9話
馬車は、やがて屋敷の正面に停まった。
扉の向こうに広がっていた光景に、私は思わず息を呑む。
老若男女、数え切れないほどの使用人たちが、
屋敷の前に一直線に並んでいたのだ。
庭仕事の途中だった者、洗濯物を抱えたままの者、
皆が一様に手を止め、こちらを待っている。
――え、これ……私を迎えてるの?
ひ、非常に恐縮です……!
心の中で思わず頭を下げる。
どうやら、この屋敷ではそれが“当たり前”の作法らしい。
馬車の扉が開いて、私は真っ先に外へ出た。
その瞬間、使用人たちは、まるで合図でもあったかのように一斉に頭を下げた。
角度まで揃った、完璧すぎるお辞儀。
そして――
顔。誰一人として、笑っていない。
死人のように青白い顔、伏せられた目。
若いメイドなどは、肩を小刻みに震わせていた。
……これが。
これが、ミアに向けられる視線。
違う……使用人たちを、ここまで追い詰めたのは、
――ミア本人だ。
「悪役令嬢……」
思わず、心の中で呟く。
ゲームでは、主人公をいじめるだけの“分かりやすい悪役”。王子とヒロインを結びつけるための、踏み台キャラ。
そう、軽く考えていた。
でも、現実は違うんだ。ここには、ちゃんと“人の人生を壊してきた悪役令嬢”がいた。
「……ミア様?」
背後から声がして、我に返る。
振り向けば、ヴィクトルが意識のないメイドを抱えたまま立ち尽くしていた。
――そうだ。今は、考えている場合じゃない。
「ミア様、そちらの者は……?」
白髪で恰幅のいい壮年の男が、恐る恐る近づいてくる。燕尾服に身を包んだ、いかにも執事頭といった風貌だ。
彼はヴィクトルの腕の中のメイドを見るなり、顔色を変えた。
「も、申し訳ございません! わたくしの監督が行き届かず……!」
「そんなこと、どうでもいいわ」
私はきっぱりと言った。
「医者はどこ? 早く、この子を診てもらいたいの!」
「……え?」
執事頭の目が、信じられないものを見るように見開かれる。
「ミ、ミア様……その者を、医者に?」
「ええ、そうよ」
「ご冗談を……。 貴女様が、使用人を“人として”気にかけられたことなど、これまで一度も……」
――でしょうね。
でも、今はそんな過去、どうでもいい。
「冗談じゃないわ。医師を呼んで。それから、この子をどこに運べばいい?」
私が畳みかけると、執事頭は言葉に詰まった。
「それでしたら……屋敷の地下の――」
「一階、東の角部屋が適切かと」
ヴィクトルが、即座に口を挟んだ。
「おい、あそこは客間だぞ!」
執事頭が低い声で睨む。
「地下は湿気が強く、日も差さない。
怪我人を置く環境じゃない」
ヴィクトルは一歩も引かない。
「しかし……」
「決まりよ」
私は迷いなく告げた。
「一階東の角部屋に運んで。怪我人を、あんな場所に放置するなんて出来ないわ」
一瞬、ヴィクトルの表情が、ふっと緩んだ。
ほんの一瞬、喜びが滲んだように見えた。
だが、それはすぐに消え、いつもの無表情に戻る。
彼はメイドを抱え直し、屋敷の中へと急いでいった。
残された執事頭は、その背中を忌々しげに見つめている。
――人狼族。元奴隷。
長年仕えてきた者からすれば、目障りな存在なのだろう。
周囲の使用人たちが、ざわつき始めた。
ミアの“異変”に、戸惑っているのがありありと分かる。
……そりゃ、驚くよね。
悪役令嬢が、使用人を気遣うなんて。
「さあ、私たちも東の角部屋へ行きましょう」
私は使用人たちを見回した。
「他の人は、仕事に戻って」
そう告げると、煮え切らない顔の執事頭の袖をつかみ、ヴィクトルの後を追って屋敷の中へと足を踏み入れた。
――この城は、思っていた以上に、深い闇を抱えている。
そして私は、その中心に立ってしまったのだ。




