東京都知事、黒瀬悠真
第126話です。宜しくお願い致します。
中央会館前に設置された大きなモニターが、ゆっくりと点灯した。
その瞬間、会場に集まっていた人達の視線が一斉にモニターへ向いた。
俺も、思わず息を呑む。
ここまで来るのに、本当に色々な事があった。
最初は、都知事なんて肩書きに興味はなかった。
そもそも、俺は政治家になりたかった訳ではない。
ただ、生き延びるために拠点を守った。
仲間を守った。
助けを求める人達を受け入れた。
そうして気付いた時には、東京という街の一部を背負う立場になっていた。
そして今、その結果が出ようとしている。
壇上の横に立っていた司会進行者が、マイクを握った。
「今回の投票結果の前に、まず投票率から見てみます」
その声に合わせるように、モニターの画面が切り替わる。
会場が静まり返った。
次の瞬間、そこに大きな数字が映し出された。
投票率、95%。
「……95%?」
俺は思わず、心の中でその数字を繰り返した。
高い。
高すぎる。
最近の都知事選の投票率を考えれば、驚異的な数字だ。
もちろん、今は普通の選挙とは状況が違う。
世界は崩壊し、東京の未来そのものを決める投票だった。
それでも、95%という数字は簡単に出るものではない。
会場のあちこちからも、驚きの声が漏れていた。
「95%って、ほとんど全員じゃないか……」
「そんなに投票してたのか」
「すごいな……」
俺はモニターを見上げたまま、胸の奥が少し熱くなるのを感じた。
投票率を上げるために、色々な準備はしてきた。
賛成でも反対でもいい。
とにかく、自分の意思を示してほしい。
そう住民に伝えてきた。
その結果が、95%だった。
これは、ただ俺を都知事にするかどうかの数字ではない。
東京に住む人達が、自分達の未来を自分達で選ぼうとした証だ。
まずは、これ以上ないほど幸先のいい数字だった。
だが、問題はここからだ。
投票率がどれだけ高くても、賛成票が足りなければ意味がない。
俺は無意識に拳を握っていた。
心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
司会進行者が、再びマイクを口元へ近づけた。
「続いて、投票結果を発表します!」
会場の空気が、さらに張り詰める。
「こちらです!」
モニターの表示が切り替わった。
そこに映し出された数字を見た瞬間、俺は呼吸を忘れた。
賛成、86%。
反対、14%。
一瞬、会場が静まり返った。
そして次の瞬間、大きなどよめきが起こる。
「86%……!」
「圧倒的じゃないか!」
「黒瀬さんが都知事か!」
「やったぞ!」
声が広がっていく。
俺は、ただその数字を見つめていた。
賛成86%。
反対14%。
投票率が95%だったため、全体で見ると賛成票は約81%になる。
秘書が提示していた条件を、ぎりぎり超えていた。
全体の8割以上。
その数字に届かなければ、深澤総理も正式な任命には慎重になったはずだ。
だが、超えた。
俺は内心、思いきり大きな声で叫びたかった。
よしっ。
本当なら、両拳を握ってそう叫びたいくらいだった。
だが、ここは中央会館前。
多くの住民が見ている。
深澤総理もいる。
今から東京都知事になるかもしれない人間が、子どもみたいに叫ぶ訳にはいかない。
俺は何とか感情を抑え、小さく呟いた。
「……よし」
それでも、声には安堵が滲んでいたと思う。
俺は心の中で、すぐに秘書へ語りかけた。
「秘書のお陰だ、ありがとう!」
すると、いつも通りの冷静な声が返ってくる。
『お役に立てて良かったです』
その声は、普段とほとんど変わらない。
だけど、俺にはどこか少しだけ嬉しそうなトーンに聞こえた。
気のせいかもしれない。
そもそも秘書に感情があるのかどうかも分からない。
それでも、今の俺にはそう聞こえた。
この結果は、俺1人の力で掴んだものではない。
仲間達がいてくれた。
住民達が動いてくれた。
秘書が冷静に助言してくれた。
その全部が積み重なって、ようやくここまで届いたのだ。
◇
投票結果の表示が続く中、深澤総理が再び壇上へ上がった。
会場の空気は、先ほどとは明らかに違っていた。
深澤総理に対する怒りや不信感は、完全に消えた訳ではない。
だが、少なくとも今は、彼の言葉を聞こうという空気になっている。
深澤総理はマイクの前に立つと、静かに会場を見渡した。
「今回、本来であれば都知事選を行うのが普通だとは思います」
その言葉に、会場が静かになる。
「しかし、日本が危機的状況であるため、こういった形で都知事を決めさせて頂きました」
深澤総理は、今回の投票が通常の選挙ではないことを隠さなかった。
今の日本には、崩壊前と同じ制度をそのまま動かすだけの余裕がない。
役所の機能も、人員も、通信も、地域ごとの安全も、何もかも不安定だ。
だからこそ、東京で生活している人達の意思を確認し、その結果を国が受け止める。
今回は、そういう形になった。
深澤総理は、そこで俺の方へ視線を向けた。
「改めて、黒瀬君はこの数日で、何よりも仲間を、家族を、そしてこの東京の事を思っていると感じました」
俺は少しだけ目を見開いた。
そんな立派な人間だと思われると、正直かなり困る。
俺はいつだって、自分にできることを必死にやってきただけだ。
最初から大きな理想があった訳ではない。
だけど、そう見えていたのなら、それはきっと、俺の周りにいる人達のお陰だ。
仲間がいたから、俺は前に進めた。
守りたい人達がいたから、ここまで来られた。
深澤総理は、はっきりとした声で宣言した。
「私は自信を持って、黒瀬悠真君を東京都知事に任命致します!」
その瞬間、会場から大きな拍手が起こった。
最初は一部からだった。
だが、すぐにその拍手は広がっていく。
東京の住民。
SPМ本部から受け入れられた避難民。
元SPМ隊員。
商店で働く人。
農業区画の人達。
学校に通う子ども達。
それぞれの手が叩かれ、その音が中央会館前を包んでいく。
俺はその拍手を聞きながら、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。
嬉しい。
それは間違いない。
だが、それ以上に重い。
この拍手には、期待が乗っている。
この人達の生活を守れという願いが乗っている。
俺は、もうただの黒瀬悠真ではいられないのだ。
深澤総理がこちらを見る。
「では、新しい東京都知事である黒瀬悠真都知事、前に……」
呼ばれた。
俺は一瞬、足が止まりそうになった。
だが、ここで立ち止まる訳にはいかない。
俺は緊張を押し殺しながら、壇上へ上がった。
階段を一段上がるだけなのに、やけに足元が重く感じる。
壇上に立つと、会場中の視線が自分に向いているのが分かった。
思わず、深澤総理を見る。
今から、やはり何か話さないといけないのか。
そんな目で助けを求めたつもりだった。
しかし、深澤総理は穏やかに微笑んでいるだけだった。
助けてくれそうにはない。
いや、これは完全に話せということだ。
俺は内心でため息をついた。
みんなの前で話すのは得意じゃないんだよなぁ……。
戦闘の方がまだ分かりやすい。
敵がいて、守る相手がいて、やるべきことがある。
だが、こういう場は違う。
言葉を間違えれば、多くの人に届いてしまう。
それでも、今は逃げられない。
俺はマイクの前に立ち、軽く息を吸った。
「えー……皆さん、こんにちは」
自分でも少しぎこちないと思った。
だが、会場の人達は静かに聞いてくれている。
「この度、東京都知事に任命されました、黒瀬悠真です」
自分で言っていて、まだ現実味がなかった。
東京都知事。
大学生だった俺が、そんな肩書きを名乗っている。
世界が崩壊していなければ、絶対にあり得なかった。
「こういった場で話す機会に慣れていないので、少しだけ話させて頂きます」
俺は会場を見渡した。
見覚えのある顔がいくつもある。
他にも、名前を知っている人、知らない人。
たくさんの人達が俺を見ていた。
「私の地元は東京ではありません」
俺は、できるだけ自分の言葉で話すことにした。
「東京には、大学に通い始めてから住むようになりました」
崩壊前の俺にとって、東京は大学生活の場所だった。
地元を出て、1人で暮らし、授業を受け、バイトをして、将来をぼんやり考える場所。
特別な使命なんて、何もなかった。
「東京では、崩壊後も含めて約5年住んできましたが、地元よりもここが自分の家だと感じるようになりました」
言葉にしてから、自分でも少し驚いた。
だが、それは本心だった。
「正直、それは崩壊後のこの1年で感じた事です」
崩壊前よりも、崩壊後の方が東京を家だと思うようになった。
普通に考えれば、おかしな話かもしれない。
だが、俺にとってはそうだった。
「はじめは自分の事で精一杯でした」
あの日のことを思い出す。
ゲート。
モンスター。
壊れた街。
自分のアパートに閉じこもり、スキルを確認し、生き残る方法だけを考えていた俺。
「ですが、段々と信じられる仲間が出来て、自分達のテリトリーが出来てきました」
陸斗と美咲を助けた。
仲間が増えた。
拠点が広がった。
街が少しずつ形を取り戻していった。
最初は、自分達だけが生き残れればいいと思っていたのかもしれない。
だが、ある時、それではいけないと思わされた。
「そして、ある人に言われました」
俺は少しだけ間を置いた。
「自分の力を、自分達にだけ使っていいのか? と……」
その言葉は、今でも胸に残っている。
痛いところを突かれた言葉だった。
だけど、必要な言葉だった。
「その人の言葉は、今でも忘れられません」
俺はゆっくりと言葉を続けた。
「その人が私に言葉をかけてくださらなければ、私はこの場には立っていなかったでしょう」
本当にそうだ。
あの言葉がなければ、俺はもっと狭い範囲だけを守っていたかもしれない。
自分と仲間だけの安全を優先し、東京全体のことなど考えなかったかもしれない。
「そして、そこからは嵐のように一瞬に感じました」
実際には、一瞬などではない。
何度も死にかけた。
何度も迷った。
何度も、自分には無理だと思った。
「ここまで来るのに一朝一夕では行かず、多くの困難が行く手を阻みました」
モンスター。
物資不足。
人間同士の争い。
SPМ。
桜井晴彦。
思い出すだけで、胸が重くなる出来事ばかりだった。
「そして、私だけではなく、ここにいる皆さんのお陰で、東京の街をここまで復興させる事が出来ました」
これは絶対に言いたかった。
東京を復興させたのは、俺だけではない。
食べ物を作った人。
店を開いた人。
病院で働いた人。
子ども達を見守った人。
建物を直した人。
警備に立った人。
不安の中でも、毎日を続けてくれた人。
その全員がいたから、今の東京がある。
「勿論、票が示している通り、私が都知事になる事に対して反対の方も居るとは思います」
俺は、反対14%という数字から目を逸らすつもりはなかった。
賛成多数だった。
それは嬉しい。
だが、反対票を入れた人達も、同じ東京に住む人達だ。
その人達の不安や疑問を無視していい訳がない。
「ですので、反対票を入れた方に対しては、都知事がいないよりはマシだなと思って貰えるように」
会場は静かだった。
「賛成票を入れた方に対しては、入れて良かったと思って貰えるように」
俺はマイクを握る手に力を込めた。
「身命を賭してやっていく所存です!」
言い切った瞬間、自分の心も少し決まった気がした。
もう後戻りはできない。
俺は東京都知事になった。
この街を背負う立場になった。
なら、逃げる訳にはいかない。
「これから皆さんで、あの日の東京都を……」
そこまで言って、俺は言葉を止めた。
あの日の東京都。
崩壊前の東京。
それを取り戻す。
そう言おうとして、少し違うと思った。
俺達が作るべきものは、ただ過去に戻ることではない。
崩壊前と同じ東京に戻すだけなら、きっとまた同じ弱さも抱える。
今の俺達だからこそ作れる街があるはずだ。
俺は顔を上げ、会場を見渡した。
「いえ、新しい東京を作り上げていきましょう」
その瞬間、会場は一度静まり返った。
長い沈黙ではない。
だが、俺にはやけに長く感じた。
そして次の瞬間、大きな拍手が巻き起こった。
先ほどよりも、ずっと大きい。
声も混じっている。
「頼んだぞー!」
「黒瀬都知事ー!」
「新しい東京、作ろう!」
胸の奥が熱くなる。
俺は頭を下げた。
上手く話せたかは分からない。
政治家らしい演説だったかも分からない。
だが、自分の言葉では話せたと思う。
スピーチを終えると、深澤総理が俺の隣へ歩いてきた。
そして、右手を差し出す。
俺もその手を握った。
内閣総理大臣、深澤隆史。
東京都知事、黒瀬悠真。
その握手に、会場から再び拍手が起こった。
国と東京が、正式に手を取り合った瞬間だった。
◇
こうして、開票と任命の場は終了となった。
後で聞いた話だが、深澤総理のスピーチ中に最初に声を上げた人物。
「次はしっかりやってくれよー!」
そう言っていたあの人物は、実は仕込みだったらしい。
1人が声を出すことで、他の人達も声を上げやすくする。
重すぎる空気を動かすために、深澤総理側が用意していた一手だった。
そういえば、SPは5人いるはずだった。
だが、会場で深澤総理の近くにいたSPは4人しかいなかった。
残りの1人が、群衆の中に紛れていたのだろう。
流石は政治家というか、何というか。
小さい事かもしれない。
だが、それが政治の世界なのだと見せつけられた気がした。
正直、少し複雑だった。
だが、あの一声がなければ、会場の空気は変わらなかったかもしれない。
人の心は、正論だけでは動かない。
空気を作る者がいて、その空気に乗る者がいる。
それもまた、政治なのだろう。
今は、俺もその世界に完全に足を突っ込んだのだ。
覚悟しなければならない。
◇
開票が終了した後は、祝勝パーティが開かれる事になった。
中央会館の中には、料理や飲み物が並べられ、多くの人達が集まっていた。
東京メンバーは、それぞれ大いに祝ってくれた。
未来は、まるで自分のことのように笑っていた。
陸斗は少し誇らしそうに、何度もおめでとうございますと言ってくれた。
美咲は、俺のことを都知事さんと呼んで、すぐに照れたように笑っていた。
チャン爺は、流石です坊ちゃまと讃えてくれた。
浮田は、無理しすぎて倒れたら診察料を高く取るぞ、と冗談めかして言った。
ルドルフは大げさなくらいに祝福してくれた。
阿川や色谷、芹沢やコン太、今井兄弟も、それぞれの言葉で祝ってくれた。
SPМの元隊長達も祝福してくれた。
正直、少し照れくさかった。
だが、悪い気分ではない。
むしろ、こうして皆が笑っている光景を見られることが、何より嬉しかった。
俺は、この光景を守りたい。
改めてそう思った。
そんな祝勝ムードの中、深澤総理が俺のもとへやって来た。
「改めて、都知事就任おめでとう!」
深澤総理は、穏やかな笑みを浮かべていた。
「ありがとうございます」
俺は軽く頭を下げる。
そして、こちらからも言葉を返した。
「総理も、総理大臣に復任おめでとうございます!」
深澤総理は少し驚いたように目を開き、それから笑った。
「ありがとう!」
その言葉には、先ほど壇上で見せていた重さとは違う、少しだけ柔らかい響きがあった。
だが、次の瞬間、深澤総理の表情がわずかに真剣なものへ変わる。
「こんな祝勝パーティ中だが、少し頼み事があるんだが大丈夫か?」
俺はその言葉に、少し身構えた。
この流れで頼み事。
嫌な予感がしない訳ではない。
「はい……何でしょう?」
深澤総理は周囲を軽く確認してから、声を落とした。
「東京や関東以外の、北海道、東北、中部、近畿、中国、四国、九州・沖縄の調査を頼ませてほしいんだ……」
俺は一瞬、言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
北海道。
東北。
中部。
近畿。
中国。
四国。
九州・沖縄。
それはつまり、日本全国の調査ということだ。
東京の都知事になったばかりだというのに、いきなり話の規模が大きすぎる。
俺は思わず聞き返した。
「え、他の地域のですか?」




