最悪の祝勝会
第106話です。宜しくお願い致します。
全員が桜井晴彦の支配下に落ちてから、三時間が経った。
時刻は18時。
SPМ本部の大広間では、祝勝会が始まろうとしていた。
そこに集められていたのは、SPМの隊長、副隊長たち。
凛堂明日香。
柿原紅蓮。
門脇誠司。
犬飼守。
影山潤。
世良芽衣。
佐々木金次郎。
そして、桜井晴彦。
本来なら影撃隊隊長である影山駿の姿もそこにあるはずだったが、その席だけは空いていた。
しかし、その不在を気にする者はいない。
いや、気にしてはいけない空気が、そこにはあった。
さらに、東京側の者たちも大広間に集められていた。
悠真。
未来。
陸斗。
浮田。
チャン爺。
ルドルフ。
阿川。
色谷。
芹沢。
そして、今井翔太の姿をしたコン太。
◇
大広間には豪華な料理が並んでいた。
焼かれた肉。
彩りのある野菜。
湯気の立つスープ。
皿に盛られた果物。
世界が崩壊した後とは思えないほど、食事だけを見れば贅沢な空間だった。
だが、その場にあるものは、決して祝福ではなかった。
料理を運んでいるのは、鎖に繋がれた住民たちだった。
痩せた者。
怯えている者。
顔色の悪い者。
足元がおぼつかない者。
彼らは首や腕に鎖をつけられ、SPМ隊員たちの視線に怯えながら料理を配膳している。
少し動きが遅れるだけで、ムチの音が鳴った。
「早くしろ!」
隊員の声と共に、住民の背中へムチが打ちつけられる。
住民は声を殺して身体を震わせ、それでも皿を落とさないよう必死に運んでいた。
それだけではない。
大広間に置かれている椅子。
そこに座っている者たちの下にも、住民がいた。
椅子のように身体を丸めさせられ、上に座らされている。
足を震わせながらも、崩れれば叩かれる。
だから、必死に耐えている。
それを見ても、桜井に支配された者たちは何も言わなかった。
悠真も。
陸斗も。
未来も。
浮田も。
誰も、その異常な光景に怒らない。
誰も、住民を助けようとしない。
◇
ただ一人。
桜井の支配を受けていないコン太だけが、その光景をまともに見てしまっていた。
今井翔太の姿をしたコン太は、唇を噛みしめる。
「こんなの酷すぎる……」
小さな声だった。
誰にも聞こえないように、息のように漏らした言葉。
普段のコン太なら、語尾に「コン」がつく。
けれど今は、今井翔太の姿になっている。
《化けぎつね》の効果で、外見だけでなく声や話し方まで今井翔太に寄っていた。
それが今は、コン太を守っている。
けれど、それでも心は変わらない。
目の前で苦しんでいる住民を見れば、胸が痛くなる。
助けたいと思う。
今すぐ逃がしてやりたいと思う。
だが、顔に出せない。
少しでもおかしな反応をすれば、桜井に気づかれるかもしれない。
桜井に気づかれれば、今度こそ終わりだ。
コン太は拳を握りしめた。
爪が手のひらに食い込む。
それでも、表情だけは今井翔太らしく保とうとした。
いや、保つしかなかった。
◇
やがて、桜井が大広間の中央に立った。
その瞬間、大広間の空気が変わる。
談笑していた者たちが、静かに桜井へ視線を向けた。
住民たちも、震えながら動きを止める。
桜井は穏やかな笑みを浮かべ、大広間を見渡した。
「みんな、集まってくれてありがとう」
その声は優しかった。
だが、その優しさが気持ち悪かった。
鎖に繋がれた住民がいる。
住民を椅子代わりに使っている。
ムチで叩かれている者がいる。
そんな場所で、桜井は平然と笑っている。
「遂に今日、超人族絶対至上主義の社会へ近づくスタートラインに立つことが出来た」
桜井は誇らしげに言った。
「これまでは、まだ準備段階に過ぎなかった」
その視線が、悠真へ向かう。
悠真は桜井のすぐ近くに座っていた。
普段の悠真なら、こんな光景を見て黙っているはずがない。
住民が鎖に繋がれていれば怒る。
人を椅子扱いしていれば止める。
桜井の思想など絶対に認めない。
だが、今の悠真は違った。
穏やかな顔で桜井を見ている。
桜井総督府様。
そう呼ぶことに、何の違和感も持っていない。
コン太はそれを見るだけで、胸が締めつけられた。
あれは悠真だ。
けれど、悠真ではない。
姿も声も同じなのに、中身が塗り替えられている。
そのことが、何よりも怖かった。
桜井は続ける。
「黒瀬悠真君の力は素晴らしい」
悠真は静かに頷いた。
「東京を再建し、人を集め、物資を生み出し、環境を整え、警備を置き、職を与える」
桜井の声が少し熱を帯びる。
「これほど支配に適したスキルはない」
コン太は心の中で叫びそうになった。
違う。
悠真のスキルは、支配のためにあるんじゃない。
みんなが生きるため。
日常を取り戻すため。
守るための力だ。
だが、その言葉を口に出すことはできない。
コン太は、ただ黙って聞いていた。
◇
桜井はゆっくりと両手を広げる。
「先ずは乾杯と言いたい所だが、君達に二つ約束して欲しい事がある」
その言葉に、コン太の背筋が冷えた。
約束。
だが、これはただの約束ではない。
桜井がこの場にいる支配された者たちへ向けて言うなら、それは命令になる。
桜井は指を一本立てた。
「先ず一つ目」
大広間が静まり返る。
「絶対に私に攻撃をしない事」
コン太の心臓が強く跳ねた。
そして、桜井は二本目の指を立てる。
「二つ目は、私に何か身の危険があった時には、私の事を何よりも最優先で助ける事」
コン太はすぐに理解した。
これは危険だ。
もし悠真たちを助ける方法が見つかったとしても、この命令が残っていれば、彼らは桜井を攻撃できない。
さらに桜井に危険があれば、悠真たちは桜井を守ってしまう。
つまり、桜井は自分自身を守る盾として、洗脳した全員を使うつもりなのだ。
桜井は満足そうに微笑む。
「以上、この二つを必ず守る事だ」
そして、優しい声で問いかけた。
「勿論、大丈夫だよね?」
大広間にいた者たちが、一斉に返事をした。
「はい」
悠真も。
未来も。
陸斗も。
浮田も。
ルドルフも。
阿川も。
色谷も。
芹沢も。
全員が同じように頷いた。
コン太も遅れてはいけない。
今井翔太の顔で、周囲に合わせて口を開く。
「はい」
声は震えなかった。
自分でも驚くほど、自然に答えられた。
けれど、内心はまったく落ち着いていない。
早く逃げなければならない。
この場にいるだけで、どんどん状況が悪くなる。
桜井が次にどんな命令を出すか分からない。
コン太の正体に気づくかもしれない。
何より、変身時間に限りがある。
《化けぎつね》の変身時間は、以前は三時間までだった。
レベルアップにより、今は五時間まで維持できるようになっている。
だが、今井翔太に変身してから、すでに三時間半が経とうとしていた。
残りは、およそ一時間半。
時間がない。
もし変身が解ければ、今井翔太の姿が消え、コン太の本来の姿に戻ってしまう。
そうなれば、桜井に支配が効かなかった理由にも気づかれるかもしれない。
コン太は心の中で呟く。
早く、一旦東京に帰らないと、正体がバレてしまう……。
◇
「では」
桜井がグラスを手に取った。
「超人族絶対至上主義に乾杯!」
大広間の者たちが、一斉にグラスを掲げる。
「乾杯!」
その声が響いた。
住民たちは鎖に繋がれたまま、料理を運び続ける。
SPМ隊員たちは笑い、食事を始めた。
悠真たちも、その場に溶け込むように席へつく。
コン太も座らなければならなかった。
だが、その椅子は人だった。
痩せた住民が、椅子のように身体を丸めている。
震える背中。
力の入らない腕。
苦しそうな呼吸。
コン太は、その前で一瞬固まった。
座りたくない。
こんなこと、絶対にしたくない。
だが、ここで座らなければ不自然だ。
顔に出せばバレる。
拒否すれば、桜井に疑われる。
コン太は胸の奥が潰れそうになりながら、そっと腰を下ろした。
できるだけ体重をかけないように。
それでも、住民の身体がわずかに震える。
コン太は、心の中で謝った。
ごめん。
本当にごめん。
必ず助けるから。
そう思いながら、表情だけは平静を装う。
料理が運ばれてくる。
目の前に置かれた皿。
肉の匂い。
温かいスープ。
だが、食欲など湧くはずがなかった。
それでも、食べるふりはしなければならない。
コン太は小さくフォークを動かした。
周囲では、支配された者たちが普通に食事をしている。
芹沢は笑っている。
浮田も、いつものように軽口を言っている。
陸斗も静かに食事を進めている。
未来も、表情を変えずにグラスを持っている。
みんな、変わってしまった。
いや、変えられてしまった。
コン太だけが、その異常さに気づいている。
その孤独が、どんどん胸に重く積もっていく。
◇
祝勝会が始まってから、しばらく時間が過ぎた。
コン太は、誰にも聞こえないように小さく呟く。
「後、一時間だ……」
変身時間の残り。
あと一時間ほど。
それまでに、この場を抜け出さなければならない。
どうやって抜けるか。
どこへ逃げるか。
誰に助けを求めるか。
必死に考える。
その時だった。
「君は、今井翔太君と言ったかね?」
桜井の声が、まっすぐコン太へ向けられた。
心臓が跳ねる。
コン太は、顔を上げた。
桜井がこちらを見ている。
柔らかく笑っている。
しかし、その目は観察するように細められていた。
コン太は、喉が渇くのを感じながら答える。
「……はい」
声は今井翔太のものだ。
だが、中身のコン太は震えていた。
桜井は興味深そうに尋ねる。
「君はどんなスキルが使えるんだい?」
来た。
コン太は、心の中で息を呑んだ。
今井翔太のスキル。
たしか、《水晶玉》。
以前、今井翔太本人が使っていたスキルだ。
対象の情報を見ることができる。
コン太はそれを知っている。
だが、細かいところまで完璧に覚えているわけではない。
ここで詳細を言いすぎると、必ずボロが出る。
だから、できるだけ説明を絞るしかなかった。
「はい」
コン太は、今井翔太らしく見えるように落ち着いた声を作る。
「オレのスキルは、水晶玉と言います」
桜井の目が少しだけ細くなる。
コン太は続ける。
「この目で見た対象のスキルの情報を確認する事ができるスキルになります」
本当は、もっと多くの情報が見えるはずだった。
名前。
種族。
スキル。
状態。
見ようと思えば、細かい情報まで見える。
だが、コン太はあえて「スキルの情報」とだけ言った。
それ以上を説明すれば、自分が本物ではないとバレる危険がある。
桜井は、少し嬉しそうに笑った。
「成る程……!」
その反応に、コン太は一瞬だけ安堵しかける。
しかし、次の言葉で血の気が引いた。
「それはかなり便利なスキルだな……」
桜井は自分の胸元に手を当てる。
「では、私のスキルの詳細を、その目で見て教えてくれないか?」
コン太の内心が凍りついた。
マズイコン!
心の中では、いつもの語尾が戻る。
だが、顔には出さない。
出してはいけない。
「分かりました」
コン太は、そう答えるしかなかった。
そして、手をかざすふりをする。
今井翔太の《水晶玉》を発動したように見せるために。
もちろん、何も見えていない。
《化けぎつね》は姿を変えるスキルだ。
スキルの能力そのものをコピーできるわけではない。
コン太は、限られた情報だけで答えなければならなかった。
桜井のスキル名は聞いている。
《天上天下唯我独尊》。
対象を操るスキル。
命令を聞かせるスキル。
そして、桜井が何かを召喚していた。
丸いような、布のような、不思議なもの。
変な模様がついていた。
それを相手の身体に貼ると、体内に吸い込まれていった。
だが、コン太にはそれが何なのか分からない。
ワッペン。
家紋。
織田家。
そんな地球の文化など、翡翠球から来たコン太が知るはずもなかった。
それくらいの情報しかないけど、言うしかないコン……。
コン太は覚悟を決めた。
「桜井総督府様のスキルは、天上天下唯我独尊です」
桜井は黙って聞いている。
「対象に触れる事でスキルが発動して、命令した事を必ず実行させる事が出来るスキルです」
コン太は、それらしく言い切った。
間違ってはいないはずだ。
少なくとも、見た範囲では。
だが、桜井はすぐには頷かなかった。
むしろ、楽しそうに目を細める。
「ほう……」
ゆっくりと間を置く。
「で……?」
コン太の背中に冷や汗が流れた。
「私のスキルの内容は、それだけか?」
空気が重くなる。
コン太は、何も言えなかった。
マズイ、コン……。
本当は違う。
何かを召喚していた。
変な模様がついた丸いやつ。
それを体内に入れていた。
でも、それを何と呼べばいいのか分からない。
適当に言えば、間違える。
間違えれば、今井翔太ではないと疑われる。
コン太は必死に考えた。
何か。
何か言わなければ。
けれど、言葉が出てこない。
桜井の視線が、じわりとコン太へ刺さる。
◇
その時だった。
「恐れながら、発言させて頂きます」
後ろに立っていたチャン爺が、静かに声を上げた。
コン太は、心の中で息を呑む。
チャン爺。
今のチャン爺は、悠真の命令で動いているように見えていた。
自分たちを桜井の前へ連れて行った。
喉元に刃を突きつけた。
支配された側にいるように見えた。
そのチャン爺が、なぜ今口を開くのか。
桜井がチャン爺を見る。
「何かな?」
チャン爺は深く頭を下げる。
「今井様は先程から体調が悪そうですが、大丈夫ですか?」
コン太は思わず目を見開きそうになった。
体調。
その言葉の意味を、すぐに理解する。
助け舟だ。
チャン爺は続ける。
「今井様のスキルは、かなり繊細なスキルでエネルギーをかなり使うと聞きます」
落ち着いた声。
だが、その言葉は見事に逃げ道を作っていた。
「体調が悪い状態だと、その真価は発揮出来ないのではないですか……?」
コン太は心の中で叫ぶ。
チャン爺、ナイスだコン!!
桜井の視線が、再びコン太へ向く。
「体調が悪いのか……?」
コン太はすぐに頷いた。
「はい、あまり優れません」
顔色が悪く見えているなら、それを利用する。
緊張で青ざめているのも、今なら体調不良と言い張れる。
コン太は必死に声を整える。
「ですが、命令には従わせて頂きます」
桜井はしばらくコン太を見ていた。
その数秒が、ひどく長かった。
だが、やがて桜井は興味を失ったように手を振る。
「もういい……」
コン太は、心の中で大きく息を吐いた。
「ベッドで今日はゆっくり休め」
すぐにチャン爺が一歩前へ出る。
「では、わたくしが連れて行きます」
「頼むよ」
桜井はそう言うと、別の者へ視線を移した。
◇
コン太は立ち上がる。
足に力が入らない。
だが、倒れるわけにはいかない。
チャン爺が、静かにコン太の横へ並ぶ。
そして、何事もなかったかのように大広間の出口へ向かって歩き出した。
コン太もそれに続く。
背中に、桜井の視線が突き刺さっているような気がした。
だが、振り返らない。
振り返ってはいけない。
一歩。
また一歩。
大広間の扉が近づく。
鎖の音。
住民の苦しそうな息。
SPМ隊員たちの笑い声。
桜井の声。
その全てが背後に遠ざかっていく。
やがて、チャン爺が扉を開けた。
コン太は、大広間の外へ出る。
扉が閉まる。
その瞬間、コン太はようやく呼吸ができた気がした。
だが、まだ安心はできない。
チャン爺が敵なのか、味方なのか。
それはまだ分からない。
コン太は、今井翔太の姿のまま、チャン爺の背中を見つめながら廊下を歩いた。




