第60話 国号
「これは……」
王の間の大扉が、両脇に立つ近衛兵……ではなく、奪い取るように現れたソニアとセグウィンによって開かれる。
扉の向こうに現れた景色にゼスは息を呑んだ。
ここが大樹海の、それも大樹の傍に建てられた建物であることを忘れそうになるほどに高い天井。
広間の中央にびしっと敷かれた真紅の絨毯。
そしてその終着点、数段高くなった高座に設置された玉座。
すべてが、ゼスの知る王の間だった。
「ささ、お先へ」
ロバートが先を示す。
ゼスは奇妙な感覚に包まれながら通路を進む。
両脇には文官や武官たちがずらりと立ち並んでいて、この場に流れる空気はまさに王の間に相応しいものとなっていた。
王城に務め、国家の運営に携わる人材がいつの間にか揃っている。
その顔ぶれはエルフ族やドワーフ族の長たち、アークライト王国を追放された優秀な人材で構成されていた。
恭しく首を垂れられてむず痒くなったゼスは、ふと彼らの後ろへと視線を向ける。
外側の壁全面には窓が張り巡らされていて、陽の光がこれでもかと取り込まれていた。
窓の向こうにはユグシルが宿る大樹の枝葉が覗いている。
よく見ると窓の一部は扉のようになっていて、外にバルコニーが続いていた。
(これを、みんなが造ったんだよな……)
想像よりも遥かに立派な王の間に圧倒されているうちに、奥の階段へ辿り着く。
一歩、二歩、三歩と階段を上り、重厚な肘掛け椅子――玉座が迎える。
そこで初めて振り返ると、全員がゼスを見上げて何かを期待する眼差しを向けていた。
ゼスはその期待に応えるように、『神権の王笏』を手にしたまま、ゆっくりと玉座へ腰を下ろした。
「ゼス、変な顔してる」
「ふふっ、きっと感動してるのよ」
後ろをついてきていたユグシルとディーネが、玉座に両脇に分かれながら揶揄ってくる。
二人もまた高座に上っているが、大精霊である彼女たちを咎めるものはいない。
ふと見上げれば、ハクが王の間の天井付近を伸び伸びと飛び回っていた。
「……なんだか、不思議な気分だよ」
アークライト王国王太子時代の記憶が蘇ってくる。
王太子であったゼスをして、王の間はもっと重々しいもので、玉座は遥かに遠い場所だった。
場所も国も違うが、それと同じところにいるという実感が、どうしても遠い。
「ゼス様、建国祭に向けた準備は整いました」
廷臣の列に加わったロバートがゼスを見上げて口をひらく。
「これでこの大樹海を囲む四カ国の要人をお招きすることができます。つきましては――」
「うん、国号だよね」
「はい」
ロバートが懐から取り出した巻物を見て頷く。
諸外国へ招待状を出すには、差出人となる国の名前――国号が必要だ。
「ここに来るまで決めかねていたけど、今はっきりと決まったよ」
「ゼス様……?」
玉座を立ち、高座を降りてくるゼスをロバートたち廷臣は訝り、その進む先を見て得心する。
いち早くゼスの意図に気付き、その場に近かった廷臣たちがバルコニーの扉を開いた。
最初から示し合わせていたのではと錯覚するほどスムーズにバルコニーへ出たゼスは、先端に立ち、眼下を見下ろす。
すると――。
「おい! ゼス様だぞ!」
「本当だっ、ゼス様〜!」
王城の目の前の広場にできていた人集りがゼスの姿に気付き、口々に声を上げる。
「……なんだか、すごい人の数なんだけど」
「ゼス様が王城へ入られる姿を見て、自然と集まったのでしょう。みな、今日という日を心待ちにしていましたから」
ロバートの話を聞く間も、群衆たちの声は勢いを増していく。
(まあ、ちょうどいいか)
なぜわざわざバルコニーに出てきたか。
それは、ゼスが決めた国名を王の間だけでなく、この国の人々の前で宣言したかったからだ。
それを考えれば、人は多ければ多いほどいい。
ゼスは、王笏を持つ手とは逆の左手をゆっくりと掲げた。
それだけで、群衆たちが静まり返る。
ただし、先ほどの熱気は彼らの中で渦巻いたままだ。
このユグシル村の民たちの、そして廷臣たちの視線を一身に集めながら、ゼスはふっと笑みを零す。
「正直、国の名前を決めるなんて大役、俺一人に一任されても困るなぁって思ったよ」
開口一番告げた言葉に、群衆たちが困惑する。
「これまでこの場所は、みんなと一緒に発展してきた。みんながいなかったら、きっと今の俺はないし、今のこの場所もない」
群衆たちが、何か言いたげな表情を浮かべる。
ゼスは肩を竦めながら続けた。
「でも、俺がいなかったら、今の君たちもこの場所もなかった」
ゼスの自意識は、自分をそんなに高く見積もってはいない。
ただやりたいこと、できることをしてきただけだ。
ゼスからすれば、ドワーフやエルフの職人、ロバートのような文官や獣人族の戦士たちのような存在こそ、称賛されるべきだと思っている。
それでも、そうではないことをいい加減受け入れなければならない。
自分は王になると決め、国を興すと決め、そして今、ここにいるのだ。
ゼスの言葉に群衆や廷臣たちは大きく頷く。
ユグシルもまた微笑んだ。
「俺はこの大樹海に飛ばされた日、まさかこんなことになるなんて想像もしてこなかった。みんなだってそうだと思う。この大樹海がこれほど発展するなんて、この世界の誰だって予想できなかったことだ。だから、この国の未来像を国名に込めることはやめた」
現状がすでに思い描いていた、思い描けていた未来から逸脱している。
なら、この国の名前には事実だけを刻む。
「――〝オルサ〟。古代語で始まりを意味するこの言葉を、我らが王国の国号とする」
ゼスが告げると、群衆たちの間で噛み締めるように「オルサ」と呟かれていく。
それは次第にざわめきとなって、地上を駆け巡る。
人々が国号を口にする中、ゼスは振り返る。
「この先何が起こるかはわからない。でも全部ここから、この地から始まる、始める。……そういう意味を込めたんだけど、どうかな?」
自信無さげなゼスの問いに、ロバートたちは力強く頷く。
「オルサ王国……大変よろしいかと」
「私も気に入った。ゼスらしいと思う」
「ガルゥ!」
好意的な反応に胸を撫で下ろすゼスの背中を、群衆たちの喝采が押す。
「オルサ王国万歳!」
「オルサ王ゼス様万歳!」
ゼスはお祭り騒ぎと化した地上へ再び視線を戻しながら、建国祭当日はどんな騒ぎになるのか想像を巡らせるのだった。
◆ ◆ ◆
オルサ王国建国祭への招待状は、その日のうちに各国へ向けて送り出されることとなった。
まず最初に受け取ったのは、中央大陸東部を治める隣国、アークライト王国。
「……建国祭だって!?」
すっかり人の少なくなった王の間に、バウマンの悔しげな声が響く。
アークライト王国現王太子であるバウマンは、《権威支配》で兵士たちを洗脳し、大樹海の侵攻を試みたものの、ゼスの《浄化》によりその能力を失っていた。
今彼が有するスキル《権威》は、自身のカリスマ性を数段引き上げるものだが、これまでの振る舞いにより、引き上げるカリスマが皆無なために、スキルを活かせずにいる。
その状況も合わさって、兄であるゼスへの嫉妬と憎悪はいまだ燻っていた。
「父上、そんな馬鹿げが催し行く必要ないですよ!」
オルサ王国の使者から視線を外し、玉座へ向けて訴える。
そこに座る国王ケイラスは、以前とは別人のようになっていた。
大樹海侵攻前に宿していた野心と情熱が消え、若々しさを失い、年相応以上に老け込んで見える。
そんなケイラスは、しかしバウマンの言葉に首を振る。
「この状況で私だけが欠席すれば、いよいよこの大陸に居場所がなくなる。それならばゼスの建国をいち早く認めた国としての地位を確立すべきだ」
「ッ! あいつに……ゼスに、媚びるというのですか!」
「国を保つなら、それしかない。国民も次から次へと大樹海へ流れ込む今、ゼスとの……いや、オルサ王との交流を保つことこそ、私たちが生き延びる道だ」
「……ッ」
歯噛みし、俯くバウマンをしばし見つめ、ケイラスは数少ない文官へ声をかける。
「返書を送るのだ。建国祭へ出席すると」
時をほぼ同じくして、アークライト王国のすぐ南に位置する宗教国家、神聖セレスティア教国にも招待状が届いていた。
首都の外れに居を構える白亜の神殿。
自然と精霊に満ちたその空間で、少女は招待状に目を通していた。
「……オルサ王国」
「いかがなさいますか、姫様」
神官の声に、少女は顔を上げる。
「猊下の名代として、私が出席する」
「仰せのままに」
恭しく頭を下げる神官から視線を外し、少女は北西の空を見上げ、微かに頬を緩めた。
二国に続いて招待状が届いたのは、中央大陸の西域を治めるエグリス帝国だった。
招待状を携えた使者は皇城の城門にて検められ、書状だけが文官や宰相たちへ渡る。
そして今、皇帝の執務室へ書状が届けられた。
「いかがなさいますか? 一方的な建国宣言を受け入れる道理はございませんが」
秘書官の言葉に、年若い皇帝は金髪をかき上げた。
「ならば我ら帝国が、大樹海を版図とできたか?」
「……いえ」
「力あるものがその土地を支配する。それは人類の歴史。ならば新たな強者の登場を祝福しようではないか!」
「――はっ」
皇帝の決定を共有するべく執務室を去ろうとした秘書官。
しかし部屋を辞する間際、皇帝の不穏な呟きが聞こえた。
「だが、ただ迎えを待つのも面白みに欠けるな。……そうだ!」
最後に届いたのは、大樹海北方に位置するコルド公国だった。
年中振り続ける雪と大樹海によって外界と隔絶されたために、公王の下へ書状が送り届けられるまでかなりの時間を要することとなった。
使者が城の一室で休息する中、招待状へ目を通した公王は、机に向かい、静かに羽ペンを手に取った。
かくして四カ国へ招待状は届き、大樹海を中心に大陸全土が動き出した。




