蒼井
校庭では練習試合が行われているようだった。投げる打つ捕る走る、同じ事を繰り返しているだけに思えるが、皆楽しそうに試合をしている。その時打たれたボールが予想外の方向へ飛んだ。バッターボックスの後ろ、つまり校舎へ。
ボールは百合子のいる教室目掛けてくる。開け放しの窓から入ってきた“それ”は吸い込まれるように百合子の掌の中に収まった。そして机の上にそっと置くと、素足のまま上履きを履き、教室を後にした。
暫く時間を潰さなくてはいけなくなってしまった。野球部員がボールを取りに来る間に、百合子を呼び出した《蒼井》が来る可能性は充分にある。職員室からの通り道で廊下の様子が伺えるのは何処だろうか?知識の少ない校舎の地図を思い浮かべ、図書室へと足を運んだ。
図書室を開けると涼しい空気が中から溢れた。ここは冷房があったんだ、百合子はポケットから出したハンカチで汗を拭いながら室内を見渡す。入ってすぐの廊下側に読書スペースが設けてあり、生徒達が個々に本を読んでいた。三人、どの生徒も見たことのない顔だ。百合子は同じクラスの生徒がいないことを確認して、静かに足を踏み入れた。
近くの本棚から一冊取り出し、廊下に面したカウンター席のような椅子へ座る。廊下側の窓は閉め切られており、お知らせやら注意書きやら沢山の紙が貼られているが、隙間から様子を伺えなくもない。本を開いて、蒼井が通るのを待つ。初めからここで待てば良かった、百合子はいい場所を見つけたと少しだけ微笑み、何気なく取った本に目を落とした。
百合子が手にしたのは花の図鑑。ぱらぱらと捲り、百合の花のページを見つける。
────────百合…
頭に浮かぶのは、あの人の安らかな顔とその周り一面に広がる白い百合の花々。死化粧では隠しきれない不自然な浅黒い顔を花の白さが一層引き立たせ、葬儀に参列した数人のごく親しい者でさえ、咄嗟に顔をそむけるほどだった。
急な寒気を感じ、靴下を教室に忘れたことを後悔する。膝上のスカートを少しばかり下げようと席を立った時、廊下を歩く蒼井を見つけた。急いで図鑑を元の棚に戻すと図書室を出て蒼井を呼び止めた。
「先生!」
蒼井は振り返るとその顔に笑みを浮かべた。
日焼けした健康的な小麦色の肌に快活な笑顔、化学の教諭とは思えぬ肉体労働者のような体つき。友達のように気楽に話せる、と生徒達からの人気は絶大で、蒼井の周りにはいつも絶えず人がいた。しかし夏休み期間中の今は取り巻きの姿はない。蒼井に話し掛けなくてはいけないときには毎回緊張したものだ。蒼井に好意を抱いているわけではない。周りの生徒達の視線や後から起こりうる事柄を思うと、自然と体が強ばるのだった。
「白石、遅くなって悪い」
そうして並んで先程までいた教室へと戻る。その間、蒼井はこの辺りの地域には慣れたか?夏バテしてないか?などといった質問から、近くのおすすめの飲食店の情報や、今週末に行われる近所の夏祭りについてなど、聞いてもいない話を次から次へとするので、百合子は当り障りのない返事をしながら進む。
そのうちに教室へ到着した。




