爺やとの再会
第167話です。宜しくお願い致します。
西門では、今なお激しい戦闘が続いていた。
爆音が響き、地面が揺れる。
幸子親衛隊達の怒号が飛び交い、武器がぶつかる音が何度も鳴り響いていた。
その混乱の中を、2つの影が駆け抜けていた。
いや、正確には影すら見えない。
神崎雪子と爺や。
2人は今井恭太のスキル《透明人間》によって透明化していた。
姿は見えない。
足音も聞こえない。
息遣いも、衣擦れの音も、周囲には届かない。
恭太の《透明人間》は、ただ姿を消すだけのスキルではなかった。
透明化された者の音まで遮断する。
そのため、雪子と爺やが幸子親衛隊のすぐ横を走り抜けても、誰1人として気づかなかった。
目の前では、幸子親衛隊達が西門チームへ向かって押し寄せている。
槍を持つ者。
銃を構える者。
剣を振り上げる者。
幸子の名を叫びながら、必死の形相で戦う者達。
そのすぐ脇を、雪子と爺やはすり抜けていった。
普通なら、絶対に通れるはずがない。
だが、今の2人は見えない。
聞こえない。
存在そのものが、戦場から抜け落ちているかのようだった。
雪子は走りながら、思わず呟いた。
「凄い、本当にみんな見えないし聞こえないのね……」
その声も、周囲の幸子親衛隊には届かない。
ただし、透明化している者同士には、互いの姿も声も認識できる。
そのため、雪子と爺やは走りながらも会話ができた。
爺やは周囲を警戒しながら、静かに頷く。
「これは、助かりますな……」
◇
2人はそのまま、幸子親衛隊の群れを抜けていく。
雪子の胸は早鐘を打っていた。
近づいている。
幸子の元へ。
幼い頃、花飾りを渡した姉。
家の中でずっと苦しんでいた姉。
誰にも見てもらえず、努力しても認められず、それでも最後まで壊れまいとしていた姉。
その姉が今、多くの人を支配する存在になっている。
止めなければならない。
でも、倒したいわけではない。
救いたい。
もう一度、向き合いたい。
雪子はその思いだけを胸に、走り続けた。
やがて、2人は幸子がいる建物へ辿り着いた。
拠点の中心にあるその建物は、周囲の施設とは明らかに雰囲気が違っていた。
外壁は丁寧に整えられ、入り口には装飾が施されている。
荒廃した世界の中にあるとは思えないほど、豪華で、整っていた。
まるで、幸子のためだけに作られた宮殿だった。
中へ入ると、廊下には厚い絨毯が敷かれていた。
壁には装飾品が飾られ、燭台のような明かりが空間を照らしている。
外の戦闘音が遠くに聞こえる一方で、建物の内部は妙に静かだった。
その静けさが、逆に不気味だった。
雪子と爺やは廊下を進み、やがて大きな扉の前に立つ。
扉の前には、幸子親衛隊の門番が立っていた。
鋭い目で周囲を見張っている。
しかし、透明化している2人には気づかない。
雪子は扉を見上げた。
この向こうに、幸子がいる。
そう思った瞬間、足が少し震えた。
爺やが隣で静かに雪子を見る。
言葉はない。
だが、その目は穏やかで、優しかった。
雪子は小さく頷く。
爺やも頷き返す。
そして、2人はゆっくりと扉を開けた。
◇
重い扉が、静かに動く。
誰もいないはずの扉が開いたことで、部屋の中にいた者達が一斉に反応した。
扉の向こうには、広い部屋が広がっていた。
天井は高く、床には赤い絨毯が敷かれている。
奥には数段の階段があり、その上に大きな椅子が置かれていた。
それは、椅子というより玉座に近かった。
そして、その玉座のような椅子に腰掛けているのが、神崎幸子だった。
幸子はゆったりと足を組み、こちらを見ている。
その隣には、神崎誠司と神崎涼子が立っていた。
かつて幸子を見下し、追い詰め、傷つけ続けた父と母。
今の2人は、大きな葉のようなもので、幸子へゆっくりと風を送っていた。
まるで召使いのように。
部屋の中には門番の隊員もいる。
誰も触れていないはずの扉が開いたことで、全員が警戒した。
幸子は眉をひそめる。
「……何?」
そして、開いた扉を見つめた。
「扉が勝手に……」
門番の隊員も動揺したように声を上げる。
「何故だ?!」
その時、雪子は透明化を解いた。
空気に溶けていた輪郭が、ゆっくりと形を取り戻していく。
白い長髪。
口の下の小さなほくろ。
割烹着のような服。
神崎雪子が、幸子の前に姿を現した。
一度透明化を解いてしまえば、恭太が近くにいない限り、もう一度透明化することはできない。
つまり、雪子はここで身を隠す手段を捨てた。
そのまま透明化を維持して、幸子へ奇襲をかけることもできた。
だが、雪子はそうしなかった。
幸子は敵ではない。
血は繋がっていなくても、自分の姉だった。
倒しに来たのではない。
説得しに来た。
もう一度、やり直してほしくて、ここまで来た。
だから、攻撃する意思がないことを示さなければならなかった。
雪子は、幸子を信じていた。
だから、透明化を解いた。
雪子は震える声を抑えながら、幸子を見上げる。
「幸子姉様……」
◇
幸子は一瞬、目を細めた。
驚き。
警戒。
それから、どこか待っていたような色。
いくつもの感情が、その瞳を過ぎっていく。
「雪子……来たのね」
幸子はゆっくりと口元を歪めた。
「堂々と私の拠点に乗り込んでくるなんて勇気があるわね……」
雪子は首を横に振った。
「勇気なんて必要ないわ……」
そして、真っ直ぐに幸子を見た。
「自分の姉様に会いにきただけよ……」
その言葉に、幸子の表情がわずかに動いた。
だが、すぐに幸子は笑みを浮かべる。
冷たく、試すような笑みだった。
「腕が震えてるわよ?」
雪子は自分の腕を見る。
確かに震えていた。
怖くないわけではない。
目の前にいる幸子は、かつての優しい姉ではない。
100万人を支配する存在。
大勢の親衛隊を従える、この拠点の支配者。
そして、今この部屋には幸子を守る者達もいる。
雪子は震える腕を、もう片方の手で握りしめた。
それでも、目を逸らさない。
「今日はあなたに会わせたい人が居るの……」
幸子は少しだけ目を細める。
「誰かしら、誰からも愛されない筈の私に会いに来た人って……」
その言葉には、自嘲があった。
怒りもあった。
そして、どうしようもない寂しさもあった。
雪子は胸が痛んだ。
その時、雪子の隣で、もう1つの輪郭がゆっくりと現れる。
爺やが、透明化を解いた。
年老いた執事。
穏やかな目。
きちんと整えられた服装。
かつて、幼い幸子のそばにいた人物。
幸子は、その姿を見た瞬間、息を呑んだ。
「嘘っ……」
その声は、支配者のものではなかった。
一瞬だけ、幼い少女のような声だった。
幸子は言葉を失う。
玉座の上で、完全に動きが止まっていた。
そこにいたのは、自分を最初から気にかけてくれていた存在。
努力を見てくれた人。
泣いている自分に手を差し伸べてくれた人。
最後に、約束を残して去っていった人。
「爺や……」
幸子の声が震える。
爺やは深く頭を下げた。
「はい、爺やでございます……」
◇
その言葉を聞いた瞬間、幸子の瞳が揺れた。
だが、その空気を壊すように、神崎誠司が声を荒げる。
「何だ、クビにした筈のお前が何故幸子様の前に居るんだよ!」
神崎涼子も顔を歪める。
「そうよ、邪魔よ邪魔!!」
かつて爺やを切り捨てた時と同じような言葉だった。
幸子を崇拝する今でさえ、2人の中にある傲慢さは消えていない。
幸子は、涙を浮かべかけた目で2人を睨んだ。
「少し、黙って!!」
鋭い声だった。
誠司と涼子は即座に頭を下げる。
「申し訳ありません……」
「申し訳ありません……」
幸子の命令に逆らうことはできない。
部屋に静寂が戻る。
幸子はもう一度、爺やを見る。
「爺やが何故……」
爺やは顔を上げ、静かに語り始めた。
「この世界にゲートが現れて壊れ始めた時、真っ先に心配になったのは幸子お嬢様の事でした」
幸子は何も言わない。
ただ、爺やを見つめている。
「わたくしは元々、家族なんて居ませんでした」
爺やの声は穏やかだった。
だが、その奥には長い時間をかけて積もった想いがある。
「わたくしの家系は代々神崎家に仕える家系という事もあり、神崎家のみが家族のような存在でした」
誠司と涼子が爺やを睨みつける。
だが、幸子に黙れと言われているため、口を挟むことはできない。
爺やは続けた。
「その中でも、お嬢様が特にわたくしの大切な存在になりました」
幸子の指先が、わずかに震える。
「小さな頃からあなたは厳しい環境に負けず、小さな身体で常に努力を忘れない素晴らしい方でした」
爺やの目に、幼い幸子の姿が浮かんでいた。
小さな身体で机に向かう姿。
泣きそうになりながらも、両親に認められようと努力を続ける姿。
褒められなくても、怒鳴られても、それでも前を向こうとしていた姿。
「正直、お嬢様が生まれる前までは、神崎家に仕えることが苦痛でやめたいと思う事もありました」
その言葉に、誠司と涼子の顔がさらに歪む。
しかし爺やは、2人ではなく幸子を見ていた。
「しかし、初めて心からお仕えしたいと思える人がお嬢様でした」
幸子は何も言えなかった。
その言葉は、ずっと欲しかったものだった。
誰かに選ばれること。
誰かに必要とされること。
誰かに、心から見てもらえること。
◇
爺やは続ける。
「だから、私はこの世界が壊れた後、すぐに神崎家に行こうとしました」
だが、簡単ではなかった。
「ですが、街は機能を失い、モンスターが蔓延る世界ですぐに向かう事は困難でした」
ゲートが現れ、世界は一変した。
道路は寸断され、交通は消え、人々は逃げ惑い、モンスターが街を歩くようになった。
ただの老人であった爺やが、神崎家へ辿り着くには、あまりにも危険すぎる世界だった。
「そして、数ヶ月が過ぎた頃、わたくしは超人族になりました」
爺やは静かに自分の手を見る。
「超人族になったわたくしは、すぐに神崎家へ向かいました」
ようやく行ける。
ようやく幸子に会える。
そう思った。
「しかし、そこには幸子親衛隊と呼ばれる隊員が存在し、わたくしに襲いかかりました」
幸子の表情がわずかに曇る。
爺やが襲われた。
その事実は、幸子の胸を刺した。
「そんな時に助けて頂いたのが今野さんでした」
爺やは小さく頭を下げるように言った。
「わたくしは今野さんに連れられ、雪子さんと出会い、事情を聞いて、幸子様に会うチャンスを待っていました」
爺やは幸子を見つめる。
長い時間を越えて、ようやく辿り着いた相手を見るように。
「そして、今やっと会うことが出来ました……」
部屋に沈黙が落ちた。
外ではまだ戦闘音が響いている。
しかし、この部屋だけは、まるで時間が止まったかのようだった。
◇
幸子は黙って爺やを見つめていた。
やがて、ぽつりと声を漏らす。
「爺や……私頑張ったんだよ……」
その声は、今までの幸子とは違っていた。
支配者の声ではない。
誰かに聞いてほしかった少女の声だった。
「爺やとの約束を守るためにずっと努力してきたの……」
爺やは深く頷く。
「はい、雪子様から聞きました……」
幸子は唇を噛む。
「雪子の事をサポートしようとも思ったんだよ……」
雪子の胸が締めつけられた。
幸子が、そこまで思ってくれていたこと。
それでも壊れてしまったこと。
自分が悪いわけではない。
それでも、謝らずにはいられなかった。
「……ごめんなさい」
幸子は雪子を見た。
その目には、怒りだけではない。
悲しみも、悔しさも、寂しさも、全部混ざっていた。
「でも、こんなに頑張った私を誰もみてくれない……」
幸子の声が震える。
「神様ですらも例外じゃなかったみたい……」
ゲートが現れた後も、幸子は見てもらえなかった。
人々を救った雪子が称えられた。
幸子はまた、脇に追いやられた。
どれだけ努力しても。
どれだけ耐えても。
どれだけ自分を押し殺しても。
世界は自分を見てくれない。
幸子には、そう思えてしまった。
雪子は一歩前へ出る。
腕はまだ震えている。
だが、声だけは真っ直ぐだった。
「もう一度、やり直そう……!!」
雪子は必死に幸子へ訴える。
「いちから、姉様なら出来る!」
幸子は、ゆっくりと雪子を見た。
そして、小さく笑う。
その笑みは、先ほどまでの嘲るようなものとは違った。
もっと深く、暗い。
諦めが染みついた笑みだった。
「出来る……?」
幸子の声が低くなる。
「努力すれば……?」
雪子の表情が強張る。
「あなたは優秀だ……?」
幸子の中で、何かが軋むように歪んでいく。
努力。
優秀。
出来る。
それは本来、人を励ます言葉なのかもしれない。
だが、幸子にとっては違った。
努力しても、見てもらえなかった。
優秀であろうとしても、認められなかった。
出来るようになっても、愛されなかった。
その言葉は、幸子にとって救いではなく、過去の痛みを抉る刃だった。
「もう、うんざり……!」
幸子の声が部屋に響く。
雪子は叫んだ。
「姉様ッ!!」
だが、幸子は首を横に振る。
その表情は、どこか泣きそうで、それでも決意していた。
「もう遅い……」
◇
その直後だった。
雪子と爺やの足元から、白い煙が噴き出した。
「っ……?!」
雪子は驚いて後ずさろうとする。
だが、煙は一瞬で周囲に広がった。
床の隙間から。
壁の穴から。
まるで最初からこの部屋に仕掛けられていたかのように、白い煙が雪子と爺やを包み込んでいく。
爺やは即座に雪子の前へ出ようとした。
「雪子様、お下がりを……!」
しかし、煙の広がりは速い。
白い霧のようなものが、2人の視界を奪っていく。
幸子は玉座の上から、2人を見下ろしていた。
その瞳は揺れている。
けれど、もう止まらない。
雪子と爺やは、幸子へあと一歩届きそうな場所で、白い煙に包まれていった。




