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29/73

29話

 侍女が森を去ったあとも、風だけが残った。

木々がざわめく。

まるで、ここに触れるなと警告するように。

私はスコップを拾い上げた。


「掘るわ」


 その瞬間。

背後から、強い力で腕を掴まれた。


「やめてください」


 低く、切迫した声。

振り返ると、ヴィクトルの瞳が――初めて見るほど険しかった。


「秘密を掘るのは危険です」


「危険?」


 私は首を傾げる。


「証拠があるなら、見つければいいだけでしょう?」


「違う」


 即答だった。


「これは証拠探しではない」


一歩、彼が距離を詰める。


「これは――」


 言い淀み。

それでも、言葉を押し出す。


「あなた自身を危険にさらす行為です」


 胸が、わずかにざわつく。


「どういう意味?」


 ヴィクトルは、地面を見た。

掘り返されたばかりの土。

湿った、重い土。


「この森は、あの夜の“終点”です」


「……」


「ここを掘れば、戻れない」


「何に?」


「今のあなたに」


 空気が、ひりつく。

 私は怖々と笑った。


「おかしいわね。私は真実を知りたいだけなのに」


「それが聖女の罠だったら?」


 鋭い声だった。


「もし、ここから出てくるものが――」


 一瞬、彼の喉が動く。

 ヴィクトルがなぜか緊張しているみたいだ。


「あなたの知る“ミア”ではなかったら?」


 鼓動が、止まりかける。


「……どういうこと」


 ヴィクトルは視線を逸らした。

言ってはいけない、と理性が止めている顔。

それでも、絞り出す。


「あなたは、この森に“呼ばれすぎている”」


 背筋が冷える。


「何を言っているの?」


「あなたは記憶を持たない。それなのに、この森の道を迷わない」


 私は息を呑む。

確かに。

暗闇でも、足が勝手に進む。


「それは偶然よ」


「違う」


 きっぱりと否定。


「あなたは、この場所を“知っている”」


 森が、ざわりと鳴く。

私は土を見つめた。

もし。

ここから出てくるのが、本物のミアなら。

――では、私は誰?

ミアにそっくりでも、中身は違う。

考えたくない。

だが、掘らなければ前に進めない。


「それでも」


 私はスコップを握り直す。


「私は、止まらない」


ヴィクトルの手が、さらに強く私の手首を掴む。


「お願いです、ミア様」


その声は、命令でも敬意でもなかった。

懇願だった。


「あなたが何者であれ、今のあなたはここにいる」


「……」


「だが、この森はあなたを“元に戻そう”としている気がする」


 血の気が引く。


「元に……?」


「ここは、埋められたものが眠る場所です」


 視線が、ゆっくりと土へ落ちる。


「真実だけでなく、存在も」


 鼓動が速くなる。

私は、震える声で問う。


「あなたは……何を知っているの?」


 長い沈黙。

 そして。


「以前のミア様の全部ではありません」


 ヴィクトルは答えた。


「ですが、ひとつだけ確かです」


 顔を上げる。

彼の瞳は、決意に満ちていた。


「ここを掘れば、聖女を敵に回します!」


「……」


「ハネウグミ、あなたは、死にたいのですか?」


 夜風が、強く吹いた。

スコップの刃先が、月光を反射する。


ほんの少しだけ。

私は、躊躇した。

その瞬間。

森の奥で、何かが崩れる音がした。

土が、崩れる音。

自然に崩れたような――

それとも、誰かが掘ったような。

ヴィクトルが、即座に私を庇う位置に立つ。


「……遅い」


 低い呟き。


「誰かが、先に動いている」


 私の視線は、崩れた方向へ吸い寄せられる。

もし。

あそこにあるのが、私が圧死させてしまったミアの亡骸なら。

“決定的な証拠になる”


森は、もう秘密を保てない――。



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