天界の賭け
第117話です。宜しくお願い致します。
第二の厄災は終わった。
桜井晴彦は死に、SPМの内部崩壊は幕を閉じた。
避難民たちは東京へ移され、SPМの隊員たちは、自分たちがしてしまったことと向き合い始めた。
東京には、再び慌ただしい日常が戻りつつあった。
怪我人の治療。
避難民の受け入れ。
住居の確保。
食料の準備。
子どもたちのケア。
SPМ隊員たちの扱い。
やるべきことは、山のようにあった。
それでも、悠真たちは前へ進んでいた。
第二の厄災を乗り越えた。
そう思っていた。
だが、この世界を見ている者たちは、悠真たちだけではなかった。
◇
そこは、同じ世界ではなかった。
悠真たちが生きる崩壊した世界の、遥か上。
人間の常識では、到底たどり着けない場所。
天界。
そう呼ぶしかない空間だった。
雲の上に浮かぶような白亜の宮殿。
金色の柱が並ぶ巨大な会場。
天井は見えないほど高く、そこには星々のような光が瞬いている。
会場の中央には、巨大な円形の舞台があった。
その周囲を取り囲むように、無数の席が並んでいる。
だが、そこに座っている者たちは、人間ではなかった。
神のように荘厳な姿をした者。
天使のような白い翼を持つ者。
反対に、黒い翼と角を持つ悪魔のような存在。
道化師の格好をした者。
獣の頭を持つ者。
水のように姿を変える者。
ありとあらゆる異形が、その会場に集っていた。
彼らはそれぞれ、手元にチップのようなものを持っている。
それを投げ、積み上げ、笑い、叫ぶ。
その様子は、神聖というよりも、賭場に近かった。
◇
高い席の上に、天使のような羽を生やした男が立っていた。
男は両手を広げ、会場全体へ声を張り上げる。
「さぁ、まだ間に合いますよ!」
その声は、妙に明るかった。
「皆さん、賭けた賭けた!!」
会場がどっと沸く。
観客たちは、舞台の上に浮かぶ巨大なモニターを見ながら、それぞれにチップを動かしていた。
「俺はあっちの世界に賭けるぜ」
「えー、もう崩壊寸前じゃない……」
「でも、大穴狙いなら悪くないだろ?」
「私はあの世界が大本命かしらね!」
「どうして?」
「だって、あのフトゥーロが出場している世界なんだもの……」
その言葉に、会場の一部がざわついた。
フトゥーロ。
その名を聞いた者たちが、舞台上のモニターへ視線を向ける。
そこには、いくつもの世界が映し出されていた。
崩壊していく世界。
戦争に飲み込まれる世界。
神に見放されたような世界。
それでも必死に生き延びようとする者たちがいる世界。
その中の一つ。
悠真たちの世界も、そこに映っていた。
そして、出場者として表示されている者たちの中に、一人の道化師がいた。
派手な衣装。
人を食ったような笑み。
芝居がかった仕草。
悠真たちに、三つの厄災を告げた存在。
フトゥーロ。
フトゥーロは、観客たちの視線に気づいているのか、モニター越しに手を振っていた。
◇
その隣には、別の出場者がいた。
黒と紫を基調にした服装。
長い髪。
薄く笑う口元。
その雰囲気は、神でも天使でもない。
どこか悪魔に近い。
その男は、不満そうにフトゥーロを見た。
「フトゥーロはズルいじゃないか……」
男は肩をすくめる。
「お前は未来が見えるんだから、勝ったも同然だろう……」
フトゥーロは、楽しそうに目を細めた。
「いやいや、未来は確定じゃないし、毎回見える訳ではない……」
軽い口調だった。
「私の能力も、そんなに使い勝手に良いものではないよ」
その言葉を、どこまで信じていいのか。
少なくとも、隣の男はまったく信じていないようだった。
男は鼻で笑う。
「よく言う。こっちは定期的に助けには行っているが、俺の世界もそろそろヤバそうだしなぁ……」
フトゥーロは、男を横目で見る。
「それに、アルゴラは私の世界にちょっかいを出していたじゃないかね?」
アルゴラと呼ばれた男は、少しだけ笑った。
「いや、ちょっとシャドウウルフで遊んでいただけじゃないか」
フトゥーロの笑みが、わずかに深くなる。
「いや、未来ちゃんが可哀想だったよ」
その言葉だけを聞けば、同情しているようにも聞こえる。
だが、フトゥーロの表情には、温かさよりも観察者としての愉快さが滲んでいた。
「自分の信じていた家族のような存在がお金で動いていて、しかも裏切っていたんだから……」
アルゴラは、呆れたようにフトゥーロを見る。
「可哀想だなんて、お前にそんな感情はないだろ」
そして、口元を歪めた。
「一番、胸糞悪いちょっかいを色んな世界にしているのはお前なんだから……」
フトゥーロは否定しなかった。
ただ、静かな笑みを浮かべている。
◇
会場の騒ぎは続いていた。
チップが積まれていく。
歓声が飛び交う。
誰かが世界の終わりに賭け、誰かが奇跡の逆転に賭ける。
悠真たちが必死に乗り越えてきた厄災も、ここでは賭けの対象でしかない。
それでもフトゥーロだけは、どこか楽しそうに悠真たちの世界を見ていた。
「そろそろ第二の厄災も終わった事だし」
フトゥーロは軽く帽子を整える。
「悠真君達の元に行ってくるかなぁ……」
その声は、誰に向けたものでもない。
だが、アルゴラはその言葉を聞き、つまらなさそうに息を吐いた。
「また余計なことをする気か?」
フトゥーロは振り返り、にこりと笑った。
「余計なことかどうかは、彼ら次第だよ」
そのまま、フトゥーロの姿はふっと薄れていった。
会場の喧騒だけが、天界に残る。
悠真たちの知らない場所で、悠真たちの世界はまだ見られていた。
そして、賭けられていた。
◇
第二の厄災が終わってから、二週間が経った。
東京には、少しずつ日常が戻り始めていた。
もちろん、すべてが元通りになったわけではない。
SPМ本部から受け入れた避難民たちの傷は深かった。
身体の傷は、浮田や安藤たちの治療で少しずつ癒えていく。
栄養状態の悪かった者たちには、消化にいい食事が用意された。
眠れない者には、安全な部屋と、そばに付き添う人員が用意された。
子どもたちには、なるべく怖い記憶を刺激しないように、静かな場所が与えられた。
だが、心の傷は簡単には治らない。
SPМ隊員の姿を見るだけで震える者もいる。
夜中にうなされる者もいる。
突然泣き出す者もいる。
それでも、東京は彼らを受け入れた。
働き始める者がいた。
まだ体力は戻っていなくても、少しでも何かをしたいと言って、軽作業を手伝う者がいた。
学校に通い始める子どももいた。
最初は教室の隅で黙っているだけだった子どもが、少しずつ他の子どもと話すようになった。
夢に向かって勉強する者もいた。
崩壊した世界でも、医療を学びたいと言う者。
料理を覚えたいと言う者。
建築や農業に関わりたいと言う者。
すぐには立ち直れない者もいる。
むしろ、そちらの方が多かった。
だが、それでも東京の日常は、ゆっくりと彼らを包み込んでいった。
朝になれば食事が出る。
夜になれば眠れる場所がある。
怪我をすれば治療を受けられる。
誰かに怯えながら膝をつく必要はない。
そんな当たり前のことが、彼らにとっては救いだった。
◇
悠真は、その様子を見ていた。
忙しさは相変わらずだった。
いや、むしろ以前より忙しくなっている。
避難民の受け入れ。
SPМの元隊員たちの扱い。
東京の防衛体制の見直し。
第三の厄災への備え。
やるべきことはいくらでもある。
だが、あの頃のような孤独感はなかった。
周囲には仲間がいる。
陸斗も、未来も、浮田も、ルドルフも、阿川も、色谷も、芹沢も、コン太も。
チャン爺も、一葉たちも、アルたちも。
全員が、それぞれの場所で動いている。
そんな中、東京へ戻ってきた直後、悠真たちを驚かせる報告があった。
それを告げたのは、陸斗だった。
◇
中央会館の一室。
悠真、陸斗、美咲が向かい合っていた。
陸斗は珍しく、少し言いにくそうな顔をしている。
「悠真さん、実は……」
悠真は、嫌な予感を覚えた。
陸斗がこんな顔をする時は、だいたい何か大きなことが起きている。
「どうした?」
陸斗は隣にいる美咲を見る。
美咲は少し緊張した様子で、両手を胸の前で握っていた。
そして、陸斗は言った。
「美咲が、超人族になったみたいなんです……」
悠真は、一瞬言葉を失った。
「え?!」
思わず声が大きくなる。
「何故、超人族に?!」
美咲はびくりと肩を揺らした。
悠真はすぐに表情を緩める。
責めたわけではない。
ただ、本当に驚いたのだ。
美咲はまだ幼い。
これまで悠真たちは、なるべく美咲を危険から遠ざけようとしてきた。
それなのに、美咲まで超人族になった。
美咲は少しだけ俯いた後、顔を上げる。
「いつもわたしだけお留守番で何も出来ないし……」
その声は小さい。
だが、はっきりしていた。
「みんなのピンチって聞いてたから、助けたかったの!」
悠真は言葉に詰まった。
美咲なりに、ずっと思っていたのだ。
陸斗は戦える。
悠真たちは外へ出る。
未来も、浮田も、皆それぞれできることがある。
けれど、美咲はいつも待つ側だった。
それが寂しかったのかもしれない。
悔しかったのかもしれない。
怖かったのかもしれない。
そして、今回のように悠真たちが危険に陥ったと知って、美咲も助けたいと強く願った。
その思いが、超人族への変化に繋がったのか。
悠真には分からない。
だが、美咲の目は真剣だった。
悠真は深く息を吐いた。
「そんな、美咲まで超人族になるなんて……」
驚きと不安が混じった声だった。
だが、もう起きてしまったことをなかったことにはできない。
悠真は美咲を見る。
「ステータス、開けるか?」
美咲はこくりと頷いた。
「うん!」
美咲は小さな手を前に出した。
そして、ステータスを開く。
半透明の画面が、美咲の前に浮かび上がった。
悠真と陸斗は、それを覗き込む。
そこに表示されていたスキル名を見て、二人は同時に固まった。
スキル名。
《システム》
ただ、それだけだった。
それ以外の項目は、すべて文字化けしていた。
説明。
レベル。
効果。
条件。
本来なら表示されるはずの情報が、崩れた記号と読めない文字で埋め尽くされている。
悠真は眉をひそめた。
「何だ、このスキル……」
今まで、いろいろなスキルを見てきた。
自分の《日常生活》も大概おかしなスキルだった。
未来の《動植物愛護》も、陸斗の《手遊び》も、浮田の《手術室》も、かなり特殊だ。
だが、少なくとも説明は読めた。
何ができるのか、ある程度は分かった。
しかし、美咲のスキルは違う。
名前以外、何も分からない。
悠真は画面を見つめたまま呟く。
「どんなスキルなのか、全く分からない……」
そして、美咲へ視線を向ける。
「美咲は、このスキル使えないのか?」
美咲は少し考えるように首を傾げた。
そして、不思議そうに答える。
「何か、今は使う時じゃないの!」
悠真は目を細める。
「使う時じゃない……?」
美咲はこくこくと頷いた。
「何となく、そう思うんだよね!」
美咲自身にも、詳しいことは分かっていないようだった。
だが、ただ使えないのではない。
使えないというより、使うべきではないと感じている。
美咲の言葉からは、そんな印象を受けた。
悠真は考え込む。
《システム》。
あまりにも抽象的な名前だ。
世界の仕組みに関わるようにも聞こえる。
ステータスそのものに関わるようにも聞こえる。
あるいは、スキルという概念そのものに繋がっているのかもしれない。
だが、今の段階では何も分からない。
◇
後日、悠真は今井翔太にも確認を頼んだ。
翔太の《水晶玉》なら、対象の情報を詳しく見ることができる。
桜井の《天上天下唯我独尊》の詳細を見抜いたスキルだ。
美咲の《システム》についても、何か分かるかもしれない。
しかし、結果は同じだった。
今井翔太は、美咲のステータスを見た後、困ったように首を横へ振った。
「スキル名以外、見えない……」
翔太の声にも戸惑いがあった。
「こんなの、初めてだ」
水晶玉に映った情報も、文字化けしていた。
分かったのは、スキル名が《システム》であることだけ。
効果も条件も、発動方法も分からない。
悠真は、改めて美咲を見る。
美咲は不安そうにしているわけではなかった。
むしろ、本人はよく分からないながらも、どこか落ち着いている。
それが逆に、不気味だった。
美咲が何かに選ばれたのか。
それとも、世界が何かを始めようとしているのか。
悠真には分からない。
ただ、胸の奥に小さな不安が残った。
今まで、こんなスキルは見たことがなかった。
《システム》とはどういう意味なのか。
文字化けしているのは、なぜなのか。
美咲が言った「今は使う時じゃない」とは、何を意味しているのか。
第二の厄災は終わった。
だが、すべてが終わったわけではない。
悠真は、美咲に何も起こらなければいいと願いながら、読めないステータス画面を見つめていた。




