第67話 コルド公国
コルド公国の中心地である公都の街は、平地に広がっている。
そしてその街の周囲をぐるりと丘陵が囲っていて、ゼスたちが関所の通路を抜けて出た先がこの丘陵の一角だった。
大樹海との境ほどではないが、上空を覆う分厚い灰色の雲からは絶えず雪が舞い落ちている。
街から溢れる明かりが白銀の雪に乱反射して、とても幻想的に見える。
だが――。
(なんでだろう。なんだか胸がざわつく)
雪国特有の景色を前に、ゼスはむしろ落ち着かない気持ちでいた。
公国側から寒さ対策の外套を渡された後、ゼスたちは同じ丘陵に聳える城へと案内される。
公都を見下ろせる、公王の居城だ。
「ゼス陛下はこちらでお待ちください。お付きの皆様は別室へご案内いたします」
「がるぅ、あたしは主様のそばにいる」
「私も」
「ガルルルゥ」
「…………では、他の皆様はこちらへ」
応接室へ通されたゼス。
メイドの言葉にソニアやユグシル、そしてハクが異を唱える。
メイドは困った様子で確認をしてから、他の親衛隊の面々を別室へ案内した。
「ふむ、我の存在は気づかれておらぬようだな」
「まさかこの石に神獣がいるなんて想像できないでしょ」
胸元からの声に応じつつ、ふとゼスは窓辺へ歩み寄る。
壁は一面だけがガラス張りになっていて、ここからも公都を望むことができた。
「本当に年中雪が降ってるんだね」
「かつて、帝国より独立する前も寒冷地ではあったはずだ」
「フリル、当時のこと知ってるの?」
「我は古くより存在する者よ。世界の守護を任じられた者として、世界の大きな流れは把握しておるのだ。しかし、ふむ……」
フリルが訝るような呻き声を零す。
巨狼の姿は見えないものの、フリルが窓の外の景色に意識を向けていることは、その息遣いからも感じられた。
「記憶に綻びがなければ、公国が建国した当時の公爵――初代公王が独立を宣言した直後から吹雪くようになったはずだ。そなたもみた、あの国境に聳える吹雪の壁が、独立に反発して送り込まれた帝国の軍を撃退し、そのまま独立を勝ち取ったのだ」
「竜でさえ踏み入ることのできない吹雪だもんね。帝国軍が手も足も出ないのは納得だ」
「この吹雪は、公国にとって自分たちを守る城壁のようなものなのかも」
フリルの解説を聞いていたユグシルがそんな感想を零す。
「自分たちを守る城壁、かぁ……」
「どうかした?」
複雑な面持ちで復唱したゼスを、ユグシルが覗き込む。
その声を気にしつつ、ゼスはさらに公都の景色を眺める。
豪雪地帯の様相を呈し、外部の人間にとってはただただ幻想的な場所。
だが――。
「なんというか、吹雪が公国の人たちを閉じ込めているように見えてさ」
「閉じ込める?」
「い、いや、なんでもない」
「ふむ……あながち、そなたの指摘も的外れではないやもしれぬな」
胸元でフリルが感心したように唸る。
「建国当時は確かに帝国より独立を勝ち取る盾であったが、それも過去のこと。今や帝国側に公国へ攻め入る意思はない。入出国が一部の関所に限られ、農業を始めとした日々の生活を制限されるこの吹雪は、現在の公国民にとってはまさしく自分たちを囚える檻と同じやもしれぬな」
「そう言われると、ゼスの言うことも理解できる。それにこの吹雪、明らかに自然のものじゃない」
ユグシルの言葉に頷き返す。
そもそも、外から訪れる者を拒むように聳える雪嵐の壁は、自然現象というには異質に過ぎた。
「もしかしてこの吹雪自体、精霊が生み出しているとか? ほら、ユグシルって植物の枝葉を自在に操れるでしょ? それみたいに」
「そういう精霊がいても不思議じゃない。だけど、これだけの力を持つ精霊がいるとは思えないし、いたとしたら気付けるはず」
「そっか。――うわっ」
胸元の霊石がぱぁと光りを放ち、巨狼が現れる。
白銀の体躯が応接室の一角を占拠した。
実体化したフリルはその鼻先を床につけると、すんすんと動かして辺りの匂いを嗅ぎ始めた。
程なくして、威厳のある顔が持ち上がり、白銀の瞳がゼスへ向けられる。
「微精霊の匂いはするが、この国に大精霊の気配はせぬな」
「ということは、この吹雪は精霊が引き起こしているものじゃないってことだ」
「そうなるな。……気になるのか?」
「なんとなくね。この吹雪から嫌な感じがするから」
言葉にできない違和感を口にするゼスに、フリルたちは頷く。
「そなたの言う通り、我もこの国に入ってからどうにも落ち着かぬ」
「……私も同じ気持ち」
「ガルゥ」
「みんながそう感じているなら、やっぱり俺の気のせいじゃないのかも。まあだからといって何かやれることがあるわけでもないけど」
あるいは汚れのようなものが見えたなら、ゼスも今までのように《浄化》をしていたが、雪は雪、吹雪は吹雪だった。
と、その時。壁際で所在なげに佇んでいたソニアがピンと狼耳を立てた。
「がる、誰か来る」
「では我は戻るとしよう」
フリルの体が再び霊体へ戻り、光となって霊石へ吸い込まれていく。
応接室を埋め尽くしていた巨躯が瞬く間に消えていき、扉が外からコンコンとノックされた。
「公王陛下のお見えです」
その声と共に扉がゆっくりと開かれる。
ゼスは慌てて応接室の中央へ戻った。
「初めまして、ゼス陛下。私はコルド公国公王、マクシミリアン・コルドです」
現れたのは、壮年の男性だった。
焦茶色の髪をお団子に纏め、髪の流れに沿うようにして白銀のサークレットを頭に戴いている。
よく整えられた髭と穏やかな顔つきから、柔和な印象を受ける。
だが、雪国特有の日焼けした肌と紺藍色のクローク越しに窺えるがっしりとした体付きから、この厳しい土地を支配し君臨するものの威厳を感じられた。
ゼスは公王マクシミリアンへ歩み寄ると、そっと手を差し出す。
「お招きいただき感謝します、マクシミリアン陛下。オルサ王国国王、ゼスです」
「…………」
「ええと……?」
ゼスが差し出した手を握り返すことなく、マクシミリアンはその手をじっと見つめる。
そばに控えるソニアが不服そうに身を低くするのを視線で制しつつ、この気まずい空気をどう打開するか頭を巡らせる。
だが、マクシミリアンが次にとった行動は、あまりにも意外なものだった。
「ゼス陛下」
「!?」
重々しく口が開かれ、マクシミリアンがそっとサークレットを両手で取る。
そしてそれを胸に引き寄せながら、静かに頭を下げてきた。
「どうか、我が国のため、陛下のお力をお貸しください」




