みんな……どうして?!
第179話です。宜しくお願い致します。
配管を通った先に広がっていたのは、崩れた土の拠点だった。
そこは、かつて雪子達が暮らしていた場所。
爺やの《土いじり》によって作られた地下の集落。
通路があり、壁があり、簡素ながらも人々が身を寄せ合って暮らせる場所だった。
だが今は、その面影の多くが失われている。
崩れた土壁。
潰れた住居。
折れた柱のように積み重なる土の塊。
まだ片付けきれていない瓦礫。
幸子は、その光景を見た瞬間、足を止めた。
何も言えなかった。
自分が命じた研究。
雪子を取り戻すために作らせた薬。
超人族を人間に戻す薬。
その薬で爺やのスキルが失われ、爺やのスキルで支えられていたこの拠点が崩れた。
そして、人が死んだ。
その現実が、幸子の目の前に広がっていた。
◇
未来達は、そこで待機していた悠真達と合流した。
悠真は、未来、陸斗、今井恭太、阿川、コン太が戻ってきた姿を見て、まず小さく息を吐いた。
全員が無事に戻ってきた。
そのことに、安堵しないわけがなかった。
だが、すぐに表情を引き締める。
未来達は、幸子へ薬を打ったこと。
幸子の《承認欲求》が失われたこと。
雪子と爺やが正気に戻ったこと。
そして、白井が幸子を庇って命を落としたことを、順に報告した。
悠真は黙って聞いていた。
幸子の支配は解除された。
薬も手に入れた。
作戦としては成功したと言えるのかもしれない。
だが、それで終わりにできるほど、失われたものは軽くなかった。
白井は死んだ。
地下拠点の住民も亡くなっている。
そして、幸子は今、その被害者達の前に立たなければならなかった。
◇
崩れた拠点で暮らしていた住民達は、幸子の姿を見て、最初は状況を理解できずにいた。
この女性が、誰なのか。
なぜ雪子や爺や、悠真達と一緒にいるのか。
だが、やがて誰かが気づいた。
「あれ……幸子様……?」
その一言が、空気を変えた。
ざわめきが広がる。
次の瞬間、押さえ込まれていた感情が一気に噴き出した。
「ふざけるな!!」
「お前のせいで……!」
「家族を返せよ!!」
「何しに来たんだ!!」
「謝って済むと思ってるのか!!」
怒号が飛び交う。
泣きながら幸子を睨む者がいた。
崩れた土壁の前で膝をつき、拳を握りしめる者がいた。
助かった家族を抱きしめながら、幸子へ憎しみの目を向ける者がいた。
幸子は、そのすべてを受け止めるように立っていた。
そして、深く頭を下げる。
「本当に申し訳ありませんでした……」
声は震えていた。
「ごめんなさい……」
謝ることしかできなかった。
何を言っても足りない。
どんな言葉を並べても、死んだ人は戻らない。
崩れた拠点も、失われた日常も、戻らない。
だから幸子は、ただ頭を下げ続けた。
しかし、その姿が、住民達の怒りをさらに揺さぶった。
「謝るな!!」
「謝って終わらせるつもりかよ!!」
「こっちは全部失ったんだぞ!!」
怒号はさらに大きくなっていく。
◇
その時、1人の住民が足元の石を拾った。
周囲が止める間もなく、その石は幸子へ向かって投げつけられる。
石は、幸子の額に命中した。
鈍い音が響く。
幸子の身体が小さく揺れた。
額から血が流れ落ちる。
その瞬間、怒号が止んだ。
石を投げた住民も、周囲の者達も、息を呑む。
幸子は額から血を流しながらも、逃げなかった。
怒ることもなかった。
ただ、そこに立ち続けていた。
雪子が顔を青ざめさせる。
「お姉ちゃんっ……!」
思わず駆け寄ろうとする。
だが、幸子はそれを止めた。
「……来ないでっ!」
雪子の足が止まる。
幸子は額から血を流したまま、住民達を見る。
「大丈夫だから……!」
その声は弱い。
けれど、逃げるための声ではなかった。
「皆さんの感じた痛みに比べたらこれくらい、問題ないわ……」
住民達は、その言葉に驚いたように幸子を見る。
幸子は深く息を吸う。
「こんな事で許されるとは微塵も思っていません……」
そして、もう一度頭を下げた。
沈黙が広がる。
怒りが消えたわけではない。
憎しみが消えたわけでもない。
だが、石が命中し、血が流れた瞬間、住民達の中にも何か別の感情が生まれていた。
このまま罵倒し続けるのか。
このまま傷つけ続けるのか。
それで、何が戻るのか。
そんな重苦しい沈黙の中、1人の住民が口を開いた。
「もう、止めにしませんか……?」
その声は、怒鳴り声ではなかった。
静かで、しかし深く沈んだ声だった。
幸子は顔を上げる。
その住民は、幸子を見ていた。
「私は貴方のせいで兄を失いました……」
幸子の表情が歪む。
申し訳なさと苦しさが、顔に滲む。
住民は続けた。
「勿論、許すことは絶対に出来ませんし、今後も一生許す事は出来ないでしょう……」
その言葉は、冷たく響いた。
だが、それは当然の言葉だった。
許せない。
許すつもりもない。
その感情を、誰も責められない。
住民は拳を握りしめる。
「だからこそ、一生許せないのに罵倒や傷付ける事に意味はあるんでしょうか……?」
周囲の住民達がざわつく。
誰かが震える声で言った。
「じゃあ、どうしたら……」
兄を失った住民は、少しだけ目を伏せた。
そして、ゆっくりと言う。
「私は以前の日本のように、罪を犯したら刑務所に入る……というのが正しいと思います……」
さらにざわめきが広がる。
「刑務所だって……?」
「刑務所なんてどこにあるんだよ……」
「今さら法律なんて……」
世界は崩壊している。
かつての司法制度は、もうほとんど機能していない。
山梨に、正式な刑務所があるわけでもない。
誰もが戸惑った。
◇
悠真は、その話を聞きながら考えていた。
東京には警察署がある。
治安を守るために、刑務所も作っていた。
罪を犯した者を拘束し、収容する場所として整備してある。
だから、幸子を東京の刑務所へ入れようと思えば、入れることはできる。
だが、それでいいのか。
幸子が罪を犯したのは山梨だ。
被害を受けたのも、この場所にいる人々や中部地方の者達だ。
それを東京へ連れていくというのは、どこか筋が違うように思えた。
東京が山梨を支配しているように見えるかもしれない。
あるいは、被害者達からすれば、幸子を遠くへ逃がしたように感じるかもしれない。
悠真がすぐに結論を出せずにいると、幸子が口を開いた。
「私の拠点に牢屋もあります……」
住民達の視線が幸子へ集まる。
幸子は額から血を流したまま、静かに言った。
「私は、そこで刑期を全うしたく思います……」
自分が人を従わせていた拠点。
自分を神様のように崇めさせていた場所。
その中にある牢屋へ、自ら入る。
それはあまりにも皮肉な結末だった。
住民達は戸惑っていた。
それでいいのか。
どれくらい入るのか。
誰が管理するのか。
幸子親衛隊だった者達はどうするのか。
被害者への償いはどうなるのか。
決めなければならないことは山ほどある。
幸子の支配から解放された元幸子親衛隊達も、まだ大勢いる。
彼らもまた、幸子の支配下で多くのことに関わっていた。
全てをこの場で決めることなどできなかった。
だから、この場では一旦保留となった。
後日、住民達、元幸子親衛隊、雪子、爺や、そして悠真達も交えて話し合う。
刑期も、管理も、山梨のこれからも。
すべて、改めて決めることになった。
ただ、幸子自身は、自分の拠点の牢屋に入る意志を示した。
その事実だけは、この場にいる全員が聞いた。
◇
幸子は改めて、悠真達の方へ向き直る。
そして、深く頭を下げた。
「本当に本当に申し訳ありませんでした……」
未来は、幸子を見つめたまま唇を噛む。
まだ、受け入れられない。
謝られても、怒りは消えない。
未来は一歩前に出た。
「悠真はスキルを失ったのよ……!!」
声が震えていた。
怒りだけではない。
不安もあった。
「そのせいでここの拠点のような事が東京でも起こっているかもしれないのよ!!」
東京。
未来にとっても大切な場所。
悠真の《日常生活》に支えられてきた街。
そこがどうなっているか、まだ誰にも分からない。
だからこそ、未来は幸子を簡単に許すことなどできなかった。
悠真は未来を責めなかった。
むしろ、その怒りは当然だと思っていた。
悠真は静かに言う。
「俺のスキルは別として、東京がどうなっているか、見てからの判断だな……」
未来は泣きそうな顔で悠真を見る。
「悠真は甘いよぉ……」
悠真は首を横に振った。
「俺も許すとは言ってないぞ」
その声は、穏やかだった。
だが、軽くはなかった。
悠真も幸子を許したわけではない。
自分のスキルを奪われた。
仲間が消えた。
東京もどうなっているか分からない。
許せるはずがない。
ただ、感情だけで裁くわけにはいかなかった。
まずは事実を見なければならない。
東京を確認しなければならない。
「まぁ、とりあえず急いで東京に戻ろう……!」
◇
悠真がそう言った時だった。
幸子が、申し訳なさそうに口を開く。
「あのぉ……スキル何ですけど……」
幸子が何かを言いかけた、その瞬間。
悠真の目の前に、聞き慣れた声が響いた。
「本当に呼ばれたと思います……アルでありますっ!」
悠真の目が大きく見開かれる。
そこに現れたのは、アルだった。
消えたはずのアル。
《日常生活》が使えなくなり、もう呼び出せないと思っていた存在。
そのアルが、何事もなかったかのように立っていた。
続いて、もう1つの声がする。
「今回ばかりは流石に焦りました……」
ソックスだった。
相変わらず冷静な表情をしている。
だが、その声にはほんの少しだけ安堵が混ざっていた。
「勝手に出てきてすみません、ソックスです……」
さらに、どこからともなくバラの花びらが舞った。
華やかな香りと共に、1人の女性が高速回転しながら現れる。
自らの手でバラを撒きながら、優雅に、そして無駄に派手に着地する。
セイコだった。
「無事で何よりでしたわぁ〜!」
アルが半眼でセイコを見る。
「あいつ、小道具まで使いやがって……」
そのやり取りに、悠真の胸が詰まった。
いつもの声。
いつもの空気。
あまりにも当たり前だったはずの光景。
失われたと思っていたものが、目の前に戻ってきていた。
さらに、背後から落ち着いた声が聞こえる。
「坊ちゃま……本当に本当に心配致しました……」
チャン爺だった。
深く頭を下げている。
その姿を見た瞬間、悠真の喉が詰まる。
続いて、一葉、二葉、三葉も姿を現した。
一葉は静かに頭を下げる。
二葉はどこか安心したように胸に手を当てる。
三葉は泣きそうな顔で悠真を見ている。
消えたはずの仲間達。
悠真の《日常生活》に紐づいていた存在達。
その全員が、戻ってきていた。
悠真は目の前の光景を信じられないように見つめる。
そして、震える声で呟いた。
「みんな……どうして?!」




