第58話 開拓地ディーネ
大精霊ディーネの依代である湖の近く、ゼスが『神権の王笏』で見つけた土地の開拓が始まってから早くもひと月が経過した。
ディーネの設置した《水門》を通じて開拓に必要な資源と人材は続々とユグシル村から送り込まれている。
とはいえ、建国祭の開催に向けてユグシル村も今まさに人手を必要とするところ。
開拓地ディーネの開発は主に、移住を希望して王国との国境を超えて大樹海へ入ってきた人々で進められていた。
今日も開拓地ディーネには木槌で木材を打ち付ける甲高い音が響き渡っている。
音の発生源である家の骨組みが立ち並ぶ中心地。
その傍に仮設された一軒家の中で、ゼスは机に向かって頭を悩ませていた。
「う〜ん……」
「先ほどから何を悩ましげな声を出しておる」
ゼスの胸元、霊石に宿る神獣フリルが気遣わしげに訊ねてくる。
「いや、そろそろ国の名前を決めないといけなくてね……」
以前に、建国祭で諸外国の要人たちを招くにあたり、ロバートから国名を考えて欲しいと頼まれていた。
あれから暇さえあれば考えているものの、あまりしっくり来るものがない。
「そんなに難しく考えることはない。すぐに慣れる」
「確かに元号とか、最初は違和感が凄かったもんなぁ……」
「元号……?」
机の向こうに座るユグシルの言葉に前世を思い返して納得するゼス。
とはいえ、そう簡単に割り切れる問題ではなく。
ゼスは机の上に並べられた紙へ視線を落とす。
そこには、この大陸にひしめく四大国が建国するに至るまでの流れが纏められていた。
「アークライト王国は過去、いくつも王朝が変わってきた国で、アークライト家が君臨するに際して、家名を国名にした、か」
「ゼスは廃嫡された身。もし名乗ることを許されても、大陸に同じ国名が二つできることになる」
「名乗るつもりもないけどね。とにかくこっちの方向性はダメだ」
別の紙へ目を移す。
「神聖セレスティア教国は、セレスティア教の総本山として栄え、影響を持ち、建国に至った。これも参考にできない……いや待てよ、ユグシル教を作って」
「ばか」
「いだっ」
ぽんっと手を叩いたゼスの頭に建物の入り口から伸びてきた枝葉がこづく。
「真面目にやらないから、いつまで経っても決まらない」
「……真面目にやってはいるんだけど」
ぶつぶつと言いながら、また別の紙を見る。
「北方のコルド公国は帝国のコルド公爵家が独立して生まれた国、か。これも名前の由来はアークライト王国に近いからダメかな」
「その帝国の方は?」
「ええと、エグリス帝国は、領土の大部分を占める肥沃で広大な土地と今後の繁栄を誓って、古代語で豊穣を意味する豊穣と名付けられた……っと」
「いい方法だと思う」
ユグシルの感想にゼスも頷き返す。
「俺もそう思うんだけど、それはそれでまた同じ問題が出るんだよ」
「同じ問題?」
「どういう意味を込めるか、ってさ」
どのような願いや決意を込め、それに適した古代語を引っ張ってくるか。
それはさながら、子の名を考える親の苦しみのようだった。
「ゼスが決めたことなら、みんな納得する」
「そういうのが一番困るんだよなぁ」
ポリポリと頬を書いていると、玄関扉がコンコンとノックされた。
「こんにちは、ゼスさん」
「お久しぶりです、ゼスさん」
「ピーター! フローラ!」
現れたのは、エルフの姉弟だった。
二人はゼスがこの開拓地へ戻る際、同行を希望したものの、建国祭に向けた準備に必要ということで、ユグシル村へ留まることを余儀なくされていた。
【料理人】であるピーターは建国祭で出す食事の責任者、料理長という立場を与えられている。
【聖女】であるフローラもまた、万が一の備えを整えるのに忙しいらしい。
「もしかして、ユグシル村の整備が終わったのかな」
「はいっ。なのでゼスさんをお迎えに上がりましたっ」
「ゼス、嬉しそう」
なぜゼスがこのひと月、開拓地ディーネで過ごしているかといえば、新たな開拓地の様子を見ておきたいというゼスの意向が一つ。
そして、建国祭の準備を進めるユグシル村にいても、することがないというのが一つ。
そしてこれが一番の理由だが、ロバートやララド、ジージジたちから、しばらくの間ユグシル村へは戻らないように言われていたのだった。
理由を問うても曖昧な笑顔で誤魔化されるばかりだったが、彼らの意向を無下にしてまで強引にユグシル村へ戻る理由はない。
そのため、彼らの望みに沿う形で開拓地ディーネへの滞在を続けていたのだが……。
「俺って一応、この国の長になったつもりなんだけど、その長に戻らないでって、そんなに俺って役立たずだったかな? ……いや、開拓の役には立ってないけどさぁ」
ゼスがしたことといえば、ユグシル村の近辺を《精霊の眼》で見て回り、必要に応じて《修整》で豊かな土地にするぐらい。
お陰で急速に増え続ける人口を賄えるだけの農作物の収穫は見込めているそうだが、建物の建築やインフラの整備など、大部分はドワーフやエルフの職人たちに任せっきりだ。
人手の足りていない頃ならば見よう見まねでなんとか手伝おうとしていた。
しかし今は職人の人手はあり、なおかつゼスにも立場がある。
ドワーフと共に高所で梁を渡したり、エルフと共に泥まみれで畑を弄っていたら、ロバート辺りが叫びながら駆けつけるに違いない。
そんなわけで、ここ最近ゼスは少し手持ち無沙汰になっていた。
「そんなことないですっ! ゼスさんがいなかったら、私たちもこうして幸せな生活を送れていないんですからっ」
「そうですよ! 僕も姉さんも、この国の人たちみんな、ゼスさんのことを役立たずなんて思うはずないじゃないですか!」
「……じゃあ、なんで俺に戻ってくるなって言うのさ」
「そ、それは」
「え、ええと」
勢いよくフォローしていた二人の目が泳ぎ出す。
「ゼス、揶揄うのはそのぐらいにしてあげたら」
「……っ!?」
「揶揄ってたんですか!?」
「ゼスがそんなこと、気にすると思う?」
「…………言われてみれば」
「ゼスさんが洗濯できないこと以外に落ち込むところは、想像できないです」
ユグシルの嘆息混じりの声に、二人から疑惑の目を向けられる。
ゼスはその目を正面から見つめ返し、ゆっくりと立ち上がった。
「よし、それじゃあユグシル村へ戻ろうか」
「〜〜〜〜っ、ゼスさぁぁん!」
玄関へ向かうゼスの背に、二人の抗議の声が飛んでくるのだった。
◆ ◆ ◆
「あら、ゼス。どこかへ行くの?」
「ディーネ。ロバートたちに呼ばれて、ユグシル村に戻ることになったんだ」
ユグシル村へ繋がった《水門》のある湖の畔へ向かうと、湖の傍に設置された水路を覗き込むディーネとでくわした。
「ならちょうどいいわね。わたくしも一緒についていこうかしら」
「いいの? ディーネは水路の整備で忙しいってユグシルから聞いたけど」
ユグシル村に設置された水路は、大樹の北側を流れる大きな河川から村の中心地まで水が流れ込むように、ドワーフの職人たちの緻密な測量と計算の下で掘り進められた。
そのためそれなりの時間を要したが、この開拓地ディーネでは、湖の大精霊である彼女の力で、水の動きにある程度の自由が利く。
水路自体は用意する必要があるものの、ユグシル村よりも広範に、より便利な水路を作ることができる。
(農業都市としてあまりにも理想的だって、ロバートも目を輝かせてたなぁ)
今後の都市計画を語るロバートのことを思い返すゼスに、ディーネは笑いかける。
「わたくしが離れたぐらいで機能しない水路なんて、怖くて使えないでしょう? それに、わたくしもシルちゃんの作った――むぐっ、んんぐぅ!?」
「ユグシル!?」
隣にいたはずのユグシルが突然ディーネに飛びかかり、彼女の口元を両手で押さえる。
ユグシルらしからぬ行動に戸惑うゼスをよそに、彼女はディーネに耳打ちをした。
「それは、まだ秘密。これから見せる」
「……! そうだったのね」
ユグシルの拘束から解放されたディーネは、乱れた瑠璃色の髪に手櫛を通しつつ、楽しげな笑みを浮かべる。
「よくわからないけど、二人が仲良くなって本当に嬉しいよ」
「そ、そういうのじゃない」
「あら? そういうのよね? ね、シルちゃん」
「だからその呼び方はやめて」
すっかり姉妹然としたやりとりが板についた二人を微笑ましく思いながら、ゼスたちはようやく《水門》へ足を踏み入れた。
《水門》を通る際の独特の感触が全身を襲い、反射的に目を閉じてしまう。
そして、空気が一変したのを感じたゼスがゆっくりと目を開くのと同時に、周囲から一斉に声がかけられた。
「ゼス様、おかえりなさいませ」
合唱のように声が重なり、深い響きを伴う、出迎えの言葉。
その声の圧に圧倒されたゼスは、しかし、眼前の景色に言葉を失った。
「……えっ、なにあれ」
開かれたゼスの視界の先。
ユグシルの依代である大樹が聳え立つはずのその場所には、その大樹と絡みつくようにして構える異様にして圧巻の建造物――城が建っていた。




