新しい悠真君(後編)
第101話です。宜しくお願い致します。
その時だった。
会議室の別方向で、色谷がこちらに気づいた。
色谷はまだSPМ隊員たちの対応を続けていた。
《ボウリング場》のレーンで足止めし、倒れた者を阿川の配管へ送る。
その流れを維持していたはずだった。
だが、俺が犬飼に捕まっているのを見た瞬間、色谷の表情が変わる。
「悠真……!」
色谷はすぐに動いた。
迷いがなかった。
犬飼の足元へ視線を向け、スキルを発動しようとする。
「スキル、ボウリング――」
その声が、最後まで届く前だった。
会議室の物陰。
そこから、何かが飛んできた。
小さなカプセル。
透明なプラスチックのようにも見える。
玩具のガチャガチャから出てくるカプセルに似ている。
だが、それはただの玩具ではなかった。
色谷の身体に、そのカプセルが当たる。
「っ……!?」
次の瞬間、色谷の身体が小さくなった。
まるで現実感のない光景だった。
色谷の身体が、一瞬で縮み、カプセルの中へ吸い込まれる。
カプセルの中で、色谷が何かを叫んでいる。
だが、声は届かない。
「色谷!!」
俺が叫ぶ。
しかし、それだけでは終わらなかった。
物陰から、もう一つカプセルが投げられる。
狙いはチャン爺。
チャン爺はすぐに反応したが、一足遅かった。
「……これは」
チャン爺の声が聞こえたのは、そこまでだった。
チャン爺の身体もまた、小さく縮み、カプセルの中へ吸い込まれる。
床に、二つのカプセルが転がった。
その中に、色谷とチャン爺が閉じ込められている。
「色谷、チャン爺!!」
俺は叫んだ。
だが、動けない。
犬飼の爪が、喉元にある。
ほんの少しでも暴れれば、俺の喉は裂かれる。
◇
俺の視線の先。
物陰から、門脇誠司が静かに姿を現した。
かつて俺に、避難民を助ける道を示した人。
犬飼が助けたいと願っていた人。
その門脇が、今は無表情でこちらを見ている。
「スキル、ガチャカプセル」
門脇は、淡々と言った。
その手には、さらに小さなカプセルが握られている。
まるで、人を玩具の景品にでもするように。
色谷とチャン爺は、一瞬で戦場から消された。
これで、俺を助けようと動ける者がさらに減った。
アル、ソックス、セイコは動けない。
犬飼が俺の喉元に爪を当てているからだ。
色谷とチャン爺はカプセルの中。
陸斗と阿川は影山を追って別の場所にいる。
未来はまだ戻ってきていない。
俺の周りから、助けが一つずつ消されていく。
桜井は、その全てを分かっていたように笑っていた。
「いいね、門脇君」
門脇は、何も答えない。
ただ静かに、桜井の方へ軽く頭を下げる。
その仕草に、胸の奥がざらついた。
違う。
あの人は、こんな人じゃなかったはずだ。
少なくとも、犬飼の話に出てきた門脇は、こんなふうに人を閉じ込めて平然としている人ではなかった。
それでも、今の門脇は桜井の命令で動いている。
犬飼も。
門脇も。
全員が、桜井のために動いている。
俺は何を見落とした。
何を間違えた。
そんな考えが頭を駆け巡る中、犬飼が俺の身体を押した。
「歩け」
低い声。
俺は抵抗できなかった。
喉元の爪が、ほんの少し肌に食い込む。
「……っ」
痛みが走る。
血が一筋、首筋を伝った。
アルが一歩前に出ようとする。
だが、犬飼がすぐに言った。
「動くな」
アルの足が止まる。
普段あれだけ騒がしいアルが、今は何も言えずに俺を見ていた。
ソックスも銃を構えている。
だが、撃てない。
セイコはステッキを握りしめている。
悔しそうに、唇を噛んでいる。
それでも、三人とも動けなかった。
派遣された三人にとって、俺は主人だ。
俺を守ることが最優先。
だからこそ、俺を人質に取られた瞬間、彼らは動きを封じられる。
桜井は、それを理解していた。
分かっていて、この状況を作った。
犬飼に背後を取らせ、俺を拘束し、アルたちの動きを止める。
色谷とチャン爺が動こうとすれば、門脇の《ガチャカプセル》で封じる。
全て、順番通りに。
勝ち筋を積み重ねるように。
◇
犬飼に連れられ、俺は桜井の前へ歩かされた。
一歩。
また一歩。
会議室の床に落ちた瓦礫を踏む音が、やけに大きく聞こえる。
桜井は、目の前で待っていた。
穏やかな笑みを浮かべている。
その表情だけ見れば、まるで友人を迎えるようだった。
だが、その目は違う。
俺を人間として見ていない。
欲しかった道具をようやく手に入れた。
そんな目だった。
「かなり苦労したけど、やっと手に入ったよ」
桜井が言う。
俺は奥歯を噛みしめた。
「今から、新しい悠真君に生まれ変わるからね」
「……ふざけるな」
ようやく、声が出た。
だが、その声は弱かった。
喉元には犬飼の爪。
目の前には桜井。
背後には操られた犬飼。
状況は最悪だ。
それでも、何とかしなければならない。
俺が操られれば、東京は終わる。
俺の《日常生活》は、東京の基盤そのものだ。
テリトリー修復。
環境維持。
商品生成。
住民登録。
警備。
派遣。
職業選択。
それら全てが、桜井の手に落ちる。
東京だけじゃない。
避難民も、仲間も、全部。
桜井の支配のために使われる。
それだけは、絶対に駄目だ。
身体を動かそうとする。
だが、犬飼の爪が喉元へ食い込む。
「動くなと言った」
「犬飼……!」
俺は叫びたいのを堪えながら、犬飼の名前を呼んだ。
「目を覚ませ……! お前、門脇を助けたかったんだろ……! SPМを、避難民を助けたかったんだろ……!」
犬飼の表情は見えない。
背後にいるからだ。
だが、腕の力は緩まない。
「桜井総督府様の命令が最優先だ」
その声には、迷いがなかった。
いや、違う。
迷いが消されているのか。
それとも、命令だけが上書きされているのか。
分からない。
分からないまま、時間だけが過ぎていく。
◇
桜井が、ゆっくりと右手を上げた。
「それじゃあ、始めようか」
俺の背筋に、冷たいものが走った。
桜井が唱える。
「スキル、天上天下唯我独尊」
その瞬間、桜井の手元に何かが現れた。
小さなワッペン。
布のような質感。
だが、ただのワッペンではない。
そこには、織田家の家紋が描かれていた。
黒く、はっきりとした紋。
小さなものなのに、異様な存在感があった。
見ているだけで、胸の奥がざわつく。
危険だ。
本能がそう叫んでいた。
あれは、駄目だ。
あれを貼られたら終わる。
そんな確信だけが、頭の中で鳴り響く。
「……それが、お前のスキルか」
俺は言った。
声が震えていた。
桜井は嬉しそうに笑う。
「そうだよ」
ワッペンを指先でつまみながら、俺に見せる。
「君がずっと知りたがっていた、私のスキルだ」
「天上天下唯我独尊……」
口の中で、その名前を繰り返す。
とんでもなく傲慢な名前だ。
だが、桜井には似合いすぎていた。
自分だけが上。
自分だけが絶対。
自分だけが支配者。
そんな思想そのものが、スキル名になっているようだった。
桜井は、俺の胸元へ手を伸ばしてくる。
俺は必死に身を捩ろうとした。
だが、犬飼の腕が俺を押さえる。
ヒグマの腕力。
逃げられない。
「やめろ……」
声が漏れる。
桜井は微笑んだまま、首を横に振った。
「駄目だよ、悠真君」
その声は優しい。
優しいからこそ、気持ちが悪かった。
「君は私に必要なんだ」
「やめてくれ……」
俺は必死に言う。
アルたちが動けないのが分かる。
色谷とチャン爺はカプセルの中。
門脇は桜井の側。
犬飼は俺を押さえている。
誰も間に合わない。
桜井が、ワッペンを俺の胸元へ近づける。
「じゃあね、悠真君……」
その言葉に、全身が粟立った。
今の俺への別れ。
今の黒瀬悠真への別れ。
そして、新しい“何か”への挨拶。
「やめろ……」
ワッペンが近づく。
「やめろ……!」
俺は声を張り上げた。
それでも、桜井の手は止まらない。
「やめろぉ゙ぉ゙ぉ゙ー!」
叫びと同時に、ワッペンが俺の胸に貼られた。
◇
その瞬間。
ワッペンが、俺の身体の中へ吸い込まれた。
「っ――」
声が出なかった。
胸の奥に、何かが入り込んでくる。
冷たいもの。
重いもの。
黒いもの。
それが血管を通るように、全身へ広がっていく。
頭が揺れる。
視界が歪む。
桜井の顔が、ぼやける。
アルの声が聞こえた気がした。
ソックスの声も。
セイコの声も。
でも、遠い。
全部が遠い。
俺の中に、命令が入り込んでくる。
桜井晴彦に従え。
桜井晴彦を上位者と認めろ。
桜井晴彦のために動け。
違う。
違う。
俺は必死に抵抗しようとした。
陸斗。
美咲。
未来。
浮田。
ルドルフ。
阿川。
チャン爺。
一葉。
二葉。
三葉。
アル。
ソックス。
セイコ。
色谷。
芹沢。
コン太。
みんなの顔を思い浮かべる。
だが、それらの上から、別の意志が塗り重ねられていく。
桜井総督府様。
その言葉が、頭の中で形を持つ。
違う。
俺はそんなふうに呼ばない。
呼びたくない。
そう思っているはずなのに、その抵抗が少しずつ薄れていく。
息が苦しい。
身体が重い。
自分の思考が、自分のものではなくなっていく。
怖い。
怖い。
なのに、その怖さすら、ゆっくりと鈍っていく。
桜井が、目の前で笑っていた。
満足そうに。
心底嬉しそうに。
「はじめまして! 新しい悠真君!」
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
桜井の声が、やけに鮮明に聞こえる。
「私達の仲間になってくれるよね?」
頭の中の何かが、答えを決めていた。
俺の意思とは違う。
違うはずなのに。
その言葉は、迷いなく口から出た。
「あぁ、勿論だ」
明日も2話更新宜しくお願い致します!




