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7.南へ

****


舞踏会からそれほど日もたたない頃、セシリアは父王の命令に応じて、地方の視察へと向かうことになった。


向かうのは南の地。近年、その臨海に位置する島々の連邦国家がなにやらきな臭いという。海賊が増え、民衆の不安も募っているという。父は自身が行ければ、と何度も悔やんでいたが、老齢のため辞退する運びとなった。


父王が治める、スペンス朝ーーすなわちスペンス第一王朝は、南北に細長い土地であり、北から南に移るにつれ、慣習や文化などにも差異が出る。都のある北部に比べ、南部は明るく解放的だ。


「 ーーエルドリック!見て、凄いわ!」


セシリアは馬車の中から硝子窓を覗き、気まずさを忘れて声をかけた。


正面に座ったエルドリックは微笑んだまま、直ぐに答える。


「 駱駝ですね、南部では馬の代わりに駱駝を使うと聞きます。」


「 あれが駱駝?」


目線の先には、背中に瘤の2つついた不思議な生き物。


伝統衣装である涼しげな紗を身に着けた南方領の人々が駱駝たちに跨って悠々と歩んでいる。


「セシリア、あまりはしゃぎては駄目ですよ?」


「 …わかっているわ。南に来るのは初めてなの」


体の向きを正面に直し、ドレスを整えながらそう言う。コレットが用意してくれた海のようなエメラルドグリーンのドレスは、南方の気候に合わせて紗を使った、通気性の良いものだ。


「 …体調は、どうですか?」


「……貴方 」


思わず眉を顰めてしまう。


「 何度聞けば気が済むのかしら、エルドリック?もう元気だと言っているでしょう」


「…すみません、少し、心配で 」


苦笑しながら、エルドリックが眉を下げた。


「エルドリックにはわたくしが赤ん坊にでも見えているの? 」


「 …いいえ?まさか」


「ーー父上がいろいろとお話をしてくださったの。だから、もう大丈夫。今は、元気だから。 」


だから、そんなふうに苦しげな顔をしなくていいの。


そう思って顔を上げて、また、エルドリックの緑色の澄んだ瞳と目が合う。


「 …セシリア」


「なあに 」


「 いつでも、呼んでください。貴女が苦しくなったときに、私はできる全てを貴女に捧げましょう。」


思わず黙り込んで、眉をついと顰めた。


エルドリックは、生真面目な男だと思う。

セシリアとエルドリックの婚約が決まったのは、セシリアが産まれてから3ヶ月後の、まだ春の光がようやくにほころび始めた頃だった。


気がつけば、社交の場でも、私的な場でも、直ぐ側にいた。幼馴染のように思っていた。


できる全てなんて、捧げなくていいのに。


セシリアの罪を、許してほしくなんてないのに。


こんなにも真面目で真っ直ぐな眼差しに、どうしてか心が酷く揺らぐ。


そんな顔はしなかった。昔から彼は、いつだって優しくて、穏やかな眼差しをしていた。いつもエルドリックの手を引いて前を歩くセシリアを静かに微笑みながら見つめていた。


セシリアとエルドリックの間には、いつの間にかこんなにも距離ができていたのか。


なぜだか、遠い。


それを縮めたいと思うのもまた、罪なことだろうか。彼はセシリアを、どう思っているのだろうか。横暴で愚かな女だと、そう思っているのだろうか。それとも、幼馴染の腐れ縁のようなものを感じて、優しく振る舞ってくれているだけなのだろうか。


都合の悪い距離間。彼の心の中を知るには遠すぎて、離れるには近すぎる。


(…わたくしは、やっぱり愚かだった )


そっと小さく、ばれないように息をついて、静かに視線を窓の外へと移した。


エルドリックもセシリアを追求することなく視線を伏せた。それがどうしてか、有り難かった。



****



実際、ここ数週間、体調は以前よりも大幅に改善している。侍女たちが安眠のための香をたいたり、寝る前にマッサージをしてくれたりしているからだろうがーー父王からの言葉も、セシリアの心を軽くしてはいた。


( …トリスタン)


トリスタンとの記憶も、心の波を揺らすことはあっても、涙を浮かび上がらせることはなくなった。


それでも、愛している。今でもずっと。


蝶の鱗粉をまぶしたみたいな不思議な金の虹彩青の瞳も、端正な眉も、薄いくちびるも、無骨な指先も、困ったようにはにかむその優しい表情も、全部。


全部全部、狂おしいくらいに愛おしい。


(…父上にも侍女たちにも、心配をかけてはならないわ)


そうやって上手く蓋をして、こうして心の奥底に秘めて。


今だってほんとうは、貴方のことが忘れられないのに。


上手く泣けない。


父王の柔らかい笑みが、エルドリックの苦しげな眼差しが、心に堰をしたように、セシリアの涙を押し留める。


トリスタンと見上げたはずの月を見ても、トリスタンがセシリアに似ていると言った百合の花を見ても、この見慣れない南方の地を見てもーー全てがトリスタンの名残のように感じてしまうのに。


( ーーどうしたら、貴方のことを上手に愛したまま忘れられるの…?)


これは、どうにもならない願いだろうか。


愛している。けれど、それは、いけないことで。父王が妻であるキャロラインを想い、偲ぶのとは違う。


もっと苦しくて、痛くて、嫌になるくらい愛おしいこれは、どうすればいい?


エルドリックはどうしたら、もっと優しく笑ってくれるのだろうか。昔みたいに、なんの蟠りもなく、ただ幼心の、馬鹿みたいに純真で正直で、嘘偽りのない気持ちのまま、混ざり合える?


全てがセシリアの全身に棘を突き立てるように傷を穿つ。 


苦しい。


どうすればいい?


( …教えて頂戴、トリスタン)


そこまでぼんやりと考えて、顔を上げる。


瞑目したまま馬車に座していたエルドリックが、セシリアの気配に気づいてか薄っすらと目を開ける。


「 …どうしました?」


「…いいえ、ちょっと考え事をしていたの 」


もしかして、エルドリックは眠っていたのだろうか。彼の仕事量も馬鹿にならない。侯爵の業務と次期王配としての二つの大きな業務を抱えているのだから、疲労が溜まっているはずだ。


「 眠っていたの?」


「 いいえ?起きていましたよ」


そう言いながら、声音がいつもより眠そうなのは気の所為だろうか。


「 たぶん、もう少しで着くわ」


「 …そうですか。なかなか長かったですね」


「少しだけでも、眠ったらどう?」


セシリアの言葉に、エルドリックは少しだけ瞠目して、直ぐに小さく微笑んだ。


「 …大丈夫、眠くなんてありません。」


「でも、眠そうよ? 」


「 …それが貴女の望みなら、眠りましょう」


思わず眉を寄せた。


「 眠るか眠らないかなんて、貴方自身の望みを優先していいのよ。わたくしの言葉なんてーー」


「 私の望みは、貴女の望みを叶えることです」


「……っ 」


それだけを言うと、彼は話は終わりだとばかりに瞑目してしまう。


わからない。


彼の気持ちが。


彼はそれで、幸せなのだろうか。


セシリアにはもう、わからない。


エルドリックを起こさないように、そっと背凭れに身を委ねた。


最南端、南方マールベラ公爵領までは、あと少し。



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