白い煙の正体
第168話です。宜しくお願い致します。
白い煙が、雪子と爺やを包み込んでいく。
それは霧のように薄く見えたが、広がる速度は異様に速かった。
床の隙間から。
壁の穴から。
まるで、この部屋そのものに最初から仕込まれていたかのように、白い煙は一瞬で2人の周囲を満たしていく。
雪子は咄嗟に口元を押さえた。
「この煙は何……?!」
隣にいた爺やも、すぐに雪子の前へ出ようとする。
しかし、煙はすでに2人を飲み込んでいた。
視界が白く濁る。
幸子の姿も、玉座の輪郭も、神崎誠司と神崎涼子の姿も、煙の向こうでぼやけていく。
だが、幸子の声だけは、はっきりと届いた。
「元家族が全員集合してるわね……」
幸子は玉座の上から、部屋の中を見渡していた。
父親である神崎誠司。
母親である神崎涼子。
妹である神崎雪子。
そして、かつて唯一自分を見てくれた爺や。
かつて神崎家と呼ばれた場所に関わる者達が、今、この部屋に集まっている。
それは、幸子にとって歪んだ意味での家族の再会だった。
誠司と涼子は、すでに幸子の支配下にある。
幸子を崇拝し、幸子の言葉に従い、今も大きな葉で風を送り続けている。
そして今、雪子と爺やも白い煙に包まれていた。
幸子は、煙の中にいる2人へ静かに問いかける。
「雪子、爺や……」
その声は、いつものような支配者の声ではなかった。
どこか縋るようで、それでも逃げ道を塞ぐような響きがあった。
「もう一度、私の家族になってくれる……?」
◇
雪子は白い煙の中で、幸子の言葉を聞いた。
煙の正体は分からない。
何かがおかしい。
そう思いながらも、その問いだけは無視できなかった。
幸子は姉だ。
血は繋がっていなくても、雪子にとって、今でも大切な姉だった。
雪子は震える声で答える。
「……勿論、今でも姉様の家族よ」
それは本心だった。
どれだけ幸子が変わってしまっても。
どれだけ多くの人を支配してしまっても。
雪子は幸子を切り捨てるつもりなどなかった。
続いて、爺やも深く頷く。
「はい、わたくしはあなたの側をもう2度と離れません……!」
爺やの言葉もまた、本心だった。
世界が壊れてから、ずっと幸子を案じていた。
今度こそ、離れない。
今度こそ、側にいる。
その想いに嘘はなかった。
幸子は、2人の返答を聞いて、ゆっくりと微笑んだ。
「……そう、ありがとう」
その笑みは、嬉しそうだった。
けれど、どこか壊れていた。
「あなた達なら答えてくれると思ったわ……」
次の瞬間。
雪子と爺やの様子が変わった。
雪子の瞳から、警戒が消えていく。
幸子を止めたいという切実な思いが、薄い膜に覆われるように遠ざかっていく。
爺やも同じだった。
幸子を救うためにここへ来たはずの目が、ゆっくりと幸子への崇拝に塗り替えられていく。
幸子は、玉座の上から手招きをした。
「さぁ、2人ともこっちにいらっしゃい……」
雪子と爺やは、ほとんど同時に答えた。
「はい、幸子様」
「はい、幸子様」
2人はゆっくりと幸子へ近づいていく。
もう雪子は、幸子を説得しようとはしていなかった。
もう爺やは、幸子を止めようとはしていなかった。
2人はただ、幸子の言葉に従い、幸子の側へ歩いていく。
◇
幸子はその光景を見て、堪えきれないように笑った。
「ハハハハッ!」
高く、乾いた笑い声が、玉座の間に響く。
「これで、神崎家は完成したわ……」
幸子の周囲には、誠司と涼子、雪子、爺やが揃っていた。
かつて自分を見なかった父と母。
自分を追い抜いた妹。
そして、自分を唯一見てくれた爺や。
その全員が、今は幸子を見ている。
幸子の言葉を待っている。
幸子のために存在している。
それは幸子にとって、ずっと欲しかった形のはずだった。
だが、その光景はあまりにも歪だった。
幸子は誠司と涼子へ視線を向ける。
「私が、神崎家の代表としてお母様とお父様の望み通り、この日本を建て直してあげるからね……」
誠司と涼子は、うっとりとした表情で幸子を見ている。
幸子はさらに続けた。
「あなた達は私の事を見守って頂戴ね……」
誠司と涼子。
雪子。
爺や。
全員が、幸子の言葉に頷いた。
幸子は満足そうに目を細める。
そして、部屋の隅へ向けて声をかけた。
「白井、そこに居るんでしょ?」
その声に応じるように、白衣を着た地味な男が姿を現した。
白井だった。
彼は部屋の隅に控えていたのか、あるいは煙を放出する装置の近くにいたのか、幸子の呼びかけにすぐさま反応し、深々と頭を下げた。
「はい、ここに居ります!!」
その顔は、喜びと緊張で紅潮していた。
幸子は白井を見下ろし、満足げに言う。
「良くやったわね……」
白井の肩がぴくりと震える。
幸子の褒め言葉を、一言も聞き逃すまいとしているようだった。
「貴方達が開発した、超人族を人間に戻す薬……」
幸子は、白い煙に包まれた雪子と爺やを見た。
「大成功だわ……!!」
白井の顔が一気に輝いた。
「ありがたき幸せであります!!」
白井はその場に跪き、額が床につきそうなほど深く頭を下げた。
彼にとって、幸子に認められることは何よりの報酬だった。
◇
幸子が白井達研究者に作らせていたもの。
それは、超人族を普通の人間に戻す薬だった。
白い煙として放出されたそれは、吸い込んだ超人族の力を奪い、スキルを失わせる。
幸子はその研究のために、毎日自ら注射を打ち、血を採取して白井達へ提供していた。
幸子の《承認欲求》。
そのスキルは、超人族以外の人間にしか効果を発揮しない。
だからこそ、ゲートが現れた当時、超人族であった雪子には効かなかった。
雪子だけは、幸子を崇拝しなかった。
雪子だけは、幸子の支配から外れていた。
それが、幸子にとっては許せなかった。
取り戻したかった。
家族にしたかった。
そして、今後この日本すべてを自分の手で建て直すためには、超人族すら支配できるようにしなければならない。
そのために、幸子は白井達へ命じていた。
超人族を、人間へ戻す薬を作れ、と。
白井率いる何百人もの研究者達は、幸子の血を使い、ついにそれを完成させた。
そして今、雪子と爺やはその薬のガスを吸った。
その瞬間、2人は超人族ではなくなった。
スキルを失い、幸子の《承認欲求》の対象となった。
そこへ、幸子の問い。
もう一度、私の家族になってくれる。
雪子と爺やは答えてしまった。
本心から。
だからこそ、その返答は条件を満たした。
2人は、幸子の支配下に入ってしまったのだ。
幸子は白井へ視線を戻す。
「さぁ、貴方も休んでと言いたい所だけど、今、良からぬ奴らが居るから貴方も対処お願いね!」
白井は勢いよく顔を上げた。
「はい、命をかけて私達の最高傑作で敵を無力化して参ります!!」
幸子は満足そうに頷く。
白井はもう一度深く頭を下げると、部屋を後にするために動き出した。
その顔には、恐怖はなかった。
あるのは、幸子の役に立てるという歓喜だけだった。
◇
一方、その頃。
北門から侵攻している悠真達は、まだ雪子と爺やに起きた異変を知らなかった。
北門の突破口から拠点内へ進んだ悠真達は、押し寄せてくる幸子親衛隊を相手にしながら、救出作業を続けていた。
幸子親衛隊達は次々と武器を構えて襲いかかってくる。
だが、北門チームの連携は崩れていない。
「まだまだ行きますよぉ゙〜!」
アルが明るい声を上げる。
空中には無数の小銃が並んでいた。
アルはまるで指揮者のように両手を動かし、それに合わせて小銃が一斉に向きを変える。
撃ち抜くのは、幸子親衛隊の身体ではない。
銃。
槍。
剣。
手に持っている武器だけだった。
乾いた銃声が響くたびに、幸子親衛隊達の武器が弾かれていく。
「なっ?!」
「武器が……!」
隊員達が驚く間にも、アルは楽しげに手を振る。
「はい、そこ危ないであります! 武器だけ没収であります!」
騒がしい。
だが、正確だった。
アルは一切、隊員達の身体には当てていない。
同じ頃、ソックスは冷静に状況を見ていた。
前方から、さらに幸子親衛隊が固まって押し寄せてくる。
1人ずつ拘束していては、少し効率が悪い。
ソックスは銃口を空へ向け、複数発の弾を撃ち放った。
「スキル、《特殊弾》で青の弾」
放たれた弾が、空中で弾けた。
次の瞬間、その中から大量の水が溢れ出す。
水は滝のように落下し、幸子親衛隊達へ襲いかかった。
「うわぁーーー!」
「な、何だこの水は!」
「流されるぞ!」
隊員達は大量の水に飲まれ、足元をすくわれ、まとめて押し流されていく。
ソックスの《特殊弾》は、これまで緑と赤の弾が披露されていた。
緑の弾は、粘液による拘束。
赤の弾は、着弾後に炎を広げる。
そして今回使われた青の弾は、水を生み出す弾だった。
1発でも十分な水を発生させることができる。
複数発同時に撃てば、今のように敵集団を押し流すほどの水量を作ることも可能だった。
流されていく幸子親衛隊達を、今度はコン太が逃さない。
「スキル、《化けぎつね》で《植物召喚》だコン!」
コン太の足元から、複数のツルが伸びた。
ツルは水の流れの中へ入り込み、流されている隊員達を次々と絡め取っていく。
「捕まえたコン!」
コン太はツルを器用に操り、隊員達を阿川の《配管工》へ運んでいく。
水で流す。
ツルで回収する。
配管へ送る。
そして、その先で浮田の《手術室》によって支配を解除する。
北門の救出作業は、極めて順調に進んでいた。
◇
その横で、ソックスがちらりとアルを見る。
「また、お前はふざけてるだろ……」
アルは自分を指差した。
「いやぁ〜華麗に倒しているアルはカッコよくない?」
アルは歯を光らせるような勢いで、得意げな顔をした。
ソックスは深いため息をつく。
「はぁ……」
そして、冷静に言う。
「その顔で言われてもカッコよくないし、無駄口たたかないで、早く任務を遂行しろ……」
アルは心外そうに声を上げる。
「え、カッコよくないの?!」
さらに、少し嬉しそうに続けた。
「それに、今回はソックスから話しかけてきたよね?」
ソックスの眉がぴくりと動く。
「任務中の注意だ」
「つまり話しかけたであります!」
「黙れ」
「照れなくてもいいでありますよ!」
「本当に撃つぞ」
相変わらずのやり取りだった。
緊迫した戦場であっても、アルとソックスの調子は変わらない。
だが、その掛け合いの間にも、2人の手は止まっていなかった。
武器だけを撃ち抜くアル。
水で敵を流すソックス。
その隙を逃さず、コン太が回収する。
悠真達の作戦は、確実に機能していた。
◇
そこへ、セイコが前へ出る。
セイコは優雅に片手を胸へ当て、もう片方の手を大きく広げた。
「あなた達に、私の華麗なる演技を特別に見せて差し上げますわぁ!」
セイコはその場で回転を始めた。
最初は優雅な舞のようだった。
だが、すぐにその回転は異常な速度へ変わる。
空気が巻き込まれ、周囲に強烈な風が生まれていく。
幸子親衛隊達が思わず身構えた。
「何だ、あの女は?!」
「風が……!」
次の瞬間、セイコの回転によって発生した突風が、幸子親衛隊達へ襲いかかった。
「うわぁっ!」
「飛ばされる!」
隊員達は風に巻き上げられ、地面を転がるように吹き飛ばされていく。
直接殴るわけではない。
斬るわけでもない。
だが、強烈な突風によって、隊員達の体勢は完全に崩された。
セイコは回転を止め、優雅に片足を引いた。
「オーホッホッホッ!」
そして、誇らしげに宣言する。
「わたくしの、サウザンドトウループはどうだったかしら……?」
さらに、胸を張る。
「わたくしはバレエだけではなく、フィギュアスケートも出来ますのよォ!」
悠真はその言葉に、思わず突っ込んだ。
「1000回転ジャンプなんて聞いたことねぇよ……」
北門は、騒がしいながらも順調だった。
アルが武器を弾き。
ソックスが水で流し。
コン太がツルで回収し。
セイコが突風で隊員達の動きを崩す。
警備隊も周囲を抑え、阿川の配管へ次々と幸子親衛隊達を送り込んでいる。
誰も殺さない。
できる限り傷つけない。
そして、浮田の《手術室》へ送る。
その作戦は、確実に成果を上げていた。
◇
だが、その順調さは長く続かなかった。
悠真の足元に、白いものが揺らめいた。
「……ん?」
最初は、土煙かと思った。
門を崩した時の砂埃が、まだ残っていたのかもしれない。
しかし、それは違った。
白い煙が、地面の隙間からゆっくりと立ち上っていた。
それは北門の周囲だけではない。
壁際から。
崩れた門の影から。
地面に空いた小さな穴から。
同じ白い煙が、いくつも噴き出し始めていた。
幸子の玉座の間で、雪子と爺やを包み込んだものと同じ煙。
超人族を人間に戻す薬のガス。
だが、悠真達はまだその正体を知らない。
アルが首を傾げる。
「何でありますか、この煙?」
ソックスの表情が険しくなる。
「……嫌な感じがするな」
コン太も鼻をひくつかせ、耳を伏せた。
「何か変な匂いがするコン……」
悠真は白い煙を見つめ、背筋に嫌な予感が走るのを感じていた。
順調に進んでいた北門の救出作業。
その足元から、不気味な白い煙が広がり始めていた。




