに羽擦れの音がする。
訊ねなくてもわかる。こいつらは秋の精霊だ。
黄色やオレンジに見えたのは彼女たちが着ている衣服で、色づいた木の葉のような見た目。まさに秋そのものが人の形を取ったかのようだ。
オレンジの方は陽気に跳ね、黄色の方は控えめに首をかしげる。2体は互いに目を合わせると、私たちと燃え上がる枯れ葉の山を交互に眺めた。
「何をしているの?」と、黄色い精霊が小さな声で尋ねる。
声は鈴のように澄んでいて、幼さがあった。
「焚き火よ」とメルが答えると、精霊たちは顔を見合わせ、少しだけ眉を寄せた。
オレンジの精霊がふくれっ面をして、葉の色を誇るように胸を張る。
「せっかく私たちが葉を色付かせたのに」
その言葉には、怒りというよりも失望と戸惑いが混じっていた。
2体の光がわずかにブレる。落ち葉一枚一枚に色が宿った時間と手間を、精霊たちは自分たちの仕事だと誇っているらしい。
メルは少しだけたじろいだが、すぐににっこりと笑って手を振った。
「大丈夫よ。食べるために使うだけ。無駄にはしないから」
彼女の声は柔らかく、丁寧だった。
わざわざ精霊相手に真面目に取り合う必要なんてないのだが、これが彼女の性分なのだろう。
春の精霊のときもそうだった。
精霊たちは互いに目を合わせ、オレンジの方が小さくため息をつくように見えた。
「地面が覆い尽くされるのを楽しみにしていたのに」
オレンジの精霊が小さな腕を組むようにして、葉の山をじっと見つめる。
声は枯れ葉の擦れる音と同じくらい軽やかだが、いたって真剣だ。
「それはごめんなさい。でも綺麗よ」
メルは精霊の言葉にすぐに首を振り、にっこりと笑った。
黄色の精霊が首をかしげ、目を細める。好奇心がその小さな顔にくっきりと表れていて、
「ただ焼いているだけ? それとも中に何かあるのかしら」
私はなんだか嫌な予感が胸の奥をかすめたが、メルは特に動揺する様子もなく、落ち着いて答える。
「ええ、野菜やキノコを焼いているの」
精霊たちは顔を見合わせ、ふっと笑みを漏らす。
「なるほど、それはいいわね」
「私たちにも分けてくれない?」
2体の精霊の瞳がきらりと光る。
言うと思った。春の精霊といい、どうしてこうも精霊とやらは厚かましいのだろう。
私は冷たい目線を彼女たちに送り、軽く鼻を鳴らす。
「断る。後からノコノコきておいて、分け前だけもらおうとは盗人猛々しい」
「タズもよ」
メルが何か言ったが、偶然耳を畳んでいたので聞こえなかった。
「後からと言っても、その枯葉は私たちが色付けて落としたものよ」
「そうよ。それをあなたたちが利用しているだけ」
2体が口々に反論する。
小さな体からで、どれほどできるか知らないが、まさかこの森全てをこの2体で担当しているわけはあるまい。
「集めて燃やして、食材を焼くのが準備だ。落ち葉がなければ、普通に火を起こすだけ。お前らは何もしていないに等しい」
「私が全部したわね」
おっと、強い風が吹いて、聞こえなかった。
それでも精霊たちが諦める素振りを見せない。胸を張り直す。
「落ち葉がなかったら、こんなことをしないんじゃないかしら」
私は精霊たちの態度に苛立ちを募らせる。
一触即発。今にも飛びかかってしまいそうな緊張が庭に漂う。枯れ葉が燃えるぱちぱちという音が、まるで秒針のように大きく聞こえる。
そのとき、黄色の精霊がふっと身を翻し、焚き火の縁へと飛び込んだ。
小さな体は炎の縁をすり抜けるようにして、葉の間に隠れていたのサンブロートの実を一つをつまみ上げると、くるりと跳ねて逃げようとした。
動きは素早く、光の粒が飛び散る。
サンブロートの実は火の粉を散らしていて、精霊の手に握られたまま小さく震えている。
おそらく直接触れていない。浮遊魔法を使っているのだろう。
やはり精霊とは気が合わない。ワガママで扱いづらい。
私は思わず反射的に飛びかかった。
「待て!」
よりにもよってサンブロートの実を持って行かれたら、黙っていられない。
しかし魔女との戦いでの、力の解放の後遺症がまだ尾を引いているのか、思ったほど脚が伸びない。 空中で一瞬、体が重く感じられ、着地のタイミングを逸しそうになる。
それでも爪先を伸ばして、ぎりぎりのところで手を伸ばした。指先がかすっただけで、精霊が持っていたサンブロートの実がふわりと弾かれるように落ちる。
爪の先でかすめ取るような、ほんの一瞬の接触だった。
零れたサンブロートの実が地面に落ちる。
乾いた枯れ葉に触れた瞬間、葉はぱちぱちと音を立てて燃え移り、火は小さな点から一気に広がっていった。
「えっ、やばい!」
精霊の声が庭に響く。
高く細い叫びは、驚きと焦りで震えていた。
オレンジと黄色の光が慌てて飛び回り、落ち葉の間を縫うようにして火を追いかける。光の軌跡が炎の中でちらつき、蒸気と焦げた匂いが鼻を突く。
ぱちぱちと音を立て、みるみるうちに火の絨毯が広がっていく。
炎はあっという間に私の身長を超え、火山の噴火のようになる。
もともとメルの魔法で調整していた火力のバランスが、勝手に持ち出したことで一気に崩れてしまったらしい。
熱が顔を焼き、焦げた匂いが鼻腔を突く。
このままじゃ森全体に広がる。
そのとき、空気が一瞬変わった。メルが魔法を唱えたのだ。
「雨躬迵」
庭全体に冷たい水の壁が落ちてきた。まるでバケツをひっくり返したかのような勢いで、短く鋭く降り注ぐ。
時間にして10秒ほど。だがその10秒は長く、濃密だった。
水は葉の上で弾け、燃え広がる炎を押し戻す。蒸気が立ち上り、焦げた匂いが水の匂いに溶けていく。火はみるみる勢いを失い、
最後の赤い残り火が水に触れて消えた。
雨が降り終わった頃には、地面には小さな水溜りができ、葉は濡れて黒光りしている。
必要以上のとんでもない威力だった。
おそらく先日の魔女との戦いで取り戻した感覚が、まだ研ぎ澄まされているのだろう。
しばらくは喧嘩しないほうが良さそうだ。
「皆さん、あまり我を忘れないようにしてくださいね」
メルの声は穏やかだ。だがその穏やかさには、体が歪みそうな重さが篭っていた。
「ご、ごめんなさい」
精霊たちは光を小さく震わせ、分が悪いという空気を伴っている。
先ほどまでの厚かましさはどこへやら、今はただ怯えと申し訳なさが混じった表情だ。
「ほら、タズもよ」
メルが小さく突っつくように言う。
「……悪かったよ、意地を張りすぎた」
私は肩をすくめて、短く謝る。
私としたことが、子どもじみた対応だった。
「それじゃあ、みんなで食べましょう」
メルはそう言うと、濡れた髪を掻き上げて、深呼吸ひとつで杖を翳した。
彼女の杖に再び淡い燐火が集まる。
今度は先ほどとは違って丁寧な動きだ。
杖の先が枯れ葉に触れると、ゆっくりと火が蘇った。火は勢いよく燃え上がるのではなく、葉と土の間からじんわりと立ち上る蒸気を伴って、温かな輪を作る。
私はその火の前にしゃがみ込み、まだ湿った毛を手で揉みながら乾かす。
毛は冷たく、指先にまとわりつくが、火の熱がじんわりと伝わってくる。すぐに毛の湿りがゆっくりと消えていった。
精霊たちは濡れた羽根を炎に翳し、一緒に焚き火を囲む。オレンジの精霊は丸くなって火の近くに座り、黄色の精霊は少し離れて慎重に食材を見守る。
メルは手早く、葉で包んだ土の土台を掘り起こし、葉を払いのけて中身を取り出す。
湯気が立ち、野菜の甘い匂いが漂ってくる。
「いただきましょう」
精霊たちは小さく礼をして、私にも一切れずつ差し出す。
「はい、タズ」
私は手を伸ばし、メルから少し焦げが付いたサンブロートの実を受け取る。
食べ始めると、会話は自然と穏やかになる。
精霊は自分たちが色付けた葉の苦労話をし、メルは焚き火の工夫を楽しげに説明する。
「そういえば夏の精霊は見なかったけれど、何をしていたのかしら」
メルの質問に、精霊たちがふっと笑う。
「暑すぎて引きこもっていたわ」
「夏が長引いたのは、そのせいね」
なんだ、そいつら。本当に夏の精霊なのか疑わしいな。思わず肩の力が抜ける。
「でもやっぱり秋が1番ね」
精霊が鼻をふふんと鳴らして、得意げな顔になる。
私としては精霊が出しゃばって来ない夏の方がいいのだが、口にするとまたケンカになりそうだ。
私は黙ったまま、黙々と手元のサンブロートの実を頬張った。




