国からの接触
第119話です。宜しくお願い致します。
同じ頃。
東京から少し離れた神奈川の一角に、まだ人の手によって維持されている建物があった。
元は県の施設だった場所だ。
崩壊後も完全には破壊されず、一部の部屋は会議室として使える状態で残っていた。
その一室に、数人の男たちが集まっていた。
空気は重い。
誰もが疲れた顔をしている。
服は整えられているが、かつてのような威厳や華やかさはない。
世界が崩壊してから、国家という形は大きく揺らいだ。
行政機能は途切れ、通信は不安定になり、各地との連絡も満足に取れない。
法律があっても、それを全国へ届かせる力が失われていた。
それでも、そこに集まっていた者たちは、かつて国の中心にいた者たちだった。
桜井晴彦の《天上天下唯我独尊》によって支配されていた、生き残りの議員たち。
そして、現内閣総理大臣。
深澤隆史。
彼もまた、桜井の支配下にあった人物の一人だった。
本来なら、会議は国会議事堂で行われるべきものだった。
だが、国会議事堂は東京にある。
そして今、東京は黒瀬悠真のテリトリーとなっていた。
東京に入ろうと思えば、悠真側と接触せざるを得ない。
国会議事堂という象徴的な場所へ戻ることすら、今の彼らには簡単ではなかった。
そのため、会議は神奈川のこの建物で行われていた。
◇
深澤は、会議室に集まった面々をゆっくりと見渡した。
年齢も立場も違う。
だが、全員に共通しているものがあった。
後悔。
自分たちは、桜井に支配されていた。
命令に逆らえなかった。
その間に、日本は大きく変わってしまった。
自分たちは、国を守るどころか、国が壊れていくのを止めることすらできなかった。
その事実が、重くのしかかっていた。
深澤は、静かに口を開く。
「私達は、桜井晴彦によって洗脳されていた」
その言葉に、誰も反論しない。
反論できる者などいなかった。
桜井の支配が解けた瞬間、全員が理解した。
自分たちは、自分の意思で動いているように見えて、肝心なところでは桜井の命令に従わされていた。
国のため。
国民のため。
そう思っていた行動の中に、桜井の意図が入り込んでいた。
深澤は続ける。
「洗脳されている間に、日本国は大きく変わっている」
会議室は静まり返っている。
「今更、私達だけで日本国を建て直すのは最早不可能だろう……」
その言葉は、あまりにも重かった。
政治家として、簡単に言っていい言葉ではない。
国を立て直すことを諦めたようにも聞こえる。
だが、深澤の声には逃げの響きはなかった。
現実を見つめた上での言葉だった。
「従って、私は最終的には内閣総理大臣の任を降りようと考えている」
その瞬間、会議室がざわついた。
椅子が軋む音。
小さな驚きの声。
互いに顔を見合わせる議員たち。
その中の一人が、思わず立ち上がる。
「何故ですか?!」
声には焦りがあった。
「勿論、日本国自体の緊急事態の最中、私達は何も出来ませんでした」
議員は拳を握りしめる。
「ですが、何の為に政治を学んできたのですか?!」
その言葉には、深澤への責めだけではなく、自分自身への怒りも混じっていた。
「桜井の支配下から解放された今こそ、総理の力が必要なのでは……?」
別の議員も頷く。
彼らも分かっている。
自分たちは失敗した。
何もできなかった。
しかし、それでも政治家としての役割を捨てていいのか。
国が壊れた今だからこそ、残った者たちが何かをしなければならないのではないか。
そんな思いがあった。
深澤は、怒鳴り返すことも、感情的になることもなかった。
ただ、静かにその言葉を受け止めた。
そして、ゆっくりと答える。
「国の機能や法律が失われている今、私達に出来る事は限られている」
深澤は机の上に置かれた地図を見る。
道路は寸断されている。
地方との連絡は途切れている。
自治体がどれほど残っているのかも分からない。
かつてのように、総理大臣が指示を出し、各省庁が動き、自治体が対応する。
そんな仕組みは、もう機能していなかった。
「それに、東京には新しいリーダーが居ると聞く」
その言葉に、会議室の空気が変わった。
東京。
国の中心。
日本の首都。
その東京を、今は一人の若者が実質的にまとめている。
黒瀬悠真。
噂は聞いていた。
崩壊した東京を立て直した者。
人々を受け入れ、街を整えた者。
そして、桜井晴彦の支配下から、多くの国民を救った者。
「聞く所によると、荒れた東京を立て直し、更に桜井晴彦のスキルの支配下から国民を救ったと聞いている」
深澤の声には、強い興味が滲んでいた。
「先ずは、現東京のリーダーである黒瀬さんという方に会ってみたい……」
議員たちは黙り込んだ。
東京へ行く。
それは簡単なことではない。
モンスターがいる。
道は荒れている。
そして何より、東京はもはや彼らの知る東京ではない。
黒瀬悠真という人物が、国をどう見ているのかも分からない。
彼が協力的なのか。
それとも、国を不要なものとして切り捨てるのか。
会ってみなければ分からない。
◇
沈黙が続く中、一人の男が口を開いた。
「私も総理の意見に賛成です」
その声は、落ち着いていた。
会議室の視線が、その人物へ集まる。
内閣官房長官、曽我英二。
実質的な国のナンバー2。
深澤を長く支えてきた男だった。
曽我は、派手な感情を見せる人物ではない。
いつも冷静で、状況を整理し、最善の手を探る。
今も、その目には焦りよりも観察するような静けさがあった。
「東京という日本の中心地を治めた人物は、私も気になります」
曽我は、机の上に置かれた地図へ視線を落とす。
「我々がここで議論を続けても、現実は変わりません」
彼は続けた。
「まずは会うべきです」
その言葉に、何人かの議員が静かに頷いた。
深澤は曽我を見る。
曽我も深澤を見る。
二人の間に、長い説明は必要なかった。
この国がかつての形を取り戻せるかどうか。
それはまだ分からない。
だが、少なくとも今の東京を知らずに何かを決めることはできない。
会議は、黒瀬悠真に会いに行く方向でまとまった。
◇
数日後。
深澤たちは、東京へ向かう準備を整えていた。
同行するのは、深澤隆史。
曽我英二。
三人の議員。
そして、五人のSP。
合計十人。
人数としては少ない。
しかし、今の状況で大人数を動かすことはできなかった。
燃料も限られている。
まともに動く車も少ない。
道中の安全も保証されていない。
彼らが使える車は、二台だけだった。
出発前、深澤はSPたちの前に立った。
五人のSPは、かつてのようにきっちりとした姿勢で並んでいる。
だが、彼らもまた疲弊していた。
世界崩壊後、警護対象を守り続けることは簡単ではなかった。
モンスターもいる。
食料も不足する。
通信も途切れる。
それでも、彼らは職務を捨てなかった。
深澤は、そんなSPたちを見て静かに言った。
「私達は最早、人から狙われる事はほとんどないだろう」
かつてなら、総理大臣という立場には多くの危険があった。
政治的な敵。
思想的な敵。
混乱を狙う者。
しかし今は違う。
多くの人々は、自分が生きるだけで精一杯だった。
「今は自分が生きることで精一杯な時代になってしまった……」
深澤の声には、苦いものが滲んでいる。
「モンスターも沢山居るだろうし、君達は付いてこなくても大丈夫だ」
SPたちが、わずかに目を動かす。
深澤は続けた。
「誰も咎めはしない……」
それは、深澤なりの気遣いだった。
東京へ向かう道中、何が起こるか分からない。
モンスターに襲われる可能性もある。
車が止まれば、徒歩で移動しなければならないかもしれない。
総理という肩書きに、今どれほどの意味が残っているのかも分からない。
そのために命を賭けろとは言えなかった。
しかし、SPの一人がすぐに答えた。
「いえ、これが私達の仕事ですので……」
別のSPも静かに頷く。
「お気になさらず」
そこには、迷いがなかった。
世界が変わっても、彼らの中にはまだ守るべきものが残っている。
職務。
誇り。
そして、守ると決めた相手。
深澤は少しだけ目を伏せた。
「……ありがとう」
短い言葉だった。
だが、その声には深い感謝があった。
こうして、二台の車は神奈川を出発した。
目的地は東京。
黒瀬悠真が治める、新しい東京だった。
◇
道中は、決して楽ではなかった。
道路には放置車両が残っている。
割れたガラス。
傾いた標識。
崩れた建物。
焦げた跡のある道路。
世界崩壊の爪痕は、いたるところに残っていた。
車は何度も速度を落とした。
時には、道を塞ぐ車両を避けるために迂回する必要もあった。
誰かが住んでいたはずの家。
開け放たれた店。
誰もいない交差点。
深澤は窓の外を見つめていた。
その景色は、彼が守るべきだった国の現在だった。
胸が痛む。
桜井に支配されていたとはいえ、何もできなかった事実は消えない。
曽我は隣で黙っていた。
言葉をかけることもできた。
だが、今は深澤自身がその景色を見て、受け止めるべきだと判断していた。
幸いなことに、道中でモンスターには遭遇しなかった。
それが偶然なのか。
それとも、周辺のモンスターが東京方面へ近づかないようになっているのか。
深澤たちには分からなかった。
ただ、車は進んだ。
荒れた神奈川の道を抜け、東京へ近づいていく。
その途中から、少しずつ景色が変わり始めた。
道路の状態が良くなっていく。
放置車両が減っていく。
倒れた標識や瓦礫が、端へ寄せられている。
明らかに、人の手が入っている。
SPの一人が小さく呟いた。
「……整備されている?」
深澤も同じことを感じていた。
崩壊後の世界で、道路が整備されている。
それだけで異常だった。
◇
やがて、二台の車は東京と神奈川の境に近づいた。
そして、全員が息を呑むことになる。
そこには、巨大な門があった。
東京南門。
高く、頑丈な壁が左右へ長く伸びている。
ただの仮設バリケードではない。
明らかに計画的に作られた防壁。
門の周囲には警備が立ち、人の出入りも管理されている。
外から来る者。
荷物を運ぶ者。
作業員らしき者。
警備担当。
多くの人間が動いていた。
しかも、その動きには秩序があった。
叫び声や混乱はない。
争いもない。
皆が自分の役割を理解して動いている。
門の外観も清潔だった。
壁には修復された跡がありながらも、崩れたまま放置されている場所は見当たらない。
周辺の道路も整えられ、瓦礫は片づけられている。
深澤は車内からその光景を見て、思わず身を乗り出した。
「これは……」
言葉が途中で止まる。
東京は、もっと荒れていると思っていた。
国の中心とはいえ、崩壊後の混乱は避けられない。
人々は怯え、物資は不足し、治安も悪化している。
そう考えていた。
だが、目の前にある東京南門は違った。
そこには、確かな秩序があった。
守られている場所。
管理されている場所。
そして、人がもう一度生活を取り戻そうとしている場所。
曽我もまた、静かに目を細めていた。
「想像以上ですね」
短い言葉だった。
だが、その声にも驚きがある。
議員たちは互いに顔を見合わせた。
SPたちも警戒を解いてはいないが、門の規模と整備状態に驚きを隠せていない。
深澤は、しばらく東京南門を見つめていた。
黒瀬悠真。
荒れた東京を立て直したという若者。
その噂は、決して誇張ではなかったのかもしれない。
いや、むしろ聞いていた以上かもしれない。
深澤の胸の中に、久し振りに小さな期待が灯った。
「これは……凄い」
彼は静かに呟いた。
そして、わずかに表情を緩める。
「俄然、楽しみになってきた……」
二台の車は、東京南門の前でゆっくりと止まった。
新しい東京。
そして、その中心にいる黒瀬悠真。
国の中枢にいた者たちは、ついにその門の前へ辿り着いた。




