コン太だけが知っている(後編)
第105話です。宜しくお願い致します。
配管の中は、いつも通り短かった。
阿川の《配管工》は、一度行った場所へ繋げることができる。
だから、中央会館からSPМ本部へ向かう距離も、実際に歩くよりずっと短く済む。
浮田は配管の中を進みながら、軽く肩を回した。
さっきまで治療続きだった。
正直、身体は疲れている。
けれど、影山駿の支配が解けた可能性がある。
ルドルフの《真実の口》でも、それが真実だと証明された。
これは大きい。
桜井を捕らえた今、この情報を悠真たちへ伝えれば、SPМの隊員たちを一気に救えるかもしれない。
その可能性があるだけで、浮田の足取りは自然と速くなっていた。
ルドルフも、どこか安心したような顔をしている。
芹沢は相変わらず余裕の笑みを浮かべていた。
そして、その隣には今井翔太の姿をしたコン太がいる。
外見は完全に翔太だった。
だが、中身はコン太である。
本人も、まだその姿に慣れていないのか、時折自分の手や身体を見下ろしていた。
「本当にちゃんと翔太君だねぇ♡」
芹沢が楽しそうに小声で言う。
「何度も見なくていいよ……」
翔太の姿のコン太が、少し困ったように答える。
やはり語尾は出ない。
《化けぎつね》の効果で、話し方まで自然に補正されている。
それが少し奇妙で、少し心細かった。
だが、その違和感を深く考える間もなく、配管の出口が見えてきた。
阿川が先に出る。
続いて浮田、ルドルフ、芹沢、そしてコン太が配管から外へ出た。
そこで、浮田はすぐに眉をひそめる。
「……ん?」
そこは、会議室ではなかった。
広さはそれなりにある。
だが、悠真たちが戦っていた会議室とは明らかに違う。
机もない。
椅子もない。
戦闘の跡もほとんどない。
まるで、誰かを呼び込むために用意された別室のようだった。
浮田が阿川の方を見る。
「おい、阿川。ここ、会議室じゃなくないか?」
阿川は何も答えなかった。
その沈黙に、浮田の胸がざわつく。
ルドルフも、すぐに異変を察した。
「阿川さん……?」
◇
その時だった。
部屋の奥から、穏やかな声が響いた。
「やぁ、はじめまして!」
浮田たちの視線が、一斉にそちらへ向かう。
そこに立っていたのは、一人の男だった。
柔らかそうな笑み。
落ち着いた声。
だが、その目の奥には、相手を人として見ていないような冷たさがある。
浮田は、その顔を直接見たことはない。
だが、話では聞いていた。
SPМを狂わせた中心人物。
特殊隊隊長。
桜井晴彦。
桜井は、楽しそうに微笑んだ。
「私は桜井晴彦」
浮田の背筋に冷たいものが走る。
捕らえたはずではなかったのか。
桜井は捕らえたから、みんなで来てほしい。
そう聞いていた。
なのに、目の前の桜井は縛られてもいない。
自由に立っている。
ルドルフが息を呑む。
「どういう事ですか、阿川さん……?」
ルドルフが後ろを振り向いた。
その瞬間。
背後に、門脇がいた。
門脇の手には、小さなカプセル。
ガチャガチャの景品に入っているような透明なカプセル。
それが、一つ投げられる。
狙いはルドルフ。
「っ……!」
ルドルフは反応しようとした。
だが、間に合わない。
カプセルがルドルフの身体に当たる。
次の瞬間、ルドルフの身体が一瞬で縮み、カプセルの中へ吸い込まれた。
「ルドルフ!」
浮田が叫ぶ。
しかし、続けてもう一つのカプセルが投げられた。
今度の狙いは浮田。
浮田はとっさに横へ避けようとする。
だが、門脇の投げたカプセルは、わずかに軌道を変えたように浮田へ向かう。
肩に当たる。
「しまっ――」
言葉は最後まで続かなかった。
浮田の身体もまた、小さく縮み、カプセルの中へ閉じ込められる。
二つのカプセルが床に転がった。
中には、浮田とルドルフ。
反撃する隙すら与えられなかった。
◇
芹沢が目を見開く。
「ちょっと……!」
翔太の姿をしたコン太も、思わず身構えた。
だが、次の瞬間、二人の前に人影が現れる。
チャン爺だった。
いや、正確には二人のチャン爺。
《一卵性兄弟》によって分かれた二人のチャン爺が、それぞれ芹沢とコン太の前に立っていた。
仕込み杖から伸びた刃が、二人の喉元へ突きつけられる。
芹沢の表情が固まった。
コン太も、翔太の顔のまま動けなくなる。
「チャン爺、どういう事?」
コン太は動揺していた。
本来なら、語尾に「コン」が出るはずだった。
だが、今は今井翔太の姿になっている。
《化けぎつね》の効果で、言葉まで自然に補正されている。
チャン爺は、苦しそうに眉を下げた。
「すいません……今井様、芹沢様」
その声には、確かに申し訳なさがあった。
「わたくしも、こんなマネをしたくはないのですが……」
だが、刃は下げられない。
その姿を見て、芹沢の表情が変わる。
これは、チャン爺の意思ではない。
そう感じたのだ。
◇
次に、扉が開いた。
入ってきたのは、悠真と色谷だった。
悠真は普段と同じ姿をしている。
だが、目が違っていた。
穏やかなようで、冷たい。
仲間を見ている目ではない。
悠真はチャン爺を見て、軽く頷く。
「チャン爺、よくやった」
「……ありがとうございます」
チャン爺が静かに答える。
悠真の視線が、芹沢からコン太へ移った。
今井翔太の姿をしたコン太を見て、悠真はわずかに眉をひそめる。
「……? 何故、今井兄が居るんだ?」
その言葉に、コン太の心臓が跳ねた。
気づかれていない。
悠真は、目の前にいるのがコン太だと分かっていない。
「まぁいい」
悠真はすぐに興味を失ったように言った。
「そのまま桜井総督府様の目の前まで連れて行け」
桜井総督府様。
悠真の口から、その言葉が出た。
芹沢の顔から血の気が引く。
コン太も、息を呑んだ。
悠真が、そんな呼び方をするはずがない。
少なくとも、いつもの悠真なら絶対に。
チャン爺は苦しそうに目を伏せる。
「……かしこまりました」
二人のチャン爺は、芹沢とコン太を刃で脅したまま、桜井の前へ連れて行く。
門脇も、床に転がった二つのガチャカプセルを拾い上げた。
その中には、浮田とルドルフ。
東京側にとって、今最も重要な二人が閉じ込められている。
門脇は二つのカプセルを持ち、桜井の前まで歩いていった。
桜井は満足そうに笑っていた。
「順調だね」
その声には、余裕しかなかった。
◇
門脇が、桜井の前でカプセルを一つずつ床に置く。
そして、解除した。
まず、浮田。
次に、ルドルフ。
二人の身体が元の大きさへ戻る。
解放された瞬間、浮田はすぐに動こうとした。
「くそっ……!」
ルドルフも、桜井へ視線を向ける。
だが、その一瞬前に、色谷が動いていた。
「スキル、ボウリング場」
床にレーンが展開される。
浮田とルドルフの足元が固定された。
まるで、見えない力でその場に縫い付けられたように、二人は動けなくなる。
「色谷、お前……!」
浮田が叫ぶ。
色谷は何も答えない。
表情に感情は薄い。
ただ、桜井の命令を遂行している。
ルドルフが顔を歪める。
「まさか、悠真さんだけではなく……!」
その言葉が終わる前に、桜井が近づいた。
浮田とルドルフの背中へ、それぞれ手を置く。
桜井は穏やかに唱えた。
「スキル、天上天下唯我独尊」
桜井の手元に、織田家の家紋が描かれたワッペンが現れる。
まず一つが、浮田の身体へ吸い込まれた。
「っ……!」
浮田の目が見開かれる。
続けて、ルドルフにもワッペンが貼られる。
それは同じように身体へ沈み込んでいった。
ルドルフの表情が歪む。
抵抗しようとしている。
だが、すぐにその表情から力が抜けていく。
浮田も同じだった。
二人の目から、強い拒絶の色が薄れていく。
桜井は楽しそうに二人を見る。
「これで君達も、私の仲間だ」
浮田はゆっくりと顔を上げる。
「……はい」
ルドルフも、静かに頷いた。
「分かりました」
◇
芹沢は、その光景を見て唇を噛んだ。
ついさっきまで、洗脳を解除する可能性を持っていた二人が、今度は支配されてしまった。
希望だったはずのものが、目の前で奪われた。
「悠ちん……」
芹沢は、悲しそうに悠真を見た。
「洗脳されてしまったのね……」
悠真は、首を傾げる。
「洗脳?」
その表情には、本気で意味が分からないというような色があった。
「桜井総督府様の命令が正しいから、それに従っているだけだぞ」
芹沢の顔がさらに歪む。
悠真は続けた。
「お前等は優秀だからな……!」
それは、褒め言葉のようで、まったく違った。
「桜井総督府様の仲間になっていい許可が下りたんだ」
悠真は当然のように言う。
「感謝しろよ」
芹沢は何も言えなくなった。
何を言っても、今の悠真には届かない。
そう分かってしまった。
コン太も、翔太の姿のまま黙っていた。
怖い。
目の前にいるのは悠真なのに、悠真ではない。
声も、顔も、仕草も同じ。
だが、中身だけが何かに塗り替えられている。
チャン爺の刃が喉元にある。
逃げることはできない。
◇
桜井が芹沢へ近づく。
芹沢は抵抗しなかった。
いや、できなかった。
チャン爺の刃がある以上、少しでも動けば危険だった。
桜井がワッペンを芹沢へ貼る。
「スキル、天上天下唯我独尊」
ワッペンが芹沢の身体へ吸い込まれた。
芹沢の目が揺れる。
唇が震える。
だが、すぐにその表情が静かになっていく。
次に、桜井はコン太へ向き直った。
いや、桜井の目には今井翔太として映っている。
桜井は少し首を傾げる。
「君のことは詳しく知らないが……まぁ、使える人材なら歓迎しよう」
コン太の喉が鳴る。
今は翔太の姿。
でも、中身はコン太。
ばれたら終わりだ。
そう思うのに、動けない。
桜井がワッペンを取り出す。
「スキル、天上天下唯我独尊」
ワッペンがコン太の胸元へ貼られた。
そして、身体へ吸い込まれる。
コン太は思わず目を閉じた。
怖かった。
悠真も、浮田も、ルドルフも、芹沢も、このスキルで変わってしまった。
自分も、そうなる。
桜井総督府様と呼ぶようになる。
悠真たちを助けたいと思えなくなる。
そう思った。
だが。
何も起きなかった。
頭の中に、命令が流れ込んでこない。
身体も縛られない。
思考も変わらない。
桜井を正しいとも思わない。
ただ、胸元にワッペンが吸い込まれた感覚だけが残った。
コン太は、目を開ける。
目の前には桜井。
周囲には、支配された仲間たち。
だが、コン太だけは変わっていなかった。
それでも、コン太はすぐに顔に出さなかった。
今、ここで驚けばバレる。
だから、周りに合わせるように、黙って立っていた。
◇
桜井は満足そうに全員を見渡す。
「これで、東京は我々のものだ……」
桜井の声が部屋に響く。
そして、桜井は悠真を見る。
「いや、君と私が居れば、東京だけではなく、この国が支配出来るだろう……」
悠真は静かに頷く。
桜井は笑みを深めた。
「この腐りきった世界を変えるのが楽しみだ……」
その言葉は、希望を語るものではなかった。
支配を語る言葉だった。
人を人として見ず、使える者と使えない者に分ける。
自分に従う者だけを価値ある存在として扱う。
その思想が、言葉の端々に滲んでいる。
桜井は満足そうに手を叩いた。
「今夜は祝勝会だ」
その言葉に、コン太の背筋がぞわりとした。
仲間たちを支配した直後に、祝勝会。
異常だった。
だが、支配された者たちは誰も疑問を持たない。
桜井は続ける。
「悠真以外のみんなは部屋を用意しているから、ゆっくり休んでいてくれ」
その場にいた者たちが、一斉に返事をした。
「はい」
浮田も。
ルドルフも。
芹沢も。
阿川も。
色谷も。
チャン爺も。
皆が同じように返事をする。
コン太も、遅れないように口を開いた。
「はい」
語尾は出ない。
今井翔太の姿だからだ。
そのことが、今だけはありがたかった。
もし普段の姿なら、動揺して「コン」と言ってしまったかもしれない。
桜井は満足したように頷く。
「悠真、行こうか」
「あぁ」
悠真は迷いなく答える。
そして、桜井と共に部屋を出ていった。
扉が閉まる。
部屋の中には、支配された仲間たちが残された。
全員が桜井の洗脳に侵されてしまった。
悠真。
陸斗。
未来。
浮田。
ルドルフ。
阿川。
芹沢。
色谷。
チャン爺。
犬飼。
門脇。
そして、コン太。
そう思われていた。
ただ一人を除いては。
◇
今井翔太の姿をしたコン太は、周囲に合わせながらも、心の中で必死に息を整えていた。
誰にも気づかれてはいけない。
バレたら終わりだ。
けれど、確かに分かる。
自分の中に、桜井への忠誠心は生まれていない。
桜井総督府様などと、心から思っていない。
悠真を助けたい。
みんなを助けたい。
その気持ちは消えていない。
コン太は、静かに目を伏せた。
「俺だけ、何もなってない……」
声に出してから、一瞬だけ自分の言葉に違和感を覚えた。
今は今井翔太の姿だから、言葉まで変わっている。
でも、心の中の自分はコン太のままだ。
コン太は、心のなかで、小さく呟いた。
「オイラだけ、何もなってないコン……」




