執事と拠点の再構築
第11話です。よろしくお願いします。
ドアを開けた瞬間、俺は言葉を失った。
見知らぬ老人が、そこに立っていたからだ。
背筋を真っ直ぐに伸ばし、白髪をきっちりと整え、黒を基調とした燕尾服のような服を身に着けている。
年齢は六十代後半から七十代くらいだろうか。
だが、老いぼれた印象はない。
むしろ、長年仕えてきた熟練の執事、という表現が一番しっくりくる。
その老人は、ドアを開けた俺たちを見て、まるで最初からそこにいたのが当然であるかのように静かに一礼した。
「お帰りなさいませ——坊ちゃま」
「……は?」
間抜けな声が出た。
隣で陸斗も、ほとんど同じ顔をして固まっている。
無理もない。
数分前まで、俺たちは崩壊した住宅街の中を車で走り、コンビニをテリトリー化し、家をその隣へ置換したばかりだ。
そんな状況の直後に、自分の家の中から見知らぬ執事が出てきて「お帰りなさいませ」と言ってきたら、誰だって思考が止まる。
「……ちょっと待て」
俺は反射的に一歩前へ出た。
右手は無意識にサバイバルナイフの位置を確認している。
「誰だ、あんた」
できる限り低く、警戒を隠さずに聞く。
すると、その老人はまったく動揺した様子を見せず、もう一度だけ丁寧に頭を下げた。
「ご説明いたします、坊ちゃま」
「その呼び方やめろ。まずそこからだ」
「失礼いたしました」
そう返す声すら、妙に落ち着いていて腹が立たないのが逆にすごい。
その時だった。
「おかえりー!」
明るい声が奥から飛んできた。
ぱたぱたと小さな足音が近づき、リビングの方から美咲が笑顔で走ってくる。
……いや、走ってくるのはいい。
問題は、その手に持っているものだった。
「……フレンチトースト?」
美咲が両手で抱えていた皿の上には、こんがりと焼き色のついたフレンチトーストが乗っていた。
しかも一枚や二枚じゃない。
ちょっとしたカフェで出てきてもおかしくないくらい、綺麗に整えられている。
しかも、甘い匂いがする。
さっきまで車で移動して、コンビニの異臭に顔をしかめて、帰ってきたばかりの俺たちにとって、その匂いはあまりにも平和すぎた。
「どうしたんだそれ!?」
「じいじがね! 作ってくれたの!」
満面の笑みでそう言う美咲。
「じいじ……?」
俺と陸斗の視線が、同時に老人へ向く。
老人は少しだけ口元を和らげてから、静かに言った。
「先にお食事をご用意した方がよろしいかとも考えましたが、まずは事情説明が先かと判断いたしました」
「判断が冷静すぎるな……」
思わず呟く。
だが、美咲の様子を見る限り、少なくともこの老人は敵意を見せていない。
美咲に何か危害を加えようとした様子もない。
陸斗も同じことを考えたのか、少しだけ肩の力を抜きながらも、まだ警戒の目を向けていた。
「……説明して下さい」
陸斗が、俺より先にそう言った。
やっぱりこいつは真面目だな、と思う。
老人は「かしこまりました」と答え、改めて俺たちの前で姿勢を正した。
「私は、黒瀬悠真様の《日常生活》スキルから派生した機能、《召使い》により自動生成された存在でございます」
「……召使い?」
その単語に反応した瞬間、俺の視界に半透明の画面が浮かんだ。
《テリトリー複数登録ボーナス》
新規スキル解放
・召使い Lv1
・住民登録 Lv1
「……これか」
コンビニを登録し、家と二つ目のテリトリーを持った時に出てきたボーナス表示。
あの時は時間がなくて流したが、その中身がこれというわけだ。
「はい」
老人は頷く。
「《召使い》スキルにより、私は生成されました。
スキルの補助、家事、身の回りのお世話、助言、またテリトリーの運用補佐などを行うための存在でございます」
そこまで聞いて、俺は部屋の中を見渡した。
……確かに、妙に整っている。
コンビニから戻ってくる前より、明らかに空間が片付いていた。
テーブルの上の物は綺麗に寄せられ、床には余計な物が落ちていない。
美咲が持っているフレンチトーストだって、見た目だけでなく匂いからしてちゃんとした料理だ。
「……全部、あんたがやったのか」
「はい」
さらりと答える。
「現時点の《召使い Lv1》では、家事全般および生活支援全般を問題なく遂行可能でございます」
「……いや、それかなり当たりだろ」
俺が本音を漏らすと、老人はわずかに笑みを浮かべた。
「お役に立てるよう設計されておりますので」
なんか、いちいち言い回しが執事っぽいんだよな。
「名前はないのか?」
「個体名は与えられておりません。必要であれば、命名していただければそちらを使用いたします」
「……なるほどな」
このまま“おい”とか“執事”とかで呼ぶのも違うか。
俺は少し考える。
「セバスチャン……は、いかにもすぎるな」
「ですね……」
陸斗も小さく頷く。
「爺や、もベタだし」
「うーん……」
意外と難しい。
すると、横で黙っていた陸斗が少しだけ手を上げた。
「あの……」
「なんだ」
「チャン爺……とか、どうでしょう」
「……」
一瞬、空気が止まる。
そして。
「……ふっ」
思わず笑った。
俺だけじゃない。
美咲も「チャンじい?」と繰り返して、くすくす笑っている。
陸斗は「やっぱり変ですか……」と恥ずかしそうに視線を逸らしたが、俺は首を横に振った。
「いや、悪くない」
「え?」
「妙にしっくりくる。よし、決まりだ」
俺は老人を見る。
「お前は今日からチャン爺だ」
老人——いや、チャン爺は深く一礼した。
「かしこまりました。以後、チャン爺としてお仕えいたします、坊ちゃま」
「いや、だからその呼び方は——」
一瞬言いかけて、やめた。
もういいか、と思ったからだ。
どうせこいつは俺に仕えるように設計されてるんだろうし、そこを無理に崩そうとしても面倒なだけだ。
「……好きにしろ」
「ありがとうございます」
なんか普通に受け入れられた。
まあ、いい。
「それで、もう一つのスキル」
俺は画面に出ている《住民登録》を指さした。
「それは何だ?」
「《住民登録》は、テリトリー内に生活する者を正式な住民として登録する機能でございます」
「住民……」
「はい。現時点では最大五名まで登録可能。黒瀬様を除いた人数でございます」
「五人」
思ったより多い。
「住民として登録された者は、テリトリー内に限り、黒瀬様のスキルの一部権限を使用可能となります」
「一部って?」
「たとえば《商品生成》や《ネットショッピング》などでございます。
どこまでの権限を与えるかは、細かく設定可能でございます」
なるほど。
それは便利だ。
今まで物を出すのは全部俺がやっていたが、住民登録さえしてしまえば、陸斗や美咲が自分で必要なものを出せるようになる可能性がある。
「……待って下さい」
陸斗が少し身を乗り出す。
「それって、僕たちもこの家のスキルを使えるってことですか?」
「設定次第では可能でございます」
「……すごい」
純粋な感想だった。
だが、説明はそれで終わりじゃなかった。
「さらに、《住民登録》にはスキルポイントの共有機能も存在いたします」
「共有?」
「はい。住民登録された住民、または家主である黒瀬様がスキルポイントを獲得した場合、本来の取得者ではない側にも半分(切り捨て)のポイントが付与されます」
「……」
思考が一瞬止まる。
それ、かなりやばくないか?
俺が倒せば陸斗にも入る。
陸斗が倒せば俺にも入る。
つまり、拠点に住む人数が増えるほど効率が上がる可能性がある。
「……バグみたいなスキルだな」
思わずそう漏らすと、チャン爺は淡々と頷いた。
「非常に有用な機能でございます」
「だろうな……」
陸斗も驚いたまま俺を見る。
美咲は細かい意味までは分かっていなさそうだが、「すごい?」と嬉しそうにしていた。
俺は一度深く息を吐く。
たった一回、コンビニをテリトリー化しただけで、ここまで機能が増えるのか。
正直、想像以上だ。
その時、チャン爺が少しだけ間を置いてから言った。
「坊ちゃま」
「なんだ」
「僭越ながら、現状の拠点構造について一つ提案がございます」
「提案?」
「はい」
チャン爺は静かに一礼し、そのまま続ける。
「現在、住宅とコンビニは別々の建物として隣接しております。しかし、これを《内装変更》により接続し、一体化させることで、生活効率・物資運用効率ともに大幅な向上が見込めます」
「……接続?」
「はい。たとえば、コンビニ裏の従業員室を冷蔵・冷凍完備の食料倉庫として再構築。さらに住宅側と直接行き来可能な通路を設ければ、生活空間と物資空間を一つの大きなテリトリーとして扱いやすくなります」
「……」
俺は一瞬、返事をしなかった。
でも、頭の中ではすぐに理解していた。
合理的だ。
今のままでも十分便利だが、建物が分かれている以上、行き来のたびに外へ出る必要がある場面も出てくるかもしれない。
完全に内側だけで繋がってしまえば、防衛面でも生活面でもかなり楽になる。
「……やるか」
「はい!」
陸斗が、思った以上に乗り気な声を出す。
美咲も「ひろくなるの?」と嬉しそうだ。
俺は《内装変更》を起動する。
次の瞬間、視界に立体的な設計図が展開された。
今やもう見慣れてきたとはいえ、やっぱりこのスキルの演出は何度見ても妙だ。
家。
コンビニ。
そして、その間の空間。
俺は設計図の上で、二つの建物の壁を選択し、接続用の通路をイメージする。
「ここを開けて……こう繋げる」
指先で線をなぞるように操作する。
確定。
その瞬間、空間全体がぶわりと震えた。
「っ……!」
陸斗が少し身構える。
だが次の瞬間には、その緊張を忘れるほどの光景が広がった。
家とコンビニの間の壁に、淡い光の線が走る。
それが扉の枠の形を描き、そのまま壁ごと溶けるように消えていった。
代わりに現れたのは、綺麗に整えられた廊下だ。
照明が灯り、床材が揃えられ、まるで最初からそこに存在していたかのように自然に二つの空間が繋がっていく。
「……うわ」
思わず声が漏れた。
これ、やっぱり派手だ。
生活スキルって名前のくせに、やってることがほぼ空間改造なんだよな。
さらに、コンビニ裏の従業員室へ意識を向ける。
今は狭い休憩室兼バックヤードみたいな空間だ。
それを——食料倉庫へと変更する。
棚の配置を変える。
大型冷蔵庫を増設する。
冷凍庫も並べる。
仕分け用の台も追加する。
そして温度管理の区画を分ける。
確定。
また光が走る。
部屋の中の備品が、まるでパズルのピースみたいに位置を変え、不要なものは消え、新しい棚や保管設備が形を取っていく。
古びた従業員室だった空間が、二分もかからず“本格的な倉庫”へ変わっていった。
「……すげぇ」
陸斗が、心の底から感心したように言う。
「ここ、本当にコンビニだったんですよね……?」
「だったはずだな」
俺も、完成した空間を見ながらそう返すしかない。
さらに俺は、家側のリビングも少し広げた。
コンビニと繋がったことで動線に余裕ができた分、ソファの位置を調整し、テーブルを広くする。
収納棚も追加して、生活用品と食料品の区別がしやすいように整理する。
美咲の寝室側には、小さな本棚も置いてみた。
今はまだ中身がほとんど空だが、そのうち商品生成やネットショッピングで埋めていけるだろう。
すべての変更が終わった時、そこはもう、単なる大学生の一人暮らしの部屋ではなかった。
家とコンビニが繋がり、広々とした生活空間と本格的な食料保管庫を持つ——“拠点”だ。
「……なんか、すごいね」
美咲がぽつりと呟く。
「前より、ずっとひろい」
「そうだな」
俺も同意する。
数日前まで、生き残ることだけで精一杯だったのに。
今は、少なくとも“暮らす”ことを考えられるようになっている。
「……これなら」
思わず口に出た。
「こんな世界でも、けっこうまともに生活できるかもな」
陸斗が少しだけ笑う。
「はい。……なんか、本当にここだけ別の場所みたいです」
「坊ちゃまの《日常生活》スキルは、まさに生活圏を構築するための力でございます」
チャン爺が静かに言う。
「適切に運用すれば、今後さらに快適な環境を構築することも可能かと」
「だろうな」
正直、少しだけ未来を想像してしまった。
もっと広くして。
もっと物資を増やして。
この世界の中でも、ちゃんと生きていける場所を作る。
悪くない。
いや、かなりいい。
そんなふうに思い始めた、その時だった。
ピ――――――――――――!!
突然、建物全体に甲高い警報音が鳴り響いた。
「っ!?」
「な、何!?」
美咲が肩を跳ねさせ、耳を塞ぐ。
陸斗も反射的に立ち上がった。
同時に、視界に赤い表示が展開される。
《警備スキル:監視システム》
警告:未登録対象の接近を確認
距離:9.3m
危険度:中
「……侵入者!?」
俺は即座に窓の方へ視線を向ける。
さっきまでの穏やかな空気が、一瞬で吹き飛んだ。
「陸斗!」
「はい!」
陸斗がすぐに前へ出る。
美咲はびくびくしながらも、ちゃんと後ろへ下がった。
チャン爺もまた、落ち着いた動きで美咲の側へ回る。
「坊ちゃま、ご指示を」
「まず位置確認だ……!」
心臓が一気に速くなる。
せっかく整い始めた生活が、また壊されるかもしれない。
だが、今度は違う。
俺たちはもう、ただ怯えているだけじゃない。
外で、“何か”が近づいてきていた。
有能な執事キャラは良いですね。




