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3話

よく寝た。こんなに気を張らず眠れたのは、初めてだったかもしれない。

いつも、家では狭い部屋に硬いベッドの上で眠っていた。いつ刺客が来るかもわからないし、いつだって深い眠りにつくことはできなかった。

しかし、今日はどうしてだろうか。ロゼが用意してくれたホットミルクを飲んだせいか、殺されるかもしれないという恐怖さえ忘れて眠ってしまったのだ。

ふかふかのマットレスに、天蓋で仕切られた豪勢なベッド。絢爛豪華という言葉が似合う部屋も、どれもこれも自分の部屋とは違う。

窓の外はまだ暗い。ロゼが朝支度の手伝いに来ると言ったが、まだ猶予はあるはずだ。


「…サラシだけ巻こ」


成長を重ねるにつれて、胸にサラシを巻くようになった。そうでもしなければ、膨らむ胸を隠せなかったのだ。

今となってはそのせいで毎日息苦しくて仕方がないが、生きる為だ。これも仕方ないことだろう。

息を吐き、用意された寝間着のボタンを外す。そうして上裸になると、ベッドの傍に置いておいた布を手に取った。


「おはようございます!よく寝れましたか?」

「…まあ、そこそこ…」

「ならよかった。水を持ってきましたから顔を洗いましょうね」


一晩立って思い出したことがある。それはロゼについてだ。

ロゼ―――またの名を社交界の薔薇。天から祝福を受けた女性だと男女共に持て囃され、その笑顔は見る者を魅了するという。ただ深追いはいけない。その薔薇にはトゲがあるのだ。

―――そう。彼女はレガリア公爵の妹の一人。下手に手出ししようものなら、レガリア公爵直々に処罰が下されるという。

ルシアンも両親に連れ立って参加したパーティーで一度だけ見たことがある。その時もロゼは男に囲まれていて、男共の卑しさに呆れたことを覚えている。


「…ロゼ」

「どうしました?」

「オレに敬語なんて使わなくていいから」

「…あら、それは嬉しいお誘いですね」

「そうは見えないけど」

「ちょっと驚いてしまって…じゃあ、お言葉に甘えようかな」


何かおかしなことを言っただろうか。顔を水で流し、拭いながらロゼを横目に見る。ロゼはぱちぱちと瞬きをしながら、こちらをジッと眺めるだけだ。

ただ、どうやら許してくれるらしい。無礼にならないかとも思ったが、許してくれるようだ。


「洋服は公爵様からもらってきてるから、しばらくはそれを着てくれる?」

「わかったけど…着替えは手伝わないでいいから」

「ふふ、照れないでいいのに」

「照れてねーし」

「…大丈夫だよ。じゃあ少し外で待ってるから、着替え終わったら出て来てくれる?朝食、レガリア様が招待してくれたの」

「ん…分かった」


大事な客人との食事だから。その一言で控えていたメイドや執事は下がらされ、部屋に残ったのはレガリア公爵とヴァレンテ、ロゼ、そして自分だけになった。それからだ。ヴァレンテとロゼが朝食の席に着いたのも。

朝思い出したことの中にもう一つ、こんな話があった。ディ・ノクティス公爵家の次男。その男はアカデミーでも常にトップの成績を誇り、魔法、座学、剣術、その全てにおいて主席であったと。そして忘れてならないのが、その男の麗しさ。

そのせいで、男はこう呼ばれているようだ―――赤の貴公子と。

…ちらりとヴァレンテに視線を向ける。まあ、確かにそう言われるのも納得がいく見た目ではある。


「どうかしましたか?ルシアン様」

「…別に、なんでもねぇよ」


ため息を吐き、食事に向き合う。流石は公爵家。新鮮な食材をふんだんに使っているのか、朝から豪勢な料理がテーブルに並んでいた。

フォークを取り、皿の一つに手を伸ばす。肉の焼き加減も丁度いいし、朝から腹一杯食べられるなんてまるで天国のようだ。

…全く、何もかも実家にいた頃じゃ考えられない。誰かと食事を囲むことだって、何もかも。


「美味しいか?」

「…はい、美味しいで…」

「…敬語、使わない約束だろ」

「…美味い。こんな飯、実家でもなかなか出てこねーし」

「そうだろ?シェフに頼んだかいがあったわ」


側近たちについていくつか思い出すこともあったが、レガリア公爵についてはさっぱりだ。血も涙もないとか気に入ったものは飽きるまで傍に置くとか、そういう噂は聞いたことがあるが目の前の人間とはどうも一致しない。どちらかといえば捨てられまいと頑張る犬のような…そんな健気さを感じさせる。所詮は噂、といったところか。

顔を上げれば、いつの間にか見つめられていたらしい。ぱちりと目が合い、思わず視線を下に逸らす。だって、思ってもみなかったのだ。まるで愛しい者を見るような瞳で見つめられている、なんて。


「…レガリア公爵」

「ん、なんだ」

「どうしてオレを気に掛けんだよ。別に契約があっても、放置しておけばいいだけだろ」

「どうして…どうしてだろうな?」

「はあ?」

「あの頃からずっとお前から目が離せなかった。×××××××でも魅了の魔法でも使われてたのかもな」


…まただ。自分だけ知らない話をされて、それで喜ばれている。普通の貴族であれば嘘で誤魔化そうとするだろうが、どうしてもルシアンはその気になれなかった。

嫌な予感がするのだ。もし嘘でも吐こうものなら、きっと―――その剣の錆びになってしまうだろうという、そんな予感が。


「…ルシアン?」

「…いや、なんでも」

「…お前ならなんでも聞いていいのに…」

「記憶がなければ仕方ありませんよ。ルシアン様もレガリア様のことはお気になさらず」

「はぁ…」


不貞腐れたように唇を尖らせるレガリア公爵のせいで、本当は自分がまったく違う家に誘拐されたのではと疑いを持ってしまう。それくらい、レガリア公爵の振る舞いは公爵という立場を背負う人間にしては危うかった。

もしかして、実権はヴァレンテが握っているんだろうか。そうと言われても別におかしくないとさえ思ってしまう。そんなこと、不敬だから口が裂けても言えないけれど。


「そういえば、ヴァレンテくん」

「どうしたんだい」

「あのね、今朝ルシアンくんが敬語を使わなくてもいいって言ってくれたの」

「へえ…ルシアン様、オレだけのけ者ですか?」

「え?」

「あのね、ヴァレンテくんも敬語じゃなくて普通にお話したいんだって。…どうかな、ルシアンくん」


にこりと綺麗な作り笑いを浮かべながら視線を向けられて、びくりと身体を揺らす。のけ者。その言葉の意味は、ロゼの説明がなければわからなかっただろう。

…もしかして、失われた記憶の中では自分たちは敬語もなしに話をするような仲だったんだろうか。幼少期に誰かと関わった記憶もないし、しかも年も離れているから違う気がするけれど。

まあ、でも。別に、敬語なんて使われなくても問題はない。どうせ身分はヴァレンテの方が高いのだし。


「…別に好きにすればいいだろ。オレがとやかくいう問題じゃないし」

「そうかい?なら言葉に甘えよう。…ついでだから話しておくが、他の兄妹にもかしこまる必要はないよ。彼らもきっと好きにするだろうから」

「…他の兄妹とも会う可能性があんの?」

「ああ…言ってなかったね。レガリア様、お伝えしても?」

「聞かなくてもいいだろ。あー…ルシアンの紹介の為に全員に一度家に戻るよう伝えてるんだ。本当はパーティーを開いても良かったんだが…お前の立場を考えてもだめだってヴァレンテがうるさくて」

「は、はは…」

「当たり前でしょう。公爵家自体、敵がいない訳ではないんです。焚火にルシアンという餌を投げ込むなんて…殺す気ですか、全く」


こればっかりはヴァレンテに感謝しなければならない。アッシュフォード伯爵家は王家派閥。ディ・ノクティス公爵家とは対立する派閥に属しているといっても過言ではない。

それなのに、アッシュフォード伯爵家の後継者候補がディ・ノクティス公爵家の庇護下にあるとバレてみろ。アッシュフォード伯爵家は王家派閥から厳しい目を向けられれるだろうし、裏切ったと思われてもおかしくないはずだ。

苦笑いしかできない。昨日から薄々気づいていたが、レガリア公爵は何故自分に執着しているのだろうか。ヴァレンテやロゼだって、優しくするメリットはないはずだ。命令に従っているにしても、なにかおかしい気がする。


「…あの…なんでも聞いていいって、さっき言いましたよね」

「お、なんだよ。もちろんなんでも聞いていいぞ」

「…じゃ、あ…その、なんでレガリア公爵はオレにそんな、優しいんですか」

「……そんなこと、こんな場所で聞くなんて…お前も大胆だな」


失敗した。即座にルシアンは自分の口を呪った。ぽっと頬を赤らめ、目を伏せるレガリア公爵を見たせいだ。

なんだその顔は。社交界で見た恋する乙女と大して変わらない顔だぞ。

いや、まさか本当にそうなのか?何の接点もないはずのレガリア公爵が自分に恋を?

ただ、それならおかしなことが一つある。なんせ、自分は母親に言われて生まれてこの方ずっと男として育てられてきたのだ。だから、もし本当にレガリア公爵が自分のことが好きだというのであれば、つまり―――。


「まさか…だ、男色家…?」

「ぶふっ」

「はあ!?違う!」


思わず口から零れた言葉に反応して、レガリア公爵はガタガタと音を立てながら立ち上がる。慌ててその姿を見返せば、額に汗を掻いて目は見開かれていた。…たしかに、嘘とは思えない形相ではある、が。

吹き出したロゼとにやけを隠せていないヴァレンテを横目に確認すると、また視線を戻す。


「なら、閣下の反応はなんなんですか」

「……それは…その…まだ秘密だ」

「…まだってことは、いつか教えてくれると?」

「あ、ああ。だから変な勘違いはしないでくれ。お前に勘違いされたら生きていけない」


生きていけないなんて、口説き文句のような言葉を聞かされて息を吐く。

本当にこの人は男色家でもなんでもないんだろうか。分からないことばかりだが、しかしいつか理由を教えてくれると言ったのだ。

どうせ今は理解不能の寵愛に甘えて置く他ない。しばし待つことになるのもいいかもしれない。



食事が終わった後、ルシアンは公爵に頼み図書館に来ていた。気になることがあったのだ。

書庫番に案内され、一つの本が目に付くと席に戻った。後ろで控えていたヴァレンテが隣の席に腰掛ける。


「建国神話か。キミなら既に知った話だと思っていたけれど」

「…まあそうだけど、気になることがあって」

「それは…オレたちについて、と思ってもいいかな」


ルシアンは人と関わる機会は少ないが、意外にも人を見る目はあった。だからこそ分かる。目の前の男は、自分を警戒していると。

だからこそ、情報が一つでも欲しかった。建国神話に手を伸ばしたのは、その為だ。

どうせ目論見はバレている。ならば仕方ないかと息を吐くと、ルシアンは静かに頷いた。ページを捲る。


かつて世界は色を持たぬ混沌に覆われていた。

その中心にいたのが「灰色の魔女」である。

魔女はあらゆる色を奪い、世界を均一で無価値な“灰”へと変えようとした。

人々は感情も個性も失い、やがて人々は文化も崩壊寸前に追い込まれる。

その時、七つの色を宿す者たち――後に「七色の勇者」と呼ばれる存在が現れた。

七色の勇者は力を合わせ、魔女と対峙する。

しかし単独では誰一人として魔女に届かず、七色すべてが揃ったとき、初めてその力は“虹”となり。

虹の光は魔女の灰を打ち破り、ついに魔女は討たれた。

戦いの後、勇者たちは世界を再び色で満たし、新たな秩序を築いたという。


それがこの国、ルミナリア王国の成り立ちだ。

勇者の血を引く王家は七色の一つ、赤髪で構成されており、ルシアンもその目で確かめたことがある。

ただ、そこで気になることが一つ。隣に座る男―――ヴァレンテの存在だ。赤髪に赤い瞳。勇者の血を引いているといっても過言ではない容姿じゃないか。

ちらりと視線を向ければ、ぱちりと視線が合った。どうやら見つめられていたらしい。

ヴァレンテはふ、と息を吐くと姿勢を正す。そして手を組むと、にこりと綺麗な作り笑みを浮かべた。


「…オレの出生が気になるかい」

「…出生って…前ディ・ノクティス公爵夫人の息子じゃ」

「キミはまだ幼い。教えてくれる人もいなかっただろうから、知らなくても仕方ないね。…オレたち兄妹は皆、血は繋がっていないんだ。…それでも、家族ではあるけどね」

「…は?」


初めて聞く事柄だった。確かに位の高い家は後継者候補がいなければ養子を取るというが、この家にはレガリア公爵がいる。それなら、養子なんて必要ないはずだ。

ならば、一体なぜ。


「レガリア様の側近であるオレたち七人は皆養子だよ。あの人に救ってもらったんだ」

「…救ってもらったって」

「これ以上の話は部外者がいるところでは話せない。気になるならお茶をする時、ロゼから聞くといい」

「…部外者のオレが聞くことはいいのかよ」

「キミは部外者じゃないからね」


部外者じゃない―――その言葉の真意は読み取れなかった。きっと記憶とやらが関係しているんだろうということは分かる。それでも、その記憶がなければ部外者同然だろう。

どうしてそこまで良くしてくれるかわからない。

それでも本当の髪色を知ればきっとこの男も、レガリア公爵も手のひらを返すことは目に見えている。ぐっと拳を握る。どうせ、優しくしてもらえるのは少しの間だけだ。


「…どうせ見捨てる癖に」

「……キミが何を考えているか知らないけれど…レガリア様が本当にキミを手放すと思ってるのかい?」

「は」

「噂で随分広まったと思っていたんだけれどね。あの人の執着心は人一倍強いって」

「…たしかにそんな噂もあった気がするけど、本当なのかよ」

「本当だよ。…そうじゃなきゃ、少なくともオレはここにいないからね」


ぼそりと呟いた声が聞こえたのだろうか。ヴァレンテは数秒沈黙すると、頬杖を突いた。そしてレガリアについて口にする。…手放すつもりがない?

確かに、噂で聞いたことがある。レガリア公爵は執着心が強く、飽きるまでおもちゃで遊ぶのだと。

なら、自分はおもちゃに選ばれたということだろうか。それにしては…と考えていた矢先のことだ。ヴァレンテが衝撃的な一言を告げたのも。


「あの人は記憶に固執している。どうせ戻ることはできないのにね」

「戻ることができないって…」

「気になるかい?」

「…そこまで言われりゃ誰でも気になるだろ」

「ふふ…そうかい。でもだめだよ。こんなところで話すことでもない。ロゼに…とも思ったけど、これはレガリア様に直接聞くべきだろうね」


戻ることはできない。確かに、過去を巻き戻すことはできないし、言い換えればそうとも言えるだろう。しかしどうしてだろうか。それ以外の意味があるように聞こえて仕方がないのだ。

ジロリとヴァレンテに視線を向ければ、彼は目を細めて息を吐き、まるで捕食者のように笑う。そうしてレガリアの名前を告げれば、にこりと表情をいつもの作り笑みに戻した。


「夜、レガリア様の寝室に行けば話を聞いてもらえるだろう」

「……あっそ。分かった」


本来であれば醜聞が広まってもおかしくない提案だが、今のルシアンの見た目は男だ。男女が夜を共にした訳でもない、今はその提案を受け入れてみるのもいいだろう。

しかし、気になることがある。ヴァレンテはこちらを警戒していたはず。ならば、主人の寝室に招き入れるような言葉を吐くだろうか。


「…なあ」

「なんだい」

「アンタはレガリア公爵の味方なんだよな」

「何を当たり前のことを聞くんだい。オレの主人はあの人ただ一人だよ」

「…じゃあ、オレが夜に部屋に行くこと、止めないでいいのかよ」

「ふむ…別に一夜の過ちが起きても問題ないし…起きたとすればレガリア様から誘ったことだろうからね。平気じゃないかい?」

「頭の中色欲まみれかよッ!…はあ…オレが暗殺するとか、考えねぇの?」


……あの主人あってこの従者あり、といったところか。

普通、男の見た目をした十数の子どもが部屋に行こうがふしだらなことになると考える大人はいないだろう。何を言っているんだと頭を抱えたくなる。

ただ、ルシアンの口から暗殺という言葉を引き出すのが目的だったのかもしれない。ヴァレンテはルシアンの言葉を聞くと、目を細め笑った。


「思わないよ。キミがあの人を殺せる訳がない」

「…それはレガリア公爵の実力を信じてるからかよ」

「まあ、それもあるけれど…それ以上に―――キミのことを、オレたちは知っているからね」


つん。頭を人差し指で突かれて、ぐっと押し黙る。圧倒的な自信。そして、猛獣を前にした時のような威圧感。細められた瞳が照明に照らされきらりと光り、思わず目を逸らした。

知っているというのは、きっとルシアンには残っていない記憶の話だろう。それだけ、記憶とやらは彼らにとって重要なのだ。…自分は何も知らないし、記憶がある証明だってできないのに。

ぐっと拳を握り、息を吐く。これ以上、刺激する必要もないだろう。


「…離せよ」

「おっと、嫌われてしまったかな」

「…はあ…嫌われてもいいって顔してる癖して、そんなこと言うワケ?」

「ふふ…キミだったら気づくだろうと思っていたけど、予想通りとは嬉しいね」

「嫌われて喜ぶとか変態かよ」

「そういうことじゃないさ。ただ…××との共通点があって嬉しいだけだよ」

「……記憶に固執してんのはレガリア公爵だけなんて言ってたけど、アンタも大概だな」


手を払えば、ヴァレンテの鋭い瞳はすっかりなりを潜めていた。はあと息を吐く。やっぱり、レガリア公爵はこの男に操られているだけなんじゃないだろうか。自分からすれば、この男の方が油断も隙もありゃしない。

ノイズがかった声に目を細める。この男は確かレガリア公爵は記憶に固執していると言っていたが、それはこの男もだろう。…なにもかも、嫌になる。自分が知らない記憶の話をされようと、気分は良くなかった。


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