第439話
祖父であるシュトラー王から、何度も呼び出しを受けても、忙しいと、逃げ回っていたが、一緒に住む母メリナからは、逃れることができなかった。
明け方近くに、帰ってきた、ラルムを捕まえ、顔をつき合わせていたのである。
顔を合わせないように、時間をずらして、帰宅していたのだ。
「疲れているので、話なら、また、今度にしてくれませんか?」
困り顔を覗かせながら、声をかけるラルム。
「あなた次第よ」
きっぱりとした顔をしていた。
「……」
小さく息を吐き、ラルムが話を聞く態勢をしていたのだ。
テーブルを挟み、互いに、ソファに腰を下ろしている。
メリナが屋敷に戻っている際は、遅く帰宅し、着替えだけを済ませ、早朝に屋敷を出たりしていたのだ。
演劇に出ることが決まって以来、まともに顔を合わすのは久しぶりだった。
二人の双眸は、互いを見つめたままだ。
僅かな静寂が、二人の間を広がっていった。
その口火を切ったのは、メリナである。
「今すぐ、降りなさい」
何から降りろと言っているのか、ラルムには理解できていた。
理解できていたが、いくら母の言葉でも、応じるつもりはなかった。
「お断りします」
「ラルム」
厳しく窘めている。
「開演まで、もうすぐです。ここで、降りるなんて、迷惑をかけてしまいます」
「状況を、理解できているの?」
強めの声音で、問い質していたのだ。
リーシャとラルムの噂が貴族の間だけではなく、一般庶民まで広まりつつあったのである。
必死に食い止めようとしているが、スキャンダラスな噂話を止めることが、難しい状況に陥っていたのだった。
「貴族たちの間で、広まっているようですね。僕とリーシャの噂が」
「ラルム」
「あ、後、一般の人たちにも、広まっていました」
平然としているラルムに、苛立ちを憶えているメリナ。
目を眇められても、ラルムは動じる表情を見せない。
穏やかな笑みを漏らしていたのだった。
「最悪よ」
苛立ちげに、メリナが吐き捨てていた。
「ただの噂です。言わせておけばいいのです」
努めて、冷静なラルムの姿に、ますます、メリナの感情が動いていたのだ。
「噂を止めようにも、止まらない。誰かが、あえて、広めているかのようね」
「そうなんですか? どちらサイドにも、ついていない者たちの仕業かもしれませんね。右往左往しないで、無視すれば、いいのでは?」
王宮側も、メリナ側も、二人のスキャンダラスな噂話を、食い止めようと必死に行動していたが、止まる気配がなかった。
抑え込んでも、留まることを知らないで、泳いでいたのである。
「随分と、余裕な態度ね」
「いちいち、噂話に振り回されるのも、よくないと思ったからです」
「そう」
メリナの眼光が、正面にいるラルムを捉えたままだ。
「ラルム。あなたの仕業ではないの?」
抑えようとしても広がっていく現状に、あえて裏で広めている人間がいると巡らせ、その裏で動いているのは、息子であるラルムではないかと、思うようになっていたのだった。
「違いますよ」
「そう?」
注がれる視線。
真っ向から、ラルムは受け止めている。
打ち消そうとしても、消えない噂話が広がっている現状に、王宮側も、メリナ側も、かなり疲弊していた。
それでも、止めようとしていたのだった。
「あの子の耳には、届いているのかしら? この噂話が」
初めて、ここに来て、ラルムの表情が、微かに動いていたのだ。
メリナは見逃さない。
「……。少しは、耳にしているようですが、学校の方では、ナタリーたちや僕が、入らないようにしているので、ここまで広まっていると、は知っていないはずです」
「そう」
「はい。アレスも、お爺様たちも、わざわざ、入れることはしないかと」
「そうね」
口の端を上げているメリナ。
それに対し、怪訝な顔を、ラルムが滲ませていた。
「あの子に、この状況を教えたら、どうなるのかしら?」
メリナの言葉に、怒りが湧き上がっていく。
母であるメリナに対し、半眼していたのだった。
「ラルム。あなたは、怒ったのね」
「当たり前です」
ふふふと、メリナが笑っている。
ここに来て、ようやく、感情を面に出したからだ。
「そのような真似をしたら、お爺様が許しませんよ」
「そうね。きっと、この国にはいられなくなるかもしれないわね」
探るような、ラルムの眼差し。
「……するつもりですか?」
二人の間に、少しの静寂が流れていた。
どちらも、視線をはずさない。
見つめているままだ。
「あなたを、王位につかせるのよ。そんな真似、できないでしょう?」
「……」
「忘れないで。王位を継ぐのは、あなたよ」
「……」
「ここで、自身を、落とすような真似をしないで」
「自身を、落とすことはしませんが、演劇に出ることを、辞めるつもりはありません」
「……ラルム」
一歩も、引く様子もない姿勢に、メリナの顔が歪んでいる。
「せっかくです。見に来てください」
ニッコリと微笑んでいた。
メリナの口は、きつく結ばれたまま、立ち上がって、部屋を出て行ってしまっていたのだった。
ようやく、一人になったところで、ソファの背に背中を預け、強張っていた身体が緩んでいた。
一息、ついていたのだ。
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