第440話
深夜、リーシャの部屋。
二人で、夕食を共にしたが、忙しいアレスは、早々に夕食の席を退室し、それ以降、リーシャの顔を見ることもなく、王太子の仕事や、ハーツの訓練に時間を割いていたのである。
ようやく、誰もが寝静まっている時間になって、リーシャの部屋に訪れることができたのだった。
スヤスヤと眠っているリーシャの脇に、アレスが腰掛けている。
静かな部屋に、腰掛ける音が僅かに響いていたが、目覚める気配がなかった。
アレスの双眸は、ぐっすりと眠っている姿を捉えていたのだ。
ここを訪れる前に、一日、リーシャが過ごしていたか、ユマから報告を受けていた。
いったん、仕事に区切りをつけ、リーシャの様子を見る前に、ユマから一日のリーシャの詳細な様子を、毎日、報告させていたのだった。
学校に登校した場合は、警備している者たちから、リーシャの学校での様子を、細かく報告させていたのである。
暖かい頬に触れる、アレスの手。
〈乙女の祈り〉の力が暴走し、意識がないまま、王宮に戻ってきた時は、僅かな暖かさしか感じられなかった。
その際は、その僅かな温もりでもよかった。
だが、徐々に、確かな温もりを欲するようになっていたのだ。
しっかりとした暖かさに、安堵しているアレス。
この暖かさを感じるため、毎日、眠っているリーシャの部屋に訪れて、確かめていたのだった。
「暖かい……」
小さく呟いていた。
頬に触れたままでいる。
無防備な姿に、微かに口角が上がっていたのだ。
傷つけないように、優しく触れていた。
もう、これ以上、傷ついてほしくなかったのだった。
そのため、アレスはいろいろと動き回り、苦労を重ねていたのである。
肉体的にも、精神的にも、かなり疲弊していた。
だが、リーシャの安寧のため、眠る時間を惜しんで、動き回っていたのだった。
ぐっすり眠っているリーシャは、目を醒ます気配もない。
まっすぐに、注がれるアレスの眼光だ。
ユマの報告の中に、ラルムとの演劇の練習が含まれていた。
僅かに、仄暗い感情が疼き出す。
(ラルム……)
容易に、二人で練習している光景が、脳裏に浮かんでいたのだ。
想像した光景は、いつも聞く、報告内容と同じだった。
二人で、セリフ合わせをし、穏やかな時間を過ごしていると。
アレス自身も、実際に、二人のセリフ合わせの現場を、何度か眺めていたことがあった。
だから、どのように二人が、過ごしていたのか、手に取るように想像ができてしまっていたのである。
ふと、耳の奥から、二人の笑い声が聞こえてきた。
「……」
鮮明に残っていたのだ。
以前、見ていた光景の中に。
身体の中に駆け巡っていく怒り。
動く感情のまま、いつの間にか、目を眇めていることに気づき、いつもの無表情に戻っていった。
そして、息を吐き、心を落ち着かせている。
もう一度、意識を眠っているリーシャに向け、暖かさを感じてから、立ち上がっていた。
室内を出ようとするアレス。
だが、テーブルに無造作に置かれた台本が、視界に入っていたのだ。
「……」
何度か、勝手に台本を読んでいた。
気になるアレスは、また、台本を手にとっていたのだった。
ペラペラと、台本を捲る。
台本のあちらこちらに、リーシャのものと思われる字と、ラルムと思われる字が書き込みされていたのである。
二人の字に、イライラしていた。
台本に書かれている字は、リーシャのものとラルムのものしかない。
他の者が書いた字はなかった。
並んで書かれている文字に、半眼していたのだ。
ふとした瞬間に、いつの間にか、二人でいて笑い合っている姿に、怒りの感情しかなかった。
それに、視線が合えば、小さく笑みを零し合う姿も、アレスとしては、気に入らなかったのだった。
リーシャの文字に触れている。
頼まれた演劇に対し、一生懸命になっていることが滲み出ていたのだ。
「……」
いろいろな感情が渦を巻いていて、アレスの中で、複雑に葛藤していたのだった。
見ていた台本を戻し、今度こそ、リーシャの部屋を出て行った。
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