イングリッ種族のエイゴ(後編)
第149話です。宜しくお願い致します。
エイゴの話は、そこで一度途切れた。
翡翠球から来たイングリッ種族。
仲間を庇い、巨大な口を持つモンスターに丸呑みにされたこと。
目を覚ますと地球の森にいて、人間にモンスターだと恐れられ、石を投げられ、傷だらけで倒れていたところを近藤に助けられたこと。
宴会場にいた者達は、誰もすぐには言葉を発することができなかった。
つい先ほどまで、近藤のそばにいる少しふてぶてしいブルドッグだと思っていた存在が、別世界から来た知性ある種族だった。
しかも、その過去はあまりにも痛ましい。
コン太も、春日も、悠真も、それぞれ違う表情でエイゴを見つめていた。
近藤だけは、まだ現実を受け止めきれていないようだった。
無理もない。
彼にとってエイゴは、半年前に拾ったブルドッグのブル太だった。
怪我をしていたから助け、世話をしているうちに懐いた。
気づけば、いつも自分のそばにいるようになった。
ただ、それだけのはずだった。
だが、今そのブル太が、人の言葉を話し、別世界から来た存在として自らの過去を語っている。
近藤の頭の中で、今までの常識が音を立てて崩れているのは明らかだった。
エイゴは静かに目を伏せた。
そして、近藤に助けられた後のことを語り始めた。
◇
傷だらけで森の中に倒れていたエイゴは、近藤に抱きかかえられたあと、そのまま意識を失っていた。
次に目を覚ました時、そこは森の中ではなかった。
柔らかい感触が身体を支えていた。
エイゴは、ゆっくりと目を開ける。
見慣れない天井、黒を基調とした内装。
壁には鎖やトゲ付きの飾りのようなものがあり、地球に来てから見たどの建物とも違っていた。
身体を動かそうとすると、鈍い痛みが走る。
だが、傷には手当てがされていた。
血は拭われ、包帯のようなものが巻かれている。
エイゴはソファの上に寝かされていた。
その近くに、あの男がいた。
オレンジ色のモヒカンで荒々しい服装。
だが、自分を恐れず、石も投げず、ただ助けようとしてくれた男。
近藤剛だった。
エイゴが目を開けたことに気づくと、近藤は顔を近づける。
「おぅおぅおぅ、お前大丈夫だったか?」
声は大きく見た目も怖い。
しかし、その手つきは不思議なほど優しかった。
近藤はエイゴの頭をゆっくりと撫でる。
傷に触れないように、怯えさせないように、大きな手で慎重に。
エイゴはその手の温かさに、胸の奥が詰まるような感覚を覚えた。
すぐにでも礼を言いたかった。
助けてくれてありがとう。
私はモンスターではなく、翡翠球から来たイングリッ種族だ。
そう伝えたかった。
だが、近くにいた世紀末漢隊の隊員が、近藤へ声をかけた。
「兄貴、その犬ペットにでもして飼うつもりですか?」
犬。
ペット。
エイゴは、その言葉を聞いて身体を強張らせた。
この世界では、自分はただの犬に見える。
そして、犬は人間に飼われる存在らしい。
近藤は少し考えるように、エイゴを見下ろした。
「どうだろうなぁ……」
そして、いつものように豪快ではなく、どこか穏やかな声で続けた。
「まぁ、怪我もしてたし傷が治るまでは少なくとも世話してやろうとは思う」
世紀末漢隊の隊員達は、すぐに声を上げた。
「流石、兄貴!」
「動物にも優しいなんて、マジで漢っす!!!」
隊員達は近藤を褒めていた。
そこに悪意はない。
彼らは本気で、傷ついた動物を助ける近藤を尊敬していた。
しかし、エイゴの胸には別の不安が広がっていた。
もし、今ここで自分が喋ったらどうなるのか。
最初に出会った人間は、エイゴを見てモンスターだと叫び、逃げた。
次に出会った男性達は、犬が喋るわけがないと石を投げつけた。
それが、この世界の反応だった。
ならば、近藤はどうだろう。
彼は自分を助けてくれた。
傷を手当てし、優しく撫でてくれた。
だが、それは自分を犬だと思っているからかもしれない。
もし、言葉を話す異世界の種族だと知ったら。
モンスターだと思われるかもしれない。
怖がられるかもしれない。
拒絶されるかもしれない。
エイゴは、それが怖かった。
ようやく見つけた温かい手。
この世界で初めて、自分を傷つけなかった人間。
その人にまで拒絶されることを、エイゴはどうしても恐れてしまった。
だから、口を閉ざした。
礼を言いたい気持ちを飲み込んだ。
自分はただの犬。
近藤達がそう思うなら、そのままでいよう。
エイゴは、ブル太として生きることを選んだ。
◇
それからの日々、エイゴは世紀末漢隊の拠点で過ごすようになった。
近藤は言葉通り、傷が癒えるまで面倒を見てくれた。
食べ物を与え、寝る場所を用意し、時には乱暴に見えるほど大きな手で撫でた。
隊員達も、エイゴをブル太と呼び、可愛がった。
世紀末風の見た目をした男達が、ブル太にだけ妙に甘い顔をする様子は、傍から見れば奇妙だったかもしれない。
だが、エイゴにとっては救いだった。
もちろん、不安が消えたわけではない。
自分は本当は犬ではない。
イングリッ種族だ。
言葉を話し、家族や仲間と暮らし、翡翠球で生きていた。
その事実を隠し続けることは、エイゴにとって苦しいことでもあった。
それでも、近藤のそばにいることで、エイゴは少しずつこの世界のことを知っていった。
ここが地球という世界であること。
この世界にもゲートが現れ、モンスターが溢れたこと。
多くの人が家族や家を失い、生き残るために必死になっていること。
この世界では、人間以外の動物が基本的に言葉を話さないこと。
犬は人間に飼われることがあり、ペットと呼ばれること。
そして、世紀末漢隊が東北を守るために戦っていること。
近藤が、ただ強いだけの男ではないことも分かっていった。
彼は口が荒い。
見た目も派手だ。
やることも豪快で、時には常識外れだった。
だが、弱っている者を見捨てない。
腹を空かせた者には食わせる。
怖がっている者には背中を見せる。
守ると決めた者は、本気で守る。
エイゴは近藤のそばで過ごしながら、少しずつこの男を信頼していった。
しかし、その一方で、同じ翡翠球から来た存在には一度も会えなかった。
近藤の口から、翡翠球という言葉が出たことはない。
フォック族。
イングリッ種族。
そういった言葉も、一度も聞かなかった。
エイゴは、もしかすると本当に自分1人だけがこの世界に来てしまったのかもしれないと思っていた。
時折、夜に近藤のそばで丸くなりながら、翡翠球のことを思い出す。
自分が突き飛ばして助けた仲間は、無事に逃げられただろうか。
他のイングリッ種族はどうなったのだろうか。
翡翠球は今も残っているのだろうか。
考えても答えは出ない。
だからエイゴは、ブル太として黙って近藤のそばにいた。
◇
そうして、半年ほどが過ぎたある日。
悠真達が世紀末漢隊の拠点に現れた。
最初、エイゴは特に何とも思わなかった。
近藤が客人を連れてくることは、珍しいことではなかった。
東京から来た者達。
近藤が興味を持った者達。
その程度の認識だった。
悠真達は確かに不思議な一団だったが、エイゴにとっては地球の人間達であることに変わりはない。
だが、東京での宴に誘われ、中央会館へ向かった時、エイゴの認識は大きく変わった。
宴会場の一角。
そこに、あり得ない存在がいた。
キツネのような見た目。
二足歩行。
人間の言葉を話している。
コン太だった。
エイゴは一目で確信した。
フォック族だ。
地球のキツネではない。
地球では人間以外の動物が言葉を話さない。
この半年間で、それは嫌というほど理解していた。
だから、あの存在は地球の動物ではない。
間違いなく、翡翠球から来た知性ある種族。
エイゴは胸が大きく震えるのを感じた。
自分だけではなかった。
この世界に、翡翠球から来た存在がいた。
エイゴは、コン太へ接触した。
そこで初めて、自分がイングリッ種族のエイゴであることを明かした。
コン太も驚いた。
そして、春日に伝えた。
春日はコン助というフォック族の友を知っていた。
だから、エイゴの話をただの勘違いとして片づけなかった。
そして今、悠真と近藤の前で、春日はエイゴの正体を明かしたのだった。
◇
現在に戻ると、近藤は頭を抱えていた。
「事情は分かったが、未だに信じられない……」
近藤はブルドッグの姿をしたエイゴを見つめる。
「あのブル太がブル太じゃなくて……」
そこで一度言葉が止まる。
「いや、そんな事より別の世界の別の生き物……」
情報が整理しきれていないのだろう。
近藤らしくないほど、眉間に皺を寄せている。
エイゴは静かに答えた。
「無理はない……」
その声は落ち着いていた。
だが、どこか寂しさも滲んでいる。
「この世界では私の存在というのはあり得ない事だからな」
犬が喋る。
ブルドッグのような存在が、別世界から来た知性ある種族だと名乗る。
地球の常識ではあり得ない。
エイゴ自身も、この半年でそれを理解していた。
だが、エイゴは近藤をまっすぐ見つめた。
「だが、私は本当に感謝しているんだ……!」
その言葉に、近藤の表情が少し変わる。
「近藤だけ……近藤だけが私を受け入れてくれた」
エイゴの声はわずかに震えていた。
「例え、犬として受け入れてくれたとしても、私は近藤だけが心の拠り所だった……」
宴会場が静かになる。
エイゴは、近藤が自分の正体を知らずに助けたことを分かっている。
近藤は、エイゴをイングリッ種族として受け入れたわけではない。
怪我をした犬だと思って世話をした。
それでも、エイゴにとっては救いだった。
モンスターだと叫ばれ、石を投げられ、誰にも話を聞いてもらえなかった世界で、近藤だけが手を差し伸べてくれた。
その事実は、エイゴの中で何より大きかった。
近藤は少し照れくさそうに視線を逸らした。
「いや、俺もお前の事結構気に入ってたよ……」
その言葉に、エイゴの表情が少し柔らかくなる。
だが、次の瞬間、近藤の顔色が変わった。
「というか……お前の前であんな事やこんな事話しちまったよな……」
エイゴはほんの少しだけ目を泳がせた。
「あぁ……あれは……」
そして、気まずそうに笑う。
「まぁ、そんな事もあるさ……」
その誤魔化し方で、近藤は全てを察した。
「最悪だァァァ!!!」
近藤の叫びが宴会場に響き渡る。
世紀末漢隊の隊員達がびくっと肩を跳ねさせた。
「恥ずかしい事や愚痴やら何やら、お前にめっちゃ喋っちまったじゃねぇか!!」
近藤は両手で頭を抱える。
ブル太をただの犬だと思っていたからこそ、気を許して話していたことがあったのだろう。
誰にも聞かせたくない弱音。
恥ずかしい本音。
仲間には見せない愚痴。
それらを、実は全部エイゴに聞かれていた。
悠真はその反応を見て、思わず身を乗り出した。
「何だ……?!」
目が少し輝いている。
「気になるな!」
そして、エイゴへ向けて言った。
「後で教えてくれぇー!」
「絶対絶対絶対に言うなよ!!」
近藤が必死の形相で叫ぶ。
エイゴは少しだけ笑ってから、静かに頷いた。
「……あぁ勿論だ」
近藤はまだ疑わしそうにエイゴを見ていたが、エイゴの答えに少しだけ安心したようだった。
重くなりかけた空気が、少しだけ和らぐ。
◇
だが、悠真の中には別の疑問が浮かんでいた。
エイゴの過去を聞いてから、ずっと気になっていたことだ。
「それより気になったんだが、エイゴはモンスターに食べられてこっちに来たって言ってたよな?」
悠真がそう尋ねると、エイゴは頷いた。
「はい……」
悠真はコン太の方を見る。
「ここにいるコン太と、それに春日の友達のコン助の2人はゲートからこっちに迷い込んで来たんだ」
「そうだコン!」
コン太が頷く。
春日もすぐに反応した。
「それは私も気になってました!」
研究者としての目になっている。
「具体的にどんなモンスターだったんですか……?」
エイゴは記憶を辿るように目を伏せた。
恐ろしい記憶。
巨大な口。
仲間を庇った瞬間の黒い影。
思い出すだけで身体が強張る。
それでも、エイゴは答えた。
「目がギラギラしてて、口がとにかく大きなモンスターって事しか特徴がないんですよね……」
「そうなんですね……」
春日は顎に手を当て、考え込む。
それだけでは、手がかりとしては少ない。
だが、エイゴはふと思い出したように続けた。
「ただ、目を覚ますと星型の砂……? みたいなのは周りに落ちてました」
その瞬間、春日の表情が一変した。
「何ですって?!」
声が一気に大きくなる。
悠真もその反応で、ただ事ではないと分かった。
星型の砂。
いや、星型の粒子。
春日とコン助が、かつてゲート研究の手がかりとして集めていたもの。
それと関係がある可能性が高い。
春日は身を乗り出す。
「その話詳しく聞かせてくれませんか?!」
完全に研究者の目だった。
放っておけば、この場で朝まで話を聞き続けるかもしれない。
だが、今日はあまりにも色々なことがありすぎた。
これ以上、今夜中に深掘りするには、皆の疲労が大きい。
悠真は慌てて間に入った。
「まぁまぁ、取りあえず今日はここまでにしよう!」
春日は少し不満そうに悠真を見る。
「……仕方ないですね」
納得はしていない。
だが、引き下がってくれた。
悠真は内心で息を吐く。
春日は喋り出すと、熱が入りすぎて止まらなくなりそうだった。
詳しい話は、後日研究所で落ち着いて聞いた方がいい。
その方がエイゴにとっても負担が少ないはずだ。
◇
やがて、宴は本当にお開きになった。
近藤達は、阿川の《配管工》を通って東北へ帰っていく。
エイゴも近藤のそばにいた。
もうブル太として黙っているだけの存在ではない。
それでも、近藤の隣にいる姿は不思議と自然だった。
悠真は、彼らを見送ったあと、静かに考え込んだ。
エイゴのこと。
ゲートの謎。
巨大な口のモンスター。
星型の砂。
それらについては、一旦春日に任せるべきだろう。
春日なら、コン助との研究経験もある。
星型の粒子についても詳しい。
エイゴから話を聞けば、何か新しい手がかりを掴めるかもしれない。
悠真には、他にもやることが山ほどある。
東京と東北の友好都市構想。
新幹線と道路整備。
全国調査の続き。
国への報告。
東京の運営。
考えるべきことは尽きない。
だが、どうしても1つだけ、頭の中から離れない疑問があった。
なぜ、翡翠球からばかりこちらに迷い込んでいるのか。
コン太にコン助、そしてエイゴ。
ゲートの先が別の世界線、つまりパラレルワールドのようなものだとするなら、本来はもっと色々な世界から来てもおかしくない。
2人までなら、偶然で片付けられたかもしれない。
だが、3人となると話は変わってくる。
翡翠球と地球には、何か特別な繋がりがあるのか。
それとも、ゲートの仕組みそのものに偏りがあるのか。
あるいは、まだ悠真達が知らないだけで、別の世界から来た存在もどこかにいるのか。
答えは出ない。
それでも、その疑問だけは、悠真の中に深く残り続けていた。




