20:召喚長は見た!
「これで全部です。今までの事、全てお解りになられましたか?」
これからの予定を全部話し終えたビスマルク長官は、さきほどからぴくりとも身動きをしない目の前の人物を伺うようにじっと見つめた。
さきほど動きを止めたときと寸分違わぬ格好で座っている彼女の身体の回りを、愛玩用の魔獣が忙しく動き回っている。手の平に収められて丸くなっているものや、膝の上で寝ているもの、はたまた彼女の髪の毛で遊んでいるもの等様々だ。
ビスマルク長官はその光景に内心眉を顰める。
こんなにも魔獣が懐くなんて聞いた事も見た事もない。いくら愛玩用と言えど、今フレイアがしているように遊ばせているように自由勝手にさせている者など数えるほどだ。それら全てが魔獣の矜持をへし折って屈服させているようなものだ、当然怪我も耐えないと聞いている。
にも関わらず、今フレイアが放し飼いにさせている魔獣たちは、心底楽しそうに寛いでいる。
まるで、母親に甘えるように。
魔獣たちを見ていた視線を少しだけ上げると、それまで黙って見ていたヴィクトリアがフレイアの側に跪いて心配そうに彼女の様子を伺っていた。
「あの…フレイア様…大丈夫ですか?」
「よほどの衝撃を与えてしまったようだ。これからの事も少々詰め込みすぎたしな。今日のところはこれで失礼しよう」
「なにを今更…!」
「召還ばれてしまった以上、これは彼女に課された義務だ。確かに我々の勝手な言い分だとは思うが、異世界人のフレイア様がこの世界で生きて行く術は他にない」
「…っ!」
彼はそう言い残すと、フレイアに一礼して部屋を退出していった。
部屋に残されたヴィクトリアは、先程から身動き一つしないフレイアにそっと手を伸ばそうとしたその瞬間、フレイアが目にも留まらぬ速さでヴィクトリアの首に手刀を落とした。
ドサリと倒れるその前にフレイアが身体を支え、その身体をソファに横たえる。
丸い愛らしい眼が一気に窄まった魔獣たちがグルルル…と低い声で唸っている。そんな彼等に微笑みながら手を差し伸べ、一撫でするとフレイアは気を失ったヴィクトリアと魔獣を残し、音も立てずに与えられた部屋を出たのである。
フレイアは城の廊下をすたすたと淀みなく歩き、ある部屋のドアをノックする。
ノックの返事は是。
そのままドアを開けて中へ入った。
中にいたのは、フレイアをこの世界に召喚した張本人である召喚長である。
「これは…フレイア様。いかがなさいました?」
「こんにちは、召喚長。会うのはあたしが呼ばれて以来ね。あの時はごめんなさい、少しあたしも動転しちゃって。随分と失礼な事言っちゃったでしょう?気になってたの」
「いいえ、それはもう…」
変な服。
と選ばれし召喚長しか着る事が許されない、しかも滅多なことでは着用することすらも禁じられている第一級礼装だった長衣を、前述の一言で一刀両断したフレイアのことは当然忘れる事が出来るはずも無い。
召喚後一度も直接的に会う事がなかったフレイアではあるが、こうした噂話やら何やらで聞くところによると、どうやらかなり変わった人物であることは間違いないだろうと召喚省内部では囁かれている。
しかしながら、王宮図書所蔵の書物はほぼ全て読破したらしいし、それも速読で読み上げ、一度読んだだけで完璧に内容が頭に入っているというとんでもない頭脳の持ち主。
ダンスを舞わせれば、男女のパートを両方卒なく美しく舞うとの事だし、他の花嫁候補の令嬢や姫達とも麗しく過ごしているらしい。
美貌も頭脳も教養も全てが完璧であるのに、ただ一つ、素養が備わっていないのは惜しい事だと口さがない者達は言っているようだが、条件も与えられずにぶっつけ本番で召喚した自分達にとっては掘り出しもの以外の何者でもないと思っている。
これでフレイアが万が一陛下の心を射止めでもすれば、王妃ともなる彼女を召喚した自分の手柄だと誉めそやされるだろう。
王妃の座を射止めないにしても、どうせ元の世界には帰れないのだ。次期国王にもなれる可能性のある子供を産む側妃に据えられるかもしれないし、そもそもあれだけの才能をもっているのだから、陛下が手放すはずがない。
いずれにせよ、彼女は自分達の役に立つ様にしか立ちまわれない。
遠くない将来の事を考えると、ついつい顔が緩むのを抑えつつフレイアにここへ来た目的を聞く事に専念した。
「それで…本日はいかがなさいました?よくぞここがお解りになられましたね、召喚省は庁の最深部にございますのに」
「ま、その辺はいいじゃない。あのね、私試したいことがあるのよ」
「試したいこと、でございますか?はて、それは一体どのような?」
良くぞ聞いてくれました!と言わんばかりの満面の笑みを浮かべたフレイアに対し、嫌に寒気がした召喚長。
なんだろう、嫌な予感がするぞ…と思った矢先、とんでもない事を目の前の美女が言い出したのである。
「『召喚』っていうのを教えてくれる?私、あっちから召喚したい『モノ』があるの」
「は…?」
「教えてくれる?っていうのには語弊があるわね。私に資料を見せて、手順を説明してくれるだけでいいわ。あとは自分でなんとかするから」
「ははっ、何を仰います。召喚に素人が手を出すなぞ、失敗するだけですよ!!」
「あら。この私が失敗なんかするわけないわ~」
その自信は一体どこから…と彼は思ったのだが、一向にフレイアは冗談だと言い出す気配がない。
一方召喚長はと言うと、これからの仕事が溜まっている。早く戯言を言っていないで、さっさと立ち去って欲しいというのが本音だった。
異世界から花嫁候補の一人を召喚するという大計画を実行した際に発生した大小様々な事象を、後世に残すという仕事があるのだ。その数は膨大で、まだまだ時間がかかりそうな様相なので、こんなお遊びに構っている暇はない。
「フレイア様、冗談はほどほどにしてお部屋にお戻り下さいませ。護衛はどうしました」
「冗談なんかじゃないって。ああ、これが召喚陣の構成式?へーえ」
今フレイアが手にしているのは、召喚省秘蔵中の秘蔵の資料。つまりは召喚に用いられる陣の構成式を詳しく書いている禁書である。
さすがの温厚な召喚長でも、その禁書に手を触れられる事には腹が立った。
「それは…いけません、フレイア様!!その資料から手をお放しになってください!」
「ふーん、次元を越えるんだからもっと複雑な式かと思ったら、そうでもないのね」
「フレイア様!!いい加減に…っ」
「わかってないのね、召喚長」
一気に冷たくなった彼女の声に驚いて、目線を資料からフレイアに移す。
そこで彼が目にしたのは、凄絶なまでの冷笑。
「これはお願いじゃないのよ」
知らず、歯の根が合わなくなっているらしい。
カチカチと鳴っているのは、本当に自分のものか?
「これは命令なの。この、私の、ね?」
その時、彼女の色の違う両眼が怪しく光ったのは彼の見間違いではない。




