完成
第159話です。宜しくお願い致します。
場面は変わり、幸子親衛隊の拠点。
そこは、かつて神崎家の屋敷だった場所だった。
だが、今はもう屋敷と呼ぶにはあまりにも巨大になりすぎていた。
幸子の指示によって、数万人もの人間が動員され、元々あった屋敷は何倍にも広げられている。
白い外壁はさらに高く伸び、広大な敷地の中心には、宮殿のように大きな建物がそびえていた。
かつて神崎家が権力を示すために建てた豪邸は、今や幸子という存在を中心にした巨大な拠点へと姿を変えている。
そして、拠点の外側には、さらに異様な光景が広がっていた。
同じ形をしたマンションのような建物が、いくつも、いくつも並んでいる。
それは、幸子親衛隊達が暮らすための住居だった。
規則正しく並んだ建物。
整備された道。
見張り台。
訓練場。
食料を保管する倉庫。
簡易的な医療施設。
そこには、崩壊した世界の中とは思えないほど、組織化された生活圏が出来上がっていた。
もはや、ただの拠点ではない。
小さな都市。
いや、幸子を頂点とした1つの国のようですらあった。
現在、幸子親衛隊の人数は100万人を超えている。
しかも、その数は今もなお増え続けていた。
雪子達も、悠真達も、その事実をまだ知らない。
幸子親衛隊は、中部地方中の非超人族をさらい、幸子の《承認欲求》の支配下に置いている。
幸子の《承認欲求》には、支配できる人数の上限がない。
話しかけ、相手が答えれば発動する。
条件さえ満たせば、何人でも、何万人でも、何百万人でも支配下に置くことができる。
そして、支配された者達は幸子を神のように崇め、幸子の願いを叶えるために動く。
その結果が、この巨大な拠点だった。
◇
拠点の中心。
幸子専用の部屋。
そこは、屋敷の中でも特に豪華に作られていた。
柔らかな絨毯。
磨き上げられた床。
大きな窓。
壁に飾られた絵画。
そして、中央に置かれた1人用の大きなソファー。
幸子はそこに腰掛けていた。
片手には、艶のあるブラックチェリー。
幸子はそれを摘まみ、ゆっくり口へ運ぶ。
その横では、父である神崎誠司と、母である神崎涼子が立っていた。
2人はそれぞれ大きな葉を持ち、幸子へ向けてゆっくりと風を送っている。
かつて、幸子を蔑ろにした者達。
幸子を神崎家の汚点と呼び、雪子と比べ続け、隠し子として押し込めた者達。
その2人が、今は幸子のそばで、召使いのように仕えている。
歪んだ親子の形だった。
だが、幸子はその光景を当然のものとして受け入れていた。
その時、部屋の扉が開いた。
「報告します」
白衣を着た、ぱっとしない地味な男が入ってきた。
髪は少し乱れており、顔色も良いとは言えない。
長い時間、研究か作業に没頭していたのだろう。
それでも男の目だけは異様に輝いていた。
男は幸子の前まで来ると、その場で跪いた。
幸子はブラックチェリーを口に含んだまま、男を見下ろす。
「どうしたの、白井?」
幸子の声は落ち着いていた。
白井と呼ばれた男は、幸子を見上げる。
その表情には、恍惚とした崇拝が滲んでいた。
「あぁ……今日もお美しいですね」
幸子はわずかに目を細める。
「いいから、何の用か言って」
冷たい声だった。
だが、白井は叱られたことすら喜びのように受け止め、さらに深く頭を下げた。
「……失礼致しました」
そして、白井は興奮を隠しきれない声で告げる。
「遂に、遂に完成しました!!」
幸子の手が止まった。
指先で摘まんでいたブラックチェリーを、口へ運ぶ直前で止める。
「えっ……?」
幸子はゆっくりと身を乗り出した。
「本当なの?!」
白井は力強く頷く。
「はい、数百人の知恵と結晶でございます」
その言葉に、幸子の表情が変わった。
驚き。
喜び。
そして、奥底に隠しきれない不穏な期待。
幸子はゆっくりとソファーにもたれ直す。
「良くやったわね……」
その言葉に、白井の肩が震えた。
褒められたことが、心の底から嬉しいのだろう。
幸子は続ける。
「下がっていいわよ。ゆっくり休んで頂戴!」
「はい、ありがとうございます!!」
白井は、まるで最高の褒美を与えられたかのように顔を輝かせた。
幸子はさらに付け加える。
「それと、今日の夕食は豪勢な食事をメイド達に作らせるから、皆で食べると良いわ」
白井は両手を胸の前で組む。
「あぁ……何てお優しいのでしょう……!」
瞳を潤ませながら言う。
「みんな、大喜び致します!」
白井は深く頭を下げると、嬉しさを抑えきれない様子で立ち上がった。
そして、スキップするような足取りで部屋を出ていく。
支配されている。
自分の意思を奪われている。
それは間違いない。
だが、幸子は支配下の者達をただ酷使しているわけではなかった。
成果を上げた者には褒め言葉を与える。
休息を与える。
食事を与える。
それもまた、幸子が作り上げた歪んだ統治の一部だった。
◇
白井が去ったあと、部屋には再び静けさが戻る。
誠司が大きな葉を動かしながら、恭しく言った。
「おめでとうございます」
その声は、かつて幸子へ向けられたものとはまるで違う。
今の誠司は、幸子を心から崇めている。
「これで幸子様の悲願の1つが叶うのですね」
涼子もすぐに続いた。
「幸子様につかない愚かな愚民共に思い知らせる事が出来ますわね!」
その言葉を聞いた瞬間、幸子の目が冷たく細められた。
「黙りなさい!!」
誠司と涼子の身体がびくりと震える。
2人は慌てて葉を下げ、その場で頭を垂れた。
幸子はゆっくりと立ち上がる。
そして、2人を見下ろした。
「今まで1番私を蔑ろにしていた貴方達がそれを言うの?」
誠司と涼子は声を出せなかった。
幸子の声は静かだった。
だが、そこには消えない怒りがあった。
「私はまだ貴方達への恨みは消えておりません」
支配下に置いた。
そばで仕えさせた。
愛を乞わせた。
それでも、幸子の中に積もった恨みは消えていなかった。
むしろ、こうして従わせることで、過去の痛みを何度も思い出しているようでもあった。
誠司と涼子は、震える声で謝罪する。
「本当に申し訳ありません」
「申し訳ありません、幸子様……」
幸子はしばらく2人を見下ろしていた。
やがて、小さく息を吐く。
「まぁ、いいわ……」
そして、再びソファーへ腰掛けた。
幸子は窓の外へ視線を向ける。
そこには、巨大な拠点と、無数の親衛隊達が暮らす街が広がっている。
幸子は不穏な笑みを浮かべた。
「事実、本当にこれで雪子達も揃って、新しい私達の家族になるわね……」
その声には、甘さと狂気が混ざっていた。
雪子。
支配されなかった妹。
かつて自分に花飾りをくれた少女。
自分の代わりに神崎家の一人娘となった存在。
幸子は、その雪子さえも自分の家族にしようとしていた。
◇
場面は再び、地下の隠れ家へ戻る。
雪子は、悠真達を見つめていた。
「洗脳を解除出来るのですか?」
その声には、信じたい気持ちと、信じるのが怖い気持ちが混ざっていた。
これまで雪子達は、幸子の《承認欲求》によって支配された人々を元に戻す方法を知らなかった。
超人族である自分達は支配されない。
だから逃げることはできた。
しかし、支配されてしまった普通の人々を救うことはできなかった。
だから、悠真の言葉は雪子にとって、あまりにも大きな希望だった。
悠真は慎重に頷く。
「あぁ、多分出来ると思う」
断言はしなかった。
桜井晴彦の支配を解除した実績はある。
だが、幸子の《承認欲求》がまったく同じ仕組みとは限らない。
それでも、試す価値はある。
悠真は続けた。
「一旦、試しに行ってみよう」
雪子は小さく息を呑んだ。
爺やも、今野も、周囲にいた超人族達も、真剣な表情になる。
向かう場所は、悠真達が最初に幸子親衛隊に襲われた場所。
今野の《マイバッグ》に収納されていた親衛隊達は、もうとっくに解除され、元の位置付近へ出ているはずだった。
ならば、同じ場所で門番をしている可能性が高い。
悠真達は準備を整え、地下の拠点を後にすることになった。
◇
隠れ家の入口を出ると、外の空気が肌に触れる。
地上には、崩壊した世界の気配がまだ濃く残っていた。
壊れた道路。
傾いた標識。
遠くに見える崩れかけた建物。
その中で、未来が一歩前へ出る。
「スキル、《動植物愛護》の《動植物図鑑》!」
未来は慣れた様子で唱えた。
「レッドワイバーンを召喚!」
次の瞬間、赤い鱗を持つ巨大な飛竜が、人数分だけ次々と現れた。
大きな翼。
鋭い爪。
力強い尻尾。
初めて見る者にとっては、それだけで腰が引けてもおかしくない存在だった。
雪子は目を見開いた。
「これは……凄いスキルですね」
今野も驚いたようにレッドワイバーンを見上げる。
「あぁ……いつもは討伐する筈のモンスターが従ってるなんて……」
未来は少し照れたように頬をかいた。
「正確にはモンスターをスキルでコピーしたものだから、実際のモンスターではないけどね!」
それでも、雪子達にとっては十分すぎるほど驚きだった。
悠真達がどれほど規格外の戦力を持っているのか。
その一端を、雪子達は改めて思い知らされた。
一同はレッドワイバーンへ乗り込む。
直接目的地へ降りれば目立ちすぎるため、幸子親衛隊がいる場所から少し離れた地点で降りることになった。
空へ舞い上がると、風が一気に身体を叩いた。
地面が遠ざかり、木々や壊れた道路が小さく見える。
初めてレッドワイバーンに乗る雪子、爺や、今野にとっては、これまで経験したことのない移動だった。
やがて、一同は目的地から少し離れた場所へ降り立つ。
今野は地面に足をつけた瞬間、少しふらついた。
「これは慣れないと怖いな……」
顔色もどこか青い。
しかし、雪子は意外にも目を輝かせていた。
「そう? わたくしはアトラクション何て乗ったことないけど、こんな感じなのかなって思ってワクワクしましたわ!」
爺やも落ち着いた様子で頷く。
「わたしもいい刺激でした」
今野は信じられないものを見るように2人を見る。
「遊園地のアトラクションはこんな激しくないよ……」
そのやり取りに、未来が小さく笑う。
重苦しい話が続いていた中で、ほんの少しだけ空気が和らいだ。
◇
だが、すぐに緊張は戻る。
一同は足音を抑えながら、幸子親衛隊がいるはずの場所へ向かった。
少し歩くと、やはりそこには人影があった。
隊服を着た男達。
銃を肩にかけ、10人ほどが並んでいる。
まるで何事もなかったかのように、以前と同じ場所を守っていた。
悠真は小さく呟く。
「やっぱり居たか……」
その時、阿川がわずかに眉をひそめた。
「悠真、最初に居た親衛隊とは別の隊だ」
悠真は阿川を見る。
「どういう事だ?」
阿川は親衛隊達をじっと見つめながら答える。
「みんなの顔が違うんだ」
普通なら、少し離れた場所から見ただけの兵士達の顔など、いちいち覚えていられない。
だが、阿川は違った。
阿川の《配管工》は、配管召喚、配管サイズ、そして記憶力という能力に分かれている。
一度行った場所へ配管を繋げるために必要な記憶力。
それは、普段から自動的に働いていた。
以前は常人の3.5倍。
そして今は、強化によって常人の8倍の記憶力になっている。
阿川は、一度見たものを忘れない。
悠真は納得したように頷いた。
「そうか、お前は記憶力も良かったんだよな」
「あぁ、一度見てるものは忘れない」
阿川は短く答える。
その言葉を聞いた今野の表情が曇った。
「そうなると、恐らく俺達との戦いや悠真達の事は既に報告しに行ったのかもな……」
悠真は親衛隊達を見ながら、小さく息を吐いた。
「まぁ、そうなるだろうな……」
今野は申し訳なさそうに視線を落とす。
「すまない、俺がそのままほったらかしにしたせいで……」
以前、今野は幸子親衛隊を《マイバッグ》に収納し、その後、元の場所付近へ戻した。
殺さず、長時間拘束もせず、できるだけ無傷で済ませるためだった。
その判断自体は間違っていない。
だが、その結果、悠真達の存在が幸子側に伝わった可能性が高くなった。
悠真は今野へ視線を向け、首を横に振る。
「いや、あれは仕方ないよ」
そして、少しだけ柔らかい声で続ける。
「それに、出来るだけ無傷のままにしたかっただろうし……!」
今野は苦しそうに笑った。
「ありがとう……」
悠真は改めて親衛隊達を見る。
別部隊が配置されている。
つまり、幸子側はすでに何かしらの対応を始めている可能性がある。
悠真達が思っているほど、時間に余裕はないのかもしれない。
「まぁでも、グズグズはしてられないだろうな……」
悠真はそう言うと、隣にいる今井翔太へ視線を向けた。
「翔太、頼む!」




