コン太だけが知っている(前編)
第104話です。宜しくお願い致します。
浮田がルドルフを連れて戻ってきた時、影山駿はまだ空き部屋の中にいた。
目隠しは外されていない。
拘束もされたまま。
しかし、その雰囲気だけは、先ほどまでとは明らかに違っていた。
影撃隊の隊長。
影を操り、陸斗と阿川を追い詰めた男。
その影山が、今は静かにうつむいている。
浮田は部屋に入るなり、ルドルフへ簡単に事情を説明した。
影山を治療したこと。
治療後、突然様子が変わったこと。
桜井に操られていた時の行動を、自分の罪として認識し始めたこと。
そして、もしかすると浮田の《手術室》が、桜井の洗脳を解除した可能性があること。
ルドルフは説明を聞き終えると、大きく目を見開いた。
「もし、それが本当だったら凄い事ですよ!」
そして、胸の前で両手を広げる。
「Fantastico!! 素晴らしい!!」
浮田は腕を組み、真剣な表情で頷いた。
「あぁ。だからこそ、嘘じゃないことが重要になってくる」
ここで間違えれば危険だった。
影山が演技をしている可能性も、完全には消せない。
桜井の支配が解除されたと見せかけて、こちらを油断させる罠。
その可能性だって、考えないわけにはいかない。
だからこそ、ルドルフの《真実の口》が必要だった。
ルドルフは浮田の言葉に頷き、影山の前へ進む。
「分かりました」
その声は、いつもの明るさを少し抑えたものだった。
「ではやります」
影山は目隠しをされたまま、静かに答える。
「あぁ、宜しく頼む……」
その声には、恐れもあった。
だが、それ以上に覚悟があった。
自分の言葉が本当か。
自分は本当に桜井の支配から外れているのか。
それを、影山自身も確かめたかったのだ。
◇
ルドルフが一歩下がり、右手を前に出す。
「スキル、真実の口」
その瞬間、床に黒い影のようなものが広がった。
じわり、じわりと。
墨が水に溶けるように、黒が床へ染み出していく。
やがて、その中心から“それ”が現れた。
巨大な口。
石で出来ているような、無機質な質感。
人間の口の形をしているのに、どこか生き物ではないような不気味さがある。
これまで何度も見てきた光景だった。
だが、今回だけは意味が違う。
この口が噛まなければ、影山の言葉は真実になる。
そして、それは浮田の《手術室》が、桜井の洗脳に対抗できるかもしれないという証明にも繋がる。
影山の右手を拘束していた拘束具が、勝手に外れた。
カチャリ、と音を立てて金具が開く。
次の瞬間、影山の右手が吸い寄せられるように動いた。
抵抗する様子はない。
右手は、そのまま巨大な口の中へ入っていった。
影山は僅かに喉を鳴らす。
もし嘘をつけば、その手は噛まれる。
それを知っていても、影山は逃げなかった。
ルドルフは静かに告げる。
「いくつか質問をします」
巨大な口が、じっと影山の手を咥えている。
「質問には嘘偽りなく答えてください」
「分かった」
影山が短く答える。
浮田は腕を組んだまま、二人のやり取りを見つめていた。
空き部屋に、緊張が落ちる。
眠らされているSPМ隊員たちの寝息だけが、わずかに聞こえていた。
◇
ルドルフが一つ目の質問を口にする。
「先ず一つ目。貴方は、私達東京にいるメンバーを敵だと認識していますか?」
影山は少しだけ息を吸った。
そして、答える。
「いや、認識していない」
何も起きなかった。
巨大な口は、影山の右手を咥えたまま動かない。
噛まない。
ルドルフは軽く頷く。
浮田も、無意識に息を吐いていた。
まず一つ。
影山は嘘をついていない。
ルドルフは続ける。
「二つ目の質問です」
その声は、先ほどよりも少しだけ重くなる。
「桜井晴彦からの命令に従う事は、貴方にとって当たり前の行為ですか?」
影山の表情が苦しそうに歪んだ。
目隠しで目元は見えない。
だが、口元だけでも分かった。
その質問は、影山にとって最も重いものだった。
それでも影山は逃げずに答える。
「前はそうだったが、今は違う……」
また、何も起きなかった。
巨大な口は静かだった。
噛まない。
浮田の中で、確信に近いものが少しずつ強くなっていく。
ルドルフが、さらに問う。
「では、もう従う意思はありませんか?」
「ない」
影山は即答した。
その答えにも、真実の口は反応しなかった。
ルドルフは、浮田へ一度だけ目を向ける。
浮田は黙って頷いた。
最後の質問。
それが一番重要だった。
ルドルフは影山へ向き直る。
「では、最後の質問です」
空気が、さらに張り詰める。
「今後、私達や東京の住民など、超人族、超人族でない者に関係なく、理由もなく危害を加える事はありますか?」
影山は一瞬、黙った。
それは答えに迷った沈黙ではなかった。
自分がこれまでしてきたことを、思い返している沈黙だった。
そして、影山は絞り出すように答える。
「勿論ない」
声が少し震える。
「本当にすまなかった」
真実の口は、何も起こさなかった。
影山の右手を噛むこともなく、ゆっくりと口を開く。
拘束具から外れていた右手が、自然と引き戻される。
そして、巨大な口は黒い影へと溶けるように消えていった。
部屋に残ったのは、静かな空気だけだった。
◇
ルドルフは小さく息を吐き、影山へ告げる。
「私のスキルは、心で少しでも思っている事、その瞬間に思う事には反応します」
影山は黙って聞いている。
「影山駿さん」
ルドルフの声が、少し柔らかくなった。
「あなたの言っている事は、全て真実でした」
その言葉を聞いた瞬間、影山の肩から力が抜けた。
「良かった……」
それは、自分が許されたという意味ではない。
これ以上、桜井の命令で誰かを傷つけずに済む。
自分の意思が戻っている。
それを確認できたことへの安堵だった。
浮田は大きく息を吐いた。
「あぁ、これで洗脳を解除出来る方法が分かったぞ」
ルドルフが浮田を見る。
浮田は、自分の手を見下ろしながら言った。
「俺の手術空間に入れば、洗脳は解けるという事だな!」
確証は今、得られた。
もちろん、完全に仕組みを理解したわけではない。
だが、影山の支配が解けた。
そして、ルドルフの《真実の口》が、それを真実だと証明した。
それだけで、今は十分だった。
「今眠らせている他の隊員たちも、手術空間に入れたやつに関しては、起きたら洗脳が解けているだろうな」
浮田の言葉に、ルドルフの顔が明るくなる。
「これで、桜井に操られた人を戻す事が出来ますね!」
「あぁ」
浮田は頷く。
敵として戦っていたSPМ隊員たち。
彼らの中に、本当に自分の意思で動いていた者がどれだけいるのかは分からない。
だが、少なくとも桜井の支配を受けていた者は救える。
その可能性が見えた。
◇
影山が、顔を伏せたまま言った。
「俺がお願いするのは図々しいのは、重々承知だが……」
浮田とルドルフが影山を見る。
影山は、深く頭を下げた。
「俺からもお願いする」
声が震えている。
「SPМのみんなを解放してくれ、浮田!」
それは隊長としての言葉だった。
桜井に操られていたとはいえ、影山はSPМの隊長の一人だ。
仲間を救いたい。
自分たちが犯したことを、これ以上広げたくない。
その思いだけは、はっきりと伝わった。
浮田は少しだけ顔をしかめる。
「みんなの治療をした後にハードワーク過ぎるんだよな、全く……」
愚痴だった。
完全な本音だった。
だが、浮田はすぐに顔を上げる。
「だが、勿論俺のスキルは人を助ける為にあるからな」
影山は何も言えなかった。
ただ、もう一度深く頭を下げる。
◇
その時だった。
トントン。
ドアがノックされた。
浮田が振り返る。
「誰だ?」
ドアの向こうから、落ち着いた女性の声が聞こえた。
「治療中の所、失礼致します」
一葉だった。
浮田がドアを開ける。
そこには、いつものように綺麗な所作で立つ一葉の姿があった。
しかし、どこか様子がおかしい。
声は丁寧。
立ち姿も崩れていない。
だが、表情がわずかに硬い。
目の奥に、不安のようなものが見える。
一葉は静かに告げた。
「阿川様が配管を繋げてこちらにいらっしゃいました」
「阿川が?」
浮田が驚く。
一葉は小さく頷く。
「桜井は捕らえたから、みんなで来てほしい……と」
その言葉に、浮田の顔が一気に明るくなった。
「マジかよ……!」
浮田は思わず声を上げる。
「もう、終わったのか?!」
ルドルフも表情を明るくした。
「これで、悠真さん達にこの事を報告出来ますね!」
「あぁ!」
浮田は大きく頷く。
桜井を捕らえた。
そして、桜井の洗脳を解除する方法も分かった。
これ以上ない知らせだった。
浮田は影山へ振り返る。
「影山、良かったな!」
影山は目隠し越しに顔を上げる。
「これで解放されるぞ!」
「……あぁ」
影山の声にも、わずかに安堵が滲んだ。
「本当に良かった」
そして、静かに言う。
「ありがとう……」
浮田は軽く手を振る。
「お前はまだ安静にしておいてくれ」
そう言って、部屋のベッドを指差した。
「この部屋のベッドで、そのまま少し休んでおくんだ」
「あぁ」
影山は素直に頷いた。
浮田は影山の拘束具と目隠しを見る。
少しだけ考えたあと、口を開いた。
「それと、もうコレは要らないな」
真実の口は反応しなかった。
影山は東京を敵だと思っていない。
桜井に従う意思もない。
理由もなく危害を加えるつもりもない。
なら、これ以上目隠しをしておく必要はない。
浮田は影山の拘束具を外した。
続けて、目隠しも外す。
影山は眩しそうに瞬きをした。
目元は赤くなっている。
だが、その目には先ほどまでの冷たさはなかった。
疲れと後悔。
そして、わずかな希望。
そのすべてが混じっていた。
「じゃあ、俺達はちょっと行ってくるから」
「あぁ」
影山は頷く。
「気を付けてくれ」
その言葉に、浮田は少しだけ笑った。
「敵だった奴に心配される日が来るとはな」
「……すまない」
「冗談だよ」
浮田はそう言い、ルドルフと共に一葉の後を追った。
◇
一葉に案内され、浮田とルドルフは少し離れた部屋へ向かった。
廊下を歩く間、一葉はほとんど喋らなかった。
いつもの一葉なら、必要なことを簡潔に伝えながら、主である悠真への配慮を自然に見せる。
だが、今の一葉は妙に静かだった。
浮田は一瞬だけ違和感を覚える。
しかし、すぐにその思考は別の方向へ流れた。
桜井を捕らえた。
洗脳解除の方法も分かった。
今は一刻も早く、悠真たちに報告するべきだ。
そう考えていた。
一葉が扉を開ける。
その部屋には、すでに数人が集まっていた。
二葉。
三葉。
美咲。
芹沢。
コン太。
そして阿川。
阿川は配管を出す準備をしているようだった。
二葉と三葉も、一葉と同じようにどこか不安そうな顔をしている。
それでも、浮田たちは気づききれなかった。
部屋の中には、芹沢とコン太のいつもの空気があったからだ。
芹沢は、浮田たちを見るなり笑顔を浮かべる。
「流石、悠ちん達ね♡」
その声は、いつもの甘ったるい調子だった。
「本当は私も加勢したかったけど、仕方ないわね♡」
すると、コン太が胸を張る。
「芹沢、何言ってるコン。ここで大量にお注射したコン!」
コン太は得意げに鼻を鳴らす。
「ちゃんと加勢しているコンよ!」
芹沢はその言葉に、嬉しそうに頷いた。
「そうね♡ 私達のお陰よねぇ〜♡」
「そうコン!」
コン太はますます得意そうな顔になる。
そんな二人を見て、浮田は少し呆れたように息を吐いた。
「お前ら、緊張感あるのかないのか分からないな……」
だが、その軽さが少しだけ場を和ませた。
桜井を捕らえた。
戦いが終わるかもしれない。
そんな空気が、部屋の中に薄く漂い始めていた。
◇
その時、芹沢がふと思いついたように手を叩く。
「そうだ、コン太ちゃん」
「何コン?」
「ちょっと悠ちん達にイタズラしてみない?」
コン太が首を傾げる。
「イタズラ……?」
芹沢は悪戯っぽく笑う。
「コン太ちゃんのスキルを使って、この場には居ない知っている人に変身するの♡」
「変身コン?」
「そうねぇ〜」
芹沢は少し考えるふりをして、すぐに指を立てた。
「例えば、今井兄弟の今井翔太君だっけ?」
コン太はますます首を傾げる。
「何で変身するコン……?」
「前に、コン太ちゃんがいなくなった事があったじゃない?」
「あったコン……」
コン太は少しだけ気まずそうな顔をする。
あの時は、皆に心配をかけた。
「その時に皆で探し回ったけど、今回も居なくなったと思わせて、後で翔太君じゃなくてコン太ちゃんでしたーって驚かせるの♡」
「そんな事したらまた、悠真やチャン爺に怒られるんじゃないか……コン?」
コン太の不安はもっともだった。
悠真もチャン爺も、そういう心配をかける悪戯にはあまり甘くない。
特に今は戦場帰りの直後。
怒られる可能性は十分にあった。
しかし、芹沢は楽しそうに笑う。
「ちょっとくらい大丈夫よぉ♡」
「本当にコン……?」
「お遊び♡」
芹沢はコン太の顔を覗き込む。
「それに、怒られそうになったらアタシに言われてやったって言えばいいわ」
コン太は少し悩んだ。
だが、芹沢にそこまで言われると、断りにくい。
それに、桜井を捕らえたという知らせで、少し気が緩んでいたこともある。
コン太は小さく頷いた。
「そこまで言うなら分かった……コン!」
コン太は小さな木の葉を召喚した。
それを頭の上に乗せる。
そして、いつものように唱えた。
「スキル、化けぎつねだコン」
木の葉が淡く光る。
次の瞬間、コン太の姿が変わっていった。
小さなフォック族の姿から、人間の少年へ。
背丈が伸びる。
耳と尻尾が消える。
顔立ちが変わる。
そこに立っていたのは、今井翔太だった。
爽やかな顔立ち。
明るい雰囲気。
どこから見ても、コン太には見えない。
芹沢が両手を頬に当てて、嬉しそうな声を上げる。
「キャー♡ どこからどう見ても翔太君にしか見えない♡」
今井翔太の姿になったコン太は、少し複雑そうに芹沢を見た。
「何か、嬉しそうだね……」
その言葉に、コン太自身が一瞬だけ驚く。
語尾が出なかった。
以前より《化けぎつね》のスキルレベルが上がったことで、喋り方まで自然に補正されているのだ。
芹沢は気にする様子もなく、にこにこと笑っている。
「だってぇ〜、翔太君爽やか系イケメンだしぃ〜♡」
「悠真が好きじゃなかったの?」
翔太の姿のコン太が、素直に聞く。
芹沢は当然のように胸を張った。
「悠ちんは悠ちん! 翔太君は翔太君! 私は皆を愛してるの♡」
「良いように言ってるだけに聞こえる……」
コン太がぼそりと呟く。
そのやり取りに、浮田がついに手を叩いた。
「ほら、いいからふざけてないでさっさと行くぞ!」
浮田の声に、芹沢とコン太が振り向く。
「桜井を捕まえたからって、一応向こうはちょっと前まで戦場だったんだからな」
浮田は真面目な顔で続ける。
「警戒しながら行くぞぉー」
その言葉に、ルドルフも頷く。
美咲は少し不安そうに、部屋に残る一葉たちを見上げた。
一葉、二葉、三葉は東京にそのまま残る。
美咲も留守番。
SPМ本部へ向かうのは、阿川、浮田、ルドルフ、芹沢、そして今井翔太の姿になったコン太。
五人だった。
阿川が配管を出す。
太い配管の入口が、部屋の中に現れる。
浮田は一度だけ振り返り、留守番組へ言った。
「何かあったらすぐ知らせろよ」
一葉が静かに頭を下げる。
「かしこまりました」
その声は、いつも通り丁寧だった。
だが、やはりどこか不安そうだった。
それでも、浮田はその違和感を深く追うことはできなかった。
桜井を捕らえた。
悠真たちが待っている。
影山の洗脳解除について伝えなければならない。
その思いが、浮田の意識を先へ進ませる。
阿川を先頭に、五人は配管の中へ足を踏み入れた。




