第56話 姉妹
「じゃあ、君はユグシルの先輩なんだ」
「ふふっ、そういうことになるわね。ああでも、先輩という表現よりも姉妹と言った方が正しいかもしれないわ」
太陽が頭上に昇り切った時分。
差し込む陽の光でキラキラと煌めく湖面の傍に、ゼスたちは腰を下ろしていた。
ゼスやユグシル、そしてフリルの注目は、湖面で楽しげに踊る青髪の女性――ディーネへと向けられている。
「わたくしは彼女と同じく、そして彼女よりも先に、この地を清浄にするために生まれたわ。けれど神呪に冒されたの」
「……私はあなたの気配に気付かなかった。例え神呪に冒されていたとしても、この大樹海に留まる大精霊の気配を同族である私が見逃すはずがない」
先ほどからゼスの体を壁にしてディーネを窺っているユグシルが僅かに声を荒らげる。
いまだに半信半疑、といった様子だ。
「無理もないわ。わたくしは神呪で自我を失う前に、この湖の奥底に自分自身を封印して眠りについていたんだもの」
「封印?」
「貴方が取り払ったものよ」
ゼスへ向けてパッチリとウィンクをするディーネ。
もしかして、とゼスは口を開く。
「あの藻だらけの水域が封印のこと?」
「正確には、結界だけどね。外の影響を受けないように、湖底付近に施しておいたの。湖の奥底へ潜り込んでくる手段と無謀さを兼ね備えている存在でもない限り、わたくしに辿り着くことはできないわ」
「もしかして褒められてる?」
「そう思えるゼスは幸せ者」
「うむ」
照れるゼスへ、ユグシルとフリルの鋭い声が突き刺さる。
三人のやり取りにディーネは面白そうに笑う。
「あははっ、わたくしは褒めたつもりなのよ? 貴方がいなかったら、わたくしは眠りから目を覚ますことがなかった。その上でわたくしに取り憑いた神呪を祓ってくれたんだもの。本当に感謝しているわ」
「面と向かって言われると少し照れるなぁ。第一、俺はそんな大層なことをしたつもりはないし」
ゼスにとっては、汚れているものを綺麗にしただけ。
もちろん、実際の起きていることがその自認からかなり乖離していることはこの数ヶ月で何度も突きつけられてきた。
それでも、ゼスの認識が変わることはないのだ。
目を丸くするディーネは、そんなゼスへ手を向けてユグシルたちへ何事か伺いを立てる。
だが、ユグシルもフリルも、諦めたように首を振るのみだった。
「貴方ってもしかして、わたくしが思っている以上に変わっている人なのね」
「ユグシルに出会ったばかりの時にもそんなこと言われたな……」
「その認識は今でも変わってない」
「ひどい!?」
ディーネはくすくすと笑いつつ、前のめりになった。
「さぁ、次は貴方たちの話を聞かせてちょうだいな。そうねぇ、差し当たって貴方のことや、貴方たちがどう出会ったのか。今何をしているのか!」
「話せば長くなると思うけど、そうだな、どこから話したものか……、……!」
この大樹海に来たばかりの頃を思い返そうと空を見上げたゼスの視界に影が映る。
「そうだ、ここでの話をするにはやっぱりハクがいないとね」
「ガルゥ!」
周囲の索敵に赴くといって(※ユグシル訳)空を飛んでいたハクが、降りてくる。
鳴き声を上げながら畔に降り立ったハクの姿に、ディーネは目を瞬かせた。
「まさか、神竜……? ……いいえ、この際驚かないわ。貴方はきっと、そういう星の下に生まれたのね」
「それも……褒めてる?」
「ええ、もちろん」
大人びた微笑を浮かべるディーネ。
こうして、神竜と神獣と、そして二人の大精霊を囲んでの長い話が始まった。
その最中、ユグシルが殆ど口を開かなかったことが、ゼスは少しだけ気になった。
◆ ◆ ◆
「だだ、だ、だ」
「だ……?」
「大精霊!?!?」
新拠点の候補地の調査を進めていたロバートの下へ戻り、ディーネのことを紹介すると、驚嘆の声が返ってきた。
驚いた拍子にずれ落ちた丸眼鏡を指で元に戻しながら頭を抱えている。
「主様、また何か拾ってきた?」
「拾ってないし、またってなんだまたって。あとそれは?」
「ご飯! そろそろお腹空くと思って!」
「確かに、もうお昼を回ってるか」
ソニアの傍にはどこかで仕留めてきたらしい大型の獣が転がっている。
元々、ユグシル村を出立する時には候補地を見て帰ってくるだけのつもりだった。
それが気付けば獣人族の営地へ赴き、神獣フリルを浄化し、ようやく目的地に辿り着いたと思えば今度は大精霊ディーネを目覚めさせるのだから――。
「――人生、何が起こるかわからないものだね」
「ゼス様がそれを仰いますか……。ですがそうですね、今後の話や何があったのかをお聞きする前に、食事の準備としましょう」
「やったぁ! ご飯!」
「ガルゥゥ!」
ロバートの一声でソニアはまた飛び出していき、それを追うようにハクも空へと飛び立つ。
その背中を見届けながら、ゼスはつい頬を緩めた。
「なんだかこの感じ、懐かしいな」
いつの間にか大所帯となったユグシル村。
だけど最初の頃は、ハクとソニアが獲物を獲り、ゼスやユグシルが水や野草なんかを確保、ピーターやフローラが料理と配膳をする――というサバイバル生活を送っていた。
随分変わったものだとしみじみ思っていると、ディーネが「はいはい!」と手を上げた。
「わたくしは何をすればいいかしらっ」
「だ、大精霊様のお手を」
「それを言ったらユグシルはどうなるんだ」
「! そうでしたっ。……私は常識人だと自負していましたが、まさかゼス様のお傍に居続けているうちに、価値観が、おかしくなって……?」
「ロバート、おーい、戻っておいでー」
ぶつぶつと深刻な表情で呟くロバート。
なんとか向こう側から引き戻したゼスは、改めてディーネの仕事を考える。
と、そこで。変わらずゼスの陰に隠れるように立っているユグシルが視界に入った。
「うん、そうだな。ディーネはユグシルと一緒に飲み水を取ってきてもらおうかな」
「あら、水ならこの通りよ?」
そう言って、ディーネは手の先から水を生み出していく。
「……流石、湖の大精霊」
だが、今は困る。
「じゃ、じゃあ……あ、枝! 焚き火用の枝を集めてきてもらおうかな」
「これ」
淡々と、ユグシルが近くの木々を動かし、足元に枝を集めてくる。
「……流石、大樹の大精霊」
だが、今は困る!
頭を抱え、なんとか口実を考える。
「そうだ! ディーネは長い間眠っていたんだろ? だったら周囲がどう変わってるか、見ておいた方がいいんじゃないか?」
「! それもそうね」
ぐっと拳を握るゼスへ、ユグシルが怪訝な目を向ける。
「ゼス、どういうつもり?」
「なにが?」
「とぼけても無駄。私と彼女を二人きりにしようとしてる」
「……バレたか」
髪を掻きつつ、ゼスは小声で話す。
「ユグシル、ディーネとあまり話せてないだろ? というか、話さないようにしてる」
「それは……」
「初めて会う同じ大精霊との距離感に戸惑う気持ちはわかるよ? 俺もハイブラの洗濯物とかは緊張したものだ」
「ハイブ……? なに?」
「ま、まあそれはさておき」
こほんと咳払いをしてから、ユグシルの背中をそっと押す。
「やっと会えたんだからさ。気にせず、ユグシルが話したいこと、伝えたいこと、聞きたいこと、それを素直に言えばいいと思うよ」
「……ゼスのくせに生意気」
ぷくぅと頬を膨らませてから、ユグシルはこくんと頷く。
「でも、ゼスの言う通りだと思う。私、少し怖気付いてた。彼女に嫌われたらどうしようって」
無理もない、と思う。
ずっと、いないと思い続けていた同胞が突如現れたのだ。
どう接していいか戸惑って普通だろう。
でも大丈夫だろう。
ディーネはユグシルとの関係を、〝姉妹〟と言っていたのだから。
その証拠に、歩き始めた二人はすでに笑い合っていた。
◆ ◆ ◆
「シルちゃんは本当に可愛いね〜」
「だから、その呼び方、やめて。……ディーネ」
焚き火を囲んでの昼食。
揺れる炎の向こうで、ユグシルとディーネが仲睦まじく(?)食事を進めていた。
「わたくし、眠りにつく前は食事をしたことなんてなかっけれど、楽しいわね。なんというか、心が満たされるわ」
「……うん」
肉串を美味しそうに頬張りながら、ディーネが恍惚の表情で言う。
食事は生きるだけなら必要ない、というのは以前ユグシルから聞いたことだ。
しかし、存在が確立し、自我と情感が強まった大精霊は、食事という行為自体が意味を持つらしい。
「ふむぅ……精霊が食事とはまた愉快なものだ」
胸元の霊石からフリルが言葉を発する。
「フリルは食べないの?」
「食べることもできるし、美味しいと感じることもできるであろう。だが、現界で消費する力の方が大きいのだ。それに我は、こうして皆の食事する姿を見ているだけで十分に満たされる」
「なんだかその言葉、守り神様っぽいね」
「ぽいではなく、真実そうなのだ」
神獣のツッコミに笑っていると、ロバートがすすすっと隣に寄ってきた。
「ゼス様、食事を終えましたら別の候補地へ向かいたいと考えているのですが、いかがでしょうか」
「え、でもここの調査を進めるって」
「その予定だったのですが……」
ロバートは躊躇いがちに話す。
「実は、この土地の栄養が枯れていることが発覚しまして」
「えっ!?」
ゼスの驚きの声に、対面のユグシルたちも顔を上げた。
「短期的な視点に立つと、よりよい土地を探した方が良いと判断いたしました。無論、この土地はこの土地で、ゆくゆくは開発したいと思っておりますが」
「それ、わたくしのせいかもしれないわね」
「ディーネ、どういうこと?」
口元についた肉汁を指で拭いながら、ディーネは湖のある方へ顔を向けた。
「わたくしの封印は、周囲の土地の力を糧にすることで、わたくしの意識が消失しても永続的な効果を持つようにしていたの。土地が枯れているのは、そのせいね。……ごめんなさい」
「いやいや、謝ることじゃないって」
世界のために自ら眠りについたディーネを誰が責められるというのか。
(でも残念だな。『神権の王笏』で見た限りでは、ここが一番立地としてはいいんだけど。……ガウフィンさんたちと同じように、やっぱり定住するにはその土地そのものの力が必要だな)
じっと、足元の地面を視る。
同じような地面でも、確かに痩せていた。
(汚れみたいに、なんとかできればいいんだけど――、ッ!?)
その時。ゼスの頭に疼痛が走った。
それは、四度目。
「ッ、ぐぅ……!」
「ゼス!?」
「だ、大丈夫」
異変に気付いて駆け寄ってくるユグシルを手で制する。
彼女と、そしてディーネの目がゆっくりと見開かれていく。
「まさか」
二人の大精霊が驚く中、ゼスの脳裏に知らないスキルの情報が流れ込んでくる。
いつものように。今までと同じように。
ゼスは足元の地面へ向けて、新たに発現したスキルの名を口にする。
「――――《修整》」




