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Pandora Ark Online.  作者: ミッキー・ハウス
交錯の王都編
148/155

第140話

胸糞回。

――ヴァール・ハインツ邸 地下実験棟。


鉄と血の匂いが、湿った空気に沈んでいる。

白い光の魔導灯が、冷たく無機質な床を照らしていた。


中央には、鎖に繋がれた少年。

首元には黒い金属の輪――隷属の首輪。


それが淡く青く光るたびに、ソータの身体がびくりと震える。

その反応を、ヴァール・ハインツは無感動に観察していた。


「……ふむ。体内魔力量、予想より安定しているな。精神干渉による変動値もわずかだ。これは使える」


ソータの顔は汗に濡れ、唇は乾いてひび割れていた。何度も命令を拒もうとした。そのたびに、首輪の術式が痛みと恐怖を流し込む。悲鳴を上げれば、その声すら命令違反とみなされ、さらに罰が加わる。


――泣くことすら、許されない。


ようやくヴァールが実験装置の記録盤を閉じた。

満足げに頷き、手袋を外す。


「よし。次の段階に入るぞ」

「……つぎ、の……?」


ソータの声は掠れていた。

目の焦点はもう合っていない。


「これから出てくるものに対し――それを“適度に殺す”魔法をかけろ」

「……ころ、す……?」


意味が、理解できない。

理解したくなかった。


「そうだ、殺すんだ。完全にではない。死なぬ程度に、しかし致命的に。対象の生命力をどの程度の魔力で殺せるか測るためだ」


淡々とした口調。

それはまるで、日常の報告のようだった。


実験室の奥の格納庫らしき場所から運ばれてきた鉄格子の中で、何かが蠢く。

最初は小さなネズミのような魔物だった。

ソータは震えながらも、命じられるままに小さな炎を放つ。


焼け焦げる匂い。短い悲鳴。

ヴァールは満足げに頷く。


「ふむ、いい反応だ。その調子で次」


そうして次々に出てきたモンスターを無感情に殺していく。

標的は次第に大きくなり、今度は中型の獣型モンスターになる。

牙を剥き、唸り声をあげるモンスター。

だが、ソータの心はもう麻痺していた。杖を握り、火の弾を放つ。

短い悲鳴と共に魔物が崩れ落ちる。


ヴァールは静かに記録盤に指を走らせた。


「順調だ。では――最終段階に入る」


彼がスイッチを入れると、格納庫の奥で重い音が鳴る。まるで自動のベルトコンベアで物が運ばれる工場のようだ。

鎖のすれる音、鉄の軋み。

奥の格納庫からゆっくりと前に押し出された檻の中に、人影が見えた。


「……は?」


ソータの脳が、拒絶する。


檻の中にいたのは――皺の刻まれた顔の老いた獣人だった。

服はぼろぼろで、両手は鎖につながれている。

怯えた瞳が、ソータを見た。


ヒト、だった。

モンスターなんかじゃない。


「ま……って、これ、人だよ!? な、なんで――」

「命令を遂行しろ」

「殺せって……この人を!?」

「“対象”だ。感情を挟むな」


ソータの手が震えた。

杖の先に魔力が集まる。

違う。やりたくない。

でも首輪からの術式に脳が、体が、焼かれるように痛む。

体が勝手に動く。


心が叫ぶ。

頭の中に、痛みが走る。


「やめろ……やめろ、やめろやめろっ!!」


声が裏返り、涙があふれる。


「ヤダ、嫌だっ!! 嫌だあああああああああっ!!!」


閃光。

杖の先から魔力の奔流が解き放たれた。

老いた獣人の叫びが、地下の空間に響き渡る。


焦げた匂い。

崩れ落ちる音。


そして、静寂。


ヴァールはゆっくりとソータのもとへ歩み寄り、淡々と告げた。


「いい反応だ。精神汚染率、予測値の範囲内。お前は、よく“壊れず”に済んだ」


その言葉が、冷たい水のようにソータの耳に落ちた。視界の端で、焦げた肉がまだ動いている。

ソータは嗚咽を漏らすこともできず、ただ膝から崩れた。


ヴァールは微笑みもせず、実験記録を閉じる。


「さて――これで、魔力を適度に操れぬ者にも適用できるかもしれん」


その目に映るのは、人ではない。

“材料”だった。


焦げた肉の臭いが、まだ空気の奥にこびりついている。

魔導灯の光は白く、冷たく、どこまでも人の気配を拒んでいた。


ソータは、両膝をついたまま動けずにいた。

何も考えたくなかった。

だが、ヴァールの靴音が近づく。

それだけで、また心臓が痛いほどに跳ね上がる。


「立て」


短い命令。

首輪が青く光る。

反射的に、ソータの体が従った。

足元は震えているのに、立ち上がることを止められない。


ヴァールは記録盤に手をかざし、淡々と指示を続けた。


「次の実験に移る。――“魔法抵抗個体”の制圧試験だ」


鉄扉が音を立てて開き、実験室の奥から低い唸りが響く。

そこに現れたのは、黒い甲殻を持つ魔獣。

六本の脚で床を叩き、赤い瞳を光らせていた。


「《バジリスク種・改良個体》。高位魔法抵抗を持つ。通常の冒険者では単独での撃破は不可能だ」


ヴァールの説明は、まるで講義のように淡々としていた。

その口調が、余計に冷たかった。


「……もう、やめて……」


ソータの声は、乾いた音のようにかすれていた。


「命令を遂行しろ」


再び、首輪が光る。

脳髄に焼けるような痛みが走る。

その痛みの隙間に、言葉が流れ込む。


――攻撃しろ。

――敵を焼け。

――命令を実行せよ。


「や、だ……っ!」


そう叫びながらも、体が勝手に杖を構える。

魔力が渦を巻き、空気が震える。


ヴァールは冷静に記録盤を操作し、注視する。

ソータの瞳が光を帯びた。

青く、冷たい光。


「《フレイム・ランス》」


低く呟いた瞬間、炎の槍が放たれた。

轟音。

衝撃波。

次の瞬間、バジリスクの頭部が蒸発した。

残された巨体は、数秒遅れて崩れ落ちる。


部屋の空気が震え、ヴァールの口元が驚愕でわずかに動いた。


「……一撃、だと?」


彼は近寄り、死体を検分した。炭化した外殻、融解した内部組織。通常の高位魔導士でも、単独では貫通できない。


だが、ソータは――ただ一度、言葉を紡いだだけ。


ヴァールの瞳が揺らめいた。

冷静を装うが、抑えきれない何かが滲む。


「……すばらしい! いや、これは理論値を超えている!」

「…………」

「ソータ。君は本当に、奇跡だ」


嬉々とした声。

だが、その奥には何か別の色が混じっていた。

ヴァールはふと、目を伏せた。

長い沈黙のあと、低く呟く。


「この力を持った君が、五年前にいたならば――」


その言葉は、自らの喉で途切れた。声の震えを、彼自身が押し殺す。

何かを思い起こすかのように、胸元の帰還の勾玉を指で撫でる。

しかし次の瞬間、彼の表情は再び抜け落ちた。


「……実験を続ける」


感情を閉じ、記録盤に指を走らせる。

鉄扉が再び開き、さらに巨大な魔獣が現れる。

黒い羽を持つ二首竜――《ナグ・ラフル》。

古代竜種の亜種。

その存在自体が“魔力の塊”とされ、単独で王国の都市を一つ滅ぼすとまで言われた存在だ。


「これを一撃で仕留められたならば、君の魔力量は“兵器”として登録できる水準に達する」

「……もう、やめてよ……お願い……」

「命令だ」


その言葉が、鎖よりも重く心に沈む。

首輪の術式が反応し、青白い光がソータの体を包んだ。


震える唇が、勝手に動く。

己の意思ではない。

刻印された命令が、彼の喉を通して言葉を紡ぐ。

涙が頬を伝いながらも、杖が再び掲げられた。


「――《イグニス・レクイエム》」


瞬間、空気が変わった。


光が――音を呑み込んだ。


世界が白に染まる。

温度は感じない。

それなのに、肌が焼ける錯覚だけが走る。


ナグ・ラフルが咆哮を上げた。

だが、その声は届かない。

光の奔流が、咆哮を呑み込み、骨を、鱗を、存在を――燃やし尽くしていく。


音も、影も、残らない。

ただ“光”だけがあった。


白い炎。

それは炎というより、“祈り”に近かった。


ヴァールの頬に、淡い光が反射する。

その瞳には狂気にも似た輝きが宿っていた。


「……見ろ。魔法抵抗Aランクの竜種が、触れる間もなく消滅だ。信じられん……これほどの純度の炎を、人の器が――」


息を呑み、言葉を切る。


「……実験成功。これで、私は“神の領域”に手をかけた」


目の前でソータが倒れる。体中の魔力を絞り出し、痙攣しているのだ。

その瞳から、涙がこぼれた。悲しみでも苦痛でもない。

何か、大切なものを壊してしまったことを理解する涙だった。


だが、その涙さえも、ヴァールにはただの「データ」に過ぎなかった。


「記録:発動時間三秒。魔力消費率百パーセント。精神汚染レベル、臨界突破――再使用は困難だな。……だが、兵器としては完璧だ」


微笑の端が歪む。

冷酷で、美しい笑みだった。

その足元で、ソータは力なく呟く。


「……兄さん……きっか、さん……ごめ……な、さ……」


その声を、誰も聞くことはなかった。


ただ白い残光だけが、まだ壁に滲んでいた。

まるで――誰かを弔うために残された、鎮魂の灯のように。

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