支配からの解除
第160話です。宜しくお願い致します。
悠真に声をかけられ、今井翔太は静かに頷いた。
「了解です」
翔太は一歩前へ出る。
そして、幸子親衛隊の男達を見据えながら唱えた。
「スキル、《水晶玉》」
その瞬間、翔太の瞳に水晶玉のような淡い光が宿った。
澄んだ光が瞳の奥で揺れ、彼の視線が親衛隊の男達へ向けられる。
隊服を着た男達は、まだ悠真達に気づいていない。
ただ、命令された場所を守るように、無表情に立っていた。
いや、無表情というより、余計な感情が薄い。
以前出会った幸子親衛隊と同じだった。
命令のためだけにそこにいる。
幸子様の領土を守る。
それ以外の思考が抜け落ちているように見える。
翔太はしばらく親衛隊の男達を見つめ続けた。
そして、やがて小さく息を吐く。
「やっぱり、幸子さんの支配下にあるようです」
悠真がすぐに尋ねる。
「状態には何て出てる?」
翔太は視線を外さずに答えた。
「洗脳……宿主、神崎幸子と出ています」
その言葉に、雪子の肩がわずかに震えた。
分かっていたことだった。
だが、実際にそう確認されると、胸に重くのしかかる。
目の前にいる彼らは、望んで幸子親衛隊になったわけではない。
幸子の《承認欲求》によって、心を支配されている。
雪子は唇を噛みしめた。
悠真は頷く。
「よし、それが確認出来ただけでも良かった」
そして、翔太へ視線を向ける。
「これで、もしスキルの支配下から解除出来たら分かるはずだ」
翔太は頷いた。
「はい。解除後にもう一度確認します」
悠真は今野を見る。
「次は頼めるか?」
今野は表情を引き締めた。
「では、先ずは俺の出番ですね!」
そう言って、今野は右手を前へ出す。
「スキル、《マイバッグ》」
◇
直後、幸子親衛隊の頭上に、大きなバッグが現れた。
布で出来ているようにも見えるが、普通のバッグではない。
人が何人も入りそうなほど巨大で、空中に浮かびながら口を大きく開く。
親衛隊の男達が異変に気づいた。
「何だ……?」
「敵か……?」
男達が銃を構えようとする。
だが、その動きよりもバッグの方が早かった。
大きく開いた口が、空気ごと吸い込むように男達を包み込む。
「うわっ……!」
「幸子様の領土を……!」
最後まで命令を口にしようとしていた男達が、次々とバッグの中へ吸い込まれていく。
抵抗する暇はほとんどなかった。
1人。
また1人。
隊服姿の男達が、まるで落ち葉でも拾い集めるようにバッグの中へ収納されていく。
やがて、10人ほどいた幸子親衛隊は全員姿を消した。
大きなバッグは役目を終えると、ひとりでに口を閉じる。
そして、空中で折りたたまれ、みるみるうちに小さくなった。
最終的には手のひらに乗るほどの大きさになり、今野の手元へふわりと戻る。
悠真は思わず感心したように呟いた。
「何度、見てもお前のスキルは凄いな……」
今野は照れたように頭をかいた。
「いやぁ……それ程でも」
だが、その顔には少しだけ緊張も残っていた。
今からやるのは、ただの拘束ではない。
幸子の支配を解除できるかどうかの実験だった。
もし失敗すれば、相手は再び幸子親衛隊として動き出す。
そして、情報はさらに幸子側へ流れるかもしれない。
悠真達は、慎重に次の準備へ移った。
◇
浮田が前へ出る。
「よし、次は俺の番だな」
浮田は軽く肩を回した。
いつものように気怠げな雰囲気をまとっているが、その目は真剣だった。
「スキル、《手術室》」
浮田の声と同時に、白い壁が現れる。
清潔な床。
無影灯。
手術台。
現実の空間を塗り替えるように、浮田のスキルによって作られた手術空間が、一同を包み込んでいく。
外の風の音が遠ざかる。
土と草の匂いも消えた。
代わりに、消毒液のような清潔な空気が満ちる。
この空間の中では、外からの干渉を受けにくい。
桜井晴彦の支配を解除した時にも、大きな役割を果たした空間だった。
雪子はその変化に目を見開く。
「これが……浮田様のスキル……」
爺やも静かに感嘆したように息を吐く。
「なるほど……確かに、普通の空間とは違いますな」
浮田は軽く苦笑する。
「まぁ、便利ではあるけどね。医者のスキルなのかどうかは、たまに自分でも分からなくなるよ」
悠真はそれを聞いて小さく笑ったが、すぐに表情を引き締めた。
今野が手のひらの小さなバッグを床に置く。
「じゃあ、スキルを解除するぞ」
悠真は頷いた。
「あぁ、やってくれ」
周囲の者達は、念のため身構える。
未来はすぐに動けるように姿勢を低くし、阿川は状況を見ながら逃走経路を考える。
チャン爺も静かに悠真の前へ立ち、いつでも守れる位置を取った。
雪子は緊張した面持ちで、バッグを見つめている。
今野が息を吸い、スキルを解除した。
床の上の小さなバッグが一瞬だけ大きく膨らむ。
次の瞬間、煙のようなものが広がり、その中から幸子親衛隊の男達が姿を現した。
10人ほどの男達は、突然場所が変わったことに混乱していた。
「ここは……?」
「何が起きた……?」
「幸子様の領土を守らなければ……!」
何人かは銃を構えようとした。
しかし、その動きは途中で止まった。
手術室の空間に出た瞬間、彼らの表情が少しずつ変わっていったのだ。
ぎらついた崇拝の光が、目の奥から薄れていく。
強張っていた顔が、ゆっくりと緩む。
命令だけで動いていたような身体から、力が抜けていく。
男達は困惑したまま、その場に立ち尽くした。
浮田は無言で様子を見ている。
悠真も、すぐには動かない。
今井翔太が再び前へ出た。
「もう一度、確認します」
翔太は男達へ視線を向ける。
「スキル、《水晶玉》」
彼の瞳に再び淡い光が宿る。
翔太は1人ずつ、慎重に状態を確認していった。
少しして、翔太の表情が明るくなる。
「スキルの支配下から解除されてます!」
その言葉に、その場の空気が一気に変わった。
雪子は息を呑み、両手を胸の前で握る。
今野は大きく目を見開いた。
爺やは深く、深く息を吐いた。
悠真は浮田の方を見る。
「そうか、流石浮田だな!」
浮田は呆れたように肩をすくめた。
「毎回、俺は雑な使われ方だよな」
悠真は笑う。
「でも、毎回MVP級の活躍をしてくれるから頼っちゃうんだよなぁ」
浮田はため息をついた。
「本当に、お前等だからいいが、俺は本当は医者だからな?」
「分かってる分かってる!」
「絶対分かってないだろ、その返事」
浮田はそう言いながらも、どこか諦めたように笑っていた。
重い空気の中で交わされた軽いやり取りに、未来が小さく笑う。
しかし、雪子の目には涙が浮かんでいた。
ずっと見つからなかった希望。
幸子の支配を受けた人々を救う方法。
それが、今、目の前で示されたのだ。
◇
解除された男達は、まだ完全には状況を把握できていないようだった。
1人が自分の手を見下ろす。
「俺達はいったい……」
別の男が頭を押さえる。
「そうだ……」
記憶を辿るように、声が震える。
「思い出した……」
そして、顔を青ざめさせながら呟いた。
「俺達は、神崎幸子に操られていたんだ……」
悠真はその言葉を聞き、静かに確認する。
「記憶はあるんだな……」
男は顔を上げた。
まだ混乱している。
だが、その目には先ほどまでの盲目的な崇拝はない。
「あなたたちは?」
悠真は男達を刺激しないよう、ゆっくりと事情を説明した。
自分達が東京から中部地方の調査に来たこと。
山梨県境で幸子親衛隊に襲われたこと。
その後、今野に助けられ、雪子達の地下隠れ家に案内されたこと。
幸子の《承認欲求》について聞き、支配解除を試すためにここへ来たこと。
そして、彼らの支配が今解除されたこと。
男達は黙って聞いていた。
ときどき顔をしかめ、記憶を思い出すように目を伏せる。
やがて、1人の男が低く呟いた。
「そんな事が……」
雪子は、恐る恐る一歩前へ出た。
彼女の表情には、不安が浮かんでいる。
支配されていた人々が、幸子に怒りを向けるのではないか。
憎しみをぶつけるのではないか。
そう覚悟していた。
雪子は小さな声で尋ねる。
「怒らないんですか……?」
男は雪子を見た。
少しだけ沈黙が落ちる。
それから、男はゆっくり口を開いた。
「思う所はあります」
その言葉は当然だった。
意思を奪われていた。
自分で選んだわけではない忠誠を捧げていた。
その事実に何も思わないはずがない。
だが、男は続けた。
「しかし、洗脳されている時も苦しくはなかったんです」
雪子は目を見開く。
男は自分の胸に手を当てた。
「幸子さんの事を信仰していた気持ちは、神様を信仰するのと一緒で、この荒廃した世界での心の拠り所になっていました」
彼は一度言葉を切る。
その表情には複雑なものがあった。
「勿論、歪んではいたのかもしれません」
男の後ろにいた別の者も、静かに頷いた。
支配されていた。
それは間違いない。
幸子の意思に逆らえなかった。
幸子を神のように見ていた。
それでも、その感覚は恐怖や苦痛だけではなかった。
世界が壊れ、明日どうなるかも分からない中で、絶対的な存在を信じることは、彼らにとって支えにもなっていたのだ。
◇
男は悠真達の話を思い返すように、ゆっくりと言葉を続ける。
「しかし、貴方達の話を聞いて納得しました」
そして、少しだけ苦しそうに笑う。
「幸子さんは、私達をただ奴隷のように扱っていた訳ではありません」
悠真達は黙って聞いた。
「住処を与えられ、食事も農業や漁業などで何とか食いつないでいました」
男は拠点での生活を思い出しているようだった。
「働く場所もありました。見張り、建築、畑、漁、調理、医療、研究……それぞれ役割が与えられていました」
別の男性も言う。
「いい働きをすると、褒美も用意してくれてました」
「豪勢な食事の日もありました。休息日もありました」
「幸子様……いや、幸子さんは、支配していたのは確かです。でも、ただ使い潰すようなことはしていませんでした」
その言葉に、雪子の目から涙がこぼれた。
彼女は両手で口元を押さえる。
「やっぱり姉様は凄い……」
声が震えていた。
幸子は間違えた。
人の意思を奪った。
多くの人を支配した。
それは許されることではない。
だが、それでも幸子の中には残っていたのだ。
幼い頃から叩き込まれた政治の知識。
人々をどう管理し、どう生かすかという能力。
そして、歪みながらも、誰かを守ろうとする意識。
幸子は独裁者に近かった。
けれど、ただ壊れて人々を苦しめただけの存在ではなかった。
18歳という若さで、100万人に近い人々の生活を維持する仕組みを作り上げていた。
それは、間違いなく異常なことだった。
そして同時に、幸子の才能でもあった。
雪子は涙を拭う。
「姉様は……ずっと、誰かに認めてほしかっただけなのに……」
その声は、誰に向けたものでもなかった。
ただ、胸の奥からこぼれた言葉だった。
悠真も静かにその話を受け止めていた。
幸子の支配を肯定することはできない。
だが、幸子が単なる悪人ではないことも、改めて分かった。
支配された者達にとって、幸子は恐怖の王だけではなかった。
荒廃した世界で住処と食事を与え、秩序を作った存在でもあった。
それは、今後どう向き合うかを難しくする情報だった。
男は悠真達へ向き直った。
その目には、先ほどまでとは違う意志が宿っている。
「私達も知っている事は何でも話します」
他の男達も頷く。
彼らはもう幸子の支配下ではない。
それでも、幸子をただ憎むだけではなかった。
自由を奪われた怒りはある。
だが、救われた部分もある。
そして、幸子が壊れてしまった理由を聞いた今、彼らは思ってしまったのだ。
あの人を、このままにしてはいけないと。
男ははっきりと言った。
「幸子さんを救いたい……!」




