淡い希望の行方
第175話です。宜しくお願い致します。
翌朝。
悠真達は、幸子側の拠点へ再び潜入する準備を進めていた。
目的は、白井が作った薬を手に入れること。
悠真の《日常生活》を奪った可能性が高い薬。
そして、幸子の《承認欲求》を封じるために必要になるかもしれない薬。
その薬を手に入れなければ、戦況をひっくり返すことはできない。
ただし、正面から攻め込むことはできなかった。
悠真はまだ《日常生活》を使えない。
警備隊も、アル達も呼び出せない。
幸子側には白い煙と薬付きの矢がある。
同じ手をもう一度食らえば、今度こそ取り返しがつかなくなる。
そこで鍵になるのが、今井恭太の《透明人間》だった。
今井恭太が透明化できる人数は、最大で5人。
その5人の選出は慎重に行われた。
まず、今井恭太本人。
透明化の使用者であり、万が一途中で解除する必要が出た時、再び透明化をかけるためには必ず同行しなければならない。
次に、コン太。
コン太の《化けぎつね》で幸子に変身し、研究室へ入るためである。
ただし、《化けぎつね》は一度見た相手を登録しなければ変身できない。
つまり、コン太はまず幸子本人を自分の目で見る必要があった。
護衛として未来と陸斗。
未来は《動植物愛護》の《動植物図鑑》で索敵もできる。
陸斗は《手遊び》の《バリア》で、万が一の時に守ることができる。
そして最後に阿川。
有事にすぐ帰れるよう、《配管工》で撤退経路を確保するためだった。
5人は互いに顔を見合わせる。
悠真はその輪の外から、まだ少し重そうな身体で彼らを見ていた。
本当なら、自分も行くべきだ。
だが、今の悠真には《日常生活》がない。
戦闘面でも、支援面でも、以前のようには動けない。
だからこそ、仲間に託すしかなかった。
今井恭太は息を吸い、手を前に出した。
「スキル、《透明人間》」
次の瞬間、今井恭太、コン太、未来、陸斗、阿川の姿が空気に溶けるように消えた。
周囲から見れば、そこには誰もいない。
だが、透明化した5人同士には互いの姿が見えていた。
声も聞こえる。
足音も、周囲には届かない。
5人はそのまま、幸子の拠点へ向かって歩き出した。
◇
研究室の場所と、研究の責任者が白井という人物であることは、事前に聞き出してある。
浮田の《手術室》で支配を解除された幸子親衛隊達が、知っている限りの情報を教えてくれていた。
白井。
幸子の命令で、超人族やスキルに干渉する薬を作った男。
今回の潜入では、その白井から薬を手に入れる必要がある。
5人は北門へ向かった。
北門は以前、ガドラーの《マーカー》によって落とし穴に落とされ、防衛設備が崩されていた。
完全に整備し直されているわけではない。
透明化している5人にとって、そこから侵入するのは難しくなかった。
瓦礫や崩れた地面を避けながら、5人は門の内側へ入っていく。
コン太が小さく感嘆の声を漏らした。
「本当にこのスキルは凄いコン!」
透明化した者同士にだけ聞こえる声だった。
「足音やこうやって喋っているのも聞こえないコン……!!」
阿川も頷く。
「使い方によったら化けるよな!」
今井恭太は少し苦笑した。
「まぁ、強いですけど弱点はありますよ」
未来が首を傾げる。
「目に見えない、音も聞こえないで弱点なんてあるかしら……?」
今井恭太は、少し気まずそうに頬を掻いた。
「最初浮田さんをさらった際に、コン太の鋭い嗅覚で見つかったからな……!」
コン太も思い出したように苦笑する。
「そうだったコン……」
姿も音も消える。
だが、匂いまでは完全に消せない。
それを知っているからこそ、油断はできなかった。
5人は会話を抑えながら、拠点内部へ進んでいった。
◇
巨大な敷地の中には、幸子親衛隊達が行き交っている。
誰も5人には気づかない。
すぐ横を親衛隊が通っても、視線はまったくこちらへ向かない。
透明化の効果は確かだった。
だが、今回の目的は研究室へ入ることだけではない。
コン太が幸子に変身するためには、まず幸子本人を見つける必要がある。
そこで未来が足を止めた。
「スキル、《動植物愛護》で《動植物図鑑》!」
未来は静かに唱える。
「ヤモリを召喚!」
小さなヤモリ達が、未来の足元から数匹現れた。
ヤモリ達は壁を這い、柱を伝い、建物の隙間へ入り込んでいく。
人間が歩けば目立つ場所でも、ヤモリなら怪しまれにくい。
未来は意識を集中させ、ヤモリ達の視界を追った。
廊下。
階段。
広い部屋。
親衛隊達の詰め所。
いくつもの視界が未来の中に流れ込む。
数分後、未来が小さく息を呑んだ。
「居たわ……!!」
4人が未来を見る。
「親衛隊が挨拶してる女性が居るからあの人だと思う!」
未来は目を閉じたまま続ける。
「北側の廊下を歩いてるみたい……!」
陸斗が目を輝かせた。
「流石、未来さん!」
未来は少しだけ頷き、すぐに歩き出した。
5人はヤモリの視界を頼りに、幸子がいる北側の廊下へ向かう。
◇
廊下の角まで近づいた時、5人は足を止めた。
そこを歩いていたのは、黒い長い髪の女性だった。
すらりとした体つき。
整った顔立ち。
雪子とは反対側の口元の下にあるほくろ。
神崎幸子。
幸子親衛隊達は、彼女が通るたびに深く頭を下げている。
幸子は当然のようにそれを受け止め、自分の部屋へ戻ろうとしているようだった。
阿川が思わず呟く。
「雪子さんも綺麗だったけど、幸子さんは幸子さんで綺麗だな……」
未来がすぐに低い声で返す。
「でも、彼女は知らないとはいえ、人を殺し、悠真のスキルを奪って東京を危険に晒している人物よ……」
阿川は一瞬だけ黙った。
そして、表情を引き締める。
「……そうだな」
幸子の過去を知っている。
彼女がただの悪人ではないことも分かっている。
だが、それでも今、多くの人を苦しめているのは事実だった。
コン太は幸子をじっと見つめる。
《化けぎつね》の登録。
幸子の姿、雰囲気、声、立ち振る舞い。
すべてを焼き付けるように見た。
そして、小さく頷く。
「……登録は終わったコン!」
今井恭太が頷く。
「よし、じゃあ次は研究室で薬探しだな……!」
◇
5人は幸子から距離を取り、事前に聞いていた研究室へ向かった。
しばらく歩くと、目的の部屋が見えてくる。
扉の前には、幸子親衛隊が複数人立っていた。
見張りだ。
透明化している5人なら、隙を見て入ることも不可能ではない。
だが、中で薬を探すとなれば、白井や研究者から情報を引き出す必要がある。
そこで必要になるのが、コン太の変身だった。
陸斗が小声で言う。
「ではコン太さん、お願いします!」
コン太は力強く頷いた。
「任せるコン!」
コン太は一歩前へ出る。
「スキル、《化けぎつね》だコン!」
コン太は《植物召喚》で、頭の上に木の葉を1枚召喚した。
木の葉がふわりと光る。
次の瞬間、煙がぽんっと広がった。
煙が晴れた時、そこに立っていたのは、どこからどう見ても神崎幸子だった。
黒い長髪。
整った顔。
口元のほくろ。
冷たさと気品を同時に感じさせる雰囲気。
完全な変身だった。
阿川が小さく呟く。
「やっぱり綺麗だな……」
未来が鋭く睨む。
「ちょっと、集中してよ!」
阿川は慌てて姿勢を正した。
「……すまない」
コン太は幸子の姿のまま、曲がり角まで移動する。
周囲に誰もいないことを確認すると、今井恭太がコン太の透明化だけを解除した。
他の4人は透明化したままだ。
コン太は一度息を整える。
普段の語尾を出さないようにしなければならない。
幸子らしく。
落ち着いて。
堂々と。
コン太は曲がり角を曲がり、そのまま研究室の扉へ歩いていった。
扉の見張り達は、幸子の姿を見た瞬間、姿勢を正す。
「幸子様、おはようございます!」
コン太は内心かなり緊張していた。
だが、顔には出さない。
幸子の表情を思い出しながら、静かに答える。
「おはよう……」
見張り達は感激したようにさらに背筋を伸ばす。
コン太はそのまま自然に尋ねた。
「ちょっと聞きたいんだけど、白井は研究室にいるかしら?」
扉の見張りの1人がすぐに答える。
「白井さんなら少し前に研究室に入られたので、居るかと思います」
コン太は頷く。
「そぅ……ありがとう」
扉の見張りは慌てて頭を下げた。
「めっそうもございません!!」
見張りの顔は、これ以上ないほど嬉しそうだった。
その心の中は、完全に浮かれている。
うわぁ〜、幸子様と今日話した……。
ラッキーぃ♪
もちろん、目の前にいる幸子がコン太だとはまったく気づいていない。
コン太は扉に手をかけ、中へ入る。
その瞬間、透明化している未来、陸斗、阿川、今井恭太も一緒に研究室へ滑り込んだ。
◇
研究室の中は、外とはまるで違う空気だった。
長い実験台。
薬品棚。
試験管。
見慣れない金属製の器具。
白い煙を扱うための装置らしきもの。
壁際には資料が積み上げられ、棚には無数の薬品が並んでいる。
どれが目的の薬なのか、見ただけではまったく分からなかった。
コン太は思わず小さく呟きそうになる。
「どれが欲しい薬か分からないコン……」
しかし、その直後だった。
研究室のあちこちから、一斉に声が上がる。
「幸子様、おはようございます!!」
大量の研究者達が、揃って頭を下げていた。
あまりにも統率された声と動き。
コン太は一瞬圧倒された。
だが、ここで驚いた顔を見せるわけにはいかない。
幸子なら、これくらい当然のように受け止めるはずだ。
コン太は何とか平然を装い、ゆっくりと周囲を見渡した。
「白井は居るかしら?」
すぐに元気な声が返ってきた。
「はい!!」
その声の方を見る。
「ここに居ます!!」
嬉しそうな顔で、そそくさと近づいてくる男がいた。
髪は乱れ、顔色もあまり良くない。
全体的に地味で、ぱっとしない印象の男。
だが、周囲の研究者達はその男に道を空けている。
彼こそが、研究責任者の白井だった。
コン太は心の中で思う。
このパッとしない男が、沢山の研究者の代表者だコン?
しかし、表情には出さない。
幸子の姿のまま、落ち着いて声をかける。
「白井、おはよう」
白井は満面の笑みを浮かべる。
「はい、おはようございます!」
その声は、やけに弾んでいた。
だが、次の瞬間、白井は少しだけ不思議そうにコン太を見た。
「研究室に自ら来られるなんて珍しいですね……?」
コン太の心臓が跳ねた。
ヤバいコン……。
バレてしまったコンか?
透明化している未来達も、息を呑んで見守る。
ここで疑われれば終わりだ。
研究室の中には大量の研究者がいる。
外には親衛隊の見張りもいる。
もし騒ぎになれば、薬を手に入れるどころではない。
白井は少し間を空けた。
その沈黙が、異様に長く感じられる。
そして、白井は突然、感極まったように両手を握った。
「もう、嬉しくて、嬉しくて……!!」
コン太は思わず目を瞬かせそうになる。
「相変わらずの美貌でございます!!」
「え……?」
幸子の姿のコン太から、間の抜けた声が漏れそうになった。
白井はさらに目を輝かせる。
「踊っても良いですか?」
コン太は心の中で大きく息を吐いた。
何だぁ……バレてなかったコン……。
ただ喜んでいただけだった。
コン太はすぐに気を取り直す。
この男の幸子への忠誠心は、想像以上に深い。
利用できるなら、利用するしかない。
「踊りは良いからっ!」
コン太は慌てて話を本題に戻す。
「それより、例の薬はあるか?」
白井はすぐに頷いた。
「あぁ、今日の午後に時間ですもんね……!」
コン太は内心首を傾げる。
「時間……?」
午後に時間。
それが何を意味するのか、今は分からない。
だが、深入りしすぎれば怪しまれる。
白井は特に疑うこともなく、奥の薬品庫へ向かった。
「少々お待ち下さい!」
白井は薬品庫の中で何かを探し、すぐに戻ってきた。
手には注射器が2つ握られている。
透明化している4人も、その注射器に視線を集中させた。
白井は嬉しそうに、それをコン太へ差し出す。
「こちらが注射器用の超人族を人間に戻す薬でございます!!」
コン太はその注射器を見つめた。
これが、悠真の《日常生活》を奪った薬。
爺やの《土いじり》を失わせ、地下拠点を崩したかもしれない薬。
そして、幸子の《承認欲求》を封じるための鍵になるかもしれない薬。
コン太は幸子の姿のまま、静かに手を伸ばした。
白井から注射器を2つ受け取る。
「ありがとう……!」
白井は大げさに頭を下げた。
「いえいえっ!!」
そして、心底嬉しそうに笑う。
「幸子様のお役に立てる事がわたくしの幸せでございますので……!!」
薬は手に入った。
少なくとも、幸子を無力化する可能性は残った。
だが、まだ本当に欲しいものは見つかっていない。
悠真を戻す薬。
超人族を人間に戻す薬があるなら、その逆もあるかもしれない。
それだけが、悠真の《日常生活》を取り戻す唯一の希望だった。
コン太は少しだけ迷った。
この質問は危険だ。
幸子なら知っていて当然のことを聞く形になるかもしれない。
存在しない薬を尋ねれば、怪しまれる可能性もある。
だが、聞かないわけにはいかなかった。
コン太は幸子らしく振る舞いながら、できるだけ自然に問いかける。
「そう言えば、逆に超人族に戻す薬は何処だ……?」
研究室の空気が一瞬止まったように感じられた。
透明化している未来、陸斗、阿川、今井恭太も息を詰める。
白井は少しだけ間を空けた。
そのわずかな沈黙に、全員の希望が乗った。
もしかしたらあるかもしれない。
薬品庫の奥に。
白井だけが知っている場所に。
まだ完成していなくても、試作品だけでも。
そんな淡い期待が、一瞬だけ膨らむ。
だが、白井は次の瞬間、きょとんとした顔で言った。
「何言ってるんですかぁ〜!」
そして、何でもないことのように笑う。
「そんな薬ありませんよぉ〜!」
コン太の表情が固まった。
「えっ……!」
白井の軽い一言で、淡い希望は崩れ去った。




