25話
ヴィクトルは、破れたドレスの話をミアには伝えなかった。
だが、彼の脳裏にはメイドの言葉が何度も反芻されていた。
――自分では、絶対に届かない位置。
――縫い目を狙って、鋭く裂かれていた。
(偶然ではない)
それも、ただ隠すために破いたのではない。
むしろ――
(“気づかせる”ためだ)
◆
あれは、そう王子の誕生日パーティーよりずっと前のこと。
その日の夕刻。
ミアは窓辺に立ち、森の方角をぼんやりと眺めていた。赤く染まる空を見つめながら、ぽつりと呟く。
「ねえ、ヴィクトル。もし誰かが……誰にも言えない状況で、危ない場所へ行かなきゃならなかったら」
「……はい」
「その人が、あとから誰かに探してほしいと思ったら、どうすると思う?」
唐突な問いだった。
だが、ヴィクトルは即答できなかった。
(急になんだ?――まったく、いつも何を考えているのか分からないお方だ)
それでも、答えないわけにはいかない。
「……痕跡を残すでしょうね」
慎重に言葉を選ぶ。
「例えば、足取り、持ち物……あるいは、不自然な出来事」
「不自然な出来事……」
ミアは小さく反芻した。
「じゃあ、もし着ていたドレスに何かして、“それが異常だ”と気づくように仕向けたとしたら?」
ヴィクトルの背筋に、冷たいものが走った。
(まさか……)
「それは……助けを求める、合図にもなりえます」
「やっぱり、そうよね」
ミアは振り返り、どこか困ったように笑った。
いつもの傲慢で人をバカにしたような笑い方ではなかった。
「変な話をしたわ。でも……聞いておきたかったの」
ミアはそういってヴィクトルに背中をむけた。
◆
――裂かれたドレス。
――誰にも告げず、夜に部屋を出た行動。
――森で、誰かに会った“かもしれない”記憶。
それらが一本の線でつながりはじめる。
(もし、あの夜のミア様が)
(危険を承知で、誰かに会いに行き)
(それでも“無事に戻れなかった場合”を想定していたとしたら……)
ドレスを裂く行為は、衝動でも、癇癪でもない。
――身の安全、保険だ。
自分が消えたとき、誰かが異変に気づき、探しに来るための。
(……誰に、探してほしかった?)
その答えが、王子なのか。自分なのか。
それとも……あの男なのか……?
今、ヴィクトルは、ミア(うぐみ)の横顔を見つめながら、胸の奥で静かに決意した。
(本物のミアが、何処へいったのかを探っておくべきかもしれない……)
真実が、今の彼女を傷つけるものだとしても。
この胸騒ぎを放っておいてはいけない。
……深い森。
王子の誕生日パーティーの夜、本物のミアが、消えたあの日を忘れるわけにはいかない――。




