好き好き好き……
第158話です。宜しくお願い致します。
幸子は、大広間の端に立っていた。
雪子を囲むように、避難民達が集まっている。
温かい食事を受け取った人々は、涙を流しながら雪子へ感謝していた。
父である誠司も、母である涼子も、雪子へ満面の笑みを向けていた。
神崎家の一人娘。
神崎家の誇り。
将来、この地域を背負う者。
そんな言葉が、雪子へ向けられている。
幸子は、それを見ていた。
ただ、見ていることしかできなかった。
胸の奥で、何かが壊れていく音がした。
自分も人々を助けたいと思った。
自分もこの地域を守りたいと思った。
超人族になって、誰かの役に立つ力が欲しいと願った。
それなのに、力を与えられたのは雪子だった。
感謝されたのも雪子だった。
褒められたのも雪子だった。
父と母に見てもらえたのも雪子だった。
幸子の中で、ずっと押し込めてきた感情が溢れ出していく。
誰かに見てほしい。
誰かに認めてほしい。
自分がここにいると知ってほしい。
神崎家の娘として、愛してほしい。
その願いが、頭の中に響いた声によって形になった。
『スキルを付与します』
『あなたは超人族に覚醒しました』
幸子に与えられたスキル。
その名は、《承認欲求》。
超人族以外の人間に話しかけ、その相手が答えた時に発動する。
発動した相手からは、幸子が神様のように見える。
そして、相手は幸子のどんなお願いでも聞くようになる。
幸子は、その力の意味を理解した。
理解した瞬間、唇がゆっくりと吊り上がる。
これで見てもらえる。
これで認めてもらえる。
これで、自分はもう透明な存在ではなくなる。
幸子は小さく息を吸った。
そして、静かに唱える。
「スキル、承認欲求」
◇
直後、幸子は大広間に響き渡るほど大きな悲鳴を上げた。
「キャーーー!!」
その声に、避難民達が一斉に振り向く。
食事を配っていたメイド達も手を止めた。
誠司も、涼子も、雪子も、驚いた顔で幸子を見る。
幸子はさらに叫んだ。
「助けてーーー!!」
大広間に緊張が走った。
外にはモンスターがいる。
いつ屋敷が襲われてもおかしくない。
避難民達は、怯えながらも幸子の方へ視線を向けた。
誰かが怪我をしたのか。
モンスターが入り込んだのか。
何が起きたのか。
そんな不安が、一瞬で広がった。
その全員の視線を浴びながら、幸子は笑った。
「バーカ!!」
大広間の空気が止まった。
幸子は肩を震わせながら、さらに言う。
「嘘よ、嘘!」
その言葉に、避難民達の表情が変わった。
恐怖はすぐに怒りへ変わる。
「何だと!!」
「こんな時に変な嘘つくんじゃねぇ!」
「そうだ、そうだ!」
怒号が次々と上がった。
無理もなかった。
誰もが不安の中にいた。
食料も安全も足りない。
外では今も人が死んでいるかもしれない。
そんな状況で、助けを求める悲鳴を冗談にされたのだ。
怒るのは当然だった。
だが、その反応こそが、幸子のスキルの発動条件だった。
幸子に話しかけられた人間が、答える。
それだけで、《承認欲求》は相手の心へ入り込む。
避難民達のほとんどが、幸子の言葉に答えてしまった。
メイド達も、思わず声を漏らしていた。
そして、誠司と涼子も例外ではなかった。
誠司は不快そうに眉を吊り上げる。
「お前は何をしている……」
その声は、いつものように冷たかった。
「どれだけ、はしたない事をしてるのか分かってるのか?!」
涼子も幸子を見下すように言う。
「本当に、雪子とは大違いね……」
まただった。
また、雪子と比べられた。
その言葉は、幸子の胸を最後にもう一度深く抉った。
雪子は、幸子の様子がおかしいことに気づき、不安そうに声をかける。
「幸子姉……幸子さん、どうされたの、急に……?」
雪子の声には、怒りではなく戸惑いと心配があった。
だが、幸子は雪子を見なかった。
大広間の中にいる人々を見渡す。
避難民達。
メイド達。
誠司。
涼子。
その者達の表情が、少しずつ変わっていく。
◇
つい先ほどまで怒鳴っていた避難民達の目から、怒りが消えていった。
代わりに、熱に浮かされたような光が宿る。
口をぽかんと開け、幸子を見つめる者がいた。
膝から力が抜けるように、その場に崩れ落ちる者もいた。
「あぁ……神だ……」
誰かが呟いた。
その声をきっかけに、大広間の空気が一気に変わる。
「幸子様……何て神々しい」
「どうして今まで気づかなかったんだ……」
「幸子様……幸子様……」
避難民達は、幸子を見つめながらうっとりと呟いた。
怒りは消えていた。
恐怖も消えていた。
あるのは、幸子への崇拝だけだった。
それは感謝ではなかった。
尊敬でもなかった。
もっと歪んだもの。
人の意思が内側から塗り替えられていくような、不気味な信仰だった。
そして、その変化は誠司と涼子にも起きていた。
誠司は、先ほどまで幸子を叱りつけていた口を半開きにしたまま、呆然と幸子を見つめていた。
「私は今まで何でこの方の事を蔑ろにしていたんだ……」
涼子は青ざめた顔で両手を口元へ当てる。
「私達は大変な過ちを犯していたわ……」
誠司は幸子の前に歩み寄る。
そして、深々と頭を下げた。
「どうかこの愚かな私達を許して下さい」
幸子は、その姿を見下ろした。
あの父が。
今まで自分を失敗作のように扱い、隠し子として押し込めてきた父が。
自分へ頭を下げている。
誠司は震える声で続けた。
「そして、幸子様を愛する許可をいただけませんか?」
その言葉を聞いた瞬間、幸子の胸の奥に甘いものが広がった。
ずっと欲しかった言葉だった。
愛してほしかった。
見てほしかった。
認めてほしかった。
そのすべてが、今、目の前にある。
それがスキルによる偽物だとしても、幸子にはもう関係なかった。
幸子はニヤリと笑った。
「許可しよう」
その瞬間、支配下になった者達が一斉に呟き始めた。
「好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き……」
避難民達が。
メイド達が。
誠司が。
涼子が。
幸子を見つめながら、同じ言葉を繰り返す。
「好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き……」
大広間に響くその声は、愛の言葉のはずだった。
だが、そこに温かさはなかった。
ただ、異様だった。
壊れた人形が同じ音を繰り返しているような、不気味な光景だった。
◇
雪子だけが、その場で立ち尽くしていた。
彼女は超人族だった。
だから、幸子の《承認欲求》の対象にはならなかった。
幸子へ答えてしまっても、支配されることはなかった。
だからこそ、雪子だけが、この異常な光景を正気のまま見てしまった。
「どうして……」
雪子の声が震える。
「何故こんな事に……?」
目の前の人々は、つい先ほどまで避難民だった。
怯え、空腹に耐え、温かい食事を受け取って涙を流していた人達だった。
その人達が、今は幸子を神のように崇めている。
父と母も同じだった。
幸子を傷つけてきた両親が、幸子を愛する許可を求めている。
雪子には理解できなかった。
いや、幸子の苦しみは知っていた。
幸子がどれだけ神崎家に傷つけられてきたかも知っていた。
それでも、これは違う。
人の心を奪うことは、救いではない。
雪子はそう思った。
幸子は雪子の方を見る。
大広間の中で、ただ1人、自分を崇めていない妹。
かつて、誕生日に花飾りをくれた雪子。
同じ神崎家に巻き込まれた被害者。
幸子の目に、ほんの一瞬だけ悲しみが揺れた。
「雪子、ごめんね……」
雪子は息を呑む。
幸子は小さく笑いながら続けた。
「でも、もう我慢の限界だったの……」
その声は、泣いているようにも、笑っているようにも聞こえた。
雪子は何も言えなかった。
止めなければならない。
そう思うのに、言葉が出ない。
目の前の幸子は、悪魔のように笑っているわけではなかった。
ただ、壊れていた。
長い時間をかけて傷つけられ、押し潰され、最後に与えられた力にすがっている。
そんな風に見えてしまった。
「あぁ……気持ちいい」
幸子は恍惚とした表情で呟いた。
今まで誰も自分を見なかった。
父も母も、自分を見なかった。
避難民達も、雪子を称えていた。
誰も自分の存在に気づいていなかった。
それなのに今は、こんなにも多くの人間が自分を見ている。
自分の名前を呼び、自分を崇め、自分を愛していると言う。
あの両親でさえ、自分を愛したいと懇願している。
幸子の中で、長年満たされなかったものが、一気に満たされていく。
それは幸福に似ていた。
だが、幸福ではなかった。
飢えた心へ、毒を流し込まれているような快感だった。
それでも、幸子は止まれなかった。
幸子は思わず高笑いした。
大広間に、幸子の笑い声と、支配された人々の「好き」という呟きが重なって響いた。
◇
それからは、あっという間だった。
《承認欲求》の発動条件を知らない者達は、幸子に話しかけられ、幸子の言葉に答え、次々と支配下になっていった。
避難民。
神崎家の関係者。
外から助けを求めてきた人々。
地域の住民。
幸子の姿を見た者達は、彼女を神のように崇めた。
幸子の言葉を聞いた者達は、彼女の願いを叶えようと動いた。
やがて、その数は何万人にも膨れ上がっていった。
支配下になった者達は、いつしか自分達のことをこう呼ぶようになった。
幸子親衛隊。
幸子様を守る者。
幸子様の領土を守る者。
幸子様の命令を絶対とする者。
山梨の一角は、そうして幸子の支配する領域へと変わっていった。
◇
そして、雪子の語りはそこで終わった。
場面は現在へ戻る。
地下の隠れ家。
土で作られた建物の中。
悠真達は、しばらく言葉を失っていた。
幸子と雪子の過去。
神崎家の歪み。
雪子の《調理師》。
幸子の《承認欲求》。
そして、幸子親衛隊が生まれた理由。
それらを聞かされて、簡単に言葉など出てこなかった。
悠真はゆっくりと息を吐いた。
「そんな壮絶な事があったなんて……」
雪子は静かに目を伏せる。
悠真は続けた。
「大変だったんだな……」
幸子がしたことは、決して軽いことではない。
人の意思を奪い、支配し、命令に従わせている。
それは許されることではなかった。
だが、その背景にはあまりにも深い傷があった。
悠真は、それを無視して幸子だけを責めることはできなかった。
ふと、悠真は地下の隠れ家の外に視線を向ける。
ここには多くの人が暮らしている。
幸子親衛隊から隠れるように、地下で生活している人達。
その意味に、悠真は気づいた。
「という事はまさか、ここに住んでる人達って……」
雪子は頷いた。
「えぇ……ここに居るのは幸子姉様のスキルの対象にならず避難してきた超人族の人達なのです」
《承認欲求》は超人族には効かない。
だからこそ、支配されなかった者達が逃げ延び、ここに集まった。
雪子は顔を上げる。
「そして、何とかスキルの支配下にある人達や幸子姉様を助けたいと私達は考えています」
その声には、迷いがなかった。
幸子を倒したいのではない。
支配された人々を救いたい。
そして、幸子自身も救いたい。
雪子は今も、幸子のことを姉として見ている。
悠真は小さく頷いた。
「成る程な……」
◇
そこで、悠真はふと別の疑問を覚えた。
雪子の話は、あまりにも詳しかった。
雪子が神崎家へ来る前の幸子の幼少期。
爺やとのやり取り。
100点の答案用紙。
それらは、雪子自身が見ていたはずのない出来事だった。
悠真は雪子を見る。
「というか何でそんなに、幸子の過去に詳しいんだ……?」
雪子は少しだけ目を伏せた。
悠真は続ける。
「雪子さんが来る以前の話もしてたけど……」
その問いに答えたのは、雪子ではなかった。
「それは、わたくしがお伝えしたからでございます」
静かな声が、部屋の入口から聞こえた。
悠真達は一斉にそちらを見る。
そこに立っていたのは、年齢の高そうな男性だった。
背筋はまっすぐ伸びている。
服装は、いかにも執事といった整ったもの。
顔には深い皺が刻まれているが、その所作には品があった。
ただ、その目には長い後悔と悲しみが滲んでいる。
雪子が静かに紹介した。
「彼は先程話した中に出てきた爺やです」
悠真は思わず息を呑んだ。
「あなたが、あの……」
爺やは悠真へ深く頭を下げた。
「はい。悠真様、どうかお嬢様を責めないで欲しいのです……」
その声は、丁寧でありながら、どこか痛々しかった。
「被害を受けられた悠真様に言うのは勝手だという事は重々承知しておりますが、お嬢様も雪子様も神崎家の被害者なのです……」
爺やは、幸子の行いを正当化しているわけではなかった。
それでも、幸子が壊れていくまでの過程を知っている。
幼い幸子が泣きながら努力していたことを知っている。
両親に認められたくて、必死に頑張っていたことを知っている。
そして、自分が最後に残した言葉が、結果的に幸子を追い込んだことも分かっている。
だからこそ、爺やは頭を下げずにはいられなかった。
悠真は一呼吸置いた。
感情だけで答えてはいけない。
幸子の過去は悲惨だった。
だが、支配された人々にも人生がある。
幸子を可哀想だと思うだけでは、何も解決しない。
それでも、助けられる可能性があるなら助けたい。
悠真はそう思った。
「勿論、分かってますよ……」
爺やが顔を上げる。
悠真は雪子へ視線を戻した。
「もし、良ければ俺達も幸子さんと避難民の救出に協力したいんだが……」
雪子の目が大きく揺れた。
驚きと、安堵と、感謝が混ざった表情だった。
「正直、断われる余裕がないので、そんな事を言って頂けるのは本当に有難いです……!」
雪子は深く頭を下げる。
悠真は頷き、さらに続けた。
「それに、避難民達のスキルの支配下は解除出来ると思います」
その言葉に、雪子だけでなく、今野や周囲にいた者達も目を見開いた。
雪子達はこれまで、支配された人々を元に戻す方法を見つけられずにいた。
超人族には効かないから逃げることはできた。
だが、支配下になった普通の人々を救う手段がなかった。
悠真は浮田を見る。
「浮田、行けそうか?」
浮田は少し考えたあと、頷いた。
「桜井の時も出来た実績があるから行けると思う」
桜井晴彦による支配を解除した経験。
あの時の方法が、幸子の《承認欲求》にも通用する可能性がある。
絶対とは言い切れない。
だが、試す価値は十分にあった。
雪子は困惑したまま、震える声で言った。
「え……?!」
そして、信じられないものを見るように悠真達を見つめる。
「洗脳を解除出来るのですか?!」




