桜井の誤算
第114話です。宜しくお願い致します。
悠真が正気に戻ったことで、空気は一気に変わった。
医務室を中心に行われていた解放作戦は、ほとんど終わりに近づいている。
SPМの一般隊員たち。
東京から来た仲間たち。
隊長、副隊長たち。
桜井晴彦のスキルによって支配されていた者たちは、浮田の《手術室》によって次々と解放されていった。
そして、最後に悠真も戻った。
桜井に奪われていた東京の中心が、ようやく本来の姿を取り戻したのだ。
しかし、まだ終わりではない。
桜井晴彦は、まだ捕らえられていない。
そして、おそらく桜井はまだ、自分の支配が崩れたことに気づいていない。
ならば、今度はこちらの番だった。
悠真たちは、桜井を捕らえるために動き出そうとしていた。
◇
その前に、悠真はコン太からこれまでの出来事を聞いていた。
悠真が桜井の支配下に置かれた後、仲間たちが一人ずつ罠にかけられ、支配されていったこと。
浮田、ルドルフ、芹沢、阿川、色谷。
陸斗、未来。
そして、SPМ側の隊長や副隊長たち。
それぞれが桜井の《天上天下唯我独尊》によって、命令に逆らえない状態にされていた。
その中で、ただ一人、コン太だけが支配されなかった。
理由は、桜井のスキルの対象が、人間、もしくは超人族に限られていたからだ。
コン太はフォック族。
しかも、その時は《化けぎつね》で今井翔太の姿に変身していた。
桜井は今井翔太だと思い込んでスキルを使ったが、本体は人間でも超人族でもない。
結果、コン太は桜井の支配をすり抜けた。
さらに、桜井のスキルの詳細も、今井翔太の《水晶玉》で判明している。
織田家の家紋が刻まれたワッペンを手元に召喚し、それを対象の身体へ埋め込むことで発動する。
対象は、桜井の命令に絶対に逆らえない。
ただし、命令以外の行動は普段通り。
だからこそ、犬飼は本心では助けを求めていた。
だからこそ、ルドルフの《真実の口》も、最初は犬飼の異常を見抜けなかった。
悠真は黙って聞いていた。
自分が支配された後に、どれだけのことが起きたのか。
そして、自分が何も知らない間に、どれだけ仲間たちが動いてくれていたのか。
コン太は得意げに胸を張りながらも、どこか照れたように説明を続けた。
コン太と影山駿、今井翔太、今井恭太の四人で救出活動を始めたこと。
一葉から、浮田の《手術室》で桜井の支配を解除できる可能性を聞いたこと。
桜井に変身したコン太が、影に潜む影山駿と透明化した今井恭太と共に医務室へ潜入し、浮田を救ったこと。
そして、浮田が戻ってからは、麻酔薬と《手術室》を使って解放作戦が一気に進んだこと。
◇
悠真はすべてを聞き終えると、しばらくコン太を見つめた。
「……浮田は勿論、今回桜井のスキルを跳ね返す唯一の手段ではあったから、浮田の活躍は欠かせなかったが」
コン太が耳をぴくりと動かす。
悠真は少しだけ笑った。
「まさかコン太が、桜井にとっての秘密兵器の一つになるとはな……」
その言葉を聞いた瞬間、コン太の顔がぱっと明るくなった。
「フフンッ!」
コン太は分かりやすく胸を張る。
「もっと褒めるコン!」
悠真は少しだけ肩をすくめた。
「まぁ、たまたま今回は活躍できたということかな……」
「たまたまとは何だコン!」
コン太はすぐに頬を膨らませた。
いつものコン太だった。
桜井に支配された間に失われていた、騒がしくて、少し面倒で、でも安心する空気。
悠真はそれを見て、胸の奥が少しだけ温かくなる。
「冗談だよ……」
悠真は表情を柔らかくした。
「本当にありがとう!」
まっすぐな感謝の言葉だった。
コン太は一瞬、固まった。
いつもなら、そこでさらに調子に乗るところだった。
だが、今回は違った。
悠真に正面から礼を言われたことで、コン太は珍しく顔を赤くする。
尻尾を少し揺らしながら、視線を逸らした。
「みんなを助けるのは当然だコン……」
その声は、いつもの得意げなものではなく、少し照れたような声だった。
◇
悠真は小さく笑う。
コン太だけではない。
浮田も。
影山も。
今井兄弟も。
チャン爺も。
誰か一人の力ではなく、皆が繋いでくれたから、自分は戻ってこられた。
悠真は周囲を見渡した。
そこには、正気に戻った仲間たちがいる。
陸斗。
未来。
浮田。
ルドルフ。
阿川。
色谷。
芹沢。
チャン爺。
コン太。
今井翔太。
今井恭太。
そして、SPМの隊長、副隊長たちも、すでに桜井の支配から解放されている。
悠真は深く息を吸った。
もう、自分は一人ではない。
桜井の支配は、自分から仲間を奪った。
だが、仲間たちは自分を見捨てなかった。
なら、今度はその全員で桜井を捕らえる。
「さぁ、支配下にあった人達はほとんど解放された」
悠真の声に、周囲の空気が引き締まる。
「今から桜井を捕らえに行こうか……」
◇
その頃、桜井晴彦は自室にいた。
広い机の上には、地図が広げられている。
関東。
東北。
関西。
中四国。
九州。
崩壊後の世界で、どこまで人間の組織が残っているのか。
どこに超人族が集まっているのか。
どの地域を支配するには、どれだけの戦力が必要なのか。
桜井は椅子に座り、地図を見下ろしていた。
その表情は穏やかだった。
すべてが思い通りに進んでいる。
少なくとも、桜井はそう思っていた。
悠真は自分のスキルで道具と化した。
つまり、東京はもはや自分の支配下に入ったも同然。
東京という巨大な拠点。
生活を維持する力。
人を集める力。
物資を生み出す力。
守りを固める力。
それらを持つ悠真を手に入れた時点で、桜井の中では勝利が確定していた。
関東については、SPМの千葉本部がある。
悠真の東京。
桜井のSPМ。
この二つを合わせれば、関東一帯を実質的に支配下へ置くことは難しくない。
桜井は指で地図の上をなぞった。
東北。
関西。
中四国。
九州。
それぞれに、面倒な相手はいるだろう。
崩壊後の世界で、各地に人をまとめる者や強いスキルを持つ者が現れていても不思議ではない。
だが、それでも桜井は余裕だった。
悠真を手に入れた。
悠真の仲間も優秀だ。
SPМの隊長、副隊長たちもいる。
これだけの戦力があれば、自分たちが上に立つ。
多少時間はかかるかもしれない。
だが、全国を制覇することも、もはや夢物語ではない。
超人族絶対至上主義。
力ある者が上に立つ世界。
旧人類は使われる側。
超人族は支配する側。
それこそが、崩壊後の世界にふさわしい秩序だと、桜井は本気で信じていた。
「フッフッフ……」
桜井は喉の奥で笑う。
「今日はいい日になりそうだ……」
その声には、満足感が滲んでいた。
昨日の祝勝会。
悠真の支配。
東京メンバーの支配。
全てが自分の勝利を示している。
◇
桜井は地図から視線を外し、壁にかかった時計を見た。
「そろそろ昼食の時間だな……」
桜井は手を叩いた。
いつもなら、それだけで誰かが来る。
食事を運ぶ者。
住民を連れてくる隊員。
あるいは、命令を待つ者。
だが、何も起きなかった。
部屋の外は静かだった。
あまりにも静かだった。
桜井は眉をひそめる。
「何をしているというのだ……」
もう一度、手を叩く。
やはり、誰も来ない。
「もう昼ごはんの時間だ……」
桜井は少し苛立ちを滲ませた。
「オイ、誰か居ないのか!」
声を張る。
しかし、返事はない。
扉の外に隊員がいる気配すら感じない。
ここまで静かなのはおかしかった。
だが、桜井はまだ自分の支配が崩れているとは考えない。
むしろ、隊員たちの怠慢だと思っていた。
「まったく……」
桜井は不機嫌そうに立ち上がる。
「教育が必要かもしれないな……」
そう呟きながら、自ら扉へ向かった。
◇
扉を開ける。
すると、そこには悠真がいた。
満面の笑みを浮かべた悠真が、昼食の載った盆を持って立っていた。
桜井は一瞬だけ目を瞬かせる。
予想外だった。
だが、すぐに口元を緩める。
自分の支配下にある悠真が、自ら食事を持ってきた。
そう解釈したのだ。
悠真は丁寧に盆を掲げる。
「桜井総督府様の為に、チャン爺に命令して作らせました」
桜井は満足そうに頷いた。
「……そうか、君がそこまでしてくれるとは思わなかったよ……」
声には本物の喜びが混じっていた。
黒瀬悠真。
自分が手に入れた最大の駒。
その悠真が、自発的に昼食を運んできた。
桜井にとっては、支配の完成を感じさせる光景だった。
「まぁ、座ってくれ……」
桜井が促す。
悠真は言われた通り、部屋の中へ入り、桜井の向かいの椅子に座った。
盆の上には、綺麗に整えられた昼食が並んでいる。
温かなスープ。
焼き魚。
炊き立ての米。
小鉢。
香の物。
世界が崩壊した後とは思えないほど、丁寧な食事だった。
桜井は箸を取り、まず一口食べる。
目を細めた。
「うーん、これは美味しい……!」
素直な感想だった。
チャン爺の料理の腕は確かだった。
桜井は満足そうに食事を進める。
「毎日チャン爺に作ってほしいものだ……」
悠真は、静かにその様子を見ていた。
そして、穏やかな声で言う。
「それは無理ですね……」
桜井が箸を止める。
悠真は笑みを浮かべたまま続けた。
「こんな美味しいご飯は、しばらく食べられませんからね……」
桜井の眉がわずかに動く。
「……どういう事だ?」
◇
その瞬間だった。
扉が開いた。
次の刹那、凄まじい速度でチャン爺が部屋へ踏み込む。
音もなく。
無駄もなく。
仕込み杖から伸びた刃が、桜井の喉元へ突きつけられた。
桜井の身体が固まる。
「なっ……」
刃は皮膚に触れる寸前で止まっている。
少しでも動けば、喉を裂かれる。
桜井は状況を理解できず、目を見開いた。
「これはどういう事だ?!」
声には、怒りよりも困惑が強かった。
なぜチャン爺が自分に刃を向けているのか。
なぜ悠真が止めないのか。
なぜこの状況が起きているのか。
何一つ理解できない。
桜井はすぐに悠真へ視線を向けた。
「悠真、こいつを止めろ!」
命令だった。
桜井の支配下にある悠真なら、絶対に従うはずの命令。
だが、悠真は不思議そうに首を傾げる。
「えっ?」
そして、少しだけ笑った。
「何でお前の命令に従わなくちゃならないの……?」
桜井の顔から血の気が引いた。
「どっ……どういう事だ……?」
声が震える。
「何故、スキルが発動しない……」
悠真は、そこで堪えきれないように笑った。
「ハハハハッ」
その笑いは、桜井への嘲笑というよりも、自分自身への呆れも混じっていた。
一度は完全に負けた。
支配され、仲間を罠にかける側に回った。
それでも今、こうして戻ってきた。
仲間に助けられて。
桜井は、怒りを滲ませた目で悠真を睨む。
「……何が可笑しい?」
悠真は笑いを収め、桜井を見る。
「ほら、それはお前が呑気に昼飯を待っている間に、俺の仲間が洗脳を解いてくれたからだよ……」
桜井の目が大きく見開かれる。
「何だと……?!」
信じられない。
その感情が、顔に出ていた。
「私のスキルは絶対だ……!」
桜井の声が荒くなる。
「今まで解除したやつなんていない……」
悠真は静かに返す。
「だが、現に俺はお前の命令を受けていないぞ……?」
桜井は言葉を詰まらせた。
目の前に、証拠がある。
悠真は命令に従っていない。
チャン爺は桜井へ刃を向けている。
そして、そのチャン爺を悠真は止めようとしない。
桜井の支配は、確かに解けている。
◇
だが、桜井はすぐに深呼吸した。
怒りと動揺を押し込めるように、ゆっくり息を吸い、吐く。
「……まぁいい」
桜井は低く呟いた。
まだ終わっていない。
悠真の支配が解けたとしても、他の者たちはどうだ。
自分には命令してある。
自分に攻撃しないこと。
自分に危険があれば、最優先で助けること。
その命令を受けている隊長たちがいる。
SPМの戦力がいる。
桜井は、チャン爺の刃に注意しながら、ゆっくりとポケットへ手を入れた。
そして、小さなボタンを押した。
次の瞬間。
ピーッ――。
甲高い警報音が、建物中に鳴り響いた。
悠真がわずかに眉をひそめる。
「……何だ?!」
桜井は、喉元に刃を突きつけられたまま笑った。
余裕を取り戻そうとする笑みだった。
「このボタンを押すと、私の身に危険が迫った合図なんだよ……」
警報音は鳴り続けている。
桜井は口角を上げた。
「すぐに隊長達が助けに来るように命令してある」
何だか10話以上ぶりに正気の主人公が喋りますね……




