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三坪のカレー屋から始めます。~二〇〇六年、大学四回生の博之は一杯三百八十円で成り上がる~  作者: メンヘラオジサン【監視アカウント】


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第一話 三坪、六席、三百八十円

二〇〇六年九月、滋賀県草津市。アル・プラザ草津の向かいで、博之は白い皿にカレーを盛っていた。

 ご飯はしゃもじに二杯。ルウはお玉に一杯半。半分のつもりが、底に沈んでいた肉が

 ごろっと入った。先に出した隣の皿より、明らかに肉が多い。博之は少し考え、そのまま

 客の前に置いた。

「はい、お待たせしました」

 出してから、あそこは玉ねぎをひと切れかぶせといたらよかったな、と思った。

 大学四年の九月。自分の店を開いて、ようやく二週間目である。

 店は三坪。カウンターに丸椅子が六つ並ぶ。いちばん奥に座ると、ガラス戸の向こうに

 平和堂の買い物袋が右へ左へ流れていくのが見えた。借りる前、

 博之はそこに一時間座らせてもらった。これだけ人が通るんやったら、

 六席ぐらいすぐ埋まるやろ。そう踏んだ。

 今日の昼は、確かに六席とも埋まった。うち一席に座っていたのは、

 白ネギの先が飛び出した買い物袋だった。

「兄ちゃん、安かったし、また来たるわ」

 肉の多い皿に当たった作業着のおっちゃんが、五百円玉を出した。

「ありがとうございます。百二十円、お返しです」

 安かった、か。できたら、うまかったとも言うてほしかったな。

 下げた皿はきれいなものだった。おっちゃんは最後に残しておいたひと切れの肉で、

 皿についたルウを拭って食べていた。あれを見られただけでも、まあええかと思った。

 カレー一杯、三百八十円。牛丼が二百八十円で食えて、マクドナルドのハンバーガーが

 一個百円の時代である。値段を決めたのは博之自身が腹をすかせた学生だったからだ。

 財布に五百円玉が一枚。これを食べても、帰りに自販機で缶コーヒーが一本買える。

 自分ならちょっとうれしい。

 いざ売る側に回ると、その百二十円を用意するのに毎朝苦労した。

 皆、考えることは一緒らしく、昼どきには五百円玉ばかりがたまって十円玉が消えた。

 二時を過ぎて、ようやく自分の昼飯にした。炊飯器の縁から硬くなったところをこそげ、

 鍋に残ったルウをかける。客にはよう出さん硬さの飯も、カレーをかけて三分ほど置くとうまい。

 その三分のあいだに、博之は大学ノートを開いた。

 正の字が四つに、棒が三本。二十三杯で八千七百四十円。

 バイトの給料日に八千円を持っていると、今晩は誰を誘おうかと考えた。

 店を持って八千円を手にすると、まず米びつの蓋を開けるようになった。

 底のほうに計量カップが半分埋まっている。今夜はもつ。明日の昼は無理やな。

 なけなしの三十万円は、この三坪の敷金と礼金、中古の冷蔵庫、炊飯器や寸胴鍋にほとんど消えた。

 前の店主が流しとカウンターと丸椅子を置いていってくれたから、どうにか鍵を受け取れた。

 残りで最初の米と肉を買い、釣り銭を作ったら、それでおしまい。二度目の仕入れからは、

 一度目に作ったカレーの売上で払っている。

 博之は千円札を二枚、茶封筒に移した。表に「家賃」と書いてある。ひと月六万円。

 一日二千円ずつ取っておけば、月末に慌てずに済む。我ながらええ考えや、と昨日この封筒を作った。

 カウンターの下で携帯が震えた。ゼミの友達からだった。

〈後期の木曜三限、取るんやったよな? 初回から出席取るらしいで〉

「……あ。俺、三十日とも店開ける計算やん」

 ひとりで声に出して、ちょっと笑った。講義はほとんど取り終えたが、

 まだ何コマかと卒論が残っている。木曜は昼の途中で店を閉めて大学へ行く。

 ほかに丸一日休む日だってあるやろう。博之は小銭の山から百円玉を

 もう一枚つまんで封筒に落とした。百円で何が変わるんやと思ったが、

 わざわざ出すのも変なので、そのまま飯を食べた。

 春には博之もスーツを着て、会社説明会をいくつか回った。鞄の底には今も、

 秋採用の案内を二つ折りにした紙が入っている。学生のうちに起業をやってみたい、

 と友達には言った。鍋ひとつでカレーを売るのは、自分でもまだ起業の真似事みたいに思える。

 けれど、来月の家賃はきっちり六万円かかる。卒業したあともここで食っていくんかと聞かれたら、

 今の博之には返事ができなかった。

 飯を食い終え、皿を洗っていると、ガラス戸が開いた。さっきのおっちゃんが、

 同じ色の作業着を着た若いのを連れて立っていた。

「まだあるか。こいつ、今やっと昼やねん」

「ありますよ。一杯で?」

「せや。俺まで二回食うてどないすんねん」

 若いのが笑いながら奥に座った。博之はご飯をしゃもじに二杯よそい、

 今度は鍋の底からゆっくり混ぜた。肉がひと切れ、ちゃんとお玉に入った。

「ここの肉、最後に残しとくとうまいで」

 おっちゃんが横から余計な食べ方まで教えている。なんや。さっき俺に言うてくれたらよかったのに。

 博之は二十四杯目をカウンターに置いた。三百八十円を受け取って、大学ノートに短い横棒を

 一本足す。明日は米を買う。木曜は一時で閉める。それから、

 仕込みのときに肉をもう少し揃えて切ろう。あのおっちゃん、たぶん次も肉を見てる。

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