8.南方の人柄
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南方マールベラ公爵領は、広大な海に面し、暖かい気候を所以とした特有の果実や塩の栽培を盛んとする地域である。主たる産業は、美しい海や自然を愛でる観光業や、海運による貿易である。
1年のほとんどが晴天に恵まれ、四季というものがほとんど見られない。それゆえに王都のある北に多く住む貴族たちは冬の間マールベラ公爵領にて休暇を楽しむのが専らであった。
「 我が国の太陽、王女殿下、遠き南方の地までご足労いただき、誠にありがたく存じます。マールベラ、心からの謝辞をもって歓迎いたします。」
マールベラ公爵が、軸足を引いて礼をした。彼の礼は華やかで美しい。少しだけ日に焼けたマールベラ公爵の肌は、艷やかな黒のスーツに覆われている。
馬車から降り立てば、心地よい海風がセリシアの金髪を泳がせた。
「 ええ、出迎えご苦労ね。」
「は、殿下におかれましても、ご機嫌麗しく。 」
マールベラ公爵が、人懐こい笑みを浮かべ、胸に手を当てた。
艷やかな黒髪に、猫のような金銅色の瞳。
華やかな風貌に浮かぶ人好きする笑みは、何処か好ましさを感じさせる。
彫りが深く整った顔立ちと、明るく闊達な人柄に心を奪われる貴婦人も少なくない。
「 今夜はお疲れでございましょうし、どうぞ公爵領でゆるりとお休みください。」
本音を言えば、今日中に海賊が現れるという沿岸部の視察をしておきたかったのだが、彼の好意を無駄にするのも憚られる。
セシリアは頷いて、「宜しくお願いするわ 」とだけ答えた。
別の馬車に乗ってきていたコレットとも合流し、マールベラ公爵の侍女たちとも顔を合わせた。
きちんと整列して並んだ黒髪の少女たちは、南方領の民族柄らしい明るく懐っこい笑みを浮かべて頭を下げた。
「王女殿下、ようこそお越しくださいました! 」
明るく快活。はきはきとした言葉は聞いていて心地がいい。どちらかといえば繊細優美に重きを置く北とは違い、南では華やかで明るい美が好まれる。
「 この度のご滞在のお世話を務めさせていただきます、パメラでございます。」
「同じく、侍女のサリでございます! 」
侍女たちの中で最も年嵩ーーといっても三十代くらいに見えるがーー美しい黒髪を緩く結い上げて親しげな笑みを浮かべたパメラ。
編み込んだ黒髪を跳ねさせながら、煌めく緑の瞳でセシリアを見つめたサリ。こちらはセシリアと同じか少し年上かくらいの年齢であろうか。
「慣れないことも多いでしょうから、手間を掛けさせてしまうこともあるかもしれないわね。ですけれど、宜しくお願いするわ、パメラ、サリ 」
そう言ってセシリアは柔らかく微笑んだ。
*****
「 ……これは」
パメラとサリに案内されながら、公爵邸に用意された部屋へ辿り着きーーセシリアは、思わず固まった。
ベットが二台、同じ部屋においてある。
これは、まさか。
「 …パメラ、サリ」
「 はい、どうかなさいましたか?」
「 この二つの寝台はーー」
セシリアが少し最後の言葉を濁すと、パメラが何度か瞬いて、微笑ましそうに頷いた。
「 もちろん、王女殿下とウォーリソン侯爵閣下のものでございますよ」
「 ……」
まだ、婚前なのだが。
マールベラ公爵が要らぬ気を回したのだろうか。北方と違い、南方はどちらかといえばそういった男女の関係におおらかだ。
( …折角用意してくれているのに、ここで文句を言ってはいけないわね。郷に行っては郷に従えと言うし、ここは南方の慣習に合わせましょう)
心の中でこっそりと考えて、取り敢えず背後に控えていたコレットに荷物を置かせた。
もしエルドリックが入ってきたら、彼も同じように固まるだろうな、なんてそんなことを考える。
「 …エルドリックは?」
「 ウォーリソン閣下は、領内の視察に出ると伺っております。夕食までには戻るとのことですよ」
コレットが直ぐに返してくれた言葉を聞いて、セシリアは思わず眉を上げた。
( …まさか自分だけで視察に?)
「…わたくしも行くわ 」
憮然とした表情に気がついたのだろうか、コレットが小さく苦笑するのが見えた。
「 いけませんよ、お嬢様。今日はゆっくりお休みいただかないと。」
「 …」
「閣下はお嬢様の御身を心配なさっているのです。 それに、南方領の下町の視察ということでしたから、お嬢様には少々危険ですから。」
「 どういうこと?」
「南方領の外れ、下町の方面は治安があまり良くないのです。若い女性などは人攫いにあって売られてしまうこともあるようですから。今日はウォーリソン閣下に任せておきましょう? 」
そこまで言われてしまっては仕方がない。コレットの心配そうな表情に押されて、諦めて分かったわ、と頷いた。
「では代わりに南方領の特産である紗を身に纏ってみませんか?王女殿下 」
ぱっ、とそばから現れたのは侍女のサリだ。おさげに結った黒髪が、動く度に縄のようにぴょんぴょんと楽しげに跳ねる。
サリの後ろでパメラもおおらかに頷く。
「それがよろしいですわ、殿下!最近では海路で取り寄せた、東国の" 宵月の女神"という紗を使ったものが人気なのですよ」
どこから取り出したのか、パメラが説明しながら美しい藍色の紗を取り出す。確かに夜の闇を切り抜いたかのような淡い紺色に、灯りを受けて、月の光が朧に差し込んだかのように柔らかな銀の光を放つ。美しい布だ。
「 殿下は色白でいらっしゃいますから、たいそうお似合いになりますわ」
にこやかにそう言われれば、セシリアも断ることはできない。南方に赴くのは初めてだが、北方と侍女との距離感までも違うことに困惑する。
それでも、不躾さや嫌らしさを感じないのは、ひとえに彼らの人好きの良さだろう。
ここ最近の鬱々とした気持ちが、ふっと和らぐような心地がして、セシリアは微笑んだ。
「 ーーそうね、是非着させてもらおうかしら。パメラ、サリありがとう」
「ええ、ええ、そういたしましょう! 」
パメラは嬉しそうに手を叩いた。
「ーーどう、かしら? 」
南の伝統的な衣装である紗を使ったドレス。着付け方もデザインも北とは大きく異なるそのドレスをパメラとサリに着せてもらい、セシリアは鏡の前で首を傾げた。
深い濃紺の紗のドレスは、薄衣が幾枚か重ねられており、動くたびに光を纏って多彩な色を放つ。銀砂のような冷たく強い光が瞬いたかと思えば、淡い青が光を閉じ込めて氷河のようにぼんやりと輝く。そこかしこに縫い付けられた銀糸の刺繍も美しい。花の文様を独特の幾何学模様で表した、南の文化だ。
「 ーーお美しいですわ、お嬢様!」
コレットが感動したように目を潤ませた。
確かに美しいドレスだった。気候に合わせて通気性の良さもありつつ、その薄く透ける生地は女性らしいたおやかさを感じさせた。
「まあまあ!ほんとうによくお似合いですわ、殿下 」
「 ほんとうです!お美しいです!」
パメラもサリもにこにことセシリアを褒める。
「 ええ、ありがとう。本当に美しいドレスね」
セシリアの言葉にパメラは大きく頷いた。
「こちらのドレスはマールベラ公爵様からの贈り物でございます」
「まあ、こんなに素敵なものを? 」
「 勿論でございます、殿下!」
サリも顔を出して、微笑みながら頷く。
「 こんなにも美しいドレスですから、殿下ほどお美しい方に着ていただかないと。ドレスが泣いてしまいます!」
サリが冗談めかして言うので、セシリアも少し笑う。
「ふふ、そう…ありがとう。マールベラ公爵には後でお礼を伝えなくてはいけないわね 」
ひらり、と青いドレスを揺らす。美しい生地はセシリアの足首を擽って、ふわりと落ちる。
明るく人懐こい彼女たちに、いつの間にか肩の力が抜けていくようだった。




