フォック族のコン助(中編)
第132話です。宜しくお願い致します。
「というか、ここは何処だコン?」
ゲートから現れたフォック族、コン助は、研究室の中をきょろきょろと見回しながら言った。
先ほどまでゴブゴブリンに襲われ、死を覚悟していた春日は、床に座り込んだまま目の前の存在を見つめていた。
二足歩行で立つ、ぬいぐるみのようなキツネに似た生き物。
しかも、人の言葉を話している。
春日の理解は、まだ現実に追いついていなかった。
「ここは研究室だよ……」
春日は、どうにかそう答えた。
「研究室……コン?」
コン助は首を傾げる。
その仕草はどこか愛らしい。
だが、春日にとっては何もかもが異常だった。
研究所の壁は壊され、同僚達の姿はなく、見たこともないモンスターに襲われた。
そして今度は、ゲートから喋るフォック族が出てきた。
世界が壊れたのだと、春日は嫌でも理解し始めていた。
「というか君は、フォック族って……?」
春日がそう尋ねると、コン助は胸を張った。
「オイラはフォック族のコン助だコン。キツネじゃないコン」
「フォック族……」
春日は、その言葉を繰り返した。
聞いたことのない種族名だった。
少なくとも、地球にいる生き物ではない。
春日は研究者としての好奇心と、目の前の現実への恐怖の間で揺れながら、コン助と互いの状況を確認することになった。
コン助は、人間ではない。
地球の存在でもない。
翡翠球という別世界から来た存在だった。
コン助の住んでいた翡翠球でも、突然ゲートが開いた。
そこからモンスターが押し寄せてきたという。
春日はその話を聞きながら、眉を寄せた。
地球だけではない。
別世界でも、同じようにゲートが開いている。
その事実は、研究者である春日にとって衝撃的だった。
「でも、何でゲートからコン助が出てきたんです?」
春日が尋ねると、コン助は少しだけ耳を伏せた。
「沢山のモンスターから逃げていたら、目の前に真っ黒のワッカが現れて、無我夢中で飛び込んだコン!」
「そうだったんですね……」
「勢いで飛び込んだコン……」
コン助は研究室の床へ視線を落とした。
「でもまさか、こんな別世界に行くとは思わなかったコン……」
その声は、さっきまでの元気な調子とは違っていた。
「故郷に帰りたいコン……」
ぽつりと呟かれた言葉に、春日は胸を締め付けられた。
コン助は、見た目こそ不思議な存在だった。
だが、迷子になった子どものように、不安そうな顔をしていた。
別世界に飛ばされ、帰り道も分からない。
春日には、その心細さが少しだけ分かる気がした。
春日自身も、つい先ほどまで日常の中にいた。
それが突然、モンスターに襲われ、同僚達と離れ、研究室に取り残された。
世界から切り離されたような孤独感は、春日にもあった。
だからこそ、コン助を放っておくことはできなかった。
春日はゆっくりと立ち上がる。
まだ足は震えていた。
それでも、コン助の前で真剣な顔をした。
「私が、帰る方法を一緒に探しますよ!」
コン助はぱっと顔を上げた。
「ホントだコンか?」
「はい! こちらもゴブリンに殺されそうな所を助けてもらったので……」
春日は苦笑いしながら答えた。
実際には、コン助が意図して助けた訳ではない。
だが、ゲートが開かなければ、春日は確実にゴブゴブリンに殺されていた。
コン助が現れたことによって、春日は命を繋いだ。
それは確かだった。
「ありがとうコン!!」
コン助は嬉しそうに言った。
春日は少し迷った後、右手を差し出す。
コン助はその意味をすぐに理解したらしく、小さな手で春日の手を握った。
人間とフォック族。
地球の研究者と、翡翠球から来た迷子。
奇妙な2人の協力関係は、こうして始まった。
◇
それから、春日とコン助はゲートの研究を始めた。
コン助を翡翠球へ帰す方法を探すためだった。
しかし、外の世界はすでに地獄絵図だった。
研究所の外には、モンスターが徘徊していた。
人の悲鳴が聞こえることもあった。
建物が崩れる音も、何度も響いた。
春日達は研究所に長く留まることができなかった。
いつモンスターが入り込んでくるか分からない。
食料も限られている。
薬品や資料を持ち出せるだけ持ち出し、2人は研究所を出ることにした。
そこからの生活は、決して楽なものではなかった。
身を隠せそうな建物を見つけては、そこを拠点にする。
だが、モンスターに見つかれば逃げるしかない。
隠れ家にしていた建物を壊されたこともあった。
夜中に物音を聞き、息を殺してやり過ごしたこともある。
食料を探すために外へ出て、危うくモンスターに見つかりかけたこともあった。
それでも、春日とコン助は生き延びた。
春日は持ち出した薬品や道具を使い、最低限の防衛手段を作った。
コン助は小柄な身体を活かして、狭い場所へ入り込み、食料や使えそうな道具を探した。
互いに足りないものを補い合いながら、2人は少しずつ信頼を深めていった。
そして、研究も続けた。
ゲートが開いた場所を調べる。
ゲートが閉じた後の空間の揺らぎを観察する。
周囲に落ちている小さな粒子を拾い集める。
春日はそれらを簡易的な器具で調べ、記録をつけた。
コン助はその様子を横で見ながら、いつも不思議そうにしていた。
「春日は難しいことばかり考えてるコン」
「研究とはそういうものです」
「でも、楽しそうだコン」
「勿論です。研究は楽しいですから」
そんな会話を交わすことも増えていった。
最初は、ただ帰る方法を探すための協力者だった。
だが、いつしか2人は、苦難を共にする友になっていた。
◇
一緒に行動を始めてから、半年が過ぎた。
その頃には、春日とコン助の関係はかなり近いものになっていた。
コン助は春日を信頼し、春日もまた、コン助をただの研究対象として見ることはなくなっていた。
ある日、春日は小さな瓶を手に、興奮した様子でコン助へ駆け寄った。
「コン助、やっと少し近づいたよ!」
コン助は耳をぴんと立てた。
「本当かコン?」
「うん! ゲートが開いた時に星型の粒子が毎回落ちるでしょ?」
「あのキラキラしたやつだコン?」
「そう。それに、この世界のものではない物質が確認されたんだよ!」
春日の声は弾んでいた。
半年間、少しずつ集めてきた星型の粒子。
それはただの光の残りではなかった。
地球上の物質とは明らかに違う性質を持っていた。
春日は、それを手がかりにすれば、ゲートの仕組みに近づけるかもしれないと考えた。
「これを研究すれば、ゲートの謎に近づけるかもしれない!」
春日は瓶を大事そうに見つめる。
「そうしたら、故郷にも帰れるかも……!」
その言葉を聞いた瞬間、コン助の顔がぱっと明るくなった。
「凄いコン!!」
コン助は跳ねるように喜んだ。
「こんなに早く、帰れるかもしれない手がかりが見つかるなんて、やっぱり春日は天才だコン!」
春日は一瞬、言葉を失った。
天才。
そう言われることに慣れていなかった。
同僚達にはよくからかわれていた。
失敗して爆発させるなよ、と笑われることも多かった。
もちろん、それは悪意だけではなかった。
だが、春日の研究をまっすぐ信じてくれる者は少なかった。
コン助だけは違った。
春日の努力を見ていた。
失敗しても、諦めずに続ける姿を見ていた。
だからこそ、素直にそう言ってくれた。
「ありがとう……」
春日は小さく呟いた。
「天才だなんて、言ってくれるなんて、コン助だけだよ……」
コン助は首を傾げる。
「事実を言っただけだコン!」
その言葉に、春日は少しだけ笑った。
だが、その胸の奥には複雑な感情もあった。
コン助を故郷へ帰したい。
それは本心だった。
コン助は翡翠球に帰りたがっている。
家族や仲間がいるのかもしれない。
故郷の景色をもう一度見たいのかもしれない。
春日は、それを叶えてやりたかった。
しかし、帰る方法に近づけば近づくほど、春日は別の感情にも気付いてしまう。
帰る方法が見つかるということは、コン助と別れる日が近づくということでもある。
半年間、2人で生き延びてきた。
隠れ家を探し、食料を分け合い、モンスターから逃げ、研究を続けた。
コン助は、春日にとって大切な友になっていた。
だから、別れを想像すると胸が痛んだ。
それでも、春日はその感情を口には出さなかった。
コン助には帰ってほしい。
その気持ちもまた、本物だったからだ。
◇
ある日、春日とコン助は、いつものようにゲートが閉じた後の場所へ向かっていた。
ゲートが消えた後には、星型の粒子が落ちている。
それは、ゲート研究の重要な材料だった。
2人は周囲を警戒しながら、粒子を拾い集めていた。
春日が袋を広げ、コン助が小さな手で粒子を拾って入れていく。
「今日は少し多いコン」
「うん。この量があれば、前の実験の続きができる」
春日は慎重に袋の口を閉じようとした。
その時だった。
目の前の空間が、突然歪んだ。
春日は息を呑む。
そこに、もう1つのゲートが開いた。
「そんな……」
春日の声が震える。
ゲートの中から現れたのは、ゴブゴブリンだった。
1体ではない。
2体、3体、さらに続く。
最終的に、およそ10体ものゴブゴブリンが姿を現した。
春日とコン助だけで相手にできる数ではなかった。
「逃げるコン!」
コン助が叫ぶ。
春日は急いで、拾った星型の粒子を袋に入れた。
そして、2人はその場から走り出す。
だが、ゴブゴブリン達もすぐに2人へ気付いた。
耳障りな声を上げながら、後を追ってくる。
春日は袋を抱えたまま必死に走った。
コン助も小さな身体で懸命に走る。
しかし、荒れた道には瓦礫が多かった。
春日は足を取られかけ、体勢を崩す。
その拍子に、手に持っていた袋を落としてしまった。
袋の口が緩み、中の星型の粒子が少しこぼれる。
「あっ……!」
春日は反射的に足を止めた。
それは、半年かけてようやく掴みかけた手がかりだった。
コン助を故郷へ帰すための可能性だった。
捨てて逃げることなど、できなかった。
春日はすぐに拾おうとする。
だが、その一瞬の遅れで、ゴブゴブリン達が追いついてしまった。
「春日、危ないコン!」
コン助が叫ぶ。
春日は研究所から持ち出していた硫酸の瓶を取り出した。
コン助も、小さな鞄から同じように瓶を取り出す。
2人は迫ってくるゴブゴブリン達へ向かって、硫酸を投げつけた。
瓶が割れ、液体が飛び散る。
何体かのゴブゴブリンが悲鳴を上げた。
硫酸を浴びた個体は皮膚を押さえ、地面を転がる。
だが、数が多かった。
倒れたのは数体だけ。
まだ複数のゴブゴブリンが残っている。
春日は息を荒くしながら、次の瓶を探した。
だが、手持ちは少ない。
このままでは押し切られる。
前方のゴブゴブリンに意識を向けていた春日は、背後の気配に気付くのが遅れた。
1体のゴブゴブリンが、いつの間にか後ろへ回り込んでいた。
そのゴブゴブリンは、春日へ向かって飛びかかる。
鋭い爪が、春日の背中を狙っていた。
春日が振り返った時には、もう遅かった。
避けられない。
そう思った瞬間、コン助が動いた。
コン助は小さな身体で、春日とゴブゴブリンの間へ飛び込んだ。
「コン助……!」
春日が叫ぶより早く、ゴブゴブリンの爪が振り下ろされた。
無情にも、その鋭い爪はコン助の胸を貫いていた。
時間が止まったようだった。
コン助の身体が小さく震える。
赤い血が、ふわふわとした毛を濡らしていく。
ゴブゴブリンは、ニチャァっと嘲笑うような笑みを浮かべた。
春日は目を見開いた。
自分を庇った友が、目の前で傷ついている。
半年間、ずっと一緒にいた友。
故郷へ帰すと約束した友。
春日は喉が裂けるほどの声で叫んだ。
「コン助ーー!!!」




