08-2. 領主の地位と第王子からの招集
応接室には王都からの使者が着席していた。隣には実務を担当していそうな官吏、後ろには護衛が二人立っている。
対するこちら側は私とエイレンのほか、アカデメイアからついてきてくれた友人アレンと、エイレンの近侍を含む四人。
使者は役職名を名乗るより早く自己紹介を始めた。侯爵家の三男であると。
「何度も伝令を送ったのに、記入した名前の綴りが違うとか、難癖をつけては追い返したから、わざわざ私が来たんですよ」
二言目でこちらの非を責めた。
「名前を間違うって失礼だし、無効だと思うのだけれど、王都では違うのかしら?」
小声でエイレンに尋ねる。聞こえないように気を使っているようでいて、しっかり相手に聞こえるように。
「常識的に考えて変でしょ」
「……そうよね」
あまりに堂々と言うものだから、自分の感覚がおかしいのかと思ってしまった。
行方をくらます手段の一つとして、私は既に改名している。既にロザリーナ・カルヴェントという女性は実在しない。
以前、養女に迎えたロザリーナは我が家の家系図からは削除済み。元の平民身分に戻って、市井で上手くやっている。王家への届け出は、却下されるのが目に見えているから放置しているけれど。
――第二王子がしつこいから、名前を捨てることになったって言うのに。
家族から「ロザ」と呼ばれるのが好きだから、愛称が同じになる名前を考えた。結果「ルルリア=ミリアロサ」が新たな名前に。
使者の言うところの『たかが綴りが違う』なんて程度の違いではない、全然違う名前なのだ。
「ロザリーナ・カルヴェントを第二王子の侍女として召喚する。明日の出立に間に合うように支度するように」
「誰からのご指示でしょうか? 命令書はお持ちですか?」
使者の言葉を全否定したいところだけれど、まずは誰が言い出したのかの確認と、王族の言葉だとわかる証拠を求めた。
だが返ってきたのは「命令に従え」という言葉だけ。誰のという主語を省いたのは、敢えてなのか。
「子爵家とはいえ当主を侍女に、というのは少々問題では?」
頭ごなしの命令だったけれど、一応敬意を払ったように、静かに反論してみた。
「そのことだが、我が国の学院を卒業していないロザリーナに、当主たる資格なしと判断された」
「アカデメイアの学歴を認めないと?」
「たかが哲学の単位で偉そうに」
偉そうというが、実際に偉いのだ。アカデメイアの卒業生は。大陸中のどこの国でも通用する学歴なのだから。
確かに哲学はアカデメイアの中で最も卒業が楽な学科ではある。それでもこの国の貴族が通う学院よりも圧倒的に難しい。
王家からの使者たちの誰よりもロザリーナの方が学歴が高いのに「たかが」と言ってしまうところに、認識のおかしさがある。
「例え哲学科とはいえ学歴を認めないというのは、アカデメイアに喧嘩を売る行為であるが、使者殿は理解しておられるのか?」
エイレンが静かに問う。ここで煽る気はないらしい。
「王家の命令に異を唱えるなど不敬な」
「王家の命令ではございませんでしょう? 使者殿の言葉しかございません。王家からの勅命だというのなら、証拠をご提示いただけないと……。もっともこんな面白くもない冗談を、王族がおっしゃると思えませんが」
王家が認めないと言っても、私が当主である事実は変えられない。エイレンに任せっきりにしても良いけれど、一応私が前に出る。
証拠を出せと再び催促するのと同時に、少し煽ってみた。
これまでの短いやり取りの中で、実家の爵位以外に誇れるものがないのはすぐにわかったから。
頭に血を上らせるのは、交渉術の基本的な手段である。
もっとも小手先の技など使わなくても、修辞学や弁論法を修めた我々卒業生が負ける気はしないのだけれど。
「王家がアカデメイアに喧嘩を売るような、愚かな真似をするとは思えないと言っているのです。そちらの主張はあまりにも自分勝手過ぎて、道理が通りません。これほど稚拙な命令を、王家が発するとは信じがたいのですよ」
「そこまで言うなら……!」
使者が懐から出したのは、王家からの勅命だった。発行は兄である第一王子。大方、執着している女を宛がえば弟が大人しくなり、醜聞を避けられるとでも思ったのだろう。内容は告げられた言葉とほぼ同じ。私を侍女として出仕させることと、学歴に問題があるため、子爵家当主として認めないこと。
何度も名が違うと、綴り間違いのように誤認させつつ指摘した所為だろうか。現カルヴェント子爵の爵位を認めずと記してあった。同時に夫を当主に変更すること、夫人を第二王子の侍女として召し上げる旨が書かれていた。私の名はない。
――最初から出せば良いのに。自分の言葉に権威があると思ったのかしら。
そう思ったけど表には出さずにやり過ごす。
「なるほど、アカデメイアに喧嘩を売るのですね。確かに私は哲学科卒業。とはいえ私の後ろには数千にも及ぶ卒業生がいるのですよ。授業から離れた研究会には、全学科、全学舎の学生がおりました。全員、私の味方です」
「大きく出たな、たかが最低学力の卒業生が」
多分に嘲りを含む。自分たちが間違っていたと知ったとき、どういう顔をするのだろうか。
「よろしいか、使者殿」
エイレンの隣からアレンが口を挟む。平民らしい服装に「お前が?」と使者たちは目一杯見下した目つきだ。書記か何か、カルヴェント子爵家の家臣だと思っていたのかもしれない。
「カルヴェント子爵の言葉は正しいですよ。王子が哲学科卒の学歴を認めないと正式に表明したことにより、ロナヴィエル王国から脱出するよう、アカデメイアから卒業生に対して正式表明を出します。自分は学長から派遣されている正式な見届け人です。働いている他国出身者は、安全のため速やかに国外に出ることを合わせて勧告します。また学生に対して今後、この国への職の紹介はしないし、仲介もしません。これは我々アカデメイアの決定事項です」
「――!!」
王宮には多くの卒業生が出仕している。給金は高いが、それだけの働きをしているなくてはならない人材ばかりだ。
そして何割かは他国の出身者。全員とは言わずとも退職すれば痛手だし、今後新たな人材を採用できないとしたら、いずれは立ち行かなくなるだろう。
使者たちが呆然とするが、アレンの言葉は止まらない。
「学生時代から不穏当な話を聞いていましてね。こういう事態になるかもしれないと、予想していたんですよ。だからアカデメイアの調査員としてこの場にいるんです。学内でこの国の噂が広まっています、何年も前から悪い話ばかり」
身分差別の酷い国なのが、悪評の原因。
アカデメイア卒とはいえ平民だと横柄になる貴族が多く、仕事にならないどころか恫喝に屈しないと身の危険がある。何年も前から平民の卒業生が就職先として避ける傾向があった。かといって貴族階級の卒業生が穴を埋めるが如く就職しているとは聞かない。緩やかに就職する卒業生が減っているのだ。ゆっくり過ぎて気付いていないかもしれませんが。
「ローズ嬢! あなたには国を愛する気持ちがないのか!」
「カルヴェント子爵夫人の入学前からの話ですよ」
何を勘違いしたのか、使者が私に怒りをぶつけてくるのを、アレンが即座に否定する。ついでに既婚者を未婚の令嬢であるかのように呼んだのも訂正してくれた。
「十年以上前からです。アカデメイアの卒業生が就職を避けるようになったのは」
「――!!」
使者たちの顔色が驚愕に彩られた。そんなにも前からと言いたそうである。
「他国ではアカデメイアの卒業生が『平民だから』という理由で虐げられませんよ。出身階級の別なく認められています。この国と違ってね」
チクリと嫌味を混ぜる。でもまだ可愛いものだった。
アレンがどういう話をするのか、結果どうなるか想像がつくだけに思わず笑いそうになって、慌てて表情を繕う。
「少しずつアカデメイア卒の新人が減ってきているでしょう? 特に平民の卒業生はここ何年も新たに採用していないんじゃないですか?」
使者の横に座る官吏は思い当たる節があったらしい。「まさか……」という声が漏れた。
「学生の約半数は平民ですよ。そして学生数は緩やかに増えています。十年で新人に占めるアカデメイアの卒業生が減っているなら、間違いなく就職先として厭われているからですね」
魅力的ではないという消極的な理由であれば、平民の卒業生が減ったとはいえゼロにはならない。
何年もの間、平民階級の卒業生が就職していないのは不自然過ぎる事態なのだ。使者たちは今まで気付きもしなかったみたいだけど。
「既にアカデメイアによる調査は終わり、切り捨てるためのリストに入ってたんですよ。随分と前から、この国はね」
使者たちの顔が絶望に染まった。
「王都に戻られたら、僕の言葉が嘘か真かわかりますよ」
人懐っこい笑みを浮かべたアレンが、言葉を失った使者たちに会談の終了を告げた。




