桜井晴彦のスキル
第110話です。宜しくお願い致します。
今井翔太は、特殊隊隊長室の扉の隙間から、桜井晴彦の姿を捉えていた。
透明になった身体。
消えた足音。
息を潜めれば、そこに誰かがいると気づく者はいない。
だが、それでも翔太の胸は激しく鳴っていた。
扉の向こうにいるのは、悠真たちを支配した男。
SPМを内側から腐らせ、住民たちを奴隷のように扱い、東京の主力をほとんど奪った元凶。
桜井晴彦。
その情報を、今ここで見なければならない。
翔太は扉の隙間から桜井を見つめ、瞳に力を込めた。
「スキル、水晶玉」
小さく唱えた言葉は、誰にも届かない。
恭太の《透明人間》によって、音は遮断されている。
翔太の瞳の黒い部分が薄れていく。
白く、透き通るように。
まるで水晶そのものが目に宿ったかのように、不思議な光が揺らめいた。
視界の中で、桜井晴彦の情報が浮かび上がる。
名前。
年齢。
種族。
そして、スキル。
翔太は、そこに表示された内容を一つずつ確認した。
決して声は出さない。
決して動揺は見せない。
ただ、目に映る情報を記憶していく。
スキル名。
発動条件。
支配の内容。
対象の制限。
それらを見た瞬間、翔太の中で、これまでの疑問が繋がった。
コン太に効かなかった理由。
チャン爺や一葉たちが操られていない理由。
それでも悠真の命令には逆らえない理由。
支配された悠真たちが、命令以外ではいつも通りに振る舞っていた理由。
すべてが、完全ではないにせよ、かなりはっきり見えてきた。
翔太は、扉の隙間の向こうで朝食を取っている桜井を見ながら、小さく息を吐いた。
「やっぱりか……」
その声も、外には漏れない。
見られた。
確認できた。
この情報を持ち帰れば、救出作戦は一気に進む。
◇
だが、翔太の役目はまだ終わっていなかった。
桜井の情報を見る。
それが最初の目的。
しかし、もう一つ確認すべきことがあった。
浮田の居場所。
四人で話し合った時、最優先で助けるべき相手は浮田だという結論になっていた。
理由は明確だった。
浮田の《手術室》で、桜井の支配を解除できる可能性がある。
それなら、悠真たちを救うための最初の一手は、浮田の救出でなければならない。
もちろん、翔太一人で助けに行くのは危険すぎる。
透明になっているとはいえ、浮田の周囲に誰がいるか分からない。
医務室にはSPМ隊員がいるかもしれない。
支配された浮田自身が、桜井の命令で抵抗する可能性もある。
だから、今やるべきことは救出ではない。
浮田がどこにいるのかを確認し、その情報を持って中央会館へ戻ること。
翔太はもう一度だけ桜井を見る。
桜井はこちらに気づいていない。
扉の隙間も、不自然なほどには開いていない。
翔太は慎重に扉から手を離した。
そして、一般隊員が部屋を出るタイミングを待つ。
隊員が盆を下げて扉へ向かった。
扉が開く。
翔太はその一瞬に合わせ、音もなく廊下へ出た。
扉が閉まる。
翔太は、廊下に立ったまま、静かに息を整えた。
ここまでは成功。
次は、医務室だ。
◇
影山駿から聞いた道順を頭の中で思い出す。
医務室は、会議室や特殊隊隊長室と同じ館にはない。
隣の館にある。
特殊隊隊長室のある階から一階へ降り、そこから隣の館へ繋がる通路を進む。
翔太は透明のまま歩き出した。
一般隊員がすれ違う。
だが、誰も気づかない。
階段を降りる途中にも、SPМの隊員がいた。
その隊員は誰かと話しながら、笑っていた。
「昨日は最高だったな」
「あぁ。桜井総督府様の時代が本当に始まるんだ」
翔太は足を止めなかった。
耳に入る言葉だけで、気分が悪くなる。
桜井の時代。
その言葉の裏で、どれだけの住民が苦しめられているのか。
階段を降りきると、隣の館へ繋がる通路に出た。
そこには、鎖に繋がれた住民がいた。
床を拭かされている。
重い荷物を運ばされている。
顔色が悪い者もいる。
その横を、SPМ隊員が当然のように通り過ぎていく。
翔太は、思わず足を止めそうになった。
助けたい。
そう思った。
しかし、今は違う。
今ここで自分の存在が知られれば、何もかも終わる。
住民を助けるためにも、まずは浮田を救い、悠真たちを取り戻す必要がある。
翔太は唇を噛み、前へ進んだ。
透明で音も消えている。
だから、目の前の住民も翔太に気づかない。
それが少しだけ苦しかった。
助けに来ているのに、声をかけることすらできない。
翔太はその思いを押し殺し、医務室へ向かった。
◇
やがて、目的の部屋が見えてきた。
医務室。
扉の近くには小さな窓がある。
翔太は慎重に近づき、窓から中を覗いた。
そこにいたのは、間違いなく浮田だった。
白衣を着て、医療器具の整理をしている。
いつも通りの姿に見える。
だが、翔太には分かっていた。
今の浮田は、桜井の支配下にある。
命令されれば、こちらを罠にかける側に回ってしまう。
それでも、そこに浮田がいると確認できただけで大きい。
さらに、医務室にはもう一人いた。
白衣を着た女性。
年齢は大人の女性に見える。
落ち着いた雰囲気で、浮田と同じように医療器具を確認している。
翔太はその人物の名前までは分からなかった。
ただ、浮田を救う時に障害になるかもしれない。
その可能性だけは覚えておく必要がある。
翔太は小さく呟いた。
「浮田さん……」
聞こえるはずのない声。
それでも、言わずにはいられなかった。
「必ず、皆で助けますから待ってて下さい」
今すぐ助けたい。
浮田を連れて帰りたい。
だが、ここで動いてはいけない。
一人では無理だ。
無理に助けようとすれば、浮田を救うどころか、自分まで捕まる。
翔太は拳を握り、気持ちを抑えた。
そして、来た道を戻る。
医務室。
白衣の女性。
通路。
見張りの数。
隷属化された住民たち。
見たものを一つずつ記憶しながら、翔太は配管の場所へ向かった。
誰にも気づかれないまま、SPМ本部を抜ける。
そして、阿川の《配管工》で繋がっている配管へ入り、中央会館へ戻った。
◇
中央会館の一室。
コン太、今井恭太、影山駿は、配管の入口を見つめていた。
翔太が潜入してから、どれくらい経ったのか。
実際の時間は、それほど長くなかったのかもしれない。
だが、待っている側には永遠のように感じられた。
今井恭太は、ほとんど喋らなかった。
兄を透明にしたのは自分だ。
だが、守りに行くことはできない。
もし何かあっても、自分はここで待つしかない。
それが、恭太の胸を締めつけていた。
コン太も落ち着かない様子で、尻尾を揺らしている。
何度も配管を覗き込み、何度も部屋の中を歩き回る。
影山は黙っていた。
ただ、その目は真剣だった。
桜井の情報を持って帰れるかどうか。
それが、これからの救出作戦を大きく左右する。
その時、配管の中の空気がわずかに揺れた。
そして、誰もいないはずの場所から声が聞こえる。
「ただいま……」
直後、透明化が解けた。
今井翔太の姿が現れる。
「兄貴、おかえり!」
今井恭太は、ほとんど反射的に翔太へ飛びついた。
そして、強く抱きしめる。
翔太は驚きながらも、弟の背中を軽く叩いた。
「お、おい、恭太……」
コン太も顔を明るくした。
「無事に帰ってきて良かったコン!」
そして、すぐに余計なことを言う。
「恭太なんて、心配で今にも泣きそうな顔で一言も喋らず俯いてたコン!」
恭太は翔太から離れ、すぐに反論した。
「コン太はちょっと不安で泣いてたけどな!」
コン太は耳と尻尾をぴんと立てる。
「違うコン! 緊張で汗をかいてただけコン!」
「目から汗が出るのかよ」
「出る時もあるコン!」
恭太が少し笑う。
コン太も頬を膨らませながら、どこかほっとしたような顔をしていた。
翔太はそんな二人を見て、少しだけ表情を柔らかくする。
「みんな、心配かけたな!」
その一言で、場の空気が少しだけ緩んだ。
◇
だが、すぐに影山が本題へ戻す。
「それで、桜井のスキルは見れたのか?」
翔太の表情が引き締まる。
「あぁ、この目でしっかりとな」
コン太も、恭太も、影山も翔太を見る。
翔太は静かに言った。
「やっぱり皆が思っていた通りのスキルだったよ」
そして、翔太は《水晶玉》で見た情報を共有し始めた。
「名前は桜井晴彦。年齢は三十歳。種族は超人族」
まず基本情報。
そして、最も重要な部分。
「そしてスキル名、天上天下唯我独尊」
その名前を聞くだけで、部屋の空気が重くなる。
悠真たちを奪ったスキル。
桜井の支配の根源。
翔太は続ける。
「手元にカリスマの象徴である織田家の家紋がついたワッペンを召喚して、対象に埋め込む事でスキルを発動出来る」
コン太が小さく呟く。
「やっぱり、あの変な丸いやつが大事だったコンね……」
「ワッペンだな」
翔太が訂正する。
「そう、それコン」
コン太は真剣な顔で頷いた。
翔太は説明を続ける。
「対象は、自分が命令した事に絶対に逆らう事が出来ない」
恭太が顔をしかめる。
「やっぱり命令型か……」
「あぁ」
翔太は頷く。
「対象は命令以外の事は、対象のまま普段通り行動する」
影山が静かに目を伏せた。
それは、自分の時と同じだった。
命令された時だけ、当然のように従ってしまう。
けれど、命令以外では普段通りに考え、話し、動ける。
だからこそ、本人も周囲も異常に気づきにくい。
翔太は最後に、最も大きな条件を告げた。
「ただし、対象は人間、超人族でなければならない」
コン太の耳がぴくりと動く。
「つまり、オイラは対象外だったコンね……」
「そういうことになる」
翔太は頷いた。
「コン太はフォック族だから、桜井の支配対象から外れていたんだと思う」
コン太は自分の胸元を見下ろした。
今でも、あの時の感覚を思い出す。
桜井にワッペンを貼られた。
身体に吸い込まれた。
だが、何も起こらなかった。
それは偶然ではなく、条件の外だったから。
◇
影山は腕を組み、低く呟いた。
「成る程、強力なスキルだが、知ってしまえば意外と条件が厳しいスキルではあるな……」
今井恭太も頷く。
「あぁ、一番大きいのは、相手にワッペンを埋め込まないといけない所だな……」
今井翔太も言う。
「スキルを唱える、対象を視界に捉えるとかで発動だったらかなり厳しかっただろうが……」
それなら逃げ場はほとんどなかった。
だが、実際にはワッペンを召喚し、対象へ埋め込む必要がある。
つまり、接近しなければならない。
隙を作らなければならない。
もちろん、今の桜井にはそれを補うだけの戦力がある。
影山は、その現実を口にした。
「だが、今の奴には強力な味方が沢山いる」
支配された悠真。
未来。
陸斗。
浮田。
阿川。
色谷。
芹沢。
ルドルフ。
さらに、SPМ側の隊長、副隊長たち。
桜井本人の条件が厳しくても、周囲の戦力があまりにも強すぎる。
正面から向かえば、勝ち目は薄い。
だからこそ、コン太は強く言った。
「でも、その為に先ずは浮田から救出するコン!」
翔太が頷く。
「そう、そして浮田の居場所だが、やはり医務室に居た」
恭太の表情が変わる。
「そうか……早く助けに行かなくちゃな……」
翔太は続けた。
「あと、浮田さんともう一人、白衣を着た女性が医務室にいた……」
少しだけ眉を寄せる。
「浮田さんを助ける時の弊害にならないかが少し心配だ……」
影山が反応した。
「……恐らくそれは支援隊副隊長の安藤桃香だな」
「安藤桃香……?」
コン太が首を傾げる。
影山は説明する。
「彼女も医療系スキルの持ち主だから、普段から医務室にいる」
そして、少しだけ考えてから言った。
「ただ、彼女に戦闘力はないから安心して大丈夫だ」
翔太はほっと息を吐く。
「それなら、良かった……」
戦闘能力がないなら、正面から襲ってくる危険は低い。
もちろん油断はできない。
支配されている以上、桜井の命令があれば何をするか分からない。
それでも、凛堂や柿原、門脇のような戦闘型ではないというだけで、救出の難易度は少し下がる。
◇
コン太は強く頷いた。
「じゃあ、今から作戦を実行するコン!」
部屋の空気が一気に引き締まった。
ここからが本番。
桜井のスキル条件は分かった。
浮田の居場所も分かった。
浮田と一緒にいる人物も判明した。
あとは、浮田を救い出す。
コン太は小さな拳を握った。
まずは、浮田を取り戻す。




