90 とある教育実習生
「今日から教育実習に来させてもらいます、米沢鈴香です。よろしくおねがいします!」
黒板を借りて、大きく『米沢鈴香』と書く。字がちょっと斜めになっちゃったけど、気にするなと自分に言い聞かせる。
大学三年生の鈴香は、初めての教育実習でちょっと緊張していた。
水ヶ丘中学校、一年四組の生徒を一人ずつ、流すように見ていく。三週間で、皆と仲良くなれるだろうか? 不安を感じ始める鈴香の横で、大柄な男性教員が生徒に向かって口を開いた。
「はい、そういう訳で三週間、先生の授業の時に来るから知っとけよ」
国語を教えていて、このクラスの担任でもあるマイケル先生。名前を聞いた時は驚いたけれど、れっきとした日本人だ。毎華流と書くらしい。どこの暴走族だ、と心の中で突っ込んでしまったのはここだけの話。
「質問ある人!」
マイケルの声が教室に響く。それと同時に、待ってましたと言うかのように手が挙がる。
まだ 半分くらいしか生徒を見れていないが、鈴香の意識は手を上げてくれている方へと移った。
「好きに指名してくれ。座席表はそこに貼ってある」
なるほど、彼が指した教卓の左端には、小さな紙にパソコンを使って四角が規則正しく描かれた物が貼ってある。その四角の中には、生徒の名前が手書きで書かれている。字を見る限り、生徒が書いたようだ。
「えぇっと、じゃあ……高山くん」
「どっちのだよー?」
廊下側から二番目の、後ろから三番目の席に座った男子が笑いながら言う。
このクラスに『高山くん』は二人いたようだ。慌ててまた、座席表に目を落とす。自分が指名した『高山くん』はどちらなのかと、鈴香が確認する前に、別の声が上がった。
「お前に決まってんだろ! 俺は挙げてねぇんだから」
「挙げろよ。全く、岳はノリが悪いな」
「何のノリだ!?」
その声の主は岳と言うらしい。覚えておかないと、と、鈴香は『高山くん』二人を見た。
岳はそれなりに顔の整った、真面目そうな男子。あくまでそれは見た目であり、口調からしてそんなに真面目でもないのかもしれない。
鈴香が当てた方は、中学生にしては背の高い、運動が得意そうな感じがする。ムードメーカー的な存在なのかも、と鈴香は二人を印象と共に頭の中に叩き込む。
「喧嘩してんじゃないわよっ! ほら、先生困ってるでしょ!」
不意に、鋭い女子の声が飛んだ。岳の後ろで、眼鏡をかけた声の主が身を乗り出すようにしている。
「へいへい、じゃあ質問行きまーす。何大?」
「鈩菜大学の教育学部です」
「何処だっけ? っつか、俺大学はあんま知らねーなぁ」
「んじゃ聞くなよ!」
耳の後ろを掻く彼の後ろから、岳の怒声が飛んだ。
「他には?」
マイケルは彼等の方をまるきり無視する。いつもの事なのだろう。鈴香は苦笑して、座席表に視線を落とす。挙がっている手と座席表を見比べながら、女子を指名した。
「彼氏いる!?」
ずいぶんとテンションの高い彼女の質問に、鈴香は苦笑する。
「居ません」
『えぇーっ!?』
「なんで!? 先生めっちゃかわえぇやん!」
教室中の大合唱の後、可愛らしい関西弁の女子が言った。
「何やってんの周り!」
質問をした女子も、信じられないと言った顔で叫ぶ。それがなんだかくすぐったくて、鈴香は小さく笑った。
「もったいないな。ね、大池?」
「きっと理想が高いんだって。ほら、あれくらいの顔で、ハーバードレベルに頭良くて、オリンピック出場するくらいに運動神経よくないとダメとか」
窓際の、後ろから三番目の席の男子が指した生徒を見て、彼の斜め後ろ……すなわち、指された生徒の右斜め前に座る女子が言う。
「第一項目から不可能じゃなーい?」
「極端に言ったんだ! 分かれよ!」
全体的に騒がしいのだが、窓際二列の後ろ、彼等の居るそこが特に騒がしい。窓際の後ろから二列目に座る男子はニコニコと微笑みながら言い合う三人を見守っている。彼の後ろ、人数が奇数のせいで、隣に席が無い生徒は読書にふけっていた。
『あれくらいの顔で』と指されていた生徒だ。顔を見て、鈴香は一瞬呼吸を止めた。
少し癖のある栗色の髪、緑っぽくも見える、淡褐色の瞳。確かに、これ以上を見た事が無いほどに顔立ちは整っている。
呼吸を止めてしまった理由はそこだけではない。どういう訳か彼の額からは太い角が生えていたのだ。曲がった、黄色い角。座席表で彼の名を確認してみると『タラッド』という、明らかに日本人ではない名が書かれている。
タラッドがこちらを見た。当然、彼の方を見ていた鈴香と目が合う。
「コレか?」
本の間に指を挟み、彼は自身の角を指した。口元がにやりと歪んでいる。こちらの反応を楽しんでいるようだ。
「え……と」
鈴香は助けを求めてマイケルを見る。彼は簡単に、それはもう簡潔に言い切った。
「慣れろ」




