95 魔法って危険
「覚えたか?」
「全く知らない一つの言語をそう簡単に覚えられるか」
「あいさつ程度は出来るようになったみたいだから、よしとしよう」
そう言いながら、ギルベルトは石畳の道を蹴って歩いた。
隣では、テオバルトが耳を動かしながら歩いている。街の人々の会話を聞いて、ここの言葉を覚えようとしているのだろう。しかし――
「テオ、ちゃんと目も働かせろ」
「んぎゃっ」
注意するのが若干遅かったらしい。テオバルトは、向こうから歩いてきた恰幅の良い男に正面からぶつかった。
「汚らしい小僧が! わしの服が汚れてしまったではないか!」
鼻の下だけ髭を伸ばしたその男は怒鳴る。言葉は分からないものの、どういう内容かはある程度考え付いたらしい。テオバルトは大きく一歩引いて、呟く。
「ホントに居たのかこんな奴」
ギルベルトも、初めは全く同じ感想を抱いた。こちらに視線を向けた彼に、小さく、しかしはっきり頷いた。
「気に食わん。やってしまえ」
男が、背後に控えていたのっぽの青年に指示する。と、同時に、その青年がテオバルトの方へと飛び出した。
「何、俺なんかした? 何だよコイツ。使い魔? ボディーガード? 両方?」
ぶつくさ呟きつつも、テオバルトは青年を何とか倒す。よくできましたと褒めてやった。すると「馬鹿にしてんのか」と睨まれた。そらそうか。
気を取り直して、テオバルトに指先で来るよう指示しながら言った。
「そら、行くぞ」
「分かった。何だったんだ、コレ」
「貴族だろ」
「……俺、なんかヤバい事しちゃった感じ?」
テオバルトが口の端を引きつらせて微笑った。ギルベルトは少しばかり雲のかかった空で視線をさまよわせ、首を縦に振る。
「そうだな」
「認めないでくれ」
「気にするな。貴族の中でも特に強い権力持った知り合いがいるから」
そう言いながら、ギルベルトはまだまだ石畳の上を歩き続ける。目的地はまだ先だ。
「あぁ、何だよ。それ早く言えって。じゃあ何も問題ねっか」
頭の後ろで手を組むと、テオバルトは足を振り上げるかのようにして歩く。その背後から、野太い怒鳴り声が聞こえた。
「わしを馬鹿にしていると後悔するぞ! お前達なぞ、すぐに消し炭だ!」
そう言いながら、彼は手にしていたスティックを振り上げて、魔法を発動しようとする。
スティックの先に火の玉ができ、それは一気に膨れて、男の姿が隠れるほどになった。
「前言撤回。結構問題あるな」
呑気な口調で言いながら、テオバルトは足を止めた。
男が魔法を発動する。火の玉が、坂道を転がるかのような速さで二人へと迫って来た。
「……逃げるか」
迫りくる炎を見て、ギルベルトはつぶやいた。
次の瞬間、兄弟は炎に背を向けて走り出す。
「……ギル、俺達の体力、何処まで持つと思う?」
「馬鹿。先ずは全速力で走って、とにかく遠くへ行く事だ。どちらにせよ、体力はすぐ切れる」
「何気言ってる事情けねぇ」
「いいから走れ。この先に避難できる場所があるから」
それきり二人は口をつぐみ、何よりも速く、走り続けた。
すぐに火の玉を遠ざけることはできたが、止まればそこで終わりだ。とにかく走る。
その先に、軍服を着た一人の男が居た。彼の姿を見て、ギルベルトは少し表情を緩める。彼の後ろへ回り込むと、足を止めた。それに気付いたテオバルトも立ち止まる。
「…………何事だ」
少々面食らった表情で男は言う。ギルベルトは肩をすくめ、御覧の通り、と返した。
肩に担いでいた長い棒を火の玉へ向けると、彼はすぐに水を出して炎をを消す。そしてゆっくり、振返った。
「もう一度聞こう。何事だ?」
「ボールみたいな貴族のおじさんが暴れただけです」
「頭が縞模様になっていたか?」
火の玉を放ってきた貴族のバーコード頭を思い出して、ギルベルトは深くうなずいた。
「成程。よく協力してくれた。名は?」
「ギルベルト・シリングス。お久しぶりです、オーラフ兄さん」
「ギルベルト・シリングス? あのガキか?」
「久しぶりに会った友人にガキは無いでしょう?」
「ガキに変わりはない。相変わらず小さいな」
「喧しい」
頭に置かれた手を払った。彼は真面目なんだかふざけているのだか分からないことがちょくちょくあるから、扱いが難しい。扱い方なんて考えた事すらないが、彼の親曰く、そうらしい。
オーラフ・フォン・コルネリウス。ディーンとフィーアの兄にあたる。
フォン・コルネリウス家は、代々魔法が得意なのだ。ギルベルトがテオバルトに教えた『避難できる場所』というのは、彼等の屋敷の事である。
「……とりあえず、家に来い」
ちなみに、彼等の屋敷を訪れると必ず甘い菓子が現れる。これも目当ての一つだった。




