4話
「——そこで、何をしているのです?」
突然、背後から声をかけられ、私は飛び上がりそうになった。
「っ……!」
足音がした時点で、わざわざ茂みに身を隠したはずだった。それなのに、声の主は迷いもなく、私の真後ろに立っている。
声も出せずに固まっていると、男は手にしていたランタンを顔の近くまで持ち上げた。
ぼんやりと、若い男の顔が闇に浮かび上がる。
「……え……」
精悍な顔立ちだった。
褐色の肌に、闇夜に存在感をはなつ銀色の髪。
切れ長の目元には、他人を容易に寄せ付けない冷たさがある。
無表情——まるで感情を削ぎ落とした人形のような顔で、彼は私を見下ろしていた。
私は、この男を知っている。
ゲーム内でほんの少しだけ登場する、目立たないキャラクター。
悪役令嬢ミアの下僕で、異国から連れてこられた奴隷。
「ミアお嬢様。屋敷から突然いなくなられて……探しましたよ」
彼は淡々と、そう言った。
「……ミア、お嬢様?」
思わず、そのままオウム返しをする。
なぜ、この人は私をミアと呼ぶの?
ミアは、もう——土の中にいるはずなのに。
私の戸惑いを勘違いしたのか、男は小さく、面倒そうに息を吐いた。
「屋敷の者を困らせるのも程々にしてください。この森には凶暴な獣もいますし、恐ろしい魔女も棲んでいる。襲われたら、どうするおつもりです?」
「ご、ごめんなさい……」
反射的に、謝罪の言葉が口をついて出た。
すると——
男の顔に、初めて“表情らしきもの”が浮かぶ。
それは、はっきりとした戸惑いだった。
もっとも、その感情はすぐに消え失せたけれど。
「……貴女様の口から謝罪の言葉が出るとは。今日はどうかされたのですか?」
「え? だって……あなたに、心配をかけたみたいだから……」
「……森で頭でも打ちましたか? それとも、魔女に出会って性悪が治る魔法でもかけられましたか?」
「……どういうこと?」
真顔でそんなことを言われ、意味が分からず言葉を失う。
それではまるで——
私が、日常的に屋敷を飛び出し、周囲を困らせ、謝罪のひとつもしない高慢な女だと言われているみたいじゃない。
「とにかく、こんな場所に長居すべきではありません。屋敷に戻りましょう」
彼はそう言って、私の前に手を差し出した。
私は、その手をじっと見つめる。
男性に、こんなふうに手を差し出された経験など、生まれてこの方ない。
一瞬、どう反応すべきか判断に迷った。
「どうされましたか、ミアお嬢様?」
怪訝そうな視線。
——やっぱり、完全に私をミアだと思っている。
「あ、足が……痺れてしまって、動けないの……」
咄嗟に言い訳をする。実際、長くしゃがんでいたせいで、ふくらはぎがじんじんと痛んでいた。
「そうでしたか。配慮が足りず、申し訳ありません」
彼はそう言うと、私の前で背を向け、腰を落とした。
「それでは、私の背にお身体を。馬車までお運びします」
「……え?」
「さあ、どうぞ」
——どうぞ、って。
「い、いえ! 結構です! 少し休めば歩けますから……!」
大人になってから、おんぶなどされたことはない。それも若い男性に、なんて——考えただけで顔が熱くなる。
私は必死に首を横に振った。
「強情なのは相変わらずですね。安心しました」
どうやら諦めてくれたらしい。
ほっと息を吐いた、その瞬間——
私の身体が、ふわりと宙に浮いた。
「ひゃっ——!?」
彼は軽々と私を持ち上げ、自分の胸元へ引き寄せていた。
——完全な、お姫様抱っこ。
「急ぎましょう。この辺りの森には、人肉を好む狼が棲んでいます」
「……く、詳しいのね……」
ドギマギしながら、そう口にする。
「これでも、私も狼のはしくれですから」
「……え?」
「ミア様もご存知でしょう。私は異国民で、奴隷の人狼です」
「じ……人狼……」
ごくり、と喉が鳴った。
——下僕が、人狼?
このゲーム、そんな設定あったっけ……?
必死に記憶を探るが、思い当たる節はない。
その間も、彼は無表情のまま、私をじっと観察していた。
そして——その瞳が一瞬、妖しく金色に輝いたことに、私はまだ、気づいていなかった。




