第71話 分体
「ウグゥァアアアア!!」
執務室へ突入したゼスが《浄化》を行使すると、マクシミリアンは魂から搾り出すような叫び声を轟かせる。
浄化の光に包まれるマクシミリアンの体からはヘドロのような澱みが溢れ出し、光と反発し合っていた。
「……馬鹿な、あり得ぬ。我が気付かぬなど……」
「ガルゥゥルゥ……!」
「フリル? ハクまで」
真下でフリルが珍しく動揺の声を零し、頭上でハクが聞いたことのない呻き声を上げる。
二人の視線はマクシミリアンへ注がれていた。
「……ゼスよ、あそこにいるのはマクシミリアンではない」
「うん、わかってるよ。神呪に乗っ取られてる。このまま《浄化》であのヘドロを吹き飛ばせば」
「そうではない。よいか、あれは地上に残された邪神の力などではない。神の遣いである我と、古き存在たるハクだからわかる。あそこに存在するのは――」
フリルの言葉を遮るように、マクシミリアンの身に変化が起こる。
「ウグググググゥゥグゥハハハハハハァ――ッッ!!」
「光が、弾かれた……!?」
苦悶の声がそのまま哄笑へ代わり、清浄な白き光が弾け飛ぶ。
元の柔和な顔つきとは正反対に、歪んだ笑みを向けるマクシミリアンに、フリルは警戒と共に言葉を継いだ。
「あそこに存在するのは、邪神そのものだ」
「邪神!? 邪神ってあの……ッ」
フリルから告げられた言葉に驚いていると、後ろから続々と騒ぎを聞きつけた兵士たちが雪崩れ込んできた。
公国兵たちを認めたマクシミリアンはにぃと笑い、兵たちへ告げる。
「お前たち、何をしている。私の命を狙う賊どもを、早く捕らえるのだ」
「がるるぅ……主様を傷つけるなら、あたしが相手する」
彼らが少しでも妙な動きを見せた瞬間、抗戦しようと全身を逆立てるソニア。
そんな中、公国兵たちは顔を見合わせた。
「と、捕えろって」
「どうされたのです、陛下ッ」
「オルサ王国の来訪を待ち望んでおられたのは他でもない陛下のはず……ッ!」
ゼスたちが公王からの依頼で公都に訪れたことは、彼らの知るところであり、何より今のマクシミリアンの様子がおかしいことは誰の目にも明らかだった。
「皆さんは下がっていてください。大丈夫、マクシミリアン陛下に危害を加えるつもりはありません」
ゼスはフリルの背から降り立つと、困惑する公国兵たちへ語りかける。
逡巡した様子の彼らも、しかし狂気に飲まれたマクシミリアンを前に、ゼスを信頼することを選んだ。
こくりと頷き返す兵たちからマクシミリアンへ視線を戻すと、彼は苛立たしげに舌打ちを零した。
「ちっ、この人間、存外に人望がないようだ」
「人望があるからこそ、託してくれたんだ。マクシミリアン陛下は他人にそういう接し方はしない。さっさと消え去れ――《浄化》ぁ!!」
「フグゥォァ――! フンッ!!」
「……ッ」
またしても浄化の光が黒いヘドロを前に弾け飛ぶ。
「なんだあれ、油汚れみたいに、弾かれる」
「これまでそなたが浄化してきたのは、あくまでも神の力の残滓。……だが、あそこにいるのは紛れもなく、邪神の分体。そなたの《浄化》の力では歯が立たぬ」
「さっと流しそうになるけど、どうして滅びたはずの邪神が目の前にいるのさ」
「……恐らく、あの人間の血の中で生き続けてきたのだろう。最早そなたではどうしようもない。我とハクの力で、消し飛ばそうぞ」
「ガルゥ……」
「待った待った、そんなことをしたら」
臨戦体制をとるフリルとハクを、慌てて止めようとするゼス。
その言葉を、嘲るような声が引き継いだ。
「いいのか? そんなことをすれば、私共々この人間は消し飛ぶぞ」
「――ッ」
「そんな……」
両手を広げ、懐を無防備に曝け出して挑発するマクシミリアン――改め、邪神の言葉に、背後の公国兵たちが息を呑む。
それを見て、邪神はにぃと笑みを深めた。
「私とてお前たちを虐めたいわけではない。そこの人間を殺せば、この人間を解放してやろう」
「……!」
ゼスを指差し、唆す邪神。
公国兵たちがざわつく気配を背中に感じながら、ゼスはふと思った。
「なんだ」
「む?」
「邪神っていうから少し身構えたけど、そんなに俺のことが怖いんだ」
「……なんのことだ」
邪神が不愉快そうに顔を歪めるのとは対照的に、ゼスは薄く笑う。
「だってそうでしょ。わざわざ俺を狙うなんて、俺のことが邪魔か、怖いかのどちらかだ。だとしたら、俺に心当たりは一つしかない」
邪神へ向けて手をかざし、《浄化》を放つ。
「無駄だぁ!」
「よくよく考えれば、俺を強引にあの地下室に幽閉しようとしたのも不自然だ。せっかく二人きりになったんだ。あの場で俺を始末する方が手っ取り早い。でもできなかった。――俺の反撃が怖くて」
「ッ! 何度繰り返しても、私には効かぬ! 人の力が、神たる私に届くものか!」
「いいや届く。だって俺には、お前という存在がただの汚れにしか見えないから」
これまで、汚れに見えたものを綺麗にできなかったことはない。
なら、相手が神であってもそれが穢れたものであれば、綺麗にできるはずだ。
「ダマレェ! キエウセロォ!!」
邪神からヘドロの汚れがゼスたちへめがけて放たれる。
咄嗟にゼスの間に割って入るフリルたち。
汚れが届くよりも先に、ゼスの浄化の光が吹き飛ばしていく。
「〜〜〜〜ッ、フゥァアアアア!!」
最早無差別に攻撃を放つ邪神。
ゼスもまたありったけの精神力を費やして、攻撃を防ぎ、反撃する。
邪神の放つ悍ましいヘドロとゼスの浄化の光が執務室中に展開され、公国兵たちは自分たちの置かれている状況を忘れそうになる。
「ゼスよ、いかにそなたの精神力が人並み外れていても、邪神の力は無尽蔵。持久戦になれば先に力尽きるのはそなただぞ」
「わかってる。まずはどうして綺麗にできないのか、そこをかんがえ、ない、と……」
「ゼス……?」
尻すぼみになるゼスに、フリルたちが心配そうに振り返る。
そんな中、ゼスは中空を――正確には、浄化の光で相殺されていく邪神の攻撃を見つめていた。
「……あいつから放たれた汚れは、綺麗にできている。――! フリル、さっきあいつはマクシミリアン陛下の血の中で生きてきたって言ったよね」
「う、うむ。恐らく古に、末裔にまで至る契約を交わしたのだろう。血の中に――魂に潜んでいたゆえに、我らにも感知できなかったのだ」
「なるほどね」
「何か、思いついたようだな」
「ガルゥ!」
吊り上がったゼスの口角を見て、フリルとハクが嬉しそうに叫ぶ。
「何をしたところで、私には届かん! 忌々しき力よ、消え失せろ!!」
何かに焦るように苛烈さを増す邪神の攻撃。その澱みを浄化しながら、ゼスはふぅと息を吐く。
「本当に俺の力が通用しないなら、邪神から放たれたヘドロも取り除けないはず。それが取り除けている以上、あいつが纏うヘドロも綺麗にできているはずなんだ」
弾かれたように見えているのは、表面の汚れを浄化しきったからだとするなら。
「汚れの発生源を――マクシミリアン陛下の中に潜む邪神そのものを叩くしかない」
「そなたの理屈は正しく聞こえる。しかし、どうするというのだ」
「今は邪神が乗っ取っているけど、あの体はマクシミリアン陛下そのもの。だから、あるべき姿に戻すんだ。――《修整》!」
「ヌグゥ!?」
それは、獣人族の営地で目覚めたスキル。
良くない状態のものを正しい状態、望む状態へと直す権能。
邪神に乗っ取られた肉体を、本来の持ち主へ――。
スキルの光を浴びた邪神が金縛りにあったかのようにその場に固まる。
そして、忌々しげにゼスを睨みつける。
「ッ、キ、キサマァ……!」
「くっ、ぐぅ――!」
体の中から凄まじい力が溢れ出ていく。
獣人族の営地を、大樹海の新拠点を《修整》した時とは比べ物にならない消耗。
それが、何よりゼスに手応えを抱かせた。
「さっさと、出てこい!!」
「ウグァアアアア!」
青白い輝きが邪神の体を満たし、マクシミリアンの体が蜃気楼のように浮かび上がった。
そこへ頭上から別の青白い光が現れ、邪神の体とマクシミリアンの体を縫い合わせるように何度も何度も突き刺さる。
「グゥゥァァオノレェェ!!」
断末魔のような叫びと共に、光が明滅し、徐々に、ゆっくりと、ふたつの体が重なっていく。
そうして完全に重なり合った瞬間、マクシミリアンの体から、ヘドロがどろりと溢れ出した。
「っ、ぅぁ――」
マクシミリアンがその場に倒れ伏す中、体から溢れ出したヘドロは中空で渦を巻いていく。
「これが、汚れの……いや、マクシミリアン陛下の血に潜んでいた邪神の本体」
「▼◾️◾️◾️▼●◾️――!」
「何言ってるかわからないな。いい加減綺麗になれ! ――《浄化》!!」
「▼●◾️▼◾️◾️●◾️!!!!」
ヘドロの渦が清浄な光に包まれる。
この世のものとは思えない音を発しながら、ヘドロは白い光に飲み込まれていき――完全に吹き飛んだ。
「ふぅ……今回は本当に頑固だった……けど、俺の勝ちだ」
久方ぶりに味わうかなりの疲労感に、ゼスは達成感を覚える。
「確かにそなたの勝ちだが……分体とはいえ、邪神を倒してその反応は流石にどうかと思うぞ」
「ガルゥ……」
フリルたちの呆れた声が飛んでくる。
そんな中、床に倒れ伏していたマクシミリアンから呻き声が漏れ出た。
「うっ、うぅ……」
「! マクシミリアン陛下!」
「陛下、ご無事ですか!」
「陛下!!」
ゼスが駆け寄るよりも先に、後ろで事態を見守っていた公国兵たちが弾かれたように動き出す。
頭を押さえて起きあがろうとするマクシミリアンを公国兵たちが支える。
「こ、れは、一体……」
荒れ果てた室内を見回して混乱するマクシミリアンへ、ゼスは微笑みかける。
「ひとまず、ご無事でよかったです。マクシミリアン陛下」




