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【神崎家編完結】世界崩壊後、日常生活スキルで俺が最強拠点を作ってしまった件  作者: ナマケモノ


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154/196

神崎家②

第154話です。宜しくお願い致します。


幸子は走り出した。

 床に落ちた答案用紙を拾うこともできなかった。

 赤い丸が並んだ、100点のテスト。

 爺やの言葉を信じて、必死に努力して掴んだ結果。

 お父様とお母様に見せれば、きっと褒めてもらえる。

 きっと認めてもらえる。

 そう信じて、大切に両手で抱えてきたもの。

 しかし、それは両親に見られることすらなかった。

 幸子の耳には、父と母の声がまだ残っていた。

 もう、幸子は駄目だ。

 神崎家の汚点だ。

 内密で養子を取ればいい。

 何人か取って、優秀な子だけを育てればいい。

 残りは召使いにすればいい。

 その言葉が、幼い幸子の胸を何度も何度も刺していた。

「嘘だ……! 嘘だ……!」

 幸子は大粒の涙を流しながら、廊下を走った。

 視界は涙で滲み、足元もよく見えていなかった。

 それでも止まれなかった。

 止まってしまえば、聞いてしまった言葉が本当になってしまう気がした。

 走っている途中、廊下の向こうに爺やの姿があった。

 爺やは何か用事をしていたのか、手に白い布を持っていた。

 だが、幸子はその姿に気づかなかった。

 泣きじゃくりながら、ただ自分の部屋へ向かって走り続けた。

「お嬢様……?」

 爺やは小さく声を漏らした。

 いつもなら、幸子は爺やを見つけると、小さくでも返事をする。

 どれだけ泣いた後でも、どれだけ疲れていても、爺やの声には反応してくれた。

 しかし今の幸子は、まるで周囲が見えていない。

 顔をくしゃくしゃにして、大粒の涙を流しながら走り去っていく。

 ただ事ではなかった。

 爺やはすぐに幸子の後を追った。


 ◇


 幸子は自分の部屋に飛び込むように入ると、そのまま床へ座り込んだ。

 扉を閉める余裕すらない。

 小さな身体を震わせ、膝を抱え、声を押し殺すこともできずに泣きじゃくった。

「うっ……うぅ……!」

 今まで我慢してきたものが、すべて壊れてしまったようだった。

 怒鳴られても耐えた。

 叩かれても謝った。

 眠くても机に向かった。

 足が痛くても作法の練習を続けた。

 難しい言葉も、分からない計算も、涙をこぼしながら覚えた。

 爺やが言ってくれたから。

 努力は才能だと。

 いつか必ず報われると。

 だから幸子は信じた。

 自分は駄目な子ではない。

 努力すれば、いつかお父様とお母様にも認めてもらえる。

 今日こそ、その日になるはずだった。

 だが、父と母は幸子を見ていなかった。

 努力も。

 痛みも。

 涙も。

 何も見ていなかった。

 神崎家に必要な道具として使えないなら、別の子を用意すればいい。

 幸子には、そう聞こえた。

 自分はもう要らないのだと。

 そう思った瞬間、胸の奥が潰れそうになった。


 ◇


 少しして、爺やが部屋へ入ってきた。

 扉の前で一度足を止める。

 床に座り込んで泣いている幸子を見て、爺やの表情が痛ましげに歪んだ。

 だが、爺やはすぐに問い詰めなかった。

 何があったのですか。

 誰に何をされたのですか。

 そう尋ねたい気持ちを押し殺し、ゆっくりと幸子のそばへ歩み寄る。

 そして、膝をつき、幸子の小さな背中へそっと手を添えた。

 優しく、何度もさする。

 幸子が自分から話せるようになるまで、爺やは静かに待った。

 部屋の中には、幸子の泣き声だけが響いていた。

 しばらくして、幸子が震える声で呟いた。

「爺や……」

「何でございましょう、お嬢様……」

 爺やはいつものように、穏やかな声で答えた。

 幸子は涙で濡れた顔を上げる。

 目は赤く腫れ、頬には涙の跡がいくつも残っていた。

「私、高校の英語のテストで100点取ったよ……」

 その言葉に、爺やは目を見開いた。

「何と……!」

 それは心からの驚きだった。

「それは凄い事ではありませんか!?」

 爺やの声には、偽りのない喜びがあった。

 6歳の子供が、高校生レベルの英語のテストで満点を取る。

 普通なら信じられないようなことだ。

 まして幸子は、毎日叱責され、怯え、傷つきながらも努力を続けてきた。

 その努力が形になった。

 爺やにとって、それは何よりも誇らしいことだった。

 だが、幸子の表情は少しも晴れなかった。

 むしろ、爺やが喜んでくれたことで、余計に涙が溢れた。

「爺やはいつか言ったよね……」

「はい……」

「努力は才能だ」

 幸子は、小さな手で服の裾を握りしめた。

「いつか努力は報われるって……」

「はい……」

 爺やは静かに頷いた。

 幸子は唇を震わせながら続ける。

「確かに、努力は報われたよ……」

 100点を取れた。

 家庭教師にも褒められた。

 爺やも今、すごいと言ってくれた。

 努力は形になった。

 それは確かだった。

 だが、幸子が本当に欲しかったものは、それだけではなかった。

「でも、褒めてくれるのは爺やだけみたい……」

 その言葉は、あまりにも小さかった。

 だが、爺やの胸を深く抉った。

 爺やはそれでも、少しでも幸子を支えようとする。

「きっとそんな事ございませんよ」

 優しく、慎重に言葉を選ぶ。

「お母様とお父様にテストをお見せになったらきっと……」

 幸子は首を横に振った。

 その動きは弱々しかったが、はっきりしていた。

「そう思って私も見せに行ったよ」

 爺やの手が、わずかに止まる。

「そうしたらドアが少しだけ開いてて、お父様とお母様の声が聞こえてきたの……」

 爺やの胸に、嫌な予感が広がった。

 幸子は涙をこぼしながら、言葉を続ける。

「お父様もお母様も私はもう駄目だって……」

「……」

「私の代わりに神崎家に相応しい養子をとるって……」

「そんな……」

 爺やの声が、わずかに震えた。

 神崎夫妻が幸子に厳しすぎることは、爺やも分かっていた。

 叱責が度を越えていることも。

 時には手を上げることも。

 幼い幸子の心を削っていることも。

 爺やはずっと見てきた。

 それでも、心のどこかでは願っていた。

 いつか夫婦が気づいてくれることを。

 幸子の努力を、娘の痛みを、ちゃんと見てくれる日が来ることを。

 だが、現実は違った。

 彼らは幸子を諦めていた。

 それどころか、代わりの子供を道具のように選ぼうとしていた。

 幸子は突然、堪えきれなくなったように声を荒げた。

「どうしてなのッ!!」

 小さな身体から出たとは思えないほど、悲痛な叫びだった。

「爺やに言われた事を信じて、私はいっぱいいっぱい努力したよ……」

 涙がまた溢れる。

 幸子は胸元を掴むようにしながら続けた。

「それなのに、私はもう要らないのかな……」

 爺やの表情が変わった。

 いつもの穏やかな執事の顔ではなかった。

 怒り。

 悔しさ。

 悲しみ。

 それらを必死に抑え込んだ顔だった。

 だが、幸子の前で怒鳴ることはしない。

 これ以上、この子を怯えさせてはならない。

 爺やは低く、しかしはっきりと答えた。

「断じてそんな事ありません……」

 その声には、強い力があった。

 幸子は涙に濡れた目で爺やを見る。

 爺やは、幸子の背中から手を離し、ゆっくりと立ち上がった。

「ちょっとここで待っていて下さい!」

「え……?」

 幸子が戸惑った声を漏らす。

 だが、爺やはそれ以上何も言わなかった。

 幸子へ一度だけ深く頭を下げ、そのまま部屋を出ていく。


 ◇


 扉が閉まる。

 爺やは廊下に出ると、静かに歩き始めた。

 足取りはゆっくりだった。

 音もほとんど立てない。

 長年、神崎家に仕えてきた執事長としての振る舞いは、少しも崩れていない。

 だが、その胸の内では、これまでにないほどの怒りが燃えていた。

 神崎家に仕える者として。

 誠司が幼い頃から見てきた者として。

 本来なら、主人に強く意見する立場ではない。

 しかし、今回ばかりは黙っていられなかった。

 あの幼い子が、どれほど努力してきたか。

 泣きながらも机に向かっていたこと。

 叩かれた頬を押さえながら、それでも「次は間違えないように頑張る」と言っていたこと。

 眠気に耐え、足の痛みに耐え、心を削りながら両親に認めてもらおうとしていたこと。

 それを、爺やは知っている。

 誰よりも近くで見てきた。

 だからこそ、許せなかった。

 爺やは誠司と涼子の部屋の前まで来た。

 すると、扉の前の床に、ぐしゃっとなった紙が落ちていた。

 爺やは足を止める。

 それが何か、すぐに分かった。

 幸子の答案用紙だった。

 赤い丸が並んでいる。

 端は折れ、皺が寄っている。

 幸子が両手で大切に持っていたはずの、努力の証。

 爺やはそれをゆっくり拾い上げた。

 紙についた皺を、できる限り丁寧に伸ばす。

 それでも完全には戻らない。

 その折れ目が、まるで幸子の心についた傷のように見えた。


 ◇


 爺やは深く息を吸った。

 そして、扉をノックする。

「入れ」

 中から誠司の声がした。

 爺やは扉を開け、静かに部屋へ入る。

 部屋の中では、誠司と涼子が向かい合って座っていた。

 机の上には書類が置かれている。

 おそらく、養子の話を進めるつもりだったのだろう。

 爺やはいつものように一礼した。

「お忙しい所すいません」

 誠司は煩わしそうに眉をひそめる。

「本当に今、忙しいんだ」

 そして、冷たい声で続けた。

「手短に要件を言え」

 爺やは、手に持っていた答案用紙を差し出した。

「この紙を見てください」

 涼子がそれを見て、露骨に顔をしかめる。

「なぁに、この汚らしい紙は!」

 爺やの胸の奥で、怒りがさらに膨れ上がる。

 だが、声は丁寧なままだった。

「これは幸子お嬢様が高校の英語のテストで100点を取ったテストの点数です」

 涼子は少しだけ目を細めた。

 だが、そこに驚きも喜びもなかった。

「あら、そう。それがどうしたの?」

 そのあまりにも軽い声に、爺やの指先がわずかに震えた。

 誠司も興味を示さなかった。

「そんな事ならもういい」

 爺やから答案用紙を受け取ると、誠司はろくに見ようともしない。

「今、涼子と大事に話をしていたんだ」

 そして、爺やを追い払うように手を振る。

「早く、出ていけ」

 次の瞬間、誠司は答案用紙を丸めた。

 くしゃりと、嫌な音がした。

 爺やが少しでも皺を伸ばした紙が、再び歪む。

 誠司はそれを何のためらいもなく、部屋の隅にあるゴミ箱へ投げ捨てた。

 紙の塊が、ゴミ箱の中へ落ちる。

 爺やは、その音を聞いた。

 たったそれだけの音だった。

 だが、爺やの中で、最後の線が切れた。

「そんな事……?」

 低い声だった。

 誠司が不快そうに爺やを見る。

 爺やは顔を上げた。

 その表情は、いつもの柔和な執事長のものではなかった。

 静かな怒りをたたえた顔だった。

「貴方方が今、捨てた紙は、貴方達に認められたい、期待に応えたい、そして何より褒めてもらいたい一心で、数々の暴言、暴力に耐えぬいた末に出来た努力の結晶ですよ……?」

 誠司と涼子が目を見開く。

 爺やは止まらなかった。

「それを丸めてポイで終わり?」

 声は荒げていない。

 だが、一言一言が鋭く刺さる。

「そんな事……?」

 爺やは、真っ直ぐに2人を見据えた。

「恥を知りなさい」

 部屋の空気が凍った。

 誠司の顔が怒りで赤く染まる。

「何だ、その無礼な態度は!?」

 涼子もすぐに声を上げた。

「そうよ!」

 そして、当然のように言い放つ。

「それに、そのくらいの点数神崎家では当然ですことよ!」

 6歳の子供が、高校生レベルの英語のテストで満点を取った。

 普通なら、驚き、褒め、抱きしめてもおかしくない。

 だが、涼子はそれを当然だと言った。

 神崎家の人間なら当たり前だと。

 幸子の努力を、痛みを、涙を、何も知らないまま切り捨てた。

 爺やは、呆れたように涼子を見た。

「奥様は知らないでしょうが、旦那様が鼻垂れ小僧の時代からお仕えさせて頂いておりますが、まぁ酷かったです」

 涼子の表情が変わる。

「……何ですって?!」

 誠司の顔が、わずかに強張った。

 爺やは淡々と続ける。

「幸子お嬢様の同い年の時には遊び回って、親のいう事は聞かず、権力に身を任せ、同い年くらいの子をよくいじめておりました」

 涼子が誠司を見る。

 誠司は苦々しい顔をした。

 だが、すぐには反論しない。

 爺やはさらに言葉を重ねる。

「テストの点数も、幸子お嬢様くらいの年齢で小学生のレベルで躓いておりました」

 そして、はっきりと言い切る。

「幸子お嬢様とは天と地との差でございます」

「黙れェ!!」

 誠司が怒鳴った。

 机を叩く音が部屋に響く。

「勝手な事をほざくな!」

 涼子は動揺を隠せないまま、誠司へ詰め寄るように尋ねた。

「ねえ、あなた、本当に違うのよね?」

 その声には、不安と疑いが混じっている。

「こいつの出任せよね?」

 誠司は一瞬だけ視線を逸らした。

 だが、すぐに顔を取り繕う。

「勿論だよ……」

 その声は、先ほどまでよりわずかに弱かった。

「そんなわけないだろ……」

 爺やは何も言わなかった。

 誠司は怒りと焦りを誤魔化すように、爺やへ視線を向ける。

「数々の暴言、虚言は見過ごせない」

 そして、口元を歪めた。

 自分には爺やを罰する権力がある。

 そう確信している笑みだった。

 誠司はニヤリと笑いながら、爺やへ冷たく告げた。

「お前はクビだ!」



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