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12話 夜警

 神経がピリついていた。

 だからこそ、わずかな異音が、やけにくっきりと耳に届いた。

 草木を踏みしめる音。足音は揃っている。間隔も一定だ。迷いがない。

 1人ではない。群れだ。

 そしてこれは森の獣ではない。魔物でもない。人間だ。しかも、訓練を受けた歩き方。

 服の擦れる微かな音、金属がぶつかる音。

「大多数が軍人だな」

 こうした野生的直感は、メルと暮らすようになってからも、鈍っちゃいない。

 むしろ研ぎ済まされている。

 森の音に溶け込もうとしているようだが、私が相手では残念ながら意味をなさない。


 私はクッションの上で丸まっていた体を、ぴくりと起こす。

 耳が自然と立ち、尻尾の先がわずかに揺れた。

 ひとつ、ふたつ……。

「……7人か」

 低く呟く。気配はこちらへ向かってきている。

 1つか2つ、落ち着かない気配がある。こいつらは軍人じゃない。おそらく魔女だ。

 いずれにしてもこの群れは王国が寄越した連中だろう。ここを探し当てるだけの理由が、ようやく揃ったというわけだ。

「やれやれ、面倒だな」

 私は窓辺に寄り、外の闇を睨む。


 思い返せば、最近は少し派手に動きすぎた。

 花火だの、原生龍だの、影の捕獲だの。メルは目立っていないつもりでいるのがお気楽だな。

 今日も夜が更けて、ぐっすりと眠ってしまっている。

「……そろそろ嗅ぎつける頃だとは思っていたが」

 彼らに目的などない。

 人というものは、いつの時代でも、説明のつかない力に目を奪われる。

 夜の闇に浮かぶ灯火のように、理解を超えたものは人の心を引き寄せ、意識を向かわせる理由になってきたのだ。

「ここを発見されるわけにはいかないな」

 私は静かにクッションを降りる。音は立てない。

 あの阿呆魔女はこれしきのことでは起きないだろうが、念のため音を消す。

 起きたとしても、連れて行くつもりは毛頭ない。連中の狙いはメルなのだ。

 わざわざこちらから出向いてやる必要はない。

 メルが求める隠居とは、ただ静かに暮らすことではない。興味本位で追ってくる者たちの視線と足音から逃れるためだ。もし彼らがこの家を嗅ぎつければ、ここでの生活は崩壊する。

 それにあんなホワホワした魔女を連れて行くより、私が1人で対処した方がうまく追い払えるだろう。

「どう始末をつけるか」

 森の奥で、7つの足音が、また一段近づいた。


 とはいえ、まだ捜索段階だ。

 聞こえてくる足取りに迷いがある。包囲でも強行突入でもない。

「……ここに目星をつけているわけじゃないな」

 私は伝わる情報から距離を測る。

 気配の濃さ、風に乗る匂い、音の反響。

 およそ三キロ。私は小さく鼻を鳴らす。

 地の利はこちらにある。木々は低くうねり、根と草が足場を複雑に絡ませる。

 だが、数は力だ。7人を一度に相手にするのは簡単じゃない。

 窓をそっと押し開けると、古い蝶番が眠ったままのように黙している。夜気が室内へ滑り込む前に、私は庭へと身を躍らせていた。

 飛び出すというより、森の影に溶け込むように移動する。草を踏む音も、土を蹴る音も、すべて抑えられている。足裏に伝わる湿り気、枯れ葉のかすかな擦れが耳元をかすめるように聞こえた。

 音を頼りに7つの影を探す。ここは私の庭だ。木の幹は盾となり、低い茂みは足音を飲み込む。

 呼吸を整え、姿勢を低く一気に走る。

 夜の森が、視界の端で流れていく。


「……見えた」

 私は立ち止まり、呼吸を整える。まだ向こうには気づかれていない。

 息を殺しているのに、胸の中では血が静かに騒ぐ。

 視界の先に7つの影。隊列を崩さず、慎重に森を踏みしめている。

 影だけがゆっくりと動いていた。ぼやっとした松明のような光が見える。おそらく魔女が放出しているのだろう。

 彼らが夜に来たのは、相手が人間だと断定しているからだろう。獣相手では夜は分が悪い。

 風が葉を撫でる音、遠くで枝がこすれる音。

 奇襲でどれだけ数を減らせるか。その計算が、胸の奥で冷たく回る。

「さて、暴れるか」

 口元に浮かんだ笑みは、夜の空気に溶けていく。


 身体の奥で、門をゆっくりと開いた。尻尾の根元から青白い模様が浮かび上がり、皮膚の下で脈打つように光る。

 光は毛の一本一本に染み込み、毛並みが逆立つと同時に輪郭が一回り大きくなった。

 夜の森だと淡い光が周囲に滲み、影がわずかに後退する。

 爪が、音もなく伸びる。鋭さは見た目以上で、土に深く食い込むときの感触が足裏から伝わってくる。

 皮膚の下を走る熱と冷たさが同居する感覚。筋肉が鋭く締まり、感覚が研ぎ澄まされる。

 私は木の陰から一瞬だけ姿を現し、息を吐くようにして前へ出た。


「……ふう」

 冷たい夜気が、肺の中を伝って心地いい。

 私は地面を蹴り、影に溶ける。木に登り、枝を伝って、連中に近づいていく。

 山に登るために、軍隊の鎧は最低限の装備だ。剣と盾を持ってはいるが、あとは帷子だけの軽装備。

 私の前では何の意味も為さない。

 最初の一撃は、殿を狙う。誰の視界にも映っていないからだ。

 木の上から狙いを定めて、一直線に後頭部へと猫パンチを喰らわせる。防具の上からでも充分だ。

 兵士は脳がぐらりと揺れたのか、力無く倒れた。

「……?」

 誰かが振り返る前に、2人目が消える。

 声は上がらない。

 残りの者たちが反応する前に、私は次の影へと滑り込む。動きは流れるようで、無駄をつくらない。

 木の幹を蹴って方向を変え、茂みを盾にして消える。地面に足をつけることすら、ほとんどない。

 速さではない。視線が揃う前。意識が共有される前。

 3人目は、ボヤッとした光を放出している魔女だ。フィジカルは大したことない。背後から首の辺りを叩くだけで、眠るように地面へ伏せた。魔法を詠唱する暇も与えない。


「敵襲っ!」

 誰かの叫びが、ようやく夜を切り裂いた。

 魔女が気絶したとこにより、周囲は真っ暗な闇に包まれる。

 削れたのは3人か。思ったよりも余裕だったな。

 残る4人が背中合わせになって円形に隊列を組む。

「おい、周囲を照らせ!」

 指示に従ったもう1人の魔女が、淡い光魔法を放つ。

 私は木の影を利用して、円の外側を滑るように回り込む。爪先が苔を掴み、尻尾の模様が夜光を放つたびに相手の視線がそちらへ向く。

「どこだ……!」

「見えない……!」

 声が震えている。隊列はぎこちなく揺れ、呼吸が乱れていく。恐怖が伝染するのだ。


 必要なのは恐怖。

 二度とここに近づかないようにするために、圧倒する必要がある。

 さて、次は誰を始末しようか。私は木の影から舌なめずりをする。

 一番怯えている人間には残ってもらう必要がある。それが伝承においては重要だ。物事を大きくさせて、より強大な何かに見せることができる。

「おい、魔女。ボヤッとした光じゃなくて、もっと強く全体を照らせ。このまま夜闇のままだと、奴が有利だ」

「え、でも魔獣が光に反応して群れを呼び寄せるかも」

「いや、相手は魔獣じゃない。襲うだけが目的なら、いちいち姿を隠す必要がない」

 おお、実に的確な判断と指示だ。

「あいつがリーダーか? 邪魔だな」

 木の影を伝って近づく。私は音を立てずに距離を詰める。風が一度だけ止まり、男の息遣いがはっきり聞こえた。一瞬、尾の光がちらりと揺れる。男が振り向く。驚きの色を浮かべたがもう遅い。

 尻尾が当たる瞬間は、音にならない衝撃だけが伝わった。

 鈍い打撃が後頭部を撫で、男の体が前のめりに崩れた。膝が地面に触れて、地面に突っ伏した。周囲からは驚嘆の声が上がるが、誰も私の正体を見てはいない。

 見えたのは尾の一閃、影の揺れ、程度のものだ。

 残された者たちの目には、何か得体の知れないものに襲われたという断片だけが焼き付いている。


 さて、次は魔女だ。

 光魔法に専念しているから、他の魔法は繰り出さないだろうが、念のためだ。

 尻尾の先を頭めがけて軽く振るうと、すぐに気絶してくれる。楽なものだ。

 残ったのは2人だ。

 もうここまで来たら、姿を隠す必要などない。

 どちらも膝が笑い、武器を取り落とし、それでも必死に周囲を睨みつけている。

 私は、ゆっくりと姿を現した。

「……ひっ」

 月明かりの下、青白い模様が、静かに揺れる。  私を見て怯えるとは。

 これほど美しい姿だというのに。

 私は一歩、ゆっくりと距離を詰める。相手を刺激しないよう、爪を立てることもなく、尾も穏やかに揺らした。

「安心しろ」

 低く、落ち着いた声で告げる。

「別にとって食うわけじゃない」

 逃げ道を塞ぐでもなく、脅すでもなく、そう伝えた。

 それから地面を蹴った音すら残さず、私は間合いを詰めていた。

「っ!」

 男たちが反応した時にはもう遅い。

 私は懐に潜り込み、前脚を軽く振り抜く。

 鈍い衝撃音。拳というより、ただ触れた程度の動きだったが、衝撃は防具の上からでも充分と伝わったようだ。

 男の目が白くなり、身体から力が抜ける。


 残り1人。

「お前には攻撃しない。事を伝える役が必要だからな」

靈魔猫(ミスティフェリス)……!」

 男は腰を抜かしたまま、震える声で叫んだ。

 顔色は青を通り越して白い。瞳孔が開ききっている。

 私はわずかに口角を上げる。

「ほう、私を知っているのか。勉強熱心なことだ」

 久しぶりに私の種族名を耳にした。とうの昔に滅んで、今は文献しか残っていないだろう。

「その名は捨てた。いまはただの猫だ」

 ゆっくりと一歩近づくだけで、男の身体がびくりと跳ねた。

 地面に手をついたまま、後ずさろうとしてうまく動けていない。

「し、しにたくない……! た、助けてくれ……!」

 情けない声だ。

 だが、それでいい。

 私は男を見下ろしたまま、尾をゆらりと揺らす。青白い紋様が淡く明滅した。

 森は、再び静まり返った。私は一歩、前に出る。

「さて」

 声は低く、森に溶けるように響く。

「ここは私の縄張りだ」

 男が、息を呑むのがわかる。視線は定まらず、喉が小さく鳴った。

「下手に手を出さなければ、何もしない。私は争いを好まない。静かに暮らせるなら、それでいい。だが…!」

 尻尾がゆっくりと揺れて、地面をスッとなぞった。

「踏み込むなら、攻撃する。これは警告だ。そいつらを連れて去れ」

 倒れた兵たちは、まだ生きている。眠らされ、森に伏しているだけだ。

「王国に伝えろ。この森は調査対象ではなく、触れてはいけないものがいるとな」

 男は何度も頷き、震える手で仲間を抱え始めた。

 視線を合わせることすらしない。


 私は背を向ける。それ以上、何も言わない。

 これで奴らは、しばらく森には近づかないだろう。森には再び、深い静寂が戻ってくる。

 私は小さく息を吐き、力を引く。

 逆立っていた毛が伏せ、青白い模様がゆっくりと消えていく。

 広げていた存在感を畳み、身体を窄める。

「脅すにしても、少々派手だったな」

 私は踵を返し、森を駆ける。


 見慣れた家の輪郭が見えたとき、ようやく肩の力が抜けた。庭に滑り込み、窓枠に飛び乗る。

 中へ入って、窓を閉める。

 かちり、と小さな音。

「……ふう」

 メルはまだ眠っているらしい。

 私ももう一眠りするとしよう。そのままクッションへ向かい、丸くなった。



 どれくらい眠っていただろうか。

「タズ」

 遠くで、聞き慣れた声がする。意識の底に沈んだまま、耳だけが反応した。

「タズ、いつまで寝てるの? お昼ご飯、できたわよ」

「……」

 返事をする気力はない。

 私は気だるげに片目だけ開け、天井をぼんやりと見上げた。

「起きてる?」

「……まぁな」

 そう答えて、もう一度目を閉じかける。だが、漂ってくる匂いに鼻がひくりと動いた。

 温かい湯気と、肉と香草の混じった香り。

「……お寝坊ね」

 私は小さく舌打ちし、ようやく体を起こす。

「もしかして、力を解放したの?」

 メルの声は、探るように穏やかだった。

「……してない」

「動き、鈍いわね」

 メルがじっとこちらを見ているのが分かる。

 視線が痛い。ネックレスのおかげで行動不能にはならないが、筋肉痛みたいな感じだ。

 流石に長い間、力を解放しすぎた。

「私が影を捕まえたの、気にしてた?」

 メルが少しだけ身をかがめ、私の顔を覗き込む。金色の瞳がまっすぐこちらを見ていて、妙に居心地が悪い。

「そんなわけあるか」

 私は間髪入れずに言い返し、ぷいと顔を背けた。尻尾も無意識にぶんと揺れる。

 気にしているわけではない。

 家が特定されかけていたことなど、言えるはずがない。

「それで特訓してたんでしょ」

 メルは悪気なく探ってくる。その顔は少し嬉しそうですらある。

「違うって言ってるだろ」

 私は苛立ったように鼻を鳴らし、前足で床を軽く叩いた。

「勝手に決めつけるな。それよりここで食べるから、さっさと飯をよこせ」

 話題を強引に切り上げるように言い捨てると、私はそのままメルの足元へ駆け寄る。

「あ、はいはい。今用意しますね」

 メルはくすりと笑いながら、私の頭を軽く撫でた。

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