62話
――ヴィクトル――
目を覚ますと、白い天井が見えた。
(しまった! 気を失ったのか!?)
ヴィクトルは飛び起きた。すると、左腕にえぐられるような痛みが走り呻いた。
「気がついたのね、よかった!」
すぐそばで、聞き慣れた声がしてそちらを振り向いた。
信じられない人がそこにいて、大きく目をみひらく。
金色の巻き毛、気の強そうな大きなブルーの瞳。凛としたたたずまいのミアがベッドサイドに座っていた。
「……どうして、ミア様がここに?」
ようやく口に出来たのはそれぐらい。
「どうしてって、私が庭園を散歩していたら、貴方が倒れていたのよ。最初に気づいたのが私で本当によかったわ」
ミアは穏やかな瞳をこちらに向けている。まるで、娼婦殺しの事件がなかったかのような接し方だ。
「私が、怖くはないのですか?」
不思議な顔をしてミアはヴィクトルをしげしげと眺めた。
「怖いってどうして? ……だって、あなたは殺しなんてしてないんでしょ? そもそも、そんなことが出来るようなタイプでもないでしょうに」
「……」
あまりにも、あっけらかんとしすぎている。
ミアはこれっぽっちもヴィクトルが犯人だとは思っていないようだ。
それを知ってホッとしたような、嬉しいような感情が胸に込み上げてくる。
「大方、レオンに嵌められたんでしょう? あの人、腹黒いからそれぐらいしそうだし」
まさか、そこまで読めているなんて。
「……フハハッ。やはり、あなたにはかないませんね」
ヴィクトルは少し笑った。
「安心して。さっきも言ったように、私があなたを見つけたから、執事頭に部屋まで運んでもらったの。ヴィクトル、ずっとうなされていたわよ」
「ご心配をおかけして、すみませんでした」
ミアはヴィクトルの痩せた横顔を見つめた。
この3ヶ月で神経をすり減らし、満足に食べることも眠ることも出来ていない様子がみてとれて、心がズキッとする。
「今はゆっくりと休んで傷を治して」
「そんなわけにはいきません! 森でヤードの猟犬を倒して逃げているのです。この屋敷にもいつ追手が来るかわかりません!!」
必死に言い募るヴィクトルは動いたせいで、また左腕に痛みが走り激痛でうずくまった。
「……ッ!」
「ほらぁ、そうやって無理するから」
ヴィクトルの額に玉のような汗が浮かんでいる。
ミアは、自分のハンカチでそれを拭おうと手をのばした。すると、いきなりヴィクトルにその手を掴まれた。
「きゃ!」
そのまま引き寄せられ、ミアはヴィクトルに抱き締められた。
「ヴ、ヴィクトル……!?」
背中にまわされた腕に力がこもり、ヴィクトルの胸に顔をうずめるかたちになる。
ドクン、ドクン……。
ヴィクトルのなのか自分のなのか、わからないが、心臓が高鳴っているのがわかる。
私もヴィクトルの背にそっと腕をのばすと、硬く引き締まった筋肉を感じた。
よく鍛えているのがわかる。
「……ヴィクトル?」
名前を囁くと、ヴィクトルが少し身体を離してから、聞いてきた。
「今から、キスしてもいいですか?」
「!?」
(ヴィクトル、今、キスって言ったの??)
頭がパニックになり、何も答えずにいると、スッとおでこに唇が当てられた。
ヴィクトルの温かな唇の温度を感じて、頬がカアッと熱くなってくる。
「ヴ、ヴィクトル……急にどうしたの?」
どうやらレオンの時と同様にキスの瞬間に息を止めていたみたいで、呼吸が乱れる。
「逃げている間、ずっとミア様のことを考えていました。貴女は夢中になると自分のことを疎かにしがちなので……」
少し照れているのかヴィクトルの頬も赤くなっていた。
金色の狼の瞳が美しく輝いていた。
真っ直ぐにヴィクトルに見つめられて、彼が侍従として自分を見ているのではないとようやく知った。
真剣で熱い眼差しに、また息が止まりそうになる。
ヴィクトルは指先で優しく私の頬を撫でてきた。その手つきはまるで壊れそうな……大切な何かを扱うような繊細さだった。
「ヴィクトル、私もあなたのことがずっと心配だったわ。レオンの元に行かせなければよかったって後悔してる」
「……いいんです。私はあなたのためなら、なんだってしますから……」
思わぬ言葉を聞いて、私は更に罪悪感を強めた。
「そんな風に思わなくてもいいの、あなたはミア・フォルトナーの侍従の前に1人の人間なんだから」
「……あなたの侍従だからそうしているわけではありません、あなたのことが愛おしいから、そうしているのです」
「ヴィクトル……」
まるで愛の告白をされているみたいだ。ミアは悪役令嬢のはずなのに、レオンからもヴィクトルからも好意を寄せられている。
ふわふわとした雲の上にでも乗っているような気分だった。
そこへ、あの人がやってくるまでは――。




