フォック族のコン助(前編)
第131話です。宜しくお願い致します。
「コン太さんって、フォック族ですよね?」
春日日春のその一言で、場の空気が変わった。
悠真は思わず、春日の顔を見つめた。
コン太が普通の存在ではないことは、悠真達も知っている。
翡翠球という別の世界から来た、フォック族。
モンスターが現れるゲートと、たまたま翡翠球が繋がったことで、コン太はこの地球へ現れた。
つまり、本来なら地球の人間がフォック族の存在を知っているはずがない。
少なくとも、悠真はそう考えていた。
「何故、それを……?」
悠真が低い声で問いかけると、春日は少しだけ真面目な表情になった。
「やはり、そうなんですね……」
春日は一度、視線を落とす。
「私の友に、同じくフォック族が居たんです……」
「どういう事だ……?」
悠真の声には、警戒と疑問が混じっていた。
コン太以外にも、この地球へ来たフォック族がいる。
それが本当なら、コン太にとっても重要な話になる。
そして、春日がフォック族という言葉を知っている理由にもなる。
春日は、しばらく黙った。
いつものような騒がしさはない。
少しだけ遠い過去を思い出すように、ゆっくりと口を開く。
「あれは、まだ世界が崩壊して間もなかった時でした」
春日の言葉に合わせるように、悠真達は静かに耳を傾けた。
話は、世界が崩壊した直後へと遡る。
◇
その頃、春日日春は研究所にいた。
研究者として、白衣を着て、机に向かい、目の前の研究に没頭していた。
「今日こそは研究を完成させてやるのです!」
研究室に、春日の声が響く。
机の上には、書類や器具、薬品の瓶が所狭しと並べられていた。
春日は目を輝かせながら、実験器具を覗き込んでいる。
そんな春日を見て、近くにいた同僚達が笑った。
「毎日、そう言ってるじゃないか!」
「また、失敗して爆発させるなよ」
同僚達は一斉に笑い出した。
馬鹿にしているというより、いつものやり取りだった。
春日が研究にのめり込み、周囲が呆れながらも見守る。
それが、この研究所の日常だった。
「今度こそ、本当に完成しそうなんです!!」
春日はぷくっと頬を膨らませる。
それを見て、同僚達はまた笑った。
春日はむくれながらも、すぐに机の上へ視線を戻す。
からかわれることに慣れているのだろう。
何を言われても、研究への熱意が揺らぐことはなかった。
外では、すでに世界が変わり始めていた。
だが、研究所の中にいる春日達は、まだその異変をはっきりとは理解していなかった。
小さな騒ぎはあった。
遠くで何かが壊れるような音も聞こえた。
しかし、それが自分達の日常を終わらせるほどのものだとは、誰も思っていなかった。
昼になり、同僚達は揃って昼ご飯を食べに研究所を出ることになった。
「春日、行くぞ」
同僚の1人が声をかける。
だが、春日は机の上から目を離さなかった。
「すみません。私はもう少しだけ続けます」
「またかよ」
同僚は呆れたように肩をすくめる。
「あんまり根を詰めすぎるなよ」
「分かってるけど、後少しだから……」
春日はそう言って、実験器具へ視線を戻した。
同僚達は苦笑しながら研究室を出ていく。
その背中を、春日はきちんと見送らなかった。
手元の研究に夢中だったからだ。
それが、春日と同僚達の最後の会話になった。
◇
外は次第に騒がしくなっていた。
悲鳴に走る音、何かが倒れる音、そして誰かが叫ぶ声。
だが、春日にはほとんど届いていなかった。
彼は研究に没頭している。
あと少し、もう少しで、何かを掴める。
その感覚だけが、春日の意識を支配していた。
だから、研究所の外で何が起きているのか気付くのが遅れた。
次の瞬間、研究所の壁を何かがぶち破るような音が響いた。
轟音と振動。
棚に置いてあった器具が揺れ、いくつかの瓶が床に落ちて割れる。
さすがの春日も、その音には反応した。
「……何だ?」
春日は顔を上げる。
胸の奥に嫌な予感が広がった。
先ほどまで遠くに聞こえていた騒ぎが、急に近くなった気がした。
春日は恐る恐る研究室のドアへ向かう。
そして、少しだけ扉を開けた。
廊下の先にいたのは、見たことのない存在だった。
小柄な体に歪んだ顔、それに鋭い歯。
ゲームや漫画で見るゴブリンのような姿。
それが3体、廊下の先で何かを探すようにキョロキョロしていた。
Dランクモンスター、ゴブゴブリン。
当時の春日は、当然そんな名前を知らない。
ただ、本能的に危険な存在だと理解した。
「何だ、あれは……ゴブリン?!」
思わず声が出てしまった。
その声に、ゴブゴブリン達が一斉に反応する。
3体の顔が、春日の方へ向いた。
次の瞬間、ゴブゴブリン達は廊下を蹴って走り出す。
春日へ向かって一直線に迫ってきた。
「まずい……!」
春日は慌てて扉を閉める。
そして、急いで研究室の奥へ戻った。
何か武器になるものはないか。
逃げ道はないか。
頭の中で必死に考える。
だが、研究室に戦うための道具などない。
あるのは実験器具と薬品ばかりだ。
すぐに、扉の向こうから激しい音がした。
ゴブゴブリン達がドアを叩いている。
次の瞬間、ドアが蹴破られた。
木片が飛び散り、3体のゴブゴブリンが研究室へ入り込んでくる。
「そんな……」
春日は後ずさった。
目の前の光景が、現実のものだとは思えなかった。
朝まで普通に研究していた。
同僚達と話していた。
昼になれば、いつものようにご飯を食べ、戻ってきて、また研究を続けるはずだった。
それなのに、今は見たこともない化け物が目の前にいる。
「こんな所で、自分は何一つ完成させる事が出来ずに死んでしまうのか……?」
春日の声は震えていた。
死ぬのが怖い。
それは当然だった。
だが、それ以上に春日の中にあったのは、何も完成させられないまま終わる恐怖だった。
まだ研究したい。
まだ知りたい。
まだ作りたい。
まだ、自分の頭の中にあるものを形にしたい。
「いやだ、そんなの嫌だ……!」
ゴブゴブリン達が春日へ襲いかかる。
春日は反射的に、手元にあった薬品の瓶を掴んだ。
中身を確認している余裕などない。
手当たり次第に、ゴブゴブリン達へ投げつけた。
瓶が割れる。
液体が飛び散る。
ゴブゴブリンの1体に、いくつかの薬品が直撃した。
次の瞬間、そのゴブゴブリンが悲鳴を上げる。
皮膚が溶け始めていた。
薬品の中に、硫酸が混ざっていたのだ。
ゴブゴブリンは身体を押さえながら暴れ、床を転がる。
春日はその光景を見て、はっとした。
「そうか……硫酸……」
春日はすぐに、手元にあった硫酸の瓶を探した。
震える手で掴み、もう1体のゴブゴブリンへ向かって投げる。
瓶はゴブゴブリンの肩口に当たり、割れた。
飛び散った硫酸が皮膚を溶かす。
ゴブゴブリンが悲鳴を上げ、後退する。
最初に硫酸を浴びた個体と、次に浴びた個体。
2体は春日を恐れるように、研究室から逃げ出していった。
「よし……!!」
春日は思わず声を上げた。
助かった。
そう思いかけた。
だが、まだ1体残っていた。
最後のゴブゴブリンは、逃げなかった。
春日を睨みつけたまま、じりじりと距離を詰めてくる。
春日は慌てて、もう一度硫酸を投げようとした。
だが、ゴブゴブリンは横へ跳んでそれを避けた。
瓶は壁に当たり、割れる。
床に液体が広がっただけだった。
いくら頭が悪そうに見えるゴブゴブリンでも、仲間が同じ攻撃で傷ついたのを見て学習していた。
もう、同じ手は通じない。
「そんな、もう硫酸が……」
春日は机の上を見る。
手元の硫酸は無くなっていた。
他の薬品も、投げられそうなものはほとんど使い切っている。
研究室の奥に薬品倉庫はある。
だが、その場所はゴブゴブリンがいる方向に近い。
近づけば、先に襲われる。
「薬品倉庫まで行かないともうない……」
春日の声は小さかった。
ゴブゴブリンは、春日がもう何も投げてこないことを理解したのだろう。
ニチャッと笑みを浮かべた。
その表情が、春日の背筋を凍らせる。
「駄目だ、終わりだ……」
ゴブゴブリンが床を蹴る。
春日へ向かって飛びかかった。
春日は逃げようとした。
だが、足が動かなかった。
恐怖で身体が固まっていた。
「今度こそ、死ぬ……」
春日がそう呟いた瞬間だった。
◇
春日の目の前に、突然ゲートが開いた。
空間が裂けるように、黒く歪んだ穴が現れる。
ゴブゴブリンは勢いよく春日へ飛びかかっていた。
そのため、止まることができなかった。
ゴブゴブリンの身体は、そのままゲートの中へ飛び込んでいく。
そして、姿が消えた。
春日はしばらく、何が起きたのか理解できなかった。
「助かった……のか?」
力が抜け、その場に座り込む。
心臓が激しく鳴っている。
手は震えていた。
目の前には、今もゲートが開いている。
ゴブゴブリンは消えた。
だが、安心していいのか分からない。
何しろ、先ほどまで化け物に襲われていたのだ。
このゲートから、もっと危険なものが出てくる可能性もある。
春日は床に座り込んだまま、必死に身構えた。
すると、ゲートの奥から何かが動く気配がした。
「今度は何だ……」
春日は息を呑む。
ゲートから出てきたのは、キツネのような存在だった。
だが、普通のキツネではない。
二足歩行で立っている。
頭には巻き毛のような毛がある。
ぬいぐるみのような、不思議な姿をしていた。
大きさはそこまで大きくない。
先ほどのゴブゴブリンに比べれば、恐ろしさはない。
だが、あまりにも現実離れしていた。
春日は目を丸くする。
「キツネ……?」
すると、そのキツネのような存在がぴくりと耳を動かした。
そして、春日に向かって声を上げる。
「オイラはキツネじゃないコン!」
春日は固まった。
目の前の存在が喋った。
しかも、はっきりと人の言葉で。
キツネのような存在は、胸を張るようにして言った。
「フォック族のコン助だコン!」
「うわ……キツネが喋った?!」
春日は思わず叫んだ。
それが、春日日春と、1人のフォック族であるコン助との出会いだった。




