第75話 精霊の祝福
無事に国賓たちを王都へ迎えた翌日。
待ちに待った建国祭当日。まだ陽が上る遥か前から、王都では祭りの準備が進められていた。
そしてそれは王城でも同じこと。
ゼスもまたすでに目を覚まし、簡単な軽食をとって――メイドたちに囲まれていた。
「ゼス様ゼス様、こちらにおかけください!」
「あっちょっと、それあたしの仕事なんだけど」
「へへ〜ん、早い者勝ち〜!」
まだ外は真っ暗だというのに、ゼスの私室にメイドたちの元気な声が響き渡る。
彼女たちの手には見るからに上質な礼服が握られている。
そんな彼女たちに囲まれているゼスはと言えば、鏡の前に座らされていた。
「こらお前たち! こういう日ぐらい、落ち着いて行動できないのかい!」
「は、はい!」
「ごめんなさぁい!」
部屋に現れたメイド長の一喝で、あれだけ騒ぎ立てていたメイドたちが嘘のようにテキパキと動き出す。
「……いやぁ、この感じ懐かしいなぁ」
「懐かしまれている場合ですか、まったく」
賑やかな室内に思わず笑みを零すゼスにため息を吐くメイド長。
そして椅子に座るゼスの後ろへ立つと、懐から櫛を取り出した。
「失礼します」
「うん、頼むよ」
断りを入れてから、メイド長は優しくゼスの髪を梳き始めた。
鏡に映るメイド長は先ほどまでの小難しい面持ちを一転、穏やかで楽しげな表情を浮かべている。
「これも懐かしいね」
「と言いますと?」
「ほら、アークライト王国で俺が受けた神託の儀。あの日もメイド長がこうやって髪を梳いてくれたでしょ?」
ゼスが何気なく言うと、メイド長は目を見張った。
「覚えておいででしたか」
「もちろん。あの頃は今ほどメイド長のことは知らなかったけどね」
ゼスが城の使用人たちと交流を持つようになったのは、まさにあの神託の儀を終えてから。
前世の記憶を思い出し、王族としての自分に違和感と苦しさを抱え、湧き上がる洗濯欲を解消する中で、メイドたちと関わるようになった。
(結果的にまた王族に……しかも今度は王様になっちゃったわけだけど、不思議とあの頃のような息苦しさはないな)
そのことを自分でも少し意外に思う。
「……あたしたちも、ゼス様のことはよく存じませんでした。王族の中でも少し雰囲気の違う方だと、そう思うことはありましたが、その程度です。……ですが、今はよく存じております。だからこそあたしたちは、ここにいるのです」
「メイド長……」
しみじみと語りながら、メイド長は懐から今度は小さな壷を取り出した。
蓋を開け、傾けると、手のひらに粘度のある液体が垂れ出る。
それを優しく両手で広げ、丁寧に、優しく、ゼスの髪に馴染ませていく。
花の香りがふわりとくすぐる。
「さぁ、終わりましたよ。あとはこちらをお召しになられてください」
メイド長の言葉で、先ほどから待機していたメイドのララが礼服の上着を差し出してきた。
白を基調したその礼服に袖を通す。
そして最後に、この衣装の中で最も目立つ深紅の外衣を羽織った。
「わぁっ、ゼス様、お似合いです!」
「そ、そうかな」
「お似合いですよ、ゼス様」
ララを筆頭にメイドたちから高評価を受ける中、ゼスはちらりと鏡に視線をやる。
整えられた髪に普段は着ない装い。
鏡に映るのは自分のはずなのに、別人のような感覚になってむず痒い。
そんな中、外から私室の扉がノックされた。
「ゼス様、そろそろお時間です」
「わかった。今行くよ」
外からの声に返事をして、鏡の前を離れる。
扉へ向かう道中で、メイド長を筆頭にメイドたちがすっと頭を下げる。
そんな彼女たちにゼスは感謝の念を込めて口を開いた。
「行ってくるよ」
◆ ◆ ◆
建国祭の行程はいくつかあるが、その最初のイベントは聖堂で行われる儀式だ。
まだ陽が昇っていない時分。辺りに配置された篝火で照らされる回廊を進み、ゼスは王城内の聖堂へと向かっていた。
見えないところにソニアたち親衛隊の姿はあるものの、回廊にいるのはゼスただ一人だけだ。
他に儀式へ参列する者たちはすでに聖堂に揃い、ゼスの到着を待っている形となる。
最近ずっと傍にいたユグシルは今回の儀式の主役の一人。
国賓たちと同様に、すでにディーネと共に聖堂で待機している。
そしてハクもまた、今後の催しのために傍を離れていた。
「……思えば、こうして一人きりで外を歩くのは久しぶりだなぁ」
一抹の寂しさを覚えつつ、気を引き締め直す。
程なくして聖堂の前に辿り着いた。
「オルサ王国国王、ゼス陛下、ご入場――!」
聖堂の扉の傍に立っていた親衛隊の獣人が聖堂内へ紹介する。
その紹介をもってゼスは単身、聖堂内へ足を踏み入れた。
立地の関係から、決して広くはない聖堂。
それでも通路の両脇を埋める長椅子は人で埋め尽くされている。
文官や武官、シャーマン、諸外国の長とそれに連なる者たち。
人族はもちろん、エルフ族や獣人族、ドワーフ族の代表者たちの姿もある。
思わず足を止めて、その光景を見つめてしまう。
そんな中、通路の先――聖堂の祭壇で控えるユグシルとディーネの二人と目が合った。
「早く来て」と言いたげな眼差しに、ゼスはまた歩き出す。
そうしてゼスが祭壇へ辿り着くと、どこからともなく鐘の音が鳴り響き始める。
かくして建国祭の長い一日が始まった。
建国祭は、国土への祝福と、国民の承認、そして王の任命という三つの要素で構成されている。
今から聖堂で行われる儀式は、そのうちの一つ。
(国土への祝福……)
鐘の音が消え、静まり返る聖堂内。
独特の緊張感を保ちながら、ゼスを筆頭に全員の視線が二人の大精霊へ注がれる。
国土への祝福とは、すなわち精霊の庇護を得ること。
精霊が存在しなければ神託の儀は受けられない。
そして神託の儀がなければ、職業とスキルを授かることができない。
通常は神官が祝詞を読み上げ、微精霊たちを呼び込むことで、精霊の庇護を得るが、すでにこの地には大精霊が――すなわち、ユグシルとディーネがいる。
二人は互いに顔を合わせると、頭上に手を掲げた。
「――《精霊の加護》」
「――《精霊の加護》」
それは大精霊が有する、破邪の権能。
邪神の遣いである魔物を退ける力。
そして同時に、精霊たちを呼び込む力でもある。
聖堂を満たしていく光は、王都一帯にまで広がっていく。
「姫様、これは……」
教国の神官が声を震わせてミアに囁く。
ミアはゼスの背中を見つめ、淡い笑みを零す。
「彼女たちがいるのもまた、この世の摂理」
場に配慮した教国の話し声に反して、痛快に笑う男もいる。
「ふははっ、やはり余は間違えないッ」
エグリス帝国皇帝アイザック・フルード=エグリスは、しかしその言葉とは裏腹に冷や汗を滲ませていた。
そして、唖然と天井を見上げる男もいる。
「これが、大精霊の力……私は何度、貴殿に驚かされるのだ……」
それは公王マクシミリアンの心からの声だった。
三者三様の反応を見せる中、目の前の光景から目を逸らす者もいる。
「…………」
アークライト王国国王、ケイラス・アークライト。
彼は項垂れるような、力尽きたような顔つきで足元を見つめ、ただ静かに時間が過ぎるのを待っていた。
奇跡のような時間は続く。
権能の光が収まり切るよりも先に、ユグシルとディーネはふわりと浮かび上がると、聖堂内を踊るようにして飛び回る。
すると、どこからともなく光の玉が空間に漂い始める。
この世界の人々は知っている。
この光の玉一つ一つが精霊であることを。
そして彼らは理解した。
大精霊に導かれるようにしてこの場に現れた精霊たちもまた、共にこの地を祝福していることを。
ユグシルとディーネの祝福が終わり、通常の儀式に則った祝詞をシャーマンが紡いでいく。
しかしそのようなことをしなくとも、精霊たちがこの地を祝福していることに異を唱えられる者はただ一人として存在しなかった。




